9月の日記
9月30日(木) |
ガソリンスタンドで給油するときに、「10リットル入れてください」と頼んで財布を見てみたら、1万円札しかなかった。「それならいっそ、満タンにすればいいのに」と、店員に思われやしないかと気になるのは、自分だけだろうか?。 |
9月29日(水) |
今になって、『長谷川サダオ』の画集が、ものすごく欲しくなって欲しくなって、どうしようもなくなってきた。どーして発売していた当時に買わなかったんだろうと、それが悔やまれる。名古屋のゲイ・ショップまで見に行ったが、やはり売っていなかった。 |
9月28日(火) |
エビオスが身体に良いというので購入する。十五夜だが、雨が降っていて満月は見れず。月見団子は食べる。 |
9月27日(月) |
思い出した話なのだが、かなり前に、とあるバーに行った時、「お名前は何て言うんですかぁ?」とママに聞かれたので、顔が割れていないことを良い事に、「いやー、始めてなんス。ゲイ名付けてくださいよ」と言ったところ、「ん〜、じゃあ、煙草のキャスター・ワン吸ってるから、ワンちゃん♪」と、何の捻りもないお名前を頂いた。が、思わず「王貞治??(←ジャイアンツ時代)」と聞き返してしまう自分は、まさに昭和だ。ナボナー!!。結局、そのゲイ名は没ってことで。 |
9月26日(日) |
庭に出てのんびりとする。久し振りにゆっくりと過ごし、良い骨休めになった。ちびかいがマイル修行の旅に出ていることもあって、メッセンジャーをやる相手もいなくて、少し退屈。ここ最近、すごく食欲が有って、夜の23時近くなのにお腹が空いてしまい(夕食はちゃんと食べた)、冷蔵庫を漁って、イワシの干物を焼いて御飯を食べる。これがまた塩がきき過ぎていて辛く、やたらと後で咽喉が渇くのに閉口する。 |
9月25日(土) |
『三島由紀夫没後30年』(新潮社刊)から読み始めて、つらつらと『豊饒の海』四部作を流し読みしたり、「そう言えば」と思い出して、『クイア・ジャパンVol2〜変態するサラリーマン』(伏見憲明責任編集)を読み返したりする。どんどんネット・サーフィンのように、『ゲイという[経験]』(ポット出版)まで本棚から引っ張り出して、「ゲイの考古学」の欄を読む。「ここに現れた」・「あそこの店にいた」などと弘法大師伝説の如く、三島由紀夫がいたるところでゲイと関わっていたというのが面白い。んが、写真を見る限り、三島由紀夫は顔が異様に大きいという感じがする。槇原敬之といい、天性の才能のある人は顔じゃないんだな。 |
9月24日(金) |
中部日本雅楽連盟から10月13日に開催される、第54回・『舞楽と管弦の会』への招待状が来たけれど、この日は水曜日だし、浜松に行っていないといけないので出席は無理だ。仕事が忙しいのは仕方ないが、もう少し文化的な生活が送りたいものだ。 |
9月23日(木) |
パートさんが3人も休んだので、鬼のように忙しい1日であった。お彼岸だというのに働いているよ。お萩も食べず終い。 |
9月22日(水) |
関西出張第一期が終了し、「これで終る筈が無い」と思っていたら、案の定、毎週月曜日の午後は浜松へ行く事となった。その分、火曜日の午前中は浜松へ行かなくても良くなるが、こういうのを「朝三暮四」と言うのではないだろうか。そうすると、お猿は自分か。ウキー!。『薔薇族』が休刊するというニュースに驚くが、特に感慨は無し。 |
9月21日(火) |
今まで通っていたスポーツ・ジムを解約する。どうもトレーニングがマンネリになっていて、全くヤル気にならなかったのと、設備は確かに充実しているのだが、インストラクター達の知識に疑問を持っていたのと、マシーンの台数が少ないので順番待ちになるのに嫌気がさしていて、ここ数ヶ月は会費は払いつつも行っていない状況なのであった。フリー・ウエイト中心のジムを見つけてきたので、11月からそちらへ新たに通うことに決める。23時だというのに、チンジャオロースをオカズに御飯を山盛り食べる。 |
9月20日(月) |
関西出張の第一期分が終了し、報告書やら何やら書類の提出に追われたり、まだ進行形で続いている関西での商談について電話で応対したりして1日が終る。今週は「秋分の日」も休日返上で働かないといけない。 |
9月19日(日) |
部屋の湿度が高いので香を焚いてみるが、やはり蒸し暑い。昼間は上々颱風のCDを聞きながらご陽気に過ごし、木目込みテディベア「しげた」を完成させる。今日は札幌でパレードがある日だけれども、明日の仕事はどうしても外せないので、仕方なく留守番のように家にいるのだが、やはり1人だけ札幌へ行けないというのは詰まらない。それはまぁ、仕事の都合だから良いとして、お彼岸にお供えするお萩だが、安城駅前の丹波屋が廃業してしまってから、これといったお萩が無くて、お供え物にも難儀をしている。安城市内の和菓子屋も過去に何軒か当たっているけれど、どこも、こう、美味しいお萩というのを売っていないのだ。困ったことだ。 |
9月18日(土) |
10時頃起床。喫茶店で、置いてある家庭画報を読みながらランチを食べる。途中で文房具店に寄り、ヤマト糊を購入して家に戻る。それから夕方まで甘栗を食べながらテディベア製作作業。色々と糊を試してみたが、テディベアを作るには、ヤマト糊が接着剤として1番使い易い。ほぼ八割がた完成する。夜になってHIPSへ久し振りに飲みに行く。10月の美輪先生の音楽会のチケットが既にお店に届いてると言うので、次回に行ったときには受け取らなければ。楽しみだ。 |
9月17日(金) |
沢田聖子のDVDを注文する為に近所の本屋兼CD屋へ行ってみたところ、知らない間に廃業して、店舗内ががらんどうになっていた。品揃えの良い本屋だっただけに、これには少し驚いた。 |
9月16日(木) |
仕事が終って家に帰ってみると、ご飯が炊いてなかったので、仕方なく栗を食べる。まだあと2袋もある。 |
9月15日(水) |
出入りの業者の中で、会社の休憩室にコーヒーを淹れる機械をレンタルで設置している会社の営業の人が、アイス・コーヒー用の豆を回収するのと一緒に、「秋のキャンペーン」ということで栗を持ってきた。よくコンビニに置いてある、「もう剥いてあります栗」のお徳用サイズで、一袋に170グラム栗が入っていて、4袋で860円。お義理で仕方なく自分も4袋を購入する。が、意外と天津甘栗は食べ続けると、味に飽きることに気が付いた。あれは栗の皮を剥く時間が有るから食べれるのであって、延々と170グラム栗を食べ続けるというのは結構キツイ。あとまだ3袋もあるけれど、「開封後は早めに食べてください」と書いてあるので、食べきらないといけない。やっぱり普通の天津甘栗がいいや。 |
9月14日(火) |
夕方、西の空に夕焼けが赤々と燃えていた。会社の皆で「きれいだねぇ」と言いながら暫らく見とれていた。「きっと、北○鮮が名古屋港から上陸して攻めてきたら、空の色があんな風になるんだろうねぇ」と、ポツリと自分がつぶやいた事をきっかけに、またゾロゾロと会社の中へ戻る。 |
9月13日(月) |
疲れがなかなか取れないので、とうとう栄養ドリンクをケース買いしてしまった。タウリンが1本につき3000mgも入っている。1日に1本しか飲まないようにと書いてあったが、一気に2本飲んでみる。果たして効くのだろうか。大阪狭山市は特別見るべき名所旧跡も郷土料理も銘菓も無く、ただベッド・タウンとして拓けた街のようだ。こういう場所はせっかく出張で来ても、何の楽しみも無いので詰まらない。今回の出張は日帰りで終る。 |
9月12日(日) |
落ち鮎を食べようと思って、足助町の白鷺館の「やな」まで出掛けたのに、料理を注文してから30分経ってもまだ料理が出てこない。「まだ出来ないのか」と聞いたところ、「すみません、あと15分ほどかかります」と女中が謝るが、どこの料理屋が客を45分も待たせるというのだ。鮎は食いたかったが腹が立つので、「そんなに待たせるなら、いらん!」と言って席を立つ。それなら最初に席に着いた段階で、「かなりお待たせすることになりますが、宜しいでしょうか?」と訊くべきだ。大体、この白鷺館は、まだ残暑の残るこの時期に、お品書きに「鯉こく」を載せているのも不愉快だ。鯉が美味いのは冬だというのに、この時期に暑苦しい料理を載せている無神経さが許せない。「鮎田楽」など、本気で美味いと思っているんだろうか。味噌を乗っけたら、鮎の風味もクソも無いだろが。こういう料理屋は駄目だ。稲武町まで移動して、蓬莱泉の蔵元まで行き、地酒を購入。量り売りをしてくれるので、ここはかなり良い。生酒を購入する。 |
9月11日(土) |
お昼頃起床。図書館へ本を返しに行き、花屋で菊などを買って玄関に活ける。やっと庭に彼岸花の芽がグングンと伸びだしてきた。萩はまだ咲きそうにはない。木目込みテディ・ベアを少しだけ作る。夜になって、刈谷の某銭湯が200円で入れる日だったので行ってみる。 |
9月10日(金) |
ここのところ忙しく、あまりにも目が充血したまま仕事をしていたので、上司が気を遣ってくれて、「朝、目が覚めたときに会社に来てくれればいいから」と昨日言われて、会社公認(?)の朝寝坊をする。勿論、タイムカードは上司が押しておいてくれていた。ありがたやありがたや。毎回面接をするのも大変だが、パートさんの募集もペース良く集まってきたので、仕事も少し楽になってくるであろう。 |
9月9日(木) |
重陽だが何の催し事もせず、椿の苗木業者から届いたカタログや、上林春松から届いた「口切りの茶」のカタログなどをボーっと見る。終身保険の更新用の書類にも目を通さないといけないのに、読まないまま終る。 |
9月8日(水) |
大阪出張から帰って来てクタクタなのに、夕方には浜松へ行く。家に帰り着いたのは日付が変わる前。眠い。 |
9月7日(火) |
大阪市内から南河内郡太子町へ移動。推古天皇の御陵を参拝する。富田林市へ戻り商談。終ってから、羽曳野市と藤井寺市で仕事をする。台風が来ているので、早めに仕事を切り上げて愛知県へ戻り、家に帰る。 |
9月6日(月) |
大阪南部へ出張。河内長野市にある観心寺にお参りに行き、後村上院の御陵や、建掛の塔などの南朝の史跡を拝観する。寺の門前に数軒の茶店があり、どれも明日には廃業しそうなほど寂れていたが、お昼時になってしまったので仕方なくそのうちの一軒に入り、そうめんを食べる。まあまあ順調に河内長野市内と富田林市内で仕事を終えて、夜には大阪市内へ移動し、親方の家に泊めて貰う。 |
9月5日(日) |
昼の1時くらいに起床。ウエスティン・ホテルを出て、タクシーで東京都庭園美術館へ行き、アール・デコの建築様式を堪能する。やはり玄関正面のガラスやシャンデリアなどのガラス工芸が素晴らしい。美術館敷地内のカフェにてお茶をして、目黒駅から山手線で東京駅へ。駅にある精養軒で2人で洋食を食べる。18時56分発のこだまに乗り、ちびかいに見送られて家に戻る。11時50分過ぎに大地震があり、恐ろしい思いをする。 |
9月4日(土) |
ちびかいが30歳の誕生日を迎えて、お祝いの為に上京。お昼過ぎに新幹線で東京駅に到着すると伝えておいたのに、又もやちびかいは東京駅に現れず。東京駅のホームでガックシうなだれる。これで3回連続だよ。連絡が有り、新宿で待ち合わせをすることに変更となる。新宿にある、花園饅頭の喫茶室で時間を潰して待ち合わせ。大急ぎで来たちびかいが汗まみれなので、マリアージュ・フレールでお茶を飲んで休憩することにする。ここは店員のお仕着せが白で、どちらかと言うとホスト風の店員ばかりなので、色黒の子を集めてやれば、もっと植民地でお茶を飲んでいる雰囲気が出て良いと思う。休憩後、電車に乗って埼玉県へ。さいたま市文化センターで槇原敬之のコンサートを見る。席は2階の5列12番。三輪明宏とか中島みゆきとか、ここのところ座って聞けるコンサートばかりに行っていたせいか、一曲目から立って聞かないといけないコンサートはしんどいものがあった。が、やはり聞きに行って良かったと思う。ちびかいもアンコールの曲を除いては満足そうであった。電車で恵比須まで移動して、ウエスティン・ホテルに泊まる。その隣りのビルで、38階にあってやたらと展望のいい料理屋で、「久保田」とか銘酒を飲んで、またホテルの部屋でワインを飲んで、ちびかいの誕生日をお祝いする。2人とも酔っ払って寝る。 |
9月3日(金) |
大槻ケンヂの、『オーケンのめくるめく脱力旅の世界』(新潮社刊)を読み終わる。 |
9月2日(木) |
家の近所で、もう稲刈りが始まっていて、少し秋めいて来た。二百十日なので台風がこれから多くなるであろう。まだまだ残暑は続くが最近は、何を食っても美味い(昨日のウナギ丼は除く)。食べる量に対して、運動不足になっているのが気掛かりだ。 |
9月1日(水) |
夕食に、浜松市内でウナギを食う。が、ウナギが3切れしか乗ってないウナギ丼が1400円とは、どーゆーことだ?!。新しい店を開拓しようと思ったのが失敗であった。いつも食べに行ってる店にすれば良かった。しかも、美味しくなかった。昨日で奈良出張は一応のめどが立って、これで遠方への出張も終りと思いきや、来週から、堺市・藤井寺市・大阪狭山市などの、「大阪南部」への出張が決まる。どんどん西へ向かって行っているような気が。一体この出張は、いつまで続くのだ?。 |