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2007年10月
イヤリングとヨーヨーと女の子
夕暮れの車内。日記を書く関口さんをじっとみつめる女の子がいた。
女の子は立ったり、後ろの席から覗き込んだり
あきらかに日記に興味があるようだったが、
関口さんがちょっと話しかけると恥ずかしそうに椅子の陰に隠れてしまう。
「絵を描くのは好き?」という問いにも首を振るばかり。
何度目かの質問で、「…好きだけど、描けない」と小さい声で答えてくれた。
「好きなら描けるようになるよ」と関口さん。
女の子は12歳。親類の葬式に出席するため列車に乗っているという。
関口さんが彼女の隣に座ると、かばんの中から小さな箱を取り出した。
箱の中にはぎっしりとイヤリング。「3組で2元だよ」と教えてくれる。
それはもちろんとても安いのだが、彼女がとても大切なものを扱うようにするので
安物のイヤリングもきらきらと輝いて見える。
イヤリングを耳につけた彼女に「似合うね」と関口さんが言うと、
窓に身体を押しつけ、首を振りながら頬を赤く染めた。
その後、手帳に張ったプリクラや、水を入れると膨らむ石の入った小瓶など
お気に入りのものが次々とかばんから飛び出した。
「かばんの中になんでも入ってるなあ」と笑う関口さんに
打ち解け始めた彼女は笑顔で応える。
最後に出てきたのがヨーヨーだった。
ところが、彼女は「アイヤー」とため息。
見ると彼女の手の中でヨーヨーは真っ二つだ。
どうやら真ん中の芯が折れているらしい。
どうするのかと思って見ていたら、女の子はヨーヨーを直し始めた。
関口さんもミニドライバーで中を開けるお手伝い。
しかし中を開けてみると…「こりゃだめだ、折れちゃってる!」
中の芯自体がもう壊れていた。
それでも女の子は手を休めない。
表情は真剣。ゴムを取り出し、なにやらしだした。
「今どき、こわれたらポイっていう子も少なくないのにね」と関口さん。
確かに女の子は自分の持ちものすべてに愛情をもっているようだった。
そしてついに、ヨーヨーは直ってしまった。
満面の笑みでヨーヨーを披露する女の子。
「ナイス、根性!きみはえらい」関口さんも驚きつつ賞賛。
関口さんが列車を降りる間際。女の子は大切にしていたイヤリングをくれた。
「あげるわ」ちょっとおどけた風にいう彼女。
列車は女の子と思い出を乗せまたひとつ先の駅へと出発した。
「高い2元もらっちゃったなあ…」ホームを歩きながら、つぶやく関口さんだった。
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投稿者:ディレクター 河合 | カテゴリ:旅のこぼれ話 | 固定リンク
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ヨーヨー

白城へ向かう列車の中で、女の子が
ヨーヨーを見せてくれました。
ところがそのヨーヨー、中の部品が
壊れてしまっていました。
それでも女の子はヨーヨーを直そう
と諦めませんでした。
遂には、一瞬だけだったけど、
ヨーヨーが出来てしまいました。
僕は何かを強く感じました。
投稿者:関口知宏 | カテゴリ:関口知宏の絵日記 | 固定リンク
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中国鉄道マニアック情報 その2
中国鉄道の魅力を隅から隅まで余すことなくお送りする「中国鉄道マニアック情報」の第二弾。
それでは出発進行!

ロシア国境の内側をぐるりとめぐった今週の旅。車内でロシア語のプレートを発見しました。
「窓からごみを捨ててはいけません」


食堂車のメニューもロシア語。

ウオッカもありました。でもなぜか非売品でした。
黒竜江省の富裕駅で発見した水には、チベット文字が書かれていました。


「中国鉄道のオリジナルの水」
この水はなんとチベットのタンクラ山脈から汲んだというミネラルウォーター。
きっとこの水も関口さんと同じように、遠くチベットから列車に揺られ、ここまで
旅をしてきたに違いありません。

今週、列車で見つけた10月22日付の「人民鉄路」。
一面記事は中国共産党の第十七回全国代表大会についてでした。
この大会は5年任期の中央委員会の委員を選出するきわめて重要な会議。
この中央委員の中から、党の中枢中の中枢の政治局委員が選ばれます。
関口さんがいつも乗っている中国の鉄道は、日本でいえば、かつての国鉄に当たる
国の機関のひとつ。国の将来に大きな影響を与えるこの会議に無関心ではいられません。
「人民鉄路」ではその全国代表大会が無事に閉会したことを、見出しまで真っ赤にした
特別紙面で伝えていました。
これからだんだん寒くなり、列車の窓を開けて車窓の風景を撮ることが難しくなってきます。
そんな冬の撮影のために開発した新兵器がこれ。

三脚の代わりに、カメラを載せて使います。窓の近くにレンズを持ってくることで
カメラの映り込みを防ぎます。

この先に待っている内モンゴルの草原やゴビ砂漠、天山山脈などではこの新兵器が
威力を発揮することになるでしょう。
投稿者:ディレクター 岡村 | カテゴリ:とっておきのご当地情報 | 固定リンク
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13億分の30の人々

中国最後の狩猟民族・エベンキ族とトナカイ
内モンゴル自治区・イトゥリ川駅の郊外で中国最後の狩猟民族であるエベンキ族
と出会いました。彼らは何百年もの間トナカイとともに暮らす生活を続けています。

この近辺の山には1000頭のトナカイがいるという

人が近寄っても全く逃げない
彼らにトナカイと暮らす理由を聞くと「大興安嶺山脈の主だから」という答え
が返ってきました。もちろん背景には経済的な理由がないわけではありません。
トナカイの角は1キロ1200元という高値で取引されるといいますし、動物園に
売ったり、映画に出演させるため貸し出すこともあるそうです。
しかし彼らとトナカイの関係を間近に見ると、先祖がしていた暮らしを、ただ
そのまま続けているという精神的な意味合いが強いように感じました。
彼らはトナカイを所有しているという意識が余りありません。エベンキ族は
トナカイと同じ林の中で暮らし、必要に応じてエサをつかってトナカイを集め
利用しているのです。日本にはこのような文化がないので、よい言葉がないの
ですが、放し飼いというよりも、鳥の餌付けや、家に住むヤモリのような関係
に似ているのかもしれません。

トナカイは森林の舟とよばれ 乗ることも出来る
エベンキ族の人口は2万人。現在は、そのほとんどが町で暮らしてます。
昔ながらの狩猟生活を送っている人はどんどん減り、いまや30人足らずなんだとか。
およそ1万年ほど前に長江流域で稲作が始まるまでは、中国大陸に暮らす全て
の人が狩猟や採集で暮らしていたことを思うと、「最後の狩猟民族」とこの旅で
出会えたのは、この先も忘れられない貴重な体験となることでしょう。
投稿者:ディレクター 岡村 | カテゴリ:旅のこぼれ話 | 固定リンク
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関口さんへの応援メッセージ【第16週】
グレースさん(40)男
毎週この番組が生活の「一番の楽しみ」になっています。私も5年中国東北部で仕事をしたことがあり懐かしく拝見しました。私も東北部で「日本語をわかる」人に会うと歴史を想い、複雑な気持ちでした。それが関口さんの「せつなうれしい」でしょうか。老人の話にあったように沢山の日中の一般人の犠牲の上に今の我々があることに感謝せずにいられないと思いました。いい番組をありがとうございます。
とちこさん(24)女
朝靄の中を列車が走るその風景に日曜の昼間からさわやかな気持ちになりました。いつもいつも興味深く拝見しています。本日の鶏西からの放送もそれはそれは実に興味深かったです。自分の祖母や祖父が出会った地にまだ足を踏み入れたことのない私ですが、関口さんの旅を見ていて私も少なくとも数年以内には中国大陸に行こうと決心しました。番組を見ていると、気になること、感じてみたいこと、たくさんあります。これからも関口さんの感じること、色々拝見させていただいたいと思います。次回も楽しみにしています!!
まじゅたんさん(35)女
関口さんがハルピンを途中下車した第16週。私も“切な嬉しく”そして“懐か楽しく”拝見させて頂きました。ハルピンには、新婚早々、言葉も分かからない状態で、夫と共に2年駐在。中国、ロシア、朝鮮文化を垣間見、戦前戦後の日本との関わりを知る機会を得ました。今では滞在する日本人も非常に少なく、その分どれだけ周囲の中国人に助けられたことか。それから数年、中央大街が垢抜け、ロシア料理店は変わらず、日は浅いながらもタイムトリップした懐かしさを感じています。例のモモヒキ、中国東北地方の冬には必須アイテムです♪関口さん、どうぞお身体ご留意のうえ、引き続き素敵な「旅人」メッセージをお届け下さい。
あころんさん(34)女
鶏西の中継では、雪景色にびっくりしました。中国の東北地方はもう冬なんですね。そういえば関口さんの服装もどんどんあったかい物になっていましたね。次からは私も行ってみたいところばかりです。どんなところなのか、どんな人達と出会うのか、とても楽しみにしています。中国鉄道の旅もあと一か月。見ている私としてはずっと続いてほしい気持ちですが、健康に気をつけてすばらしい出会いをしてくださいね。楽しみにしています。
与那覇さん 女
こんにちは。関口さんの日記も楽しみですが、ディレクターさんのブログも関口さんの表情や思い、また違う視点での中国を伝えていただき楽しみにしています。総合テレビで旅の様子を観ている私にとっては写真入りのブログは楽しみです。前回は関口さんの食べ物に対する考え方を知る事ができ、またその前はポプラ並木が素敵でいた。お体に気をつけて旅を続けてください。応援しています。
麻由子さん(25)女
こんにちは、「鶏西」からの中継観ました。雪が降っていて、びっくりしました。今週は、いろんな中国に出会えた気がしました。「ロシアな中国」、「朝鮮まじりの中国」、日本語が多かったのも印象的でした。寒くなってきましたね、体を壊さないように、頑張ってください。母と二人で応援しています。
石原欽也さん(59)男
いつも楽しみに拝見しています。特にそれぞれの土地の人々とのふれあいが、ほほを緩ませます。このたびの東北地方の様子。切ない、いつもと違う思いで見ています。特に関口さんの、若者に思いを伝えた言葉が良かったです。ご老人二人の話に胸をうたれました。特に91歳のご老人。
T.M.さん(35)女
鶏西で日本語学校の生徒の方たちと真冬のジャケットを選んでましたがダウンジャケットになったのですか?(^^)軽くて暖かくて一番良いと思います。もう秋も終わりで冬と言ってもいいくらいの寒さなんでしょうね・・・。これから乾燥もひどくてもっと寒くなっていきますのでくれぐれも風邪など気をつけて下さいね。
関口さんが中国の方たちとの触れあいを見せてくれるたび、たくさんのことを考えさせられます。これだけの重みのある旅の番組は他にはないと思います。これからも関口さんが遭遇する素敵な出会いを楽しみにしています。
愛莉さん(32)女
生中継が大好きな私は毎週日曜日12時になったら、たとえ何があろうとしても必ずテレビの前に座って、関口さんの番組を拝見しています。こんな深みのある番組、楽しい番組は最近なかなかないですね。関口さんは自然体でありのままの中国を紹介してくれて、ありがとうございます。残りの旅が後わずかですが、体に気をつけて下さい。ず〜とず〜と応援しています。
Kさん 女
毎週とても楽しみに見ています。ハイビジョンの画像で、臨場感たっぷり、関口さんと一緒に旅をしている様な感じです。画像の美しさに感激しております。また、関口さんの才能とお人柄から生まれる人々との関わりに感じ入っております。十年前に亡くなった父が「もう一度奉天に行ってみたい」と言っていたのを思い出し、私も複雑な気持ちになりました。後数週間、期待しています。
M.N.さん(50)女
毎週楽しみに観ています。
中国東北部に住む90歳を超える元気なおじいさんの「日本人捕虜が連れられていくのをみたよ」の言葉に切なくなりました。6年前に78歳で他界した私の父はシベリアに捕虜として抑留されていったのです。”この人はその光景を見ていたのか・・・”かなしい戦争の歴史を想いました。中国東北部の旅は考えさせられることが多い旅でした。あのおじいさんのお元気ぶりが人間の強さを感じて救いでした。中国の旅は、広い国が見せてくれるそれぞれの土地の違った表情も興味深いですが、それにも増して人との交流が盛りだくさんで、グッと心にはいってくる感じがします。お元気で旅を続けられることをお祈りします。
ゆうこさん(35)女
関口さんが言った「切な嬉しい」番組を見ていて、その言葉が心に沁みました。すばらしい旅をされていますね。心からの祝福とうらやましい気持ちでいっぱいです。
私も来年・・または再来年には中国を訪れようと決心しました。残りの旅も関口さんが出会った中国の人たちの姿を見れるのを楽しみにしています。
投稿者:中国鉄道大紀行 | カテゴリ:関口さんへの応援メッセージ | 固定リンク
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教室で日本の歌を歌ってみたけど・・・
今週の中継は、日本語教育の町として中国全土に知られる鶏西からお送りしました。
この町で日本語教育が盛んになったのは80 年代の改革開放の後のこと。
地元の大学の先生が日本語の専門学校を作ったところ評判となり、その成功を見て
次々に日本語学校ができました。インターネットの普及した最近では、若者たちの
口コミで、「日本語を学びたければ鶏西に行け」とまで言われるまでになっているとか。
町には現在16校も日本語を教える学校があり、10,000人以上の若者が寮生活をしながら
学んでいます。
番組でご紹介したのは誠実学院という学校。生放送の前日、学生たちに番組の内容を
説明するために、私たちスタッフは教室を訪ねました。
出迎えてくれたのはなんとも華やかな声。
ここで日本語を学ぶ学生は、なんと7、8割が女性なのです。


実際に日本人と話す機会は滅多にないという学生たち。70人の熱い視線が集まり、
こちらが声をかけるたび「はい!」「そうなんですか!」と、弾むような反応が
返ってきます。


むしろ私の方が緊張しながらの挨拶を終えて、教壇を降りようとすると、
「日本の歌を歌ってください!」との声が。
あっという間に「歌ってコール」教室に広がってしまいました。
まったく予期せぬ展開に、とっさに浮かんだ歌は、『幸せなら手をたたこう』。
リズムに合わせて体を動かして楽しめるこの曲なら、なんとかこの場は乗りきれるはず。
ドキドキしながらも、恐る恐る歌ってみます。
「♪幸せなら手をたたこう…」
すると、クラス全員がいっせいに手をたたいて応えてくれるのです。
「♪足ならそう」と歌えば、70 人が揃って床を踏みならす。
そして気がつけばみんなで大合唱。
そのあまりに気持ちのよい反応に、教壇に立つ私はいつしかライブの
ステージにいる気分です。
すっかり有頂天になって、アンコールにも応えました。
曲目は、世界的に有名なあの名曲『上を向いて歩こう』。
「♪上をむ~いて、あ~るこ~うよ」
ところが、学生たちの反応は、まったくの静寂。
中国の学生のみなさん、この歌はご存知ないようでした。
混乱しながらも、歌いだしたからには途中でやめるわけにもいかず、
目一杯声を張り上げて歌うしかありません。
それがかえって学生たちとの間に温度差をつくり…。
上を向いて歩こう、涙がこぼれないように…
窓の外は一面の雪景色。たった一人で歌うこの歌詞が、心にしみてきました。
投稿者:ディレクター 遠藤 | カテゴリ:舞台裏よもやま話 | 固定リンク
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国境の街にいます!
ハルビンからの夜行列車に揺られること12時間。
国境の街、図們(ともん)に到着しました。
川を渡ればそこは北朝鮮。
いまこのブログを書いているホテルからも対岸の様子が見えます。

今日はこれから図們近郊を歩きます!
投稿者:ディレクター 立花 | カテゴリ:旅のこぼれ話 | 固定リンク
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夢の町ハルビン
聖ソフィスカヤ教会の夕空に、一筋の飛行機雲が流れた。

中国東北地方を回ってきた列車は、黒竜江省の省都・ハルビンへと到着。
ハルビンは、今からおよそ100年前、帝政ロシアが、極東の拠点として
つくりあげた町だ。
町には、装飾性にあふれる洋風建築が並び、国際都市として華やぎをみせた
当時の風情をしのばせている。
夜、地元で評判のロシア料理店を訪ねた。その名も「露西亜」。

蔦のからまる白壁には「1914」と記されている。この洋館が建てられた年だ。
店のオーナーは、ロシア人の母を持つ中国人の胡泓さん。店の壁いっぱいに、
胡さんの祖母や母親がハルビンで暮らして時代の写真が飾られている。
料理は、ボルシチやピロシキなどロシアの家庭料理が中心。
ロシア人の母の味が再現されている。
胡さんがこの店をオープンさせたのは、今から8年前の2000年のこと。
それまでの10年間、胡さんは設計士として日本で働いてきた。
横浜中華街で中国風建物の設計などを手がけてきた胡さん、転機となったのは
1995年に起きた阪神大震災だった。地震によって崩れた神戸南京町の門の再興を
手がけたのだ。
「ふるさとの歴史を活かした町並み作りに尽力したい、それが夢だ」
日本での生活をなげうってハルビンに戻った胡さん、誰でも訪れることが
でき、ハルビンの歴史を感じられる空間を作りたいと、この店を開いたと言う。
店内には、何種類もの野菜を煮込んだ「ポットスープ」の甘く芳醇な香りが
広がっている。テーブルでは、とっびっきりのオシャレをしたハルビンっ子の
カップルやなにか記念でやってきたのか、仲睦ましい母と娘が、楽しげに食卓を
囲んでいる。100年の時を越えて、ゆるやかで優しい時間が、ゆっくりと過ぎていく。
店を出た。ハルビンの町は、光に包まれていた。アールヌーヴォーや
アールデコ様式、一軒一軒の洋館が、鮮やかな色彩でライトアップされていた…。
19世紀後半、ロシアは、広大なユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道を建設、
アジアの物資をヨーロッパに輸出することで、当時海上貿易で世界を牛耳っていた
イギリスに対抗し、世界経済の主導権を奪おうと目論んだという。その拠点とした
「東方のモスクワ」ハルビン、100年の夢の都市。
「夜の光に照らされた聖ソフィスカヤ教会は、きっと美しいのだろう…」
そんな感慨を抱きながら、ハルビン駅へ向かった。
投稿者:ディレクター 東 | カテゴリ:旅のこぼれ話 | 固定リンク
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“うにょ”

哈尔滨(ハルビン)は、今はロシアのというよりは、西洋文化の多い
町でした。かつてロシアが立てた租界建築物の中には、
イタリアのブランドやアメリカのファストフード店、中国の店
などが入っていました。そして今では、その租界風の建物
を、中国の人々が新築していました。よ〜〜〜く見てみる
と、どことなく何かが違う気もしました・・・(汗)。
一九一四年から営業しているロシア料理店『露西亜』
で夕食をとりました。オーナーがいたので話しかけてみると、
オーナーはなんと日本語が話せました。
しかも彼は日本にいた時、神戸や横浜で建築の仕
事をしていたので、そこへ行くと彼の立てた建築が見られ
るそうです。哈尔滨では建てたかと聞くと、一軒も建てていない
と言いました。曰く、中国の人が建てる租界風は、まだまだ
だからなんだそうです。
僕は中国の人が上手くなる
ことを願いつつ、片や中国に西
洋文化が入った経緯(いきさつ)を様々
に考えると、別に上手くなって
悪いことは何もないはずなのに、
どういうわけか心の奥が“うにょ”っとしました。
投稿者:関口知宏 | カテゴリ:関口知宏の絵日記 | 固定リンク
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関口さんへの応援メッセージ【第15週】
といちゃんさん(45)女
先日はじめて番組を拝見しました。もうすでに春から始まっていたのですね。関口さんの素朴でかつ、暖かい口調にいつの間にか見入ってしまい、番組を今まで知らなかったことに後悔しました。私自身も3年前に中国に行き、田舎との、違いや、スケールの大きさ、考え方の違いなど、とても驚いたのを覚えています。今日のライブでいよいよ歴史的にも欠かす事のできない満州の旅が始まった事を知り、放送を楽しみにしています。まるで私も一緒に旅しているような、そんな番組を待ってます。頑張ってくださいね。
遠矢麻美さん(32)女
穏やかな口調と、優しい笑顔に毎日癒されながら、会社へ向かっていた私には、とてもなが〜く感じた1週間でした。疲れはとれましたか?毎日毎日、電車に揺られ、常に新しい世界、新しい町に出会う体験は、充実感や感動と隣合わせに、身体的には大変な事の方が多いかと思います。1度きりの人生の中で、縁あってこの旅と出会えた関口さんを、とても羨ましく思います。そしてこの番組と出会えた私も、一視聴者として最後まで同じ目線で応援しています。がんばって♪
momoさん(41)女
この夏の終わりから、この番組を発見し、即はまってしまいました。それは、何といっても関口さんの自然体で人に接する人柄の良さ、そして未だ見たことのない紹介されることのなかった中国の素晴らしい田舎や豊かで人情深い中国の人の温かさに夢中になってしまったのです。過酷なルートでテレビに放映されない部分の大変さを思うと、体に気をつけてくださいね!としか応援メッセージをおくることしかできませんが、一緒に旅した気分にさせてくれるこの番組のそして関口さんのファンの一人として初めてこのページから送ります。がんばってー!!
サンシャインのチョウさん(40)男
来日10年永住者のチョウです。あと2週間かな、関口さんたちは僕の故郷の内モンゴルのフホホトを訪問する予定ではないかと思いまして、関口さんが中国鉄道大紀行の旅行中、よく日本の味噌汁を思い出して、しようがなくて、それが「時空」を超える故郷の味なのです。関口さんと同じ、僕は日本料理にも慣れましたが、そのフホホトの代表的な朝食の羊雑碎(羊の内臓による作られる朝食)をいつも止まらなく思い出していま。そこでもしチャンスがありましたら、ぜひ食べてみてくださいね。ではお元気で!
シマさん(42)男
こんにちは。毎晩いつも楽しみに拝見しています。元々鉄道の旅は好きな方でしたが、妻が中国人なので特に楽しみにしています。歳の離れた妻は当初あまり関心を示しませんでしたが、今は一緒に楽しんでいます。多才かつイケメンの関口さんの野暮ったさ(失礼!)と優しい人柄にとても好感が持てます。海安県の養蚕一家の少女との出会いと旅ブログの関口さんの詩は心に沁みました。いよいよ瀋陽から出発ですね。妻の故郷がハルピンなので、とりわけ楽しみにしています。ラストまで身体に気をつけて、中国の人々との暖かい交流を続けてください。
Sさん 女
シンヨウからの中継、拝見しました。母が生まれた所。駅前にあった満州鉄道の事務所は、きっと祖父が通っていた所。祖父に見せてあげたかったな。中国ではこれまで、日本が残していった物を苦々しい歴史の記憶として保存してきたと聞いていましたが、歴史だけでなく技術、芸術品として保存しようとなったと聞いたら胸が熱くなる思いでした。犠牲になったのは中国だけじゃなく日本人も多数。同じ歴史を生きて死んで、物だけが残ってしまったわけですが、残った人、後から生まれた人が敵対心以外の気持ちを持ってくれるのは、気持ちが近くなったような気がして嬉しかったです。私もこの旅でずっと中国が近くなってますから。
H.H.さん(35)女
「鉄道の旅」シリーズの大ファンで、いつも楽しく拝見しております。特に今回は母が幼少時代を過ごした国(旧満州)なので、番組の随所に「小さい頃に歌った歌」や「通園に使った馬車」等、懐かしい物に触れる事があり、とても楽しんでおります。特に今週末の放送では母の思い出の強い町「ハルピン」を訪問されるので、放送が今から楽しみです。「ハルピン」は、ロシア革命の時代にロシア貴族(白系ロシア人)が流れた町で別名「極東のパリ」と呼ばれていました。今までの町とは、かなり雰囲気が違ったかと思います。寒くなってきましたので、これからの旅もお体に気を付けてくださいね。
Kさん(21)女
いつも中国鉄道大紀行をテレビでみます。中国の景色は現代、紀元前の時代など様々な時代があらわれていつもびっくりしています。今日、実習でこの番組のお話を患者さんにしました。すると患者さんは満州から引き上げ船で日本に帰るまでのお話をしてくれました。その内容は本当に過酷なものでした。たぶん番組をみてなかったら、私は患者さんとこういう話はできなかったんだろうなと思います。
minさとさん(27)女
私も中国の旅、とても大好きになりました☆関口さんの素朴な旅のスタイルととてもマッチしているし、中国の人ってこんなにフレンドリーで心優しい人達だとは知りませんでした。(一方的な偏見て本当怖いですね)視聴者側から中国の旅の良さは、やはり関口さんとほぼ近い時間で見られること。割とタイムリーに共感できる良さ!先週はこんな場所へ、こんな人達と出会い、そんな風に感じたりしたんだぁって。最近では、雲崗石窟寺院・・・私も何とも言えない複雑な一緒に切な〜くなりました。シールの眼鏡おじさん、お尻を出して踊る子供…楽しいシーンは一緒に笑顔になります。本当に毎日おかげで何とも心温まる気持ちにさせて貰っています。謝謝
中国雅代さん(38)女
日本で14年半住んでいる中国人です。番組を見て、懐かしいと思いながら、ありのままの中国を日本に紹介する素晴らしい番組で、非常に感動しています。関口さんはとても素直で、面白い人だと思います。どこへ行ってもきっと歓迎されると思います。私も外国人として日本鉄道大紀行をしたらいいなと思います。残りの旅も頑張ってね、テレビの前で応援します。
みかみかさん(38)女
気づいてみれば旅ももう残り1か月切りましたね。早いものです。中秋の名月の時に「うさぎうさぎ・・・」とみんなで歌っていた場面が私はとても好きな場面の1つです。関口さんはここでもそうでしたが降りる直前まで話しをしていてギリギリで電車を降りていますね(笑)きっと今までの旅の話それぞれの国の話などで盛り上がっているのでしょうね。この時男の子が最後に「気をつけて」と言っていた所スゴク感動しました。なにげない一言なのですが涙が出そうになりました。出会いは良いものですが別れは寂しいでものです一期一会。関口さんはこの旅でこういう思いを何度もしているのですよね。(ちょい
涙)
投稿者:中国鉄道大紀行 | カテゴリ:関口さんへの応援メッセージ | 固定リンク
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創造と破壊

万里の長城の建設
日本の奉天駅建設
砂漠化の進行と緑化
破壊の跡が残る寺院
一つ一つは一見して、
創造か破壊かが明確に
思える。しかしその実は、
分け隔てるのが難しい。
万里の長城の建設は、
同時に大地の断絶であり、
日本の奉天駅建設は、
同時に支配への道であり、
砂漠化という環境破壊は、
森林を伐採する代わりに
高気圧を生産していたのであり、
その緑化は
地下水の枯渇との戦いともなり得る。
未来とは創造と破壊の関係を知った時代のこと。
投稿者:関口知宏 | カテゴリ:関口知宏の絵日記 | 固定リンク
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赤レンガの瀋陽駅
今週の中継は中国東北部の玄関口、瀋陽駅からお送りいたしました。

瀋陽駅(旧・奉天駅)
1910年(明治43年)、当時「奉天」と呼ばれていたこの街に満鉄が建設した駅は、
二階に高級ホテルを完備した最先端の駅でした。
ちょうど同じ頃、日本では、新橋駅と上野駅の間に新しい駅を作っていました。
]皇居の正面に建てられたその駅こそ、東京中央停車場、今の東京駅です。
設計は日本銀行本店や両国国技館なども手がけた辰野金吾。瀋陽駅と同じく赤い
レンガの外観に、二階に高級ホテルを配した駅舎は、首都・東京の玄関口に
ふさわしい堂々たる風格でした。
二つの駅舎は、設計した人こそ違いますが、「辰野式」とよばれる同じ建築様式で
建てられた当時の代表建築でした。

東京駅
時は下って、1945年。瀋陽駅の姿を変える工事が始まりました。
終戦後、この地にやってきたソ連軍が瀋陽駅の正面に戦争で亡くなったソ連将兵を
慰霊する記念碑を建てたのです。近年、瀋陽駅を訪れた方はきっとこの記念碑が
記憶に残ってるのではないでしょうか。
われわれが取材に訪れたときには、この記念碑はすでに撤去され、市内で売られて
いたトランプでその姿を見ることが出来ました。

瀋陽の名所が絵柄になったトランプの一枚
記念碑の上に載っているのは戦車。ソ連の陸軍を意味します。この後、およそ60年間瀋陽駅の前に据えられ、瀋陽のシンボルの一つとなっていたのです。

地下鉄の完成予定は2010年
この記念碑が、地下鉄工事のため駅前から撤去されたのは、2006年。
今は市の郊外にある朝鮮戦争でなくなった兵士の墓地の中で静かにたたずんでいます。

「蘇連紅軍陣亡将士記念碑」

ソ連は瀋陽に陸軍、長春に空軍、ハルビンに海軍の記念碑を建てた

1985年に瀋陽市の保護文物に指定された。

町の北にある「 抗美援朝烈士陵園」の一角に移転された
投稿者:ディレクター 岡村 | カテゴリ:とっておきのご当地情報 | 固定リンク
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相対

日本の侵略時代の遺物の一つでもある旧大和ホテル。
ところがある意味では皮肉なことに、とても美しい。
当時の中国は勿論、今の日本にも望めない貴品さえある。
世界には絶対の善がある。絶対の悪もある。
しかし、それが単体で存在しているものは一つも無い。
この世界が相対の世界であることを、今もそのまま
使われているこのホテルが物語っているかのように、
僕には感じられた。
投稿者:関口知宏 | カテゴリ:関口知宏の絵日記 | 固定リンク
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旧満州鉄道の線路

僕が生まれる前の出来事が、静かに旅を
支えている。旅がどんなに素敵な出会いに
満ちたものになったとしても、それは過去の悲
しい出来事抜きには成立しない。
皮肉なものなのだ。嬉しいことや楽しいこと
が、嬉しいことや楽しいことだけの上に成り立つ
ことは決してない。人生と同じだ。
旧満州鉄道の線路の上を旅しなければ、
この旅が僕の人生の一ページになることは
ないのかも知れない。
投稿者:関口知宏 | カテゴリ:関口知宏の絵日記 | 固定リンク
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やっぱりそうだった

雨が降らないから砂漠化する
と、
砂漠化するから雨が降らなくなる
は、
二つで一つの真実だった。
その上でこそ初めて、
緑化すると雨が降り易くなる
という希望が見えて来る。
投稿者:関口知宏 | カテゴリ:関口知宏の絵日記 | 固定リンク
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木を植える人 in 中国
このところずっと続いている車窓のトウモロコシ畑は
徐々に刈入れの跡が目立ってきた。
農家の屋根の上には収穫したとうもろこしが
所狭しと干されている。
収穫期よりも、年を越したほうが高値で売れるため、
乾燥させて保存するのだという。
また茎の部分も乾燥させて冬場の燃料にするらしい。
いつ、秋が始まったのかと思っていたが、
世間では、いつの間にか冬を迎える準備をしているようだ。
錦州を越えるとトウモロコシ畑は姿を消し、
車窓は、見渡す限りの田園地帯へ。
聞けばこのあたりは有名な米どころだという。
南のお米よりも味がいいと評判で、
上海や広州の方でも人気が高いそうだ。
盤錦で途中下車。
郊外の田園地帯に足を伸ばした関口さん。
田んぼの脇にずっと続くポプラ並木を発見。

実はこれは「緑の長城」という国家プロジェクト。
深刻な砂漠化を食い止めるために、
20年前から植林を開始した。
今までにおよそ4500キロが完成。(日本列島より長い!)
緑化や、生態系そのものを回復させようという
超大型プロジェクトで、2050年を完成目標としている。
その並木と関係のある人を訪ねた。
7年前からここで園芸業をしている宋さん。
緑の長城には苗木を提供したそうだ。
国から補助金をもらって
砂地に育つ植物などを研究している本格派だ。
200メートルもの地下から水をくみ上げ頻繁に撒くことで、
植物の生育を維持しているとのこと。
以前は砂地だったという場所は一面の花畑となっている。
宋さんが言うには、この地域の環境は悪い循環に入っているとのこと。
地表に緑がなくなって乾燥してしまうと、
その土地には雨が降りにくくなる。
そして雨が降らなくなると、地面はますます乾燥する・・・。
「逆に木を植えると雨を呼ぶということもあるわけですね」と関口さん。
何かを思いついたようだ。
「そうともいえる。しかしまだまだそのためには努力が必要だ。
個人の力ではどうしようもない。
私やあなた、その他大勢の人の協力が必要です。」
と宗さんは話をしめた。
*
宋さんは、最初はここで牧畜をする予定だったという。
しかし、あまりに土地が荒れていて、
とりあえず緑化をするしかなかったとか。
その後、国の政策ともあいまって、
宋さんの園芸会社は、今では40人が働く村一番の大きな企業に発展した。
そんな宋さんの話には、節々にお金の話が出てくる。
「やっぱり牛は儲かるからね」
「あっちの木は1本4000元。
こっちの花をすべて売ると3万元…」
うれしそうに花や木を指差しては、 値段を述べる宋さん。
緑の長城への苗木ももちろん無償提供ではなく、
ビジネスとして売ったという。
日本では、植林や緑化というと、
慈善事業やボランティア、または政府からの要請
みたいなイメージが強いが、
ここではれっきとしたビジネスなのだ。
木を植える。花を育てる。
それがどういう目的であれ、
大地は緑に覆われることになる。
むしろビジネスとして成り立っているほうが、
持続性や、多くの人が関わるという点においても優れているのかもしれない。
「問題解決に資金は必ず必要だ」
中国の「木を植える人」は有能なビジネスマンだった。
*
その日、列車で関口さんは一気に日記を書き上げた。
大地が上にあり、雨が下から上に降る、という逆さまの絵だった。
傘を差した関口さんが、その中を歩いている。
緑に覆われた大地が雨を呼ぶ。
いつかこういう光景を見ることはできるのだろうか。
それはとても幸せな風景に見えた。
投稿者:ディレクター 河合 | カテゴリ:旅のこぼれ話 | 固定リンク
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今度会えるのは…
「ほんとうに万里の長城は宇宙から見えるのか?」
近年、宇宙開発やロケット技術に力を注ぐ中国で、
大論争をひきおこしたのが、この疑問です。
この国民的議論は、今年春に「肉眼では難しい」という判断を
中国科学院が出したことでいったんはケリがついたようですが、
教科書記述を修正したり、しばらくは世間をにぎわせていたそうです。
こんなエピソードからも、万里の長城がいかに中国のシンボルとして
認知されているかがわかる気がします。
私たちも先週以来、華北地方をぐるぐるとまわるなかで、
この万里の長城には、あちこちで出会ってきました。
山の尾根伝いにそびえる壮麗な姿もあれば、

荒波の渤海に突き出した堅固な姿もありました。

そして、こんなふうに草に覆われて、往時のなごりをとどめない姿もあります。

4月から6月までの春の旅で、関口さんが折々に出会ったのは
中国随一の大河、長江でした。
単純な比較はできませんが、長江の全長は6300キロあまり、
そして、万里の長城の全長も6000キロ以上あると言われています。
大自然の作りあげた大河と匹敵する規模の建造物が
存在するということには、ただただ驚くほかありません。
「最長片道ルート」はこのあと中国東北部をまわり、
ゴールのカシュガルへ向け、西へ西へと進みます。
あと何週間かすると、ふたたび万里の長城が
関口さんの前に姿を現わすことでしょう。
山の木々に覆われているのか、砂の平原の上に続いているのか…。
「再会」する長城は、はたしてどんな姿を見せてくれるのでしょうか。
投稿者:ディレクター 苗代 | カテゴリ:旅のこぼれ話 | 固定リンク
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秋の大型連休 はじまる
10月1日は、中国では「国慶節」。この日から秋の連休が始まります。
私たちが乗った北京に向かう列車も行楽客で満員。
リュックやショルダーバッグを持った軽装の若者が目立ちます。

そんな行楽客をよそ目に大きな荷物を抱えて
列車に乗り込んでくるのは行商の人たちです。
果物の産地として知られる河北省を走る列車。
沿線はちょうど収穫の季節。

ホームにはナシやリンゴ、ナツメなどがどっさり積まれています。
車内で出会った男の人は「全部売るまでは連休中も帰らないよ」と話していました。
投稿者:ディレクター 苗代 | カテゴリ:旅のこぼれ話 | 固定リンク
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