7月の日記


7月31日(月)
夏風邪をひいたようで、咽喉がガラガラ。ラジオの音楽領域の幅を広げようと、ノンケ・ミュージシャンからの楽曲提供を考えたり。課題は山積みだけれど、上手くいくのだろうか。
7月30日(日)
起きてから喫茶店にて珈琲。11時くらいに、金山駅近くにある名古屋ボストン美術館にて『肉筆浮世絵展・江戸の誘惑』を見る。見立て画などが面白く、参考になった。電車で三河安城まで移動。家まで歩いて行き、そこから車に乗って岡崎の「やな」まで鮎を食べに行く。今回は塩焼きを2本と鮎田楽。どうも物足りなくて、帰りに喫茶店でロールケーキを食べて、ハーブティを飲む。それから六番を岡崎駅まで送って、自分はジムへ行く。家に戻って、夕食は味噌煮込みうどん。
7月29日(土)
起きたのは昼前。前に録画を頼んでおいたビデオを見て、それから大須へ。木目込み人形に貼る生地を購入。六番と2人で天麩羅きしめんを食べる。七福亭で安倍川餅とかき氷(自分はミルク金時・六番は宇治白玉)を食べ、一旦六番邸へ。夜になって、デニーズで色々と食べ、また戻って、NHKで恐竜の進化をたどる番組を見る、見終わったら夜中の2時過ぎになってしまった。
7月28日(金)
夜になって名古屋へ。六番と居酒屋へ行く。男山・蓬莱泉・久保田などの日本酒を飲む。六番邸に宿泊。
7月27日(木)
梅雨が明けたと思ったら、一日中カンカン照り。どうにも8月中に1度大阪へ行かねばならないが、その途中で、奈良の三輪山にも登りたいと思い立つ。とは言っても、別にスピリチュアルな理由ではなく、単純に「登って、頭の真上にある夏の空を見たい」と思ったから。真っ青な空に入道雲とかがモリモリと湧いていたら嬉しい。素麺も食べよう。
7月26日(水)
夕方、制服に裸足という格好で自転車に乗っている女子高生を見る。靴くらい履いて自転車に乗ればいいのに、そういうのが流行しているのだろうか。家に帰って煮魚(メバル)を食べる。DVDを借りに行こうと出掛けるが、結局何も借りずにコンビニで、ゴム風船のなかにバニラアイスの入った「卵アイス」を購入。懐かしい。窓を全開にしていると風も入ってきて、思ったよりも涼しく眠れた。
7月25日(火)
お昼は又もや鰻。雨は降らなかったが非常に蒸し暑い。
7月24日(月)
木目込み人形の代金を郵便局から振り込む。オッドキャストを入れ替え、ネットラジオも無事繋がる。
7月23日(日)
鰻を食べたので、今日は梅ジュースは飲まず。雨が一日中降っていて、どこにも出掛けられない。『明治天皇の一日』(米窪明美著・新潮新書)を読む。
7月22日(土)
六番と焼肉を食べに行き、家で梅ジュースを飲む。ここのところ世俗を離れた仙人のような生活を送っていたので、久し振りにゲイ業界の情報収集。関係者筋からゲイ雑誌社の事情やゲイ・イベントの裏側など、今では他人事で純粋に面白く、なかなか愉快な話を沢山聞けた。こういった話は直接関係するよりも、少し離れた位置から全体を俯瞰しつつ聞くのが一番面白い。何かと今後の参考になりそうな話も聞けて満足。
7月21日(金)
ハートポリスのプラスチック・ボードを自転車にも取り付けさせられる。大きさにしてノート2冊分くらい。自転車の前のカゴに、でかでかと「ハートポリス」の文字が。かなり恥ずかしい。
7月20日(木)
ねっとラジオは、どうやらオッドキャストのプログラムが壊れてしまったようなので、もう1度入れ直す必要があるみたいだ。『ツバサ』の15巻を購入。これで『]』の世界と繋がって面白くなって来た。東名高速の浜名湖ドライブインで昼飯。鰻丼は美味しくなかった。夜にジム。
7月19日(水)
禅的生活』(玄侑宗久著・ちくま新書)を購入。結局のところ、悟りとは、特別な心境を完成させることではなく、あらゆる執着を捨てたときに、世界(仏性)がいきいきと輝くということなのだろうか。今ひとつよく分からない。もっと読み返す必要がある。
7月18日(火)
やっと木目込み人形の材料が届く。もう無いと思っていたので有り難い。
7月17日(月)
っとラジオの接続が悪くて放送中止。雨が続いて野菜の値段が高騰するというが、家の庭の植物たちは元気。ヒオウギが咲き始める。
7月16日(日)
ファミレスで、フリードリンクのコーラを飲もうとして機械のボタンを押したら、一気に出てきてコップから溢れて焦る。お代わりをしようと思ってまた機械まで行くと、小学生くらいの子が、泡で溢れないように3回くらいに分けてコップに入れていた。小出しになるように、ボタンを短めに押せば良かったのか。子供に教えられた一幕。暑さで怠けきって、ぐうだらな1日。
7月15日(土)
10時くらいに起き、休日出勤。14時くらいには終えてジムへ。夕方、知人カップルが手土産を持って家に遊びに来る。その手土産のモナカを食べながらお茶を飲み、梅ジュースなどで接待をしながら1時間ほど歓談。夜には飲酒。深夜に雷と強い雨。
7月14日(金)
御中元の品物の買出しに色んな店に行ったけれど、今日行った店では、領収書に御中元の「御」の字が、難しくて書けないという女性アルバイト店員がいた。仕方なく代わりに書いたけれど、漢字が書けなくても今の若い人は生きていけるのだから凄いと思った。
7月13日(木)
雨が降ったり止んだり。少しだけ晴れ間が出たときに、今年一番最初の蝉の鳴き声を聞く。夕食は素麺。隣りの席の家族連れのお父さんが、注文をする時に子供用に、「オレンジジュース、氷少なめで」と態々頼んでいた。ということは、ジュースの分量を多くしないといけない訳で、何だかそういう細かな「みみっちさ」というか、セコくても、ず太いというのが大事なんだなと、見てて学んだ。だけど、ちょっと自分には無理かも。
7月12日(水)
今日も暑さを梅ジュースで乗り切る。つもりが、やはり蒸し暑さに負けてダルダル。夕食は長崎ちゃんぽん。桃の残りを食べる。
7月11日(火)
亡き母の20年式年祭。午後4時くらいに親戚たちから、無事に墓前祭が終ったとの連絡が入る。17時で仕事を終えて家に戻り、急いで玄関から広間までの掃除。それから、お供え物の買出しにスーパーへ。広間の神棚の横にある、母の霊代を納める霊舎の前に、米・神酒・鯛・鮎・海苔・昆布・野菜数種・桃・塩・水の順番でお供えし、準備を終えて、やっと暫らく休憩。20時には姉や義兄たちと甥姪も家にやって来て、お灯明を点けた後、一同揃って拝礼。これでつつがなく式年祭を終える。終ってから桃を食べる。鯛や鮎などは姉たちに帰るときに持たせた。
7月10日(月)
おそらく九州は雨が降るだろうから、当日に墓地にテントを張るように、工務店に電話で手配したり、やはり食事は出さない訳にはいかないだろうという事で、人数分の食事の予約を墓地近くのレストランへ入れたり。神社の宮司と最終的な打ち合わせも済み、銀行口座へ玉串料を振り込んだり。それぞれの代金も振り込む。そんな事をやっていたら、すごい出費。家での式年祭は、岡崎市内で懇意にしている神社の宮司に頼もうと思っていたのに、もう準備の日程も無く、今から頼むのも難しいし、結局家族一同でお参りするだけになる。それでも明日は、仕事が終ってから20時までに、お神酒や鯛やら昆布や果物やらのお供え物を買い出しに行ったり、姉たちが家に来る前に、部屋の掃除もやらなくては。あれもこれもで忙しい。
7月9日(日)
吾妻ひでお著・『うつうつひでお日記』(角川書店刊)を購入。週刊少年チャンピオンに「ふたりと5人」を連載していた当時から吾妻ひでおの漫画が好きな自分から見たら、今でも彼の新刊が読めるという事が嬉しい。寝酒に赤玉ワインを飲む。昔はこれを「赤玉パンチ」と言ってたような気もする。
7月8日(土)
午前中は喫茶店で『サライ』を読んで過ごす。般若心経の特集。写経の勧め等。哲学家のひろさちやが誌面で活躍していた。読んでいくと、唯識と同じく「空」の思想などが展開するのを始めて認識した。ひろさちやの現代語訳は、的確で分かり易くて良い。お昼は冷やし中華を食べる筈が、最終的には岡崎市まで出掛けて、鰻丼を2人で食べる。六番を駅まで送って、それから一旦家に戻り、会社へ。3時間ほど仕事をする。それから家でネットで調べもの。全国の人形専門店を調べて、やっと木目込み人形の材料屋で、テディベアをまた置いている店を発見。在庫があるだけでここも終りなので、3体分を即行で注文する。このまま見つからなければ、お盆休み明けから陶芸教室で、楽茶碗を焼く事になっていたが、これで回避できる。梅ジュースを飲む。今年も美味しく出来たので満足。飲み過ぎると、クエン酸が腸内細菌を殺菌し過ぎていまい、下痢をしてしまうので、飲みすぎには注意しよう。
7月7日(金)
やっと会社で購入する今年のお中元買い付けリストが完成。こんな低予算で、これだけの品数どうやって買えばいいんだー!と、最初は投げ出してしまいそうになったけれど、お中元カタログをウンウン唸りながら見て、やっと書類にまとめて提出する事が出来た。あとは月曜に経理から決済を貰えば、一気に現金が貰える。実際に買出しに出るのは、水曜日以降になるであろう。お昼は素麺を食べる(七夕の為)。夜になって、六番としゃぶしゃぶを食べに行く予定が、予約を入れておかなかったせいもあり、満席で断わられてしまい、しかたなく焼肉を食べに行く。炭火で食べさせてくれる店に行ったけれど、味がどうも今ひとつ。ギアラは美味しくなかった。家で懐かしい「赤玉スイートワイン」を飲む。記憶に残っていたよりもかなり甘目。寝酒には丁度良いであろう。
7月6日(木)
き母の式年祭に参列して貰えるように、母方の祖父に電話をしたのだが、耳が遠くなっていて、大声でしゃべっても一向にラチが開かない。仕方なく叔母に頼んで、家まで行って貰って返答を聞く事に。今日の夕方に墓前祭には参列できるようだと報告は聞いたが、前に見たときには身体がプルプルと小刻みに震えていて、大丈夫か?と心配してしまったが、100歳近いがまだ動き廻れるようだ。しかし、誰が祖父を家まで迎えに行くんだろう。叔母に念を押しておかねばいけない。墓前へのお供え物の手配も忘れていたので、それも神社に電話しておく。
7月5日(水)
とりあえず神社には電話をしておいて、11日の午後2時から墓前での出張祭典の依頼はしておく。仕事を終えて、家に帰ってきてから全部の親戚宅へ順番に電話。急な話なうえに平日ということもあって、墓前祭への参列者は5名ほど。姉たちにも電話をして、11日の夜8時に家に集合して霊舎祭を行うことを伝える。神社に収める玉串料などは、全額自分が負担することに。霊舎祭に祖母の葬儀の時に頼んだ神社の神職に来て貰うかどうかは、予算の都合もあるので、まだギリギリまで検討することにする。うーむ。料理屋から仕出しも頼んだりしないといけないのだろうか。
7月4日(火)
煙草を買いに行くが、やはり値上がりしたんだなと実感。もう1カートンくらい値上がりする前に買っておけば良かった。
7月3日(月)
梅ジュースが完成。何だか真っ黒な色をしている。もう少し寝かせて、飲むのは週末に炭酸を買って来て飲もう。
7月2日(日)
亡母の20年式年祭について、姉たちと電話で相談。霊舎祭の方は、やはり家に集まってやる事になりそうだが、九州での墓前祭の方は、平日になるし日程的に無理なので、まだはっきりとは決められない。高千穂神社へ玉串料を送って、それで墓前で出張祭典をやって貰い、立会いも兼ねて親戚の何人かに参列して貰えるようにしないといけない。それを誰が電話を掛けたりして仕切るのか。最終的には自分の方に廻ってくるだろうから、日数も無いことだし、今のうちから段取りを考えておかないといけないだろう。夜になって、明日提出する書類を作る為に、少しだけ休日出勤をする。
7月1日(土)
土曜にしては珍しく早起きをして、車で名古屋へ。木目込み人形の材料を買おうと思って大須まで行くが、人形の材料専門店に材料が入荷していないとの事。製造元が廃業してしまい、もうテディベアの在庫も無く、入手は今後無理との事であった。他の人形の材料を見せて貰うも、どれも帯に短く襷に長い。仕方なく、矢場町まで歩いて移動し、もう一軒の人形材料店まで行くが、そこは元々品揃えが悪いこともあって、気に入るような材料が置いていなかった。昼飯を食べてから、鶴舞の古本屋街を見て廻る。夕方に六番を家まで送って、それから家に。色々とネットで調べてみても収穫は無し。


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