12月の日記

12月31日(火)
朝9時に起床。ドミーに食料を買いに行く。何でこんなにお正月の食材って必要なんだ!。「お煮しめ」製作。なおすけに大掃除を担当して貰って、一人コトコト煮物作り。さすがに「おせち作り」も3日目になると飽きてくるなぁ。お昼にすき焼きを作って食べて、午後3時くらいから重箱にやっとおせちを詰め始める。思っていた以上になかなかの出来。「昆布巻き」を買い忘れていた事に気が付いて、電車に乗って名古屋へ。栄にある松坂屋にて、昆布巻きと梅昆布茶等を購入。他にも「鶴屋吉信」の正月菓子と鳩居堂のお香なども購入する。歩いて三越へ移動。7階で催されている、「薬師寺展」を見に行く。法相宗関係の仏像や高僧像を始めとする寺宝を拝観する。やたらとリキが入っているのか、入り口のところで薬師寺のお坊さんが入場者一人一人に「良くおいで下さいました」と挨拶をしている点が、他の寺院のご開帳展とは違っていて、そういうところは立派だなと思う。慈恩大師像が彫刻の中ではイケていた。どうも薬師寺のお坊さんといい、南都寺院のお坊さんにはイケてる人が多いのでは(←只のコスプレ趣味?)。自分が称徳帝のコスプレで、相手が道鏡僧正のコスプレだったら拒めないものがあると、このお像を見ながら思った(←不謹慎)。あと、新しく寺宝に加わった、平成の作家による茶器なども見るべきものがあった。出口の所に薬師寺関係の売店が有るのは、ご開帳展ではいつものことだが、管主や副住職の筆による掛け軸が何本か売り出されていた。これは珍しいと思ってよくよく見る。だけども、「拈華微笑」って書いてあるのはどうだろう。これは禅宗の言葉なのではないか。でもまあ、茶席で掛けられるお軸には、その筆跡そのものよりも、書いた人間の徳を慕うという意味もあるので、それもきっと良しなのだろう。でも、書いた人たちの徳って、良く知らないんだけど。毎日会場で副住職の説法も有るというのが、とても良い点だと思う。なかなかご開帳展でそこまでやってくれるお寺は少ないので、是非一度その説法も聞いてみたいものだと思う。これで600円は安いかも。出口で、明けて2日から配る「福袋」をお坊さんたちが準備している姿も微笑ましかった。18時くらいに家に戻り夕御飯。またすき焼き。終って、最後のおせちの詰め込み。気が付くと20時近くになっているので、「NHK紅白歌合戦」を見るさて、「紅白」でも見ながら年賀状でも書こうと思って準備したところ、今頃になって「年賀状を買っていない」事に気がつく。うぎゃー!仕方が無いので、年賀状は明日コンビニに行って買います。鳩居堂まで行ったのに、なんで昼間気が付かなかったのだろう。何故か「有る」と思い込んでいたんだよな。曲の合い間に柚子風呂に入り、ホカホカする「紅白」は、中島みゆきが素晴らしかった。それに尽きると思う。年越し蕎麦を食べ、「行く年来る年」を見て、家の近くの神社へ初詣でへ。小さな神社だから参拝者は少ないだろうと思っていたら、道路を歩けなくなるぐらいの人出。神頼みを願う人が多くなったのだろうか。不況だし。お参りをしようとしたら、前でハシャイでいた小学生の腕が顔面に当り、目から火花が出るほど痛かった。親を掴まえて説教をしてやろうと思っていたら逃げられてしまう。やはり子供は大嫌いだ。火をジャンジャン焚いていたので、持参した古いお札をそれに投げ込んで焼いて貰う。それから「さあ帰ろう」と思って自転車のキーを探したところ見つからない。さっきのお札と一緒に、火に投げ込んでしまったらしい。仕方が無いので自転車を家まで担いで帰る。おミクジは「大吉」だったのに、全然良くない。平成15年は本当に大吉の年になるのであろうか。帰って来てすぐに寝る。
12月30日(月)
朝10時に起床。ドミーにお正月用の食材を色々と買いに行く。昼から牛蒡と牛肉で、「牛蒡の八幡巻き」の製作に取り掛かる。突如、「赤いキャップを確か持っていた筈だが」というのを思い出し、箪笥を引っかき回したり押入れを調べたりしたのだが、見つからない。どこに仕舞ってしまったのだろう。「あの日のキャップが、あたしの宝物になったの」と、1人「夜会」の台詞を呟きながら探しても見つからず、とうとう大掃除兼キャップ捜索を始める。その間を縫って牛蒡を刻んで酢水に漬けて、アク抜き。CDも昔の懐かしいものが発見されるものだから、それを聞きながら踊り出してしまい、ちっとも何もかもが進まない。キャップは果たして何処に?何処に仕舞っていたのか分からなくなっていた、バリ島のケチャ・ダンス用の民族衣装などが箪笥の奥から発掘される。掃除は諦めて、八幡巻きの製作作業の続き。15時ごろ完成する。タッパ―に入れて冷蔵庫に保存。これで「おせち」の製作準備は、明日に「お煮しめ」の製作を残すのみとなる。鏡餅を神棚と玄関にお供えし、シメ縄を神棚と玄関に張る。これで大分、お正月を迎える雰囲気が出てきた。なおすけが今日まで仕事なので、帰って来たときに直ぐに夕飯が食べれるように、イカと大根の煮物を作る夜になってまた帽子を探すが、結局見つからなかった。無くしてしまったのだろうか。年賀状を書こうと思ったが挫折。1時ごろまで起きていて寝る。
12月29日(日)
朝8時に起床。11時からドミーに行って食料品を買い込む。鏡餅も購入するが、(29日なので)「苦の日飾り」になってしまうので、お供えするのは明日やることにする。昼過ぎからなおすけと2人で「おせち」の仕度。大根と人参を千切りにして「紅白なます」を作り、ビンに保存。牛蒡を酢に晒し、茹でて叩いて「叩き牛蒡」を作り、それもビンに入れて保存。水で戻しておいた勝栗と薩摩芋を梔子の実と一緒に煮て「栗きんとん」も作る。これは皿に入れてラップをかけて保存。カズノコも調味液に漬け込んで、タッパ―に入れて冷蔵庫に保存。「のし餅」も買って来て、包丁で切る。これだけやったら夕方になってしまった。疲れて晩飯の買出しにも行きたくなかったので、冷蔵庫の有り合せの物で雑煮を作って食べる。何やかんや正月の準備で終った一日。家の大掃除は終らず。
12月28日(土)
今日で今年も会社は「お正月休み」に入ってしまうので、珍しく朝から全員揃って会社の大掃除をする。ところが、昨日で終っていた筈の配達業務が、「今日、どうしても欲しいから持って来て〜」という無理な注文の続出によって、自分だけ今日も配達業務をすることになる。大掃除がサボれてラッキー♪。それにしても、あれだけ「今年の配達は27日までですよ。この後の注文は年明けの6日からにありますよ」と、口が酸っぱくなるくらい言っておいたというのに。だからもう少し「こちらが配達できないときに備えて在庫を持っていた方が良いですよ」とアドヴァイスをしておいたというのに。でも、やっぱり掃除がサボれるなら、そっちの方が嬉しい。午前中で4軒、何とか配達を済ませて、会社が取ってくれたお弁当を昼休みに食べる。昼飯後に休憩をして、さて大掃除を手伝おうかと思ってた矢先に、今度は津島警察署から電話が掛かって来た。「先日の事故の件で、書類にハンコを押して欲しいので、当署まで来て貰えませんでしょうか」との連絡。またまた掃除がサボれてラッキー♪。午後からも結局会社の大掃除は手伝わないで終りました。午後3時過ぎに会社に帰って来て、自分の営業車を1時間掛けて掃除しただけ。4時には皆で一杯飲んで、「1年ご苦労サマ。来年も宜しく」という社長の挨拶で終了となりました。それから大須商店街をブラブラしてから家に帰る。帰る途中の金山駅で、『横森式シンプル・シック(横森理香著・文春文庫刊)』を購入。最近わりと落ち着いて来たので、ジムにて再入会の手続きをする。帰って来て、カズノコと勝栗の水を取り替えたりする。割と早目に眠る。
12月27日(金)
とにかく寒い。花屋のタカちゃんの店に行き、お正月用の花を受け取る。今年最後の集金や配達業務があったので、営業車でお得意先を回ったりする。仕事帰りに金山のダイエーに寄って買い物。地下の生鮮食料品売り場で野村さんとバッタリ会う。家に帰って来て、お正月用の花を玄関と床の間に活ける。カズノコの塩抜きと、勝栗を水に漬けて戻す準備をする。
12月26日(木)
仕事帰りにヒップスへ飲みに行く。SHIGEKOと大須大助がいたので一緒に飲む。終電には間に合うように家に帰らないといけないので、SHIGEKOを家に泊めて一緒に飲む。家で飲み直してて、寝たのは夜中の1時過ぎ。
12月25日(水)
お正月に玄関に飾る花瓶が無かったので、なおすけと仕事が終ってから待ち合わせて、パルコで花瓶を購入する。その後2人で駄駄とシンバに飲みに行き、家に帰って来たのは22時30分。
12月24日(火)
クリスマス・イブなので、仕事を早めに切り上げて家に帰る。豚肉を唐辛子で炒めて食べ、ビールを飲む。酔ったので早く寝る。
12月23日(月)
天長節。8時半ごろに起床。大助は仕事が有るので帰っていく。ペットたちがまだ寝ているので、なおすけと「今池スオミの湯」へ朝風呂に入りに行く。帰り道に中華食材屋に寄って買い物をして、ペットの家に戻ったのは11時頃。大助の持って来たうどんを煮て4人で食べる。暫くゴロゴロとして、13時くらいにペットの家から帰る。家に帰って来て庭仕事。笹百合の球根を6個植える。それを終えて横になっていたら、何時の間にか寝てしまう。起きたら19時。炭を熾して火鉢にあたる。火鉢は気持ちがいい。亀ゼリーを食べる。夕食はベーコンの煮物。夕食後、西友に買い物に行く。
12月22日(日)
朝9時に起床。南山キャストの河合嬢にカメラを返さないといけないので、11時に栄の中日ビルで待ち合わせ。カメラを返してから本屋へ行く。『双調・平家物語9(橋本治著・中央公論社刊)』を購入。どんどん発刊のペースが落ちているような気がするが、ちゃんと完結するのだろうか。12時になおすけと合流。和菓子をペットたちへのお土産用に購入して、地下鉄で今池へ移動。「今池スオミの湯」へ2人で行く。夕方5時になったので、ペットのマンションに遊びに行く。その前にペットから電話があり、「ワインと寿司を買って来て欲しい」と言うので、今池のユニーに寄って買い物をする。ユニーはすごく混んでいた。ペットのマンション近くまで行った時に、やたらと電飾の付いたハデなマンションが見えて、「あの家、ハデだよねー」・「UFOでも呼んでるんじゃない?」とか話していたら、それがペットの部屋だった。すでにペットの相方のクニも来ていて、4人で寿司をつまみに日本酒とワインを飲む。19時くらいにクジラ氏とその相方がやって来る。2人で映画を見に行ってたらしい。「何を見に行ってたの?」と聞いたところ、「『犬夜叉』。嘘。ホントは『マイノリティ・レーポート』」と、つまらないことを言っていた。クジラ氏の買ってきたワインで飲む。いい時間になって来たので、鍋を準備して6人で食べる。20時近くに大須大助がやって来る。全員で大助の持って来たビデオ・『女囚サソリ』の鑑賞会。大いに盛り上がる。女囚サソリはやっぱり面白かった。酔っぱらったので、自分は23時ごろにペットの家の客間に布団を敷いて貰って寝てしまう。その後にクジラ・カップルは帰っていったらしい。なおすけとペットとクニは1時近くまで起きていたようで、一番最後に大助が寝たのが2時くらいだったとのこと。合計4人がペットの家に泊まる。
12月21日(土)
ディーラーが営業車の修理の見積りをする為に会社にやって来る。前のバンパーを交換して、後のナンバープレートの曲がった所を板金で直すだけなので、そう手間は掛からないらしい。バンパーの傷も、自分の車だったとしたら許容範囲内の傷で、気にしなければどうってことない傷なのだけど、折角相手側の保険会社が直してくれるというので直してもらうことにする。バンパーはプラスティック製なので、取替えになる。もったいないと言えば、もったいない話。バンパーの取り寄せと代車の手配に時間が掛かるので、修理は来年になって日にちを考えて、と言うことで決まる。
12月20日(金)
午前中に、仕事で営業車に乗っていたら、信号の手前で後からやって来た乗用車に追突される。自分を真ん中にして3台の玉突き事故。追突して来た車は前半分大破。自分の営業車はちょっとしたキズが前と後に出来る。前方にあった車はキズが後ろの部分に一ヶ所。幸いにして誰も怪我は無かったのだが、追突して来た車の運転手は先日自己破産をしたばっかりの人で無一文らしい。前に乗ってたのが、これまた見た目から欲深そうな老夫婦。絶対に「首が痛い。ムチウチだ」と騒ぎ出しそうな勢いで、どちらにしても突っ込み所が多そうな人たちで、そういう意味ではすごい事故に巻き込まれたような状態だ。突っ込みどころとしては、自己破産して任意保険も払えないような男が運転などしても良いのだろうかという点と、肋骨が折れて病院へ行く途中なのにも関わらず、見た目元気な爺さんというこの2点。聞けば、先日肋骨を折ってしまって、車で高速道路に乗って40分はかかるであろう東海市の病院まで態々通う途中であるとのこと。近くの病院で通院すればいいのに。「もし一週間してから首が痛くなったらどうすればいいのか」と、婆さんも何故か自分に執拗に聞いてくるが、この場合一番後ろの車が一番悪い訳だから、そんなことを自分に言ってもしょうがないのに。警察がやがてやって来て(誰も携帯を持っていないので、しょうがなしに自分が電話した)、100対ゼロで追突して来た車が悪いと言うことで決着したのだけれども、因業老夫婦がやたらと見苦しかったので、警察の人も失笑していた。自分がクッション代わりになっていて、殆ど無傷だから、欲深老夫婦がムチウチになどなる筈もないのに。後で「事故太りしようとしても、間に挟まった自分がムチウチにならない限り、認められませんよ(←いい加減な情報)」と脅しておいたら、それでやっと少し大人しくなっていた。問題は、「修理金を払えるのか。自己破産者よ」という点だ。「払いたくても払えない」と通用しないようなことを言っているので、「会社の弁護士と保険屋から連絡をさせますので、後はそちらと話し合って下さい。払えようが払えなかろうが、後は弁護士の方と話をして下さいね」と言って警察との手続きも終ったので自分は仕事に戻る。こういう濃い人たちを見るのは久しぶりで、面白いのでもう暫くは見ていたかったが、仕事の時間も無いので取り合えず車も動くし出発。夕方になって会社に戻ってみると、自己破産者が会社に菓子折りを持って来て(菓子折りは買う金は持っているんだ)、「保険が何とか下りるようです。ご迷惑をお掛けしました」と謝りに来ていたとのこと。菓子折はあまり良いものではなかったので、会社の給湯室に置いておく。自己破産者の奥さんも一緒に謝りに来ていたらしい。さて、今日一番可哀相だった人は、一体誰?。
12月19日(木)
仕事に行って2人が留守をしている間に、に父親が勝手に部屋に入って来ているみたいなので、姉に電話して、「親子と言えどプライバシーという言葉を忘れないように」と姉の口から言って貰う様に頼む。同居はこういう場面で苦労する。なおすけは「灰皿とか片づけてくれるし、いいんじゃないの」と言っているが、いくら掃除をしてくれたりするにしても、どうもやっぱり嫌だ。夕食後になおすけに「お汁粉」を作って貰う。そろそろ来年の国府宮に備えて、腹筋のトレーニングをしないといけない。
12月18日(水)
本当に疲れが溜まって倒れそうなので、家に帰って来て夕御飯食べて風呂にも入らずにすぐに寝る。眠る眠る眠る。
12月17日(火)
今日の中日新聞に、先日の日本エイズ学会での写真が掲載されていて、自分の姿も判別し難いが一応載っていたのでビックリする。仕事が終ってから「99%」に、南山キャストの河合嬢から借りてあった12月1日のイベントのビデオ・テープを預けに行く。ダビングは年内中にはあまり進まないかもしれない。エンジェルライフ名古屋のオリジナル・ポスターを製作する件は、クリスマスも近くて皆忙しいので、年が明けてからに順延。家に帰って夕食。花屋のタカちゃんが来てくれて、火鉢と重箱を頂く。夏櫨と黒文字の木の新たな取り寄せをお願いする。先日頼んでおいた「丹波の黒豆煮」が早くも届いたので、冷蔵庫に入れて保管することにする。豊田市の「天下祭り」からも、来年の参加申し込み用紙が届く。23時になって、なおすけにスキューバ・ダイビングのレクチャーを1時間程する。久しぶりにインストラクターに戻ったような気分。なおすけが仕事の関係上、これからオープン・ウオーター・ダイバーぐらいは取得することになるだろうから、これから何日か掛けてレクチャーをすることになるだろう。今日のところは「圧力・体積・密度の関係」とか、「圧平衡について」とかを教えて、「絶対にダイビング中は呼吸を止めるな!」という部分にまで触れてレクチャーを終える。なおすけが寝てから、『バディ』の編集部へ、15日のインタビューの写真を何点か送る。
12月16日(月)
出ないと思っていたボーナスが出たので(やはり少なかったが)、初出勤を終えたなおすけと待ち合わせて夕食を外で食べる。あと金山駅のダイエーで買い物。新しい弁当箱とかも買う。中日新聞を見てみると、昨日インタビューした池住氏が選挙戦の記事で、大きく新聞に載っている。何か不思議な感じ。
12月15日(日)
朝の5時30分になおすけからのモーニング・コールで起き、タクシーで東京駅へ。6時37分発の新幹線「こだま」に乗って帰る。三河安城駅へ着いたのは9時10分。一旦家に帰って休憩。暫くしてから準備をしてそのまま今度は名古屋へ。昼の1時から自分が司会者を務める「ゲイの為の勉強会」の準備。今回は年末スペシャルということでカフェ形式の大掛かりな物で開催。15時よりスタート。とにかく大勢の入場者に来て頂けて嬉しかったです。勉強会は17時過ぎに終了。大急ぎで着替えて仕度をして、矢場町へ歩いて移動。途中でなおすけと合流して、「ヒップス」の忘年会に18時より参加。今回はこの後の予定もあったので、殆どビールは飲めなかった。料理は美味しくて凄い量。食べきれないくらいだったので他の人たちに食べてもらったりする。今年の忘年会も盛況で面白かった。19時45分に忘年会の会場を出て、再び栄へ。ゲイ雑誌・『バディ』の企画で、来年1月発売号に載せる予定の、愛知県知事選挙立候補予定の池住氏と、野口君のインタビューのコーディネ―ト作業。20時に中日ビルにて野口君とアリーチェと合流する。そのまま3人でスターバックスへ。そこでお茶を飲みながら、21時よりのインタビューの前準備や打ち合わせをしたりする。映が今回はカメラ撮影をしないといけないので、デジカメの電池も空いている時間で買いに行ったりする。もう一度20時50分に中日ビルに行き、池住氏のお出迎えをする。21時よりスターバックス店内でインタビュー開始。インタビュワーは野口君とアリーチェ。来る2月の愛知県知事選挙において、池住候補者が、ゲイの人権・及び県内のゲイ・コミュニティの向上政策として、どの程度の意識を持っているかなどを聞く。早い話が、「当選したら、ゲイの為に何をやってくれるの?」を聞き出すという企画でもあり、「選挙に行く事で、自分達の生活を良くする可能性がある」というのを確認するという企画でもあった(難しい〜!)。ゲイ・パレードとは違う形で、直接物事を変えてしまう方法は無いものかと。このインタビューに関しての内容は、来年発売の『バディ』を参照のこと。とても良い形でインタビューは成功したと思う。それが終って、アリーチェと、来年のNLGRでの新たな企画についての打ち合わせもしたりする。とにかく全てを終えて、ヒップスで飲んでいるなおすけを迎えに行って、2人で家に帰る。鬼のように忙しい一日であった。
12月14日(土)
お昼近くに起床。武明君に電話して、一緒にお昼を食べる事に。新宿駅から山の手線で渋谷へ。昨日来たばっかりなのに、再び迷子になる。やっとのこと「ハチ公前」へ。その近くの大きな地図の前で武明君と合流。オムレツの美味しい店へ連れてって貰いました。暫くおしゃべりを楽しんで、道が分からなかったので武明君に送って貰って「渋谷区立・松涛美術館」へ。そこからは1人でじっくりと絵画鑑賞。途中でなおすけから電話が入り、「やっと就職先が決まった」との連絡。東京から引っ越して来て名古屋で新しい仕事が決まるまで約3ヶ月半。20数社面接を受けてやっと採用通知が来ました。「おめでとう!」。松涛美術館は建物の作りも面白くて、とてもゆったりとした雰囲気で絵画鑑賞が楽しめました。続けて「戸栗美術館」へ。そこでは全国有数の国産磁器のコレクションを鑑賞。有田や鍋島など陳列されている磁器の数も膨大で、かなり時間を使って鑑賞してしまいました。気がついたら閉館時間ギリギリ。歩いて渋谷駅に戻ろうとすると、Bunkamuraの辺りから急に物凄い人込みが。全然前に進めないくらいの人の量。どこからこんなに湧いて来たんだ!。少しづつ前に向かって進んではいるんだけど、本当に遅々として進まない。良く見てみると、皆キョロキョロ周りの店とかを見たりしながら進んでるんだよね。それで余計に進まないんじゃないかな。真っ直ぐ前だけを見て皆歩いて欲しい。何とか渋谷駅へ。切符を買うのもひと苦労だった。もうこれに懲りて、渋谷駅へはもうあまり行きたくない。新宿まで戻り、ホテルでシャワーを浴びてゆっくりしていたら何時の間にか寝てしまい、20時に待ち合わせをしていた川崎嬢との約束に大幅に遅刻。30分遅れで待ち合わせをしていた花園神社まで行くとそこには、待ちくたびれた川崎嬢の姿が。直ぐに謝って、それから2人で「あづま」という喫茶店(?)という店で食事をする。クリスタル・サラダ(?)とかいう変なサラダが微妙な味で、あと他の料理も大味だったけど、妙に昭和40年代のテイストっぽい内装で面白かった。店内の場末な感じもいい味を出している。「トックリ・セーターと水森亜土」の話などで盛り上がる。そこから歌謡偏向バー(と川崎嬢が言っていた)・「フレーム・逞」へ。ゆういちさんに接客をして貰う。フレーム逞で暫く飲んで、もう1人待ち合わせをしていた「み。」さんとも合流して、3人でユーロビート・ナイトというイベントへ踊りに。今回は「み。」さんが見ていてとても面白かった。ナイトの会場「クラブ・ドラゴン」で、もう1人合流して、合計4人となる。ナイト自体は懐かしい曲が一杯で、暫く踊ったりもしたのだけど、ユーロ全盛であった当時と踊りのキレが違う自分にビックリ。歳月というものは確実に降り積もるものじゃのう。「バブルは遠くなりにけり」を改めて肌で実感。良くみんな、当時はひと晩中コキコキ踊ってたよなー。途中から1人で中抜け。「てぃん☆がーら」と「マルス」の2軒に飲みに行く。そのあと新宿3丁目のお店で3人と再び合流。夜中の3時過ぎになったので、ホテルに戻って寝る。
12月13日(金)
中島みゆきの「夜会」を見に行く為に、午後3時20分・名古屋駅発の新幹線「のぞみ」に乗って東京へ行く。5時に東京駅に到着し、山手線に乗り換えて渋谷駅で降りる。「夜会」の会場となっているシアター・コクーンにて、開場前にひらりんとお茶を飲む約束をしていたのだが、いきなり渋谷駅を出てから方向が分からなくなって迷子になってしまい、ひらりんに「モヤイ像」のあるところまで迎えに来て貰う。うーむ、情けない。ひらりんに案内して貰ってコクーンに。その前にある喫茶室で一緒にお茶を飲む。ひらりんから結婚のお祝いに、代官山にある西洋菓子のお店の、とても美味しいお菓子を頂き、それから一緒に歓談。1時間ほど楽しいひと時を過ごして、一緒に「夜会」を見る「いんばちゃん」も途中から合流する。19時15分近くになったので、そこでひらりんとは別れて、いんばちゃんと中島みゆきのグッズ売り場へ。9000円分の買い物(「夜会」ポスター・パンフレット・カレンダー等)を楽しみ、それからコクーン内へと入る。会場ロビーでは「夜会カクテル」やシャンパンを飲んで、緊張をほぐしつつも期待を高鳴らせる。やはり「夜会」は独特の雰囲気があって、始まる前から気持ちいい。「夜会VOL12・ウインター・ガーデン」は、20時から始まりました。今回の夜会は前回の再演で、前回難解だった部分がテンポ良く消化されていた。後半の内容も大きく変わっていて、前回のように「どよーん」とする終り方では無しに、「嗚呼、こうなのか」という感じの終り方で、悲惨は悲惨なんだけど、許容範囲(?)な終り方でした。今回の夜会はビデオ化して欲しいな〜。自分としては、今回の内容は良かったと思う。主人公はあれじゃ救われないナとは思うが。「夜会」を終えて23時頃に新宿に取ってあったホテルにチェック・インする。いんばちゃんは途中で「直ぐに飲みに出るから」というので別れる。ホテルでゆっくりしながら、今日見た「夜会」を何度も反芻する。夜中の0時過ぎに、クニちゃんと新宿2丁目で待ち合わせ。仲通りの交差点のところで落ち合い、クニちゃんとその友人(恋人?)と自分の合計3人で飲みに行く。1時間程3人で飲んで、自分はその後「ガンツ」へ。2時にはホテルに戻って寝る。
12月12日(木)
15日の「勉強会」の打ち合わせ。99%に行き、プログラムの最終確認。内海先生とも会う約束をしてたのだけれども、先生の都合が急に悪くなったので、電話にて打ち合わせをする。ドラァグ・クイーンのミネルバともショーの事について打ち合わせをする。これで15日の勉強会の打ち合わせは全て終了。22時30分に栄を出て家に帰る。今日はなおすけが風邪を引いているみたいで、頭痛がすると言うので心配。帰りの電車の中で、買ったばかりのグイン・サーガ第87巻・『ヤーンの時の時』を読む。あああああああああ!(号泣!)。
12月11日(水)
19時に栄で待ち合わせをして、南山キャストの河合嬢から12月1日のショーのビデオを預かる。そのまま矢場町まで移動し、19時30分より美容院で髪の毛を切る。電車に乗って家に帰り着いたのが21時20分。なおすけと夕食を食べ、22時過ぎにやすゆきが車で家にやって来る。やすゆきの運転で野口君の家に行き、東京都と愛知県から届いていた人権指針等の資料を渡す。また家に戻って来たのが23時15分。このドタバタした忙しさは明日まで続く。
12月10日(火)
朝から凄く寒かった。なおすけと麻婆豆腐を作って食べる。夜に野口君と電話。池住氏のインタビューの件は、15日の夜に決まる。
12月9日(月)
来年2月の愛知県知事選挙に立候補する予定の「池住義憲」氏と会談。それが終ってから、バー・「チーフ」がお店を橋本工務店のあった場所へ移転したので、お祝いに飲みに行く。それから「アン・ディバイト」へ。ヒロシ君とアンジェリカと飲む。アンジェリカのコルセットの話が面白かった。
12月8日(日)
朝10時過ぎに起床。朝兼昼飯を食べる。お正月の「おせち」に使うので、小田原のカマボコ屋・「鈴廣」に電話。超特選「萌(もえぎ)」というセットを注文する。続いて、丹波にある「いのうえ黒豆農園」に電話。黒豆煮1.5キロ入りのパックを注文。1月2日に家で「キジ鍋」をやるので、「きじの里」に電話。キジ精肉半身を2セット注文する。まるで通販にハマっている人のようだ。今のうちから注文を出しておいたので、これで大晦日の買い物も楽になるだろう。小雨が降っていたが庭の手入れ。庭石を4つ動かす。お汁粉の残りを食べ、15時くらいに軽く「おじや」を作って2人で食べる。16時ごろに花屋のタカちゃんがやって来たので、タカちゃんと2人でナツメの木と「ことじ椿」を庭に植える。ことじ椿は30センチくらいの苗で5000円(!)。でもタカちゃんを通して買ったので、これでも破格値。普通だったら到底買えない代物。2メートル近くあるナツメの木の方が安いくらいだ。夜になって、3人で海鮮鍋を作って食べる。タカちゃんは22時前に帰って行きました。
12月7日(土)
11時頃起床。朝兼昼飯を食べて、それから庭の手入れ。楓を剪定したり、嵯峨菊を刈り取ったり、椿の苗を植える穴を掘ったりする。午後3時くらいまでかかる。小雨が降り出したので、家の中に戻り休憩。お茶を飲んで、夕方5時くらいから、ドミーへなおすけと2人で買い物に行く。一週間分の食料を買い込んで家に帰る。夕食は白身魚の香草焼きとお吸い物とニシンの昆布巻き。夕食後、クリスマス・ツリーを完成させる。ミネルバから電話。22時くらいに、なおすけがお汁粉を作る。久しぶりにノンビリと出来た一日であった。
12月6日(金)
昨夜に野口君と電話で話した事を受けて、愛知県庁・人権同和対策室に電話。平成12年に愛知県から『人権教育に関する愛知県行動計画』というものが出ているというので、その文書の全文が載っている小冊子を、自分宛てに送って貰うように頼む。続いて東京都庁総務局・人権部に電話。平成12年に石原知事が出した指針が載っているパンフレットの、『資料編』と『資料編増補版』の各2冊ずつを自分宛てに送って貰うように頼む。ところが、パンフレットは有料と言うので、改めて都民情報ルームという所へ電話して、そこ宛に郵便局から郵便書留でパンフレット代を送金する。今日は会社の忘年会だったのだが、何のかんの理由を作って欠席。会社の忘年会は下らないので、もう2度と出たくない。米原(滋賀県)まで行って忘年会をすることになっていたので、会社は夕方4時で終了。今日は早く家に帰れると喜んでいたのだが、地下鉄で金山駅まで行ってみると、JR東海道線は人身事故が発生したので運転再開のめどが立たず、全ての電車が動いていなかった。最悪。これでは何の為に早く会社が終ったか分からない。1時間以上たって、やっと運転が再開。電車はギュウギュウ詰めであった。堪らない思いをして家に帰る。13日に東京で泊まるホテルへ、予約の電話を入れる。
12月5日(木)
来年の国府宮裸祭りは平日なので、出場するのは止めにしようかなと思っていたのだが、今日花屋のタカちゃんと話をしていて、「ガチムチの植木職人(←ノンケ)の友人も出るんだよ〜」とのタカちゃんの一言で、アッサリと出場することを決める。夕方に雑誌・『バディ』編集部のジュンちゃんと電話。家に帰って来て、木目込みクリスマス・ツリーの製作。9日に、来年2月に行われる愛知県知事選挙に出馬する知事候補の人と会うことになる。夜になって野口君と電話。
12月4日(水)
来年上半期の「勉強会」のフライヤー印刷費を、印刷所へ銀行から振り込む。昼間に雑誌・『バディ』編集部のジュンちゃんと電話で話をする。家に帰ってみたら、日本ツバキ協会から新しい会員名簿と会報が届いていたので、自分の名前も載っているか確認したりする。花屋のタカちゃんと、9日の夜にKENちゃん達のライブのお祝いに持って行く花束について電話で相談をしたり。今年も「木目込みクリスマス・ツリー」の製作に取り掛かる。来年のHIV抗体検査会について、名古屋市から後援許可と、愛知県医師会から協賛許可を頂く。夕食はなおすけ特製のビーフ・カレー。あと、アンジェリカとミネルバとに電話で連絡をしたり。
12月3日(火)
仕事が終って、「とある方々」と会食。ゲイに関する話を多分に含んでるんだけど、この後の展開次第でどうなるか微妙な話なので、この場では割愛。難しい問題も含んでいるので、自分だけの考えには留まらず、その会食が終った後で人と相談したり、電話を掛けたりして色んな意見を聞いてみたりする。友人2人の意見を聞いてみて、朧げながら何とか方向が見えてきた。更に意見を足してみて、もう少し煮詰めて考えてみる事にする。こういうときに、色んな角度からアドヴァイスをしてくれる友達がいて、本当に助かる。やっぱり頭の良い人たちの意見は本当に参考になるなぁ。23時頃家に帰ると、なおすけはグウグウ寝ていた。
12月2日(月)
なおすけと内海先生のところへ、結婚式の仲人をしてくれたお礼を言いに行く。金曜日と日曜日のことについて歓談。終ってからヒップスへ。ペットが結婚のお祝いにクッションカバーをお店に置いておいてくれたと言うので取りに行く。んが、ゴローさんに聞いてみると、「そんなの置いてないわよー」との答え。キスギと野村さんが丁度お店で飲んでいたので、一緒に飲む。ワインを1本飲んで家に帰る。
12月1日(日)
JR金山駅にて、「世界エイズ・デー」のキャンペーン・イベントに参加するので、朝8時に家を出る。テント機材を積んだトラックに乗って名古屋高速を走り、9時にはJR金山駅に到着。駅の南口にあるイベント広場に行くと、エンジェルのスタッフもかなり揃っていた。先ずは今日のイベントを主催する「南山キャスト」の代表・河合嬢に挨拶。キャストのスタッフは朝の7時から駅に来ていて、既にリハーサルを進めている。今回「エンジェルライフ名古屋」は、イベントの後援としての参加なので、そのリハーサルには加わらず、10時のイベント開始に合わせて準備を始める。通常のゲイ・イベントへの参加では無くて、今回は「ノンケ・イベント」への参加なので、エンジェルのスタッフも集まり難いかな〜と思っていたけど、朝の時点で20人のスタッフが集合してくれました。最初に自分達が始めた作業は、テントの設営。2間×三間の大きさのテント機材を、駅の北口にある有料駐車場に停めておいたトラックから数人掛かりで下ろし、イベント会場内のブース近くで組み立てる。このテントが今日のドラァグ・クイーン・ショーの楽屋となる。テントの中が見えないように四方を幕で囲い、メッセ―ジを書いた旗を周りに立てたりして飾り立てる。エンジェル・スタッフも、6月のNLGRでテントを組み立てるのに慣れているので、とてもテキパキと出来上がる。日頃の成果が、こういうところに発揮されるのが素晴らしい。ブースにキャストのスタッフが飾り付けをするのも手伝ったりして、あっと言う間に準備を終えて、10時のイベント開催。ここから少しすることが無かったので、エンジェルのスタッフは交代で朝食を食べに行ったりして時間を過ごす。イベントは南山キャストが主催となり、エンジェルはそのサポート。オープニングの後、夕方の5時まで南山大学のバンド演奏やアカペラ・グループの演奏などがあり、その合間にエイズについてのトークやメッセージを訴えるというもの。エンジェルとしては、「ゲイのHIV感染率はとても高いが、異性愛者の感染者も増えているんですよ」ということを訴える為に今回は参加することを決めました。11時くらいから、駅を利用するノンケを対象に、400人を目標として「エイズについて」の意識調査アンケートを開始。エンジェルのスタッフがとても頑張ってくれている。自分はその間に何をしていたかと言うと、金山駅近くに競馬の場外馬券売り場がある為、どうしても柄の悪い酔っ払いが朝から現れてイベントに絡んで来るので、その対応。どうにも手に負えない酔っ払い爺さんを警察に引き渡したり。しかし、自分達はあくまでも「後援」という立場なので、この役目って本来は主催者がやるべき仕事なのでは・・。この酔っ払い爺さん、他の競馬場行きのオヤジともケンカを始めそうになって大変だった(後から考えると、これはまだ序の口)。イベントのプログラムは順調に進み、12時。アンケートは一旦終了。また交代でお昼を食べに行ったりする。自分の番になって、近くの喫茶店でランチを注文したところ、まだ料理も出て来てないのに、「プログラムが思ったよりも早く進んでいて、エンジェルのショーの出番が早くなりそうです。早く会場に戻って来て下さい」と携帯で連絡が入る。慌てて飲み込むように食べて会場に戻る。1時30分からが一回目のドラァグ・クイーン・ショーの始まりだったのに、1時10分から始めないといけない。ドラァグ・クイーンの子たちは1時に集合することになっていたので、当たり前だがまだ誰も集まっていないので焦る。急遽電話でお願い。「早く来てくれ〜!」。40分間ショーをやった後、20分間トークをする予定を変更して、先にトークで客寄せとメッセージを発信してからショーをやる事となる。ここら辺はもう臨機応変。でも、ちょっと気が気じゃなかった。そういう部分でドタバタとしながらも、一回目のショーは成功。アンジェリカ・ミネルバ・しまえ・プリまん、ヴァレンティーナ、キャッシーの繰り出すショーに、会場は黒山の人だかりで物凄い事に。写真を撮っておけば良かった。その間にもエンジェルのスタッフは、アンケート調査の続きをやったりショーへの呼び込みをやったりの活躍。その間、自分は何をやっていたかと言うと、トーク・ショーに出演する予定だったのだが、ひたすら河合嬢と2人でクレームに対する謝り係。ショーをやるのに音響が大き過ぎた為にお店屋さんから「うるさい」と苦情が来てしまい、ペコペコ頭を下げて廻ったり駅長さんに怒られたり。もう、謝り役に徹していました。3時30分から始めた2回目のショーは音響に気を遣ったので怒られることは無かったけど、かなり神経質になってしまいました。嗚呼、気を遣いっ放し!。どうにも精神的にキツイ役目ばかり。でも2度にわたってのショーが大成功のうちに終ったので、それと引き換えならぐらいの気持ちでいたので結果オーライです。2回目のショーにはGOーGOーBOYのTOMO君とAKIRA君も参加してくれて、更に内容の素晴らしいモノに!。それにしても、あんなにドラァグ・ショーが評判良く終れたのは嬉しかった。反省しないといけない点は、音響についてもう少し考えておかなければいけない部分がある事と、トークの内容も、もう少し練ったアイディアを次回は持って来ないといけない点ぐらいだろうか。ショーが終ると同時にテントの撤収。テントを5時までにレンタル会社へ返却しないといけないので大忙し。スタッフがフル回転で撤収作業をしてトラックにまた積み込み、自分が中川区のレンタル会社まで即行で運転。途中、発狂したくなる程の大渋滞に巻き込まれながらも裏道に逃げたりして、ギリギリ何とかレンタル会社の閉店に間に合わせる。時間に余裕が無いのはホントに辛かった。テント返却後トラックを自分の会社へ返し、もう一度金山駅へ戻ったときには、イベントは全て終了していて機材もスタッフも跡形も無く、只の駅広場に戻っていました。この感覚って、どこかであったような・・。仕方が無いので1人で栄に移動。上手いことタイミング良く、中日ビルのところでスタッフ皆と合流。夕食を皆一緒に食べて、それから夜の8時から行われたキャンドル・パレードに参加。全てを終えて家に帰って来たのは11時近く。倒れるように寝る。それにしても、自分達エンジェルの役員は兎も角、沢山働いてくれたスタッフやGOーGOーBOY、ドラァグ・クイーンの皆にはとても感謝です。



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