4月の日記

4月30日(水)
♪とっき〜は、にっせ〜ん、じゅうごねん♪と言うテーマソングで始まるTVアニメ・「ジェッター・マルス」というのを憶えている方が、このサイトを見ている中で何人いるだろうか。手塚治の原作によるアニメだったんだけど、殆ど内容としては鉄腕アトムと同じ。アトムが今年は生まれる年という割には、世の中が退廃的になっていて明るい展望が見えて来ないんだけど、マルスが生まれる12年後には、小さい頃テレビで見て夢見ていたような世の中になって欲しい。科学とかだけでなくて、何もかも含めてね。
4月29日(火)
いつも思うことなのだが、大人の為の施設や場所に、平気で子供を連れてくる親の考え方が理解出来ない。子供が騒いだり走ったりして、周りの人たちの迷惑になったり不愉快な気持ちにさせることについて、どうして世の親は何とも思わないのだろうか。「末法の世」というのは、こういう世の中を言うのだろう。子供は子供の世界で遊んでいれば良いので、大人の世界に同伴させるべきでは無い。例えて言うなら、図書館などで子供が大声を出したり、奇声を発して走り回るのは、躾けが行き届いてないと共に、親の世間に対するエチケット意識が欠如しているからだ。親は子供に手を出してでも教える義務が有るし、無理ならば連れて行かないことだ。逆に、「同伴しないと、親も何処へも行けなくなってしまう」と言うなら、躾けの行き届く年齢に子供が達するまで、親もそういう施設に行こうと思うことを遠慮するべきだ。
4月28日(月)
噴霧器を使って、庭木の消毒作業をする。樫の生垣に虫が付いたり、桜の葉が食べられていたり、萩の新芽にアブラムシが付いたりしていたので、割と念入りに庭中に散布する。今年はまだ椿にチャドクガが発生していないが、去年は多少葉に被害を受けたので、そろそろ注意が必要。
4月27日(日)
なおすけと映画・『魔界転生』を見に行く。感想としては・・・うーん。天草四郎役の窪塚君は、意外とこの役は演技力必要無いんじゃないかと思った。逆に言うと、「誰がやっても出来る役」だったのでは。妖艶さでは、どう見てもジュリーに負けている。最初の島原城の乱のシーンの迫力は凄く、見応えはあったし、この場面での窪塚君は良かったが、魔道に墜ちてからはキャラに負けているような気も。柳生十兵衛役の佐藤浩一も、優等生で申し分ないように見えるが、ひとつ何か男の色気に欠けているような。役者として2人とも、前作を見た人から見れば、円熟した演技じゃないんだよな〜。良く出来た映画だが、演技力がひ弱な印象が強かったです。それは出て来る役者総てに言えることで、宮本武蔵役の永塚京三は、前作に演じた緒方拳に比べて「強くて怖い武蔵」の感じが全然出ていないし、柳生但馬守も、前作演じた若山富三郎じゃないと雰囲気が出ない。もう役者からして前作のキャストのレベルに達していないんだ。前作を越えられていない映画ほど、見ていてキツイ物は無いな。欲を言えば、前作と似たり寄ったりのストーリーにするんじゃなくて、もっとオリジナルな話の展開にして欲しかった。ストーリーが陳腐過ぎる。天草四郎と十兵衛以外は、総て新キャラクターを出すくらい内容を変えないと意味が無かった思う。それぐらい前作は、既に完成されたものだったんだと思う。役者の演技力に頼れないから、やたらと特殊演出としてCGIを多用しているんだけど、それが却ってリアルさから離れてしまったような感じも受けた。良かった点としては、十兵衛が握り飯を食うシーンが入ってたりして、「あ、剣豪も飯はちゃんと食べるだ」と分かったり、柳生但馬守との試合で負けた槍の名手・宝蔵院が、柳生十兵衛との死闘では同じ手を喰わないよう学習してたり、宮本武蔵にギリギリ運良く勝てた十兵衛が、次の但馬守との戦いで二刀流を応用したりとか、スキル・アップが描かれている点などは評価出来ると思う。照明の使い方、音楽については申し分ないものであった。特に音楽は、重厚な演奏を使っていたので、雰囲気を出すには充分効果があったと思う。しかし、最後に転生させて生き返らせた武将は、意味が無かったと思う。オリジナル・キャラだけに残念。ロケ地は凄く良い場所を選んであるよ。こう考えると、見所が多かったのに、勿体無いなとも思う。柳生十兵衛が怪我をしたり、苦められるシーンはSッ気をそそります。武蔵によって肩の骨を砕かれて、血を吐くシーンは萌える。んが、すぐ治って馬で江戸へと向かうってのは、かなり無理があると思う。最後のシーン、本当だったら十兵衛も死んでなきゃ嘘(笑)。終り方も中途半端でした。1回は見ると面白い映画ですが、前作を見たことがある人にはお薦め出来ません。最初の島原の乱のシーンは良いよ〜♪。
4月26日(土)
大阪からタモツさんが来たので、一緒に蓬莱軒で「ひつまぶし」を食べる。ひつまぶしを食べるのは初めてとのことで、とても喜んで貰えました。その後にヒップスへ2人で飲みに行き、途中からなおすけとゴウ君も合流。なおすけとゴウ君はその後チーフに飲みに行ったので、自分達はアンディバイトに飲みに行く。アンディバイトでヒロシ君やドンブリ君と飲んだり話したりし、タモツさんをホテルの近くまで道案内してから、自分はゴウ君の車になおすけと乗せて貰って家に帰る。ちょっと自分は飲み過ぎました。当然、次の朝二日酔いに。うう。
4月25日(金)
普段は料理をするときにニンニクは入れないで作っていたのだが、ドミーでプリプリのニンニクが安く売っていたので、これから夕食のときにニンニク料理を作ることになるだろう。予め油でローストしておくので、そんなに匂いも気にならないようにしてるんだけどね。そんなに精をつけてどうするのか。なおすけがビールを買って来てくれたので飲む。夜になって雨が強くなっている。
4月24日(木)
年寄りの体調も元に戻って来たようで、ひと安心。今日は職安に行くのを止めて、小雨の間を縫って庭いじり。どんどん雑草が生えてくるので草むしりも骨が折れるが、土が柔らかいので助かる。
4月23日(水)
いつの間にか戦争は終っていて、勝利国の利権争いになっている。結局アメリカは油田が欲しかっただけなのか。なんとも賎しい話だ。タケノコを煮物にして今日も食べる。2人でボリボリ食ってやっと完食。
4月22日(火)
花屋のタカちゃんと、豊川稲荷へ2人でお参りに行く。安城から西尾までバイパスで抜けて、蒲郡からは海沿いを走り、車でドライブがてら豊川市へ。お稲荷さんにお参りした後、参道でタカちゃんは名物の宝珠饅頭を。自分はタケノコが何故か、6本で780円で売っていたのでそれを購入する。その後で小腹が空いたのでキツネうどんを2人とも食べる。豊川から国道一号線に出て、岡崎経由で安城まで戻る。途中の岡崎市内の康生通りで、2階が喫茶室になっている和菓子屋に寄り、お茶にしようと思ったが、行ってみると夕方5時までで喫茶室は終わり。仕方が無いので上生菓子を何種類か購入して、家まで戻る。タカちゃんから和菓子を分けて貰い、ドミーに「ぬか」を買いに行って、それを入れてタケノコを炊く。頭の柔らかい部分だけを切り取り、酢味噌和えを作る。残りの部分は、明日カツオ出汁で炊く予定。
4月21日(月)
いきなり家に布団屋が来て、布団を新しく何枚か置いていったので、年寄りに「この布団は誰が使うのか」聞いたところ、「自分が死んだときに、この布団で寝かせて欲しい」と言い出した。慌てて、「何故急にそんな準備を始めるのか」重ねて聞いたところ、どうやら何日か前に、夜中に急に胸が苦しくなって、死んでしまうと思ったらしい。それで、汚い布団では死ぬに死ねないので、死んだらこの綺麗な布団に寝かせてもらいたくて購入したと言うのだ。何とも言いようが無いので、「夜中に苦しくなったら、ちゃんと自分達を起こすように」と言っておいたが、複雑な気分だ。とりあえずここ最近は調子良いみたいだが、なおすけと相談しても、「寝たきりになられても少しアレだけど、長生きして欲しいねぇ」ということしか思いつかない2人であった。どうもここ最近の年寄りを見ていると、結婚して息子も落ち着いたせいか段々と、しおしおの干し柿のようになってきているような気がする。
4月20日(日)
就職活動。昼から面接を受けに行って来たが、どうも会話がお互いに上滑りして、上手くいかなそう。まだまだ選択の余地はあるな。夕食後、なおすけとマンガ喫茶へ行く。『天使禁猟区』というマンガが面白い。羽根が生えているものは好きだな。あと、『女帝〜花舞い〜』も読む。
4月19日(土)
なおすけが新しいゲームを買ってきたので、2人でゲームに熱中。『マイ・ホームを作ろう』というゲームだが、家の改築を考えるときに役に立つゲームだ。現状の家の間取りをインプットし、「ここの壁を取っ払って部屋を広く!」とか、「ここに新しくテーブルを購入して」とか、2人でワーワー言いながらやるには割と盛り上がる。普段ゲームを一切やらない自分でも、半日は遊べるゲームであった。
4月18日(金)
なおすけがワインを買って来てくれたので、家で夕食後に2人で飲む。2人とも酔っぱらって、いい感じ。
4月17日(木)
何故かとても飲みに行きたい日だったのだが、なおすけが「最近遊び過ぎだから、今夜は出ちゃ駄目」と言うので、家で大人しく過ごす。「飲みたいよ〜」と騒いでいたら、焼酎の水割り(←これは芋焼酎だけど、前に「TIN☆GARA」のママに頂いたもので、美味しい)を作ってくれたので、それを美味しく飲んで過ごす。なおすけがお酒に強くないから、滅多に2人で晩酌はしないんだよね。専ら自分が飲んで、今日あったことを2人で色々と話をしたり。2杯目を飲んでお代わりをしようと思ったら、なおすけが先に寝てしまったので自分で作って飲んだんだけど、1人で飲む酒は美味しくないや。
4月16日(水)
夕方の5時から、名古屋市中区丸の内にある名古屋東照宮にて舞楽を拝観。拝殿前の広い桜の木の下に舞台を作り、野外での演奏。やはり舞楽はコンサート・ホールのような建物内で演奏するよりも、野外での演奏の方がふさわしいと思う。昔見に来たときは桜の咲く時期が遅くて、散り始めの桜の下での演奏であったが、今回は桜の青葉の下での演奏。それも又良いものだと思う。最初の「振鉾(えんぶ)」には間に合わなかったが、2曲目の「萬歳楽(まんざいらく)」の始まる前に会場の席に着くことができました。萬歳楽は色んな機会で演奏されることも多く、目が肥えてくると、上手い下手がハッキリと見えてくるので、その奉仕舞楽団のレベルも分かるものだが、おおどかな舞振りに特徴がある舞なので、あまり細かい事をチェックせず、のんびりと今回は鑑賞しました。3曲目は「延喜楽(えんぎらく)」。舞人の体格が最近は良くなっているのか、舞装束が袖足らずのような印象を受けた。舞振りは萬歳楽ともども安心して見ていられるだけの技量を持っているので、申し分なし。4曲目は「打球楽(たぎゅうらく)」。この舞をみるのを今回楽しみにしていたので、目前で見れて嬉しい。只、本来4人で舞うところを2人で舞っているので、どうも据わりが悪いような気がする。これは4人舞でないとサマにならない。舞人が上手いだけに勿体無い。5曲目は「陪臚(ばいろ)」。武の舞としては良く見ることが出来るので、あまり気を入れて見なくてもいいかなと考えていたが、今回の演目の中で1番この舞が良かった。陪臚は曲だけでも面白く、管絃だけでも演奏される機会も多いし、自分も良く聞いていたので、舞楽吹きで演奏されるテンポの早さも面白く、手で拍子を取りたくなる程だ。見応えは1番この陪臚が点が高かったと思う。見る角度によって違うものだ。6曲目は「陵王(りょうおう)」。これも見慣れた舞楽なので、ボーっと見てしまった。装束が古過ぎるので、新調するべき。花がくすんで見えた印象があった。このあとも「落蹲(らくそん)」と「長慶子(ちょうげいし)」とあったが、国立名古屋病院まで会議に行かないといけなかったので、ここで退出。長慶子は好きな曲だっただけに残念。17時半より、NLGR検査班の会議に出席。今回の会議で、殆どの骨子がやっと決定する。5月30日の、NLGRの前日まで集まって何かを決めることは検査班としては無くなり、自分もこの後、5月31日までNLGRで動くことは無くなる。あとの事は、「NLGR実行委員長」兼「エンジェルライフ名古屋代表役員代行」をしているチャオ君に全部バトンタッチしているので、これから先自分が関わってくる部分は終了。終って「シンバ」へ飲みに行き、キムチ(←人名)とビールを飲んでしゃべる。帰りに金山駅で、『週間女性』を購入。トシちゃんやヒデキ、モックンやヒロミ・ゴウの、大磯ロングビーチで昔撮影していた「水中運動会」でのお宝セクシー画像が載っているというので購入したが、別に大した事無かった。しかしそのページが袋とじになっていたので、終電の電車の中でビリビリ破いて、そのページをマジマジと見ていた自分も、どうかと思うヨ。
4月15日(火)
昨日の夜の話になってしまうが、京都から帰って来て、自分となおすけ・花屋のタカちゃん・テラちゃん・イサオ君の5人で夕食を食べに行く。今日は1日ダラダラと、昨日の疲れを取って過ごす。京都の「上林春松本店」からダイレクト・メールが届いていたので、今年の新茶を頼んでおく。暮らしは貧しいが、新茶ぐらいは飲みたい。
4月14日(月)
朝5時30分に館内放送で起こされる。「皆さん、朝です。お勤めが6時からありますので、5時45分までにロビーに集合して下さい」と、ラジオ体操のように元気な声で起こされる。まだうっすらと外は暗いよ。5時45分。わらわらと老人達がロビーに集まり、自分達もその中に。お坊さんを先頭に金堂まで歩き、地下通路みたいなところから入って、金堂内へ。暫くして、「何処からこんなに?」という程大量のお坊さんたちも入ってきて、朝の勤行。事前に「お勤めのしおり」みたいなものが配られて、お坊さんの読経のあとに続いて全員で合唱する。般若心経なども読まされたが、お経にルビが書いてあったので、これは難無く楽勝。んが、お勤めの間中の正座は辛い。45分間座りっぱなしだったので、1人では立てなくなるオバサンとかも続出。座主さまの法話を聞いたあと、そのままゾロゾロと今度は護摩堂へ。またもや正座。しかし先程の座主様の法話。何が言いたかったのか良く分からない部分もあったのだが、仏教用語が難しかったのではなく、1人で自問自答しているような、座主さまの独り言が大半だったような気がする。あれで大丈夫なのか。有り難かったのか有り難くなかったのか、疑問を残したまま護摩堂で正座。スタスタお坊さんが異様に速い速度で歩いていって、何処に消えたんだろと思っていたら、衣装替えをして出てきた。また人数が多いので、迫力がある。護摩の火が、「ちょっと燃やし過ぎなのでは」と思うくらい景気良くゴウゴウと焚かれ、お坊さんたちの大合唱。朝から濃厚。今度は見ているだけだったが、正座は30分くらい。更に書院の拝観なども連れて行かれて、朝食を食べれたのが8時。又も2時間コースであった。朝食は今ひとつ。炊き立ての御飯が食べたい。何やかんや準備をして、8時40分にはお寺を出発。三十三間堂から養源院、方広寺と寺院を回る。養源院の血天井は生々しく迫力があり、ガイドのオバサンの、「はいここ。足を伸ばしてますね。もう片足は曲げて、腕の痕はここです。ここは血の溜まった場所ですね。隣りにも切腹して倒れている人の痕が残ってます。あそこに血で付けた、手形も残ってますね」と、淡々とした解説の割に、リアルに想像力を掻き立ててくれるので、想像以上に怖かった。400年も前の人間の血痕が、今でも残っているのは恐ろしい。続いて建仁寺。建仁寺では、作務衣を着て頭にタオルを巻いたお坊さんが凄くイケていたのに、イサオ君が気を効かせて写真を撮ってくれなかったのが残念。しかし、静かで良いお寺でした。ブラブラしていたら12時前になったので、宮川町の歌舞練場に「京をどり」を見に行く。予め芸妓さんを通してチケットを頼んでおいたので、チケット売り場に並ぶ事も無く、受付けで「☆☆さんでお願いしていた者ですが」と言うだけで指定席とプレゼントが貰えた。ところが、頼んでおいた芸妓さんの間違いで1枚分しかチケットが押さえてなくて、歌舞練場から置屋まで連絡して貰い、芸妓さんのところの舞妓さんが、慌てて普段着のまま会場へチケットとプレゼントを届けてくれることになった。「うちの姐さんが、えろうすんませんどす」と舞妓さんに謝られると、却ってこっちが焦ってしまうよ。京をどりは素晴らしく良かった。特に最後の「フィナーレ・宮川音頭」は、舞妓さんから芸妓さんまで総出演で、華やかさも一塩。終って祇園まで足を伸ばし、割烹料理屋で遅いお昼を食べる。祇園八坂神社前の「亀屋清水」で、清浄歓喜団という和菓子をお土産用に購入。円山公園内の長楽館という洋館で珈琲を頂いて、最後は清水寺。途中で八坂の塔を見てから、三年坂を登って清水寺参道へ。途中またイケてる子を発見したので、今度はイサオ君にシッカリと写真に撮って貰う。それにしても、清水寺は修学旅行生がウンザリするほど多い。これさえ何とかしてくれれば、清水寺もいい場所なのだが。しかし清水寺は、思っていた以上に桜が散っていなくて、来てみて良かったかも。今年最後の桜を鑑賞しました。修学旅行生が多いので、帰り道は茶碗坂から五条まで下り、タクシーで京都駅へと戻る。新幹線で名古屋まで戻ったのが17時30分くらい。今日は良く歩いた。
4月13日(日)
京都旅行。朝8時に家を出て、三河安城を8時半前に出る新幹線に乗る。なおすけがお握りを作ってくれたので、新幹線の中で食べる。京都へは9時半過ぎに到着。京都駅では烏丸中央口へと向かう途中で、何故か自分の家の近所にある喫茶店のウエィトレスさんとバッタリ遭遇。声を掛けられるまで気が付かなかったんだけど、「どうして此処で!」と驚いてしまった。で、JR烏丸中央口で東京から来たイサオ君と待ち合わせをし、合流。イサオ君は京都は修学旅行以来というので、先ずは京都駅ビルを案内する。それにしても、今日は天気が良くて温かい日だ。短パンでも丁度良いくらい。でも駅ビルの高いところまで行くと、風が心地よくていい感じ。いい1日になりそう。地下鉄で丸太町駅まで行き、そこからタクシーで聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)というお寺へ。ここは拝観も予約制なので、11時5分くらい前に到着。予約制な訳が後から分かったのだが、このお寺は、しっかりお坊さんが付いてくれて、しっかりガイドしてくれます。拝観を終えて外に出てみると、2時間が経過していて、既に午後1時。2時間ビッシリとガイドしてくれるのは嬉しいんだけど、聞いたり見たりしてる方も疲れた。一体一体の仏像の説明から寺の歴史・建物の説明・庭の説明まで、細かく教えてくれるのは有り難いんだけど、たった2人しかいないので、「へえ〜」とか「成る程ぉ」と相鎚を打ったり、感心してみせるのも疲れた。なかなかヤル気の有る、熱い寺でした。しかし、外へ出てみると、予定していた時間よりも1時間もオーバー。お寺の中は時間の流れが違うのか。急いでまたタクシーに乗り、市内中央・東洞院六角まで移動。西村という割烹料理屋でお昼を食べ、京料理を堪能。しかし、たったそれだけなのに既に1時45分。午後2時から装束着装会というものに申し込んでいたので、そこからは歩いてまたもや移動する。今日のメイン・「装束着装会」にて、衣冠・直衣・狩衣などの公家衣装を着ました。コスプレ度満開。2時間の至福の時間。終ったのは夕方4時半。どうも今日は何をやるにしても2時間刻みなのか。終ってイノダコーヒー本店にて珈琲を飲んで、タクシー(移動に不自由するような場所にばっかり行っている)で東山の知積院(ちしゃくいん)という寺へ。今夜はその寺の宿坊に宿泊するので、チェックインを済ませる。バスでさいたま県からやってきた老人たちの集団が殆どの客室をしめていて、若い人は自分たちだけという異常事態。当然、大浴場も高齢者ばかりの中に一緒に入ることになる。宿坊って、こんなことばっかり!。夕食も「あ、修学旅行でこんなの食べた」というような、微妙な料理。宿代が安いんだから、文句を言ってはいけませんね。19時からオニギリ君と待ち合わせをしていたので、自分は京都駅へ・イサオ君は四条へと、それぞれ別行動。またもや京都駅烏丸中央改札前にて待ち合わせ。時間通りにオニギリ君と合流できました。自分はお寺で夕食を食べてきたけど、オニギリ君はまだ食べていないと言うので、それから2人で居酒屋へ。しかし、2人とも京都駅前には詳しくないので、どこに居酒屋が有るのか散々迷って探し回り、漂流した末に中華居酒屋を見つけて、そこで飲む。オニギリ君とはこの時初めて会ったんだけど、話しやすくて楽しかったです。色々初対面とは思えない程お互いしゃべって、酒も軽く飲んで、21時には解散しました。オニギリ君、京都に行った時にはまた宜しくです♪。宿坊に戻っても、何もする事が無いし、消灯が22時なので、イサオ君も戻って来たところで、そのまま寝ました。しかし、早寝したのは明日になってみれば、大正解であった。
4月12日(土)
夕方まで雨が降り止まず。夕方になって、借りてきたCDをレンタル・ビデオ屋へ返しに行き、取り立てて特に無い1日であった。
4月11日(金)
パンフレットを読み返しては、昨日のお芝居を反芻。昼から雨が降り出したので、午後からは家で過ごす。
4月10日(木)
江戸川乱歩原作・三島由紀夫脚本・美輪明宏主演に依るお芝居・『黒蜥蜴』を、池下にある愛知厚生年金会館まで見に行く。開演は18時30分から。少し前の時間に会場に着いていたので、パンフレットやグッズなどを購入。席はヒップスのゴローさんに取って貰ったので、今回も前から2列目の中央席。ありがたや、ありがたや。実はこの芝居、見るのは2回目で、前回は焼く10年前。今回の明智小五郎役は高嶋政宏(兄)であったが、これがハマリ役で申し分ない。美輪先生の演技も素晴らしかったが、ワキを固める役者がしっかりとしているので、更に良いものになっていた。前回の黒蜥蜴を見たときには、「三島の芝居は分かり難い」と思ったが、今回はスラスラと、納得の行く解釈が出来て、余裕の気持ちで観劇を楽しむ事が出来ました。これも、今回のお芝居が、それだけ上質のものであったからであろう。今回同席したのは、オノシロ夫婦と野村さん等合計6人。いつものメンバーなので、幕間にロビーで話をするのも楽しい。今回特に面白かったことは、お芝居が始まる前にアナウンスが入り、「観劇中に咳をされます方、周りの客さまのご迷惑となりますので、ハンカチを口元に当てられるか、どうしても咳が止まらないようでしたら、ロビーにて係員が喉飴を差し上げます」という放送が流れた事。毎回芝居を見に行って思うのだが、やたらと咳をする人が本当に多い。これでは折角の芝居を台無しにしかねないし、エチケットとしても問題があることだと思う。しかし、いい大人なのに態々アナウンスされないと、こういうことに気がつかない人が本当に増えているのは問題だ。アナウンス効果があってか、携帯電話の電源を切ることは勿論、観劇中に咳をする人は確かに少なくなったと思う。ごく些細な事かもしれないが、演じている役者の方を始め、観劇している方も舞台に意識を集中させているので、皆が気持ちよく芝居を見るには、こういう配慮も必要だと思う。再演に再演を重ねているだけあって、全てに渡って極上の演出がされていて、何年後になるか分からないが、また次回の楽しみな芝居でした。それにしても幕が開いた瞬間、舞台から香水の香りがファっと流れて来て、毎回この瞬間、「ああ、美輪さんの舞台を今回も見る事が出来たんだ」という至福感が堪らない。4時間に渡る大作でしたが、最後のカーテン・コールは、「生きていて良かった」と思える数少ない瞬間です。
4月9日(水)
アメリカ軍がバグダッド入りしたとのニュース。バグダッドと言えば、『アラビアン・ナイト』とか『アリババと40人の盗賊』のイメージくらいしかないが、テレビで見るバグダッドは、「埃と砂の国」といった印象を受ける。アメリカ軍の侵攻によって、今や首都は無政府状態に陥り、市民たちが略奪と放火で大変な騒ぎとなっているらしい。でも、今、「ありがとうアメリカ」なんて言って、略奪しまくってる市民たちというのもどうだろう。そりゃあ、あまりに小泉首相が無能だから「明日から日本国はアメリカ日本州にします」なんてなった日には、混乱に乗じて自分も三越か松坂屋を襲撃に行くかもしれないけど(デパート側の防衛により返り討ちにあいそう)、いくら無政府状態になったとしても、先ず日本じゃ有り得ないこと。これも国民性の違いなのかな。今後はアメリカも、東京裁判のときのように、「勝った側が全て正しい」という、自分達だけに都合がいい偏った裁判をせずに、公平に全てを裁いてもらいたいものだ。アメリカだって、罪も無いイラク国民を巻き添えに死なせてしまった責任を、何らかの形で取るべき。それが喧嘩両成敗。温かくなったせいか、庭に出てもポカポカと気持ちが良い。ここのところ虫たちも活動を始めたようで、そろそろ庭木も消毒薬を撒かないといけない。とうとう、今年初の「蚊」が現れたようで、夜に電気を消して寝ようとすると、「プ〜ン」とやって来る。とても腹立たしいが、さすがに蚊取り線香をまだ買って来ていないので、当分は我慢するしかないであろう。
4月8日(火)
雨が降った1日なので、今日はハローワークに出かけるのも止める。「花祭り」の日なので、日泰寺にお参りに行こうかと思ったが、やはり雨天で中止になっているだろうと思ってやめる。家の近くの喫茶店で、『家庭画報』と『婦人画報』の今月号を読む。夜になって、NLGRの公式ガイドブックの「奥付け」に名前を載せる件で、NLGR実行委員会からメールが来る。今は転職に専念したいので、到底NLGRの当日まで、自分はNLGRについては何も手伝えないので、内海先生の名前にして貰うように電話で連絡を入れておく。なおすけが帰って来てから、スパゲティを2人で作って食べる。
4月7日(月)
午前中、松の木の剪定をやる。桜の木は肥料をあげればあげただけ来年の花付きが良くなるというので、油カスを肥料に撒いたのだが、どうも撒き過ぎてしまったようで、匂いがどうも良くない。ハエが何処からか大量にやって来て肥料にたかるので、見た目もどうもよろしくない。しかし自然というのは良く出来たもので、そのハエを狙ってトカゲやカエルが庭にいるのを発見。夕御飯は湯豆腐。
4月6日(日)
昼から岡崎の「家康行列」を見に行こうと思い、JR安城駅まで自転車で行き、そこから名鉄バスの東岡崎行きのバスに乗ったのだが、バスの運転手が、「今日は岡崎は家康行列で道路を封鎖しているので、国道1号線までは出れるとは思うけど、そこから先の矢作橋を渡るのに大渋滞で、物凄く時間が掛かるよ」と言われたので、到底岡崎には行けないと思って諦める。バスをそのまま降りて、安城駅前のうどん屋で「土筆入りご飯セット」を食べて、家に戻る。戻る途中でブック・オフに寄ったり、ケーキ屋でアップルパイを購入したりする。家に戻ってもする事が無いので、パイを食べて音楽を聞いたりする。たまにはこんな日曜日も良いものだ。
4月5日(土)
ゴウ君が遊びに来たので、吉野山で買ったお土産を渡し、仕事から帰って来たなおすけと3人で岡崎城へ夜桜を見に行く。家に帰って来てから夕ご飯。鰆の西京漬けを焼いたのと、ワカメとジャガイモの味噌汁。長姉が家にやって来たので、食べ切れないワカメを分けて渡す。高野山のお土産は、甥たちが全部食べてしまって姉は全然食べれなかったとのこと。ワカメを好きなだけ食べるように言っておく。Winkのプロモーション・ビデオを見ながら、なおすけとごろんごろん。なおすけに晩酌のおつまみ用に、ウインナ―の炒めたのを作って貰う。時間を掛けて晩酌。中島みゆきを聞いたり谷山浩子を聞いたり。
4月4日(金)
刈谷の駅前にある三洋堂という本屋なのだが、暫く見ない間にどんどん本の品揃えが悪くなっている。ひと通り店内を見て回っても欲しい本が無いので、何も買わずに出て来る。夕方から雨が降り出す。昨日から米ヌカと一緒に煮ておいたタケノコを使って、タケノコとハマグリの炊き込みご飯と、タケノコとワカメの煮物を作り、夕食。雨が降っているので傘をさして、家の近くのレンタルCD屋まで見に行く。
4月3日(木)
昼間はハローワーク。夜になって、なおすけと安城公園に夜桜を見に行く。
4月2日(水)
ハローワーク(職業安定所)へ行く。何か、独特の雰囲気のある場所で、どうもこういう雰囲気は苦手かもと考えさせられてしまう。でも、今後の事を考えると、行かない訳にはいかないので、行く。まだここに行くくらいだったら、ハッテン場に行く方が気楽だよな〜と思ってしまう(不謹慎)。取り合えず色々と手続きをして貰って、無職だという認定を受ける為に次回は10日に行かないといけない。大変だ。そういうことをやって、時間が空いたので喫茶店に行き、店に置いてあった『婦人画報』のバック・ナンバーをつらつらと読む。滋賀県にある、月心寺の住職・明道尼さんの記事を読んだのだが、そこで驚いたのが、尊尼は交通事故によって右半身が不自由な為、全て何事も左手でこなしているという事。流暢に書かれた尊尼の書も載せられていたこと。昔から自分は左利きの為に、「習字の時間」というのがすごく苦手で、どんなに一生懸命書いてもクラスで一番ヘタで、大人になってもそのコンプレックスが消えず、書道教室に1年通った事があるんだけど、交通事故という後天的な理由で左手でしか書が書けなくなった尊尼が、どうしてあそこまでの「書」が書けるのだろうかと心底驚いてしまった。(今でも自分は毛筆は苦手です。)右手の筆法と左手による筆方は全然違うだろうに。今まで、「書」は右手で書くものと教えられて疑わず、左利きの手を右手に持ち直して書いていた自分としては、「左利きで「書」を書いてもいいんだよ」と、今やっと言われたみたいで目からウロコが落ちてしまった。「自分は左手でしか字は書けないなら、それで筆を持ってもいいんだよ」と、初めて誰かから言われたような気がして、何か、当たり前の事にやっと自分で気が付いたような気がした。逆に、左利きだからと毛筆での筆方を諦めず、左手を使って自分の書きやすいように書を練習しなさいと教えられたようで、何かがひとつ軽くなり、何かに向けての挑戦する意欲が涌いて来た。そうだよ。だったら、学校でも左利きの子の為にも、それ用の筆方を先生が教えてくれても良かったんだよ。「習字の時間だけでも右利きに直さなけりゃいけない」じゃなくても良かったんだよ。この歳になって、こんなことにやっと気が付きました。だけど、こういう尊尼の存在を知ってしまった以上、「左利きだから、毛筆は苦手なのさ〜♪」という言い訳は、自分にも通用しなくなりました。これからは左手で毛筆を上手に書くことも練習せねば。書は人なり。
4月1日(火)
朝9時に花屋のタカちゃんが家にやって来たので、明日葉の苗を庭に5本ほど一緒に植える。その後タカちゃんの車に乗って、家の近くの喫茶店に行き、コーヒーとモーニングセットで朝食を食べる。そのまま今日はタカちゃんの運転で1日ドライブ。先ずは額田町のJR三ヶ根駅近くの定光寺へ行き、桜と椿を見る。定光寺は椿園でも有名で、お寺の裏山に何種類もの椿が植えてあり、タイミング良く、椿は今を盛りと咲いていました。2人で「まあ、あの椿。素晴らしいねぇ」などと花を見て感心したり、「この椿は、雪のように白い色をしているよ」と、あれこれ見て言い合ったり。椿園は、なだらかな斜面に沿って色々取り混ぜて椿が植えてあり、平日にしては大勢の老婦人たちが椿を見に来ていました。椿を堪能して、次は蒲郡へ。蒲郡に新しく出来た名所・蒲郡ラグーナで昼食を摂り、引き返すようにして蒲郡プリンスホテルへ。ちょうど花見の茶会を庭園でやっていたので、呈茶券を購入して、桜の木の下で野点の茶会に参加。蒲郡ホテルの桜は今が満開で、桜越しに見える三河湾の穏やかな春の海と、竹島の緑の樹相とが、大和絵のように展開する様が絶景。ここでは暫し、桜を堪能しました。コーヒーも飲みたくなったので、ホテルのティールームに入り、期間限定の桜のデザートとコーヒーのセットをそれぞれ注文。これもまた、お値段分以上に美味しい物でした。時間もいい具合に過ぎてきたので、一色町にある「さかな広場」へ行き、自分はこの季節は鯛が旬なので、思い切って尾頭付きで購入。三枚におろして貰って、頭も潮汁が作れるように割って貰う。タカちゃんは干物や乾物系を沢山購入。2人とも大満足でさかな広場を出る。最後のシメに、西尾市の「六万石の湯」というスーパー銭湯に入りに行き、17時には家に戻って来る。タカちゃんの買った塩ワカメの量が多かったので、半分お裾分けして貰い、自分もお礼に、吉野山の旅館で最後に頂いた、吉野杉箸のセットをタカちゃんに上げる。なおすけが帰って来て、一緒に鯛のお刺身と潮汁で夕御飯。夜桜を安城公園まで一緒に見に行こうと思ったが、家を出たところで雨が降り出し、中止。


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