今年も押し迫った。二〇〇七年を言い表す漢字は「偽」だったが、裏を返せば「謝罪」に明け暮れた一年だったともいえる。
食品偽装、年金問題、政治家の失言、横綱やボクシング選手の問題行動…。不祥事が発覚するたびに、会社の幹部らが頭を下げるシーンを何度目にしたことか。一連の騒ぎの底流にあるのは「ばれなければ何をしてもいい」という倫理観や責任感の欠如だろう。
モラル崩壊のまん延にはうんざりさせられた。一方で、謝罪を求めて怒りを爆発させる「キレる大人たち」が増えていることも見逃せない。駅や病院、学校、レストランといった公共の場でトラブルを起こし、時には暴力に及ぶケースもある。
激変する時代環境の中で、時間に対する感覚の変化が人間の心理にさまざまな影響を及ぼし、問題を引き起こしているように思える。ケータイやインターネットの普及が時間の感覚を変容させたのは間違いあるまい。
作家の藤原智美さんは、著書「暴走老人!」の中で「時代が待たなくていいように『便利』になるほど、『待つこと』のストレスは膨張し大きくなる」「『待たされること』は、人の感情を苛立(いらだ)たせる大きな要因となった」と指摘する。
「待てない」心のゆとりのなさが、コミュニケーションを変質させているのだろう。「待つ」ことの意味を問い直しながら新年を迎えたい。