3月の日記

3月31日(木)
来週にやる大吟醸zのショーの、練習用音源が届く。それを聞いてみて思ったのだが、中島みゆきファンが聞くと、「未だにこういう解釈しか出来ないのか」と思うのではないだろうか。中島みゆき=「暗い」という発想から出た使い方が、自分が聞き手となってみても、多少不快であることは拭えない。が、曲については自分が担当している訳ではないし、宜しとしよう。
3月30日(水)
朝起きてみると、少し筋肉痛がした。午前中は喫茶店でモーニングを食べたり珈琲を飲む余裕があったのだけれど、昼から急に何故か忙しくなり、最終的に仕事が終ったのは、夜の22時。家に戻り、風呂から出てからも、暫らくはグッタリとする。会社では、「今年の桜は咲くのが遅い」とか、そんな話ばかりしていた。夕御飯は、かきあげ天丼とトロロ蕎麦。
3月29日(火)
他の部署から借りてきたアシスタントさんをどう使うか、そのアシスタントの上司の方と打ち合わせをする。これで少しは自分も楽になるだろう。そう思っていたら電話が掛かってきて、「明日までに2通、報告書を作って提出してください」と、また別の部署からの連絡であった。期限は今週末までだった筈なのに・・・。明日も結局は忙しくなりそう。仕事が終ってからはジムでトレーニング。帰りにどこかに寄って食事をしようと思っていたけれど、食べたいものが特別思い浮かばずに、そのまま家に帰って来てしまい、適当に冷蔵庫の中のものを食べて誤魔化してしまった。
3月28日(月)
日中は雨が降り続ける。昨夜は遅くまで起きていたこともあって、今夜は早く寝ることにする。
3月27日(日)
10時には起床。昨日図書館で借りてきた本は、『平家物語』以外は、読んでみると思っていたほど資料として役に立たなかったので、再び図書館へ行く。本を借りて、天気も良い事だし、土筆取りに出掛ける。土筆は2週間前から家の近所の田んぼの畦に沢山出ていたのは知っていたが、天候や用事で中々取りに行くことが出来ずに、今日まで伸び伸びとなっていた。やはり、胞子をだして、カスカスになってしまっている土筆が多く、良い物はあまり沢山取れなかった。夕方から茶菓子を用意して、お茶を飲みつつ、借りてきた『皇国の守護者1・2』(佐藤大輔著・中央公論社刊)を読み始める。思っていた以上に面白くて、夕食も食べずに詠み続け、2冊を読み終わったのが夜中の1時。それから日本酒を飲みながら土筆を茹でて、それを味噌汁の具にして、軽く飲んでから寝る。
3月26日(土)
塚歌劇団OGによる喜劇・『桜絵巻狸源氏』の中日劇場での公演チケットを、電話予約する。お昼は喫茶店でランチを食べ、図書館にて、『双調・平家物語12』(橋本治著・中央公論社刊)を借りて来る。ケーキも食べに出掛けて、夕食は中国料理。夜からは読書。
3月25日(金)
大阪に行く筈が、大吟醸メンバーのスケジュール都合により、来週の事となる。ビデオでジャン・コクトーの『双頭の鷲』を見ながら、ビールを飲んで、それから寝る。
3月24日(木)
温かい日差しに、昼飯後は思わずウトウトと。今週末は大吟醸zのショーの練習で、大阪へ出掛けることとなる。次のショーの衣装も、既に決まっているらしい。
3月23日(水)
一日中雨。朝起きても結構診断があるので禁煙。9時からの人間ドッグでの健康診断が待ち遠しい程であった。検査内容は、血液を採取されたり、身長体重視力を測ったり、問診を受けたり。血圧や心拍数とかも測って、検尿もして、最後はバリウム!。イチゴ味やオレンジ・ヨーグルト味を期待してたのに、プレーン味であった。地獄!。変な機械の上に乗せられて、その機械が逆さまになったり斜めになったり、そこから落ちないようにバーにしがみ付くのに必死。途中で発泡剤を飲まされて、さらにバリウム。げっぷをすると駄目なので、それを堪えつつ、斜めな角度の機械の上をうつ伏せになったり、横向きになったり。逆さまの状態でもそれをやらされた。「はい、一回転して下さい」と言うので、すごい角度の状態のまま、あお向けからうつ伏せ、又仰向けに。ぐるりぐるりと回る。「はい、バリウム、残りも全部飲んで下さーい」・・・・・・。機械から、変な棒がぐぐーっと出てきて、お腹をぐいぐい押してくるけど我慢。「痛くないですかー?」痛くないけど、何だか情けない気分です・・・・。終って、お昼御飯は、頑張った自分へのご褒美に、うなぎを食べてから会社に戻る。
3月22日(火)
明日は会社の健康診断があるので、今夜の21時から絶食絶飲で過ごさなければならない。お茶はおろか、水も飲めない。更に、明日の朝は健康診断が終るまで禁煙厳守とのこと。しかし、意識すればする程、さっき最後の水を飲んだばかりなのに、水が飲みたくなってくる。『明日のジョー』のように、水道の蛇口を針金で縛っておかなくては。今夜は早く寝よう。あまりに自分が仕事で忙しくしてるので、見兼ねて他の部署が、アルバイトのアシスタントを2人ほどこちらに回してくれる事となった。助かる!。結局、求人誌に載せても応募は全然無かった。他の部署から人出を借りることについて、上司があれこれブーブー言うだろうが、手が回らないものは回らないのだ。
3月21日(月)
うちの会社は、旗日は休みにならないので出勤。通常通りに仕事。朝は風が強くて寒くなるかなと思っていたら、昼には風も止んでポカポカ陽気。仕事をしていても眠くて眠くて仕様が無い。仕事が終ってからはジムにてトレーニング。「吹き上げ絞り椿」が咲く。
3月20日(日)
午前10時過ぎに起床。桔梗と撫子の苗を庭に植える。お昼は喫茶店でランチを食べて、それから長久手町にある名都美術館にて、「まつもといちよう展」を見に行く。現代大和絵の集大成を観覧し、堪能。その後、名古屋へ出て、「文化のみち・二葉館」(旧・川上貞奴邸)を見学。ステンドグラスが素晴らしい。栄でタイ料理を食べて家に戻る。博多で震度6の地震があったようで、関係者の皆様へ地震御見舞い申し上げます。
3月19日(土)
紀宮さまの納采の儀、つつがなく終えられたとのニュース。春に相応しく、まことにまことにお目出度く、ありがたく、忝く存じ上げ参らせる。お彼岸が近いので、そろそろ牡丹餅を買いに行きたいのだけれども、安城駅前の丹波屋が閉店してしまってから、美味しい牡丹餅の店が近くで見つからなくて難儀をしていた。ところが、額田郡の「憩いの里」へ桔梗と撫子の苗をそれぞれ3つずつ購入しに行ったところ、牡丹餅も売っていたので、一緒に購入。こういうものは昔だったら家で作っていたのに、食べる人が少なくなってからは購入したほうが無駄は出なくなったのだけれど、やはり美風が損なわれているような気がする。憩いの農園の帰りに、喫茶店でお茶。家に帰ってから、牡丹餅と金萱茶で一服する。
3月18日(金)
朝からヒヨドリがやって来て、メジロを追い出してしまうので困る。八朔蜜柑でも何でも食べてしまう。家に帰って来てから、超長期熟成エビスビールを3本飲み、日本酒「雪中梅」を2合ほど飲む。疲れているので、そのまま寝てしまった。
3月17日(木)
額田の農協のところに開店した「憩いの農園」へ行き、椿の苗木を見て回るが、特に欲しい品種は扱っていなかった。桔梗と撫子の苗が安かったので、休みの日に買いに行く事にしよう。中村魁春の襲名披露興行が名古屋でもあるが、チケットは取れるのだろうか。それも気になるが、市川右近の『ヤマトタケル』。名古屋の中日劇場でも公演があることを知ったので、態々大阪でチケットを取らなくても良くなった。
3月16日(水)
思っていたよりメジロが伊予柑を食べるペースが早く、1日に伊予柑を半分は食べる。今日は朝方に食べに来たのか、出勤前に見てみると、昨日の分はきれいに食べつくしてあったので、新しいものと取り替えておいた。暫らくは来なくなるまで続けていこう。
3月15日(火)
メジロはどうやら、つがいのようだ。一羽が伊予柑を突いている間、もう一羽は周りをキョロキョロと見張っている感じで、二羽とも食べ終わると、並んでずっと梅の枝に止まっている。人が近づくと逃げるが、そう遠くまでは逃げず、またすぐに梅の枝に戻ってくる。庭の黒椿と羽衣椿が咲き始める。梅は紅白両方とも、そろそろ散り終わりそうだ。
3月14日(月)
庭の白梅の木にメジロが留まっている。窓のガラス越しに見ていると、暫らくして飛んで行ってしまった。パンを撒いて鳩が来るのは嫌だし、伊予柑を半分に切って梅の枝に挿し、暫らく様子を見ることにする。それから10分もしない間に、メジロが2羽も来て、伊予柑を食べているではないか。お昼休みに家に帰ってきたことを忘れそうになるくらい、野鳥観察を楽しむ。なかなか可愛らしい。こうやって禽獣に慈悲を施すのも、何かの功徳になるであろう。大井川鉄道から貰った紅白餅を、ストーブで焼いて食べる。
3月13日(日)
朝7時に静岡駅へ到着し、知人と合流。夜中の3時に家を出て、東名高速道路を途中で仮眠をとりながら走ったけれど、それでも凄く眠たい。知人を乗せて、そのまま三保の松原へ移動し、富士山を見る。久能山の前を通ると、オバちゃんが、イチゴのバルーンを振り回して、イチゴ狩りの呼び込みをしていた。そのまま大崩海岸から焼津へ出て、再び高速道路へ乗って、牧の原へ。大井川鉄道・新金谷駅まで行き、蒸気機関車へ乗る。思っていた通り、SL目当ての「てっちゃん」達が沢山いた。丁度、大井川鉄道が営業開始から80年式典というのに偶然にも当たり、薬玉を割ったりテープカットをしているのも見たり。なかなか企業努力をしているようで、購入した駅弁も美味しかったし、列車の車内で売りに来る「SL最中」や子供向けの絵本・チョロQ・ポラロイドカメラのサービスとか、色々と種類も多く頑張ってる気がした。ついでに駅前の有料駐車場も、大井川鉄道の関連会社であった。80年のお祝いに、列車内で紅白のお餅を配ったり、車掌が列車アナウンスで歌う「SL音頭」とか、手作り感ありありなところが良かった。終着駅では、青年団か子ども会かのナントカ太鼓(ふめい)の演奏披露でお出迎えされ、甘酒のサービスもあった。帰りは普通の電車で新金谷駅まで戻ったが、殆ど寝てしまっていたので印象は無い。車で掛川市内へ移動し、掛川駅で知人を降ろして、岡崎まで高速道路に乗って家に帰る。家に着いたのは20時。名古屋では雪が降ったらしいが、三河では全然雪を見なかった。
3月12日(土)
半田市にある新美南吉記念館とイチゴ狩りに出掛ける。イチゴは最初の10分くらいで腹が一杯に。甘くて美味しいのだけれども、黙々とイチゴのみを食べ続けるというのは意外と苦行。後半は惰性で食べ続ける。その後に南吉記念館。久し振りに『ごんぎつね』などの懐かしい童話に触れる。夕方に一度会社へ行こうと思っていたが、電話してみると誰も出ないし、自分も会社の鍵は持ってなかったので、結局止める。土筆が沢山生えている土手に行って、取ろうと思ったけれど、風が強くて冷たいので、それもリタイヤ。結局家で、台湾のお茶を飲んで過ごす。
3月11日(金)
居酒屋にて、タケノコの照り焼きとテンプラを食べて日本酒を飲む。
3月10日(木)
弟分といえど、実際に「兄貴分の実家」に居候するとなると、色々と気を使うという事もあって、虎之助は友達の借りているマンションへ引越しをする事となる。自分は全然平気だったのだが、虎之助としては居心地の悪い部分もあったらしい。それで、昼間のうちに引越しをしたとメールが届く。早く仕事と住むところがきちんと決まる事を祈るくらいしか、自分には後はもう出来ないが、少しくらいは虎之助の役に立てたのだろうか。
3月9日(水)
虎之助と同居していると言っても、自分は主に和室で行動し、虎之助は洋間で寝泊りしている。それに加えて、自分は朝6時に起きて出勤し、夜遅くに帰ってくる。虎之助は昼頃に起き出し、自分が家に帰ってくるくらいの時間はまだ外に出掛けている。1日顔を会わせない日もあるくらいだ。夜の23時半くらいに仕事を終えて家に帰ってくると、久し振りに虎之助の顔を見た。少し話をして、虎之助は洋間の方に引っ込んだので、自分も疲れていたし、早々に寝る。
3月8日(火)
「忙中に閑有り」という程でもないが、仕事中に岡崎市美術博物館で開催されている「興福寺国宝展」を見に行く。この博物館自体、山の中の、車じゃないと行けないような場所に建っていて、博物館まで到着する間、殆どサスペンス・ドラマに出てくるようなドライブ状態。まだ木々は芽吹いていないし、とても寂しい場所で、斎場に向かっているかのよう。それでも、建物はガラスを多用した建築で、温室のような可愛らしい外観をしている。夏に行くと、きっと内部は暑いと思う。今回の展示品の目玉は、きっと「無著菩薩立像」であろう。高さが2mはあるだろうに、顔の表情が何とも言えずリアルなのだ。モデルがいるのではないかと思うくらい、完璧な肖像彫刻。圧倒される存在感だ。四天王たちに踏まれる邪鬼や、「龍燈鬼立像」もいい味を出してる。妙に肉付が良くて、ガチムチっとした感じだ。でかいパンツを穿いているような褌姿にも愛嬌がある。古い本尊の破片など、味わい深い展示物もあった。なかなか見応えも有り、時間を工面して見に行ったのは正解であった。鎌倉時代の彫刻の、生の迫力を見てきました。アルバイト募集を求人誌に掲載しているのに、一向に反応が無い。いつまでこんな状態のままなんだろう。
3月7日(月)
色々と溜まっていたメールの返事を書いたりする。
3月6日(日)
サキタから「次の中島みゆきの夜会は、大阪での公演が決定!」という有益な情報を得たり、ムラセ(外道)の乳を揉んだり、フロアで最後まで踊って、終ったのが朝6時。みんなはアフターに出掛けたけれど、自分は近鉄難波駅7時発のアーバンライナーに乗って家に戻る。名古屋駅に着いたのは9時半。JR名古屋駅構内の立ち食いきしめん屋で、ニシンきしめんを食べてから電車に乗って、刈谷駅で急行から普通に乗り換え、三河安城駅へ戻る。家に着いて、3時間ほど寝る。アーバンライナーのなかでも2時間は眠れたので、併せて5時間は睡眠が取れたことになるであろう。起きてから食欲も無く、ケーキを3個食べてカロリーだけは補給して、会社へ行く。サービス休日出勤。月曜の朝までに提出しないといけない書類を作る。終ったのが夜20時くらい。ラーメンを食べて家に戻る。眠気はピークを越えたみたいで、眠くなくなってしまった。
3月5日(土)
朝10時くらいに起床。暫らくウダウダして、昼に喫茶店にランチを食べに行く。ここの喫茶店で、雑誌・『サライ』のバック・ナンバーを、「もう古くなったから」と店主から言われて、10冊ほど頂く。読みたかった記事の載っている号だったので嬉しい。お風呂に入ったり着替えたりして、午後3時には家を出て大阪へと向かう。19時には近鉄難波駅に到着。今夜「なんばハッチ」で行われるゲイ・ナイトの会場へ向かうが、いきなり迷子。地図を探し探し、ようやく会場へ辿り着く。楽屋への入り口が分からずウロウロしてたら、守衛さんが、「出演者かスタッフの方ですね。どうぞ」と声を掛けてくれて、中へ案内してくれた。どうしてゲイ・ナイト関係者だと分かられたのかは謎。駐車場から関係者入り口へ入り、四階の大吟醸z&GOGOBOY控え室へ入る。既にツヨシ君・世界のGUNちゃん・親方とかは先に入っていた。パラダイス・ボールの吉田さんと初めて挨拶。21時くらいになって、ドラァグクイーンのメロディアスとか、YASU君とかも合流。控え室でビールを飲んで雑談。リハーサルは22時から。開場は23時。大吟醸zのショーは、夜中の1時からスタート。それまで自分は楽屋から出ずに、のんびりと過ごしていた。なんばハッチの控え室は広くて、それぞてDJ用の控え室・ドラァグクイーンの控え室と別々にあり、贅沢な広さが確保されていて、これだけ環境の良い楽屋は初めてであった。しかし、フロアと舞台の広さ自体は、「OZ」の頃に出演した名古屋の「オゾン」というハコの方が広くて奥行きもあったので、そう会場も舞台もが特別広いという印象は受けなかった。それでも音響と照明はとても素晴らしかった。今回の大吟醸zのショーは、『リラックス』他一曲。終って衣装を着替えてからフロアに出て、踊ったり友達としゃべったり、飲んだりして過ごす。今回は、ハーネスとかハード系の衣装を着たのだけれども、どうも自分が着てみると全然似合わない事が判明。親方からも、「晴吉はどうも、そういう衣装は全然似合わへんなぁ」と言われた。自分でもそう思う。でも、左の2の腕にした黒蜥蜴のシール・タトゥは、きっと似合っていた筈!。3時からのドラァグクイーンのショーを見たり、GOGOの子のダンスを見たり。「見せ方」という点で、GOGOの子たちの踊りはとても勉強になった。あと、自分の腹ポコを、もうちょっと何とかしたいと切実に思いました。腹筋の回数を更に増やそう。あと、フロアで煙草を持ちながら踊る外人とか、白人はマナーやエチケットという言葉を知らないのだと思いました。それでも、来ていたお客さんの「見た目」レベルはかなり高かったと思う。いつもこんな子達は、どこに生息しているのだろう。イケる子が本当に多かった。GOGOのツヨシ君の、控え室でのさりげない気配りや親切とか、自分が見習わなきゃいけない点を沢山発見。勉強になるなぁ。
3月4日(金)
他の部署では2人でこなしている仕事を1人でやっているので、業務がはかどらなくて停滞したり後回しになったり、保留にしたりで全然回らないと訴え続けていたら、上司を飛び越して上の人の決定で、アルバイトを入れて、アシスタントとして使って良い事となった。やったぁ!!。それで、只今求人雑誌にアルバイト募集を載せさせて貰いました。いい子が来るといいな♪。当然、好みの男性に限ります(職権乱用)。面接も自分が担当するので、楽しみだ♪。虎之助はバーの店子をする事となり、留守。ワインを飲んで、みゆきのDVDを見て、夜中の2時くらいに寝る。
3月3日(木)
床の間の花瓶に活けておいた桃の枝が、ストーブの熱のせいでか一斉に花が開いて、部屋が明るく見えて良い。姉が作って持ってきた「ちらし寿司」を食べる。仕事のついでに半田市にある春華堂で購入した、雛菓子もお昼に食べる。
3月2日(水)
働けど働けど、仕事の量が多くて残業。夜中の2時まで働いても全然終らず、眠くて意識が朦朧としてきたので、終っていないけれど帰宅。新しい社員が入ってきたり、同僚が退職したりで、気が付けば上司を除いて自分が1番の古株になってしまった。恐ろしい話だ。朝6時起きで出勤しないといけないし、即行で寝る。他の部署では入れていることだし、上司もそういうところをケチらずに、自分が手元でアシスタントとして使えるアルバイトを入れて欲しいものだ。じっと手を見ていても楽にはならず。居候している弟分の虎之助は、名古屋へ飲みに出掛けて留守。
3月1日(火)
仕事でバテバテに疲れててしまい、今夜はジムへも行かずに家に戻り、マルチビタミンのタブレットを麦焼酎のロックで流し込む。虎之助からお土産に貰ったかりんとうが、美味しいのだけれどもあまりにも硬くて、ボリボリ噛み砕いていたらついでに口の中も噛んでしまい、しばらくのたうちまわる。ティーカップの掲示板が、最近クリックしても「ページが見つかりません」と表示されて、なかなか見れない。お金払っているのに見れないとは、有料ユーザーを何だと思っているのだろう。


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