◇にじむ「本土不信」--沖縄2紙
◇「強制」排除疑問--毎日・朝日
◇制度揺らぐ--読売
◇誤った対応--産経
どんなテーマであれ、社説には各紙独自の視点や論点、対立点を見いだせる。ただ常に180度主張が分かれるわけではない。その意味で、沖縄戦の集団自決を高校の教科書でどう記述するかという問題は異例かもしれない。
ざっとおさらいすると、文部科学省・教科用図書検定調査審議会の検定で日本史の集団自決記述に意見が付き、「日本軍の強制」が消えたり、軍関与をあいまいにするような記述変更があったことが3月に表面化した。沖縄は反発し、県議会や市町村議会が検定意見撤回、記述回復を求める意見書を可決。9月の福田政権発足直後には抗議の県民大会も開催された。
こうした中で文科省は、教科書会社から、正誤訂正や学習に支障がある場合の「訂正申請」を受ける形をとり、出し直された記述を審議。今月26日、「強制」は「直接的な軍命令は確認できていない」と退けたが、要因として軍の関与は明記されるようになった。
◇大きく分かれた見解
各紙社説はどう受け止めたか。
毎日は、軍関与をはっきりさせる記述や背景説明が増えたことに「一歩踏み込んだともいえる」と評価する。しかし「強制」表現の排除には「軍と住民との間の根底にあった強制的関係、絶対的な上下関係をきちんととらえたものとはいい難い」と、沖縄戦全体の中で選択肢を奪われた住民が置かれた立場、状況の視点が足りないことを挙げた。東京も「『強制』という言葉を用いずに悲劇の本質を伝えることはできるのか」と指摘した。
朝日は、手投げ弾配布や壕(ごう)追い出しなどをした軍の関与が集団自決が起きた状況の主な要因とする検定審見解を「多くの人が納得できるものだろう」と評価した。しかし、「強制した」というような直接的表現を認めなかったことには「疑問がある」とした。
読売と産経は今回の「修正」を教科書検定制度を損ねかねない問題として強く批判した。
読売は、軍が「自決しなさい」と住民に手投げ弾を渡したという記述について「根拠となった住民の証言の信頼性を疑問視する研究者もいる」と指摘。検定済み教科書にこのような訂正申請が「なし崩し的に」認められたら「政治的思惑によって、教科書検定制度そのものが揺らいでいくことにもなりかねない」と論及した。
産経は、異例の再審議が行われたのは沖縄県議会の撤回要求や県民集会などのためとし「事実上の“二重検定”であり、それ自体、検定制度を逸脱している疑いが強い」と主張。「これでは、検定は何だったのかとの疑問を指摘されてもやむを得まい」「検定に対する不服申し立てを一部でも認めるような誤った対応を、二度と繰り返してはならない」とした。
◇次代へ、どうつなぐ
沖縄県の2大地域紙、琉球新報と沖縄タイムスも今回の結果に強く反論した。それは、読売や産経の論点とは異なり、「強制」という表現が退けられたこと、当初の検定意見が結局撤回されなかったことに対してである。
新報は「『集団自決』の現場にいながら命拾いをした多くの体験者らがこれまで『軍の強制』を証言してきた。その事実を検定審が一つ一つ丹念に検証した形跡はない」と指摘。「そのことを抜きに『軍の直接的な命令』を示す根拠はないと断定することに、果たして正当性があるだろうか」と問いかける。そして「文科省や検定審は現地での聞き取りなど、幅広い調査を」と実証の姿勢を求め、一方で県民にも「中途半端な解決では後世に禍根を残すことにもなりかねない。史実を後世に伝えるのは県民の責務であることを再確認したい」と呼びかけて結ぶ。
タイムスは27、28両日にわたり社説を掲載した。「この一連の経過を通して見え隠れするのは『できれば日本軍という主語を消したい』『日本軍と集団自決の関係をあいまいにしたい』という背後の意思である」。そして沖縄と本土の間に「深い溝」をみる。
「沖縄戦における『集団自決』や『日本軍による住民殺害』の体験は、沖縄の人たちにとっては琴線に触れる『土地の記憶』であるが、『国民の記憶』と呼べるものにはなっていない。広島、長崎の被爆体験は『土地の記憶』であると同時に、『国民の記憶』にもなっている。だが、沖縄の地上戦体験は『土地の記憶』にはなっているが、『国民の記憶』になっているとは言い切れない」
「本土紙」がなかなか持てない、あるいは見落としがちな視点だ。両紙は次代への継承を大きな課題、義務として挙げた。
毎日はこれに触れ、「今回の問題を別の角度から見れば、『では学校は沖縄戦をどう教えてきたか』という問いにはね返る」と提起した。学校教育の現場で歴史は「暗記物」とみなされがちで、特に戦争や戦後史は学年末近くに尻切れになりやすい。教科書の記述をめぐり論争しながら、一方で、多くの生徒がそのくだりを目にしていないという皮肉な現実もあるのだ。
また、沖縄は日本の近現代史を集約的に学べるほか、環境、文化、風俗など多分野にわたり関心を引きつける教材になり得る。こうした視点から総合学習的なアプローチも有意義だろう。
毎日は「高校レベルの教科書なら検定というタガを外すことを検討しては」と結んだ。教科書会社にさらに大きな責任、力量が必要になるが、細かな字句いじりにも陥りがちな検定過程を思えば、検討に値するはずだ。【論説委員・玉木研二】
毎日新聞 2007年12月30日 東京朝刊
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