6月の日記
6月30日(日) |
10時ごろ起床。起きたらアリーチェもジャンボ君も既に出掛けていて、横でピンコがごうごう寝ていた。ピンコの家を出て、鶴舞の古本屋街に行くが、まだ10時なのでどの店も開いていない。仕方が無いので、そのままJR鶴舞駅から電車に乗って自分の家に帰り、飯を喰ったり風呂に入ったり粗樫や梶の木を庭に植えたりする。途中から雨が降り出したので、粗樫の木の苗木はあと3本植え残してしまった。そんなことをやっていたら時間がたってしまい、慌ててまた電車に乗って名古屋へ。16時に大須観音にて駄駄のキミちゃんと待ち合わせ。大須観音にお参りしたり若宮八幡宮へ行ったり。若宮八幡宮では6月晦日の茅の輪くぐり「水無月の大祓」をやっていたので、自分も拝殿にて葦の祓串を頂き、茅の輪を3度くぐる。そのあと喫茶店に行き休憩。17時30分にはアリーチェに頼まれていたヤカンを金物屋へ買いに行き、そこでキミちゃんとは別れる。地下鉄に乗って丸の内へ移動。映画「G8」のクランク・インのレセプションに参加する。なかなか盛況。立食パーティで、ワインを飲んだりカナッペやサラダを食べたりする。DJ・GAKUカップルもいたので久しぶりに話をする。宴もたけなわになって、いきなり撮影開始!。自分は今日は雨が降っていて衣装を持って来なかったので、リハーサルをぶっつけ本番でやる。緊張はしなかったけど、リハーサルをやる話が急に決まったことだったので、演技のイメージが全然掴めなくて大変でした。それにしても、あれがまだリハーサルで良かった。もっと役になりきってガラスの仮面を被らねば、監督のOKは出ないであろう。うう。21時頃レセプション会場を出て家に帰る。 |
6月29日(土) |
急遽土曜日出勤。大量の見積書を作ってファックスで送る。来週も見積書を作らなければいけない。サッカー・ワールドカップこぼれ話。「そう言えばベンガルって、ドイツに帰っちゃったって(女性)週刊誌に載ってたね〜」・「アンタそれって、ベッカムの間違いなのでは・・・おまけにドイツじゃなくてイギリスよっ!」そんな素朴な間違いをしてしまったのは私だけではあるまい。ベンガルは日本人でしたな。夕方5時半には退社したんだけど、雨がすごかったなぁ。家に着く頃には小降りになったので、暗くなるまで庭いじりをする。いらない木を2本切り倒して、そのあとに粗樫の木を2本植える。残りの5本も大体の植える位置を決める。夕食にまたキュウリのキムチを食べてたんだけど、何か物足りなくなって調味料棚からニョクマム(ベトナムの醤油みたいなもの)を入れてみたら、コクは出たのだが少し生臭くなってしまった。でも美味しい。蚊帳を出してきて広げてみたりするが、肝心の蚊帳を吊る金具が見つからない。物置の何処に仕舞っておいたのであろうか。華原朋美の「I Believe」を久しぶりに聞く。23時くらいに電車に乗って名古屋へ出て、駄駄へ。大須大助と文竜と一緒に飲んでカラオケ三昧。渡辺はま子の「蘇州夜曲」や「サンフランシスコのチャイナタウン」を歌って、周りから「アンタ幾つよ?」と言われる。それでもって、ビールをグビグビっと。そのあと少しだけ橋本工務店に寄って、某サイトオーナーに影響されてカシス・オレンジを飲む。YASU−Eが急にGOーGOーの衣装を返して欲しいと言ってきたのだけれども、そういうことはこちらにも予定や都合もあることだし、もっと早めに言って欲しい。GO−GO−の衣装は橋本工務店の店長に預ける。夜中の1時くらいに、アリーチェと大木監督とジャンボ君とピンコと池田公園にて合流。4人でラーメンを食べに行く。監督はフラフラと街へ消えていったので、残った3人でピンコの家に泊まる。 |
6月28日(金) |
京都の園芸資材屋に注文していた梶の苗木が届く。今夜は映画の打ち合わせが予定されていたのだけれど、助監督が名古屋へ来れなくなったので中止。お昼に大須観音でやっている骨董市を見に行く。欲しくなるような茶器の良い出物とかは特に無かった。夕方に花屋のタカちゃんの店にて粗樫の苗木を7本買って来る。夜にドラァグクイーンのミネルバから電話があったりアリーチェから電話があったり。冷凍庫に入れっぱなしで忘れていた梅を取り出し、100円ショップで買ってきたカメに砂糖を入れて漬け込む。これで一週間後には梅エキスが充分出て、美味しい梅ジュースが飲めるであろう。渡辺典子の『晴れ、ときどきキルミー』とか、森田童子の『ぼくたちの失敗』を聞いたり。 |
6月27日(木) |
病院に行って、十二指腸潰瘍も全快した太鼓判を押して貰う。イエー!。さっそく仕事が終ってから大須大助と、大須に新しく出来た中華料理屋へ食べに行く。点心類が充実していて海老餃子もプリプリ♪。何喰ってもウメー!。最後に喰った桃饅頭もフックラしてて最高に美味かった。物凄く腕の良い料理人を雇っているに違いない。一度行っただけでフアンになってしまった。また行こう。そのあと大須大助の家に遊びに行って、CDを焼いてもらったり。22時くらいに駄駄へ行き、花屋のタカちゃんと園芸談議をしたり。 |
6月26日(水) |
仕事が終ってから銀行に寄り、地下鉄上前津駅へ向かう大須商店街の一郭に韓国料理の店を見つけたので覗いてみる。何やら家族全員でテレビを見ていた。店の陳列品を見るのに、その家族とテレビの間を横切らないといけないので、ちょっと変な感じ。っていうか、何も買わないで出ようにも、またその家族たちの前を横切らないといけないので、ちょっと嫌な感じ。キムチが並んでいる冷蔵庫の前で、何が美味しいのかチェック。今日の晩御飯のおかずにしよう。お母さんらしき人がテレビを見るのを止めて、接客してくれる。色々と試食させて貰って、自分が食べて一番美味しいと思い、尚且つお母さんもお奨めのキュウリのキムチを購入。んが、1パック千円。オモニ、高いよ。でも美味しさに負けて購入。この味だったら千円出してもいいか♪。量が多かったので、大須大助に電話して、「アンタさ〜、良かったら漬物半分コしない?。私、よう1人じゃ食べきれんもんで。家にあるタッパー、持っておいでん」と伝えようと思ったのだけど、繋がらなかったのでそのまま家に持って帰る。発想がオバサンか?。あと、輸入食料品の店にて、ドリアン・チップスというバナナ・チップスに似たような菓子も買う(380円)。これは思ってたより食べられないことは無かったが、食感が印象に残らないような面白味に欠ける味なので、気が向かない限り買うことはないであろう。上前津駅に辿り着く前に、空腹に耐え切れなくなってラーメン屋に入る。塩ラーメンは美味かったが、「豚まぶし」と言うチャーシューのこま切れとご飯を混ぜた物が、しょっぱ過ぎて半分以上残す。家まで我慢すれば良かった・・。 |
6月25日(火) |
もう、お金が100円を切ってしまった。まだNLGR検査会で立て替えたお金も戻って来ていないし、今月は本当に苦しかった。でも夕方に給料を貰って復活♪。飲みに出ない?と誘われたけれども、雨が降っていたので今夜は止める。家に帰ってから、映画の内容について色々と書き出したりする。終って時計を見てみれば、夜中の3時。 |
6月24日(月) |
某サワヤカ系2丁目ママのプライベート・ホームページの日記に影響されて、ほかほか弁当の「海苔タルタル弁当」をお昼に食べに行く。んが、会社の近くにホカ弁が無い為、ベントマンの海苔タル弁を買って来て公園で食べる。たまに食べると美味いね♪。午前中は映画スタッフのヤマヨに電話を掛けたりして、気分良く会社の仕事も進める(仕事中に私用の用事も済ませる自分)。しかし午後からは良くなかった。東京のとある人に確認をしたいことがあって電話をしたのだけれども、「へぇ〜、映でもやっとそういうことが分るようになったの。偉い偉い」と、まるで人を見下すかのような話し方をする人で、とても嫌な感じがした。おまけに理論的で言ってる事は的確で良いのだけれども、段々とヒステリックになるのか最後には肝心の聞きたかったことを聞き出す前に、電話を一方的に切られてしまうし。ずっとそれから嫌な気分が抜けなくて、午後から仕事していても家に帰ってからまでも嫌な気分だった。寝るまで嫌な気分だった。お昼までは楽しかったのに。一杯言いたい事があるけど、言うだけ無駄だろうから絶対に言わない。 |
6月23日(日) |
ごろんごろんして、夕方から園芸作業。彼岸花の球根が増え過ぎていたので、掘り返して分けたり。改良園のパンフレットの出来が良くて、色々と取り寄せてみたくなる。伝七人参(朝鮮人参の一種)の苗と紫色に咲く椿の苗を取り寄せることにする。笹百合の球根も載っていたが、これは花屋のタカちゃんに頼んであるので、取り寄せ購入はしない。粗樫を植えれるように準備もしたりする。椿に虫が付いて葉を食べていたので、明日殺虫剤を撒いておくように執事に言いつけておく。夕御飯に鮭の塩焼きにバターをかけて頂く。貰い物の桃があったので、それも食べる。梅ジュースを今日から作り始める。夜になってやすゆき君の家へ。資料の編集作業。途中で大助から電話が掛かり、先日飲みに行った店はヒップスであったことが判明。やっと欠けていた記憶が埋って安心する。アリーチェからも電話。映画の内容について。映画中で自分の分のテーマ・ミュージックをお願いしている「お琴の先生」にも電話をしたり。昼間はダラダラしていた割に、夜になってから何故か忙しかった。そしてサザエさん症候群。「♪月曜日が〜嫌いと〜♪」(レベッカ・『ムーン』)。 |
6月22日(土) |
信じられないような二日酔い。土曜日出勤。夕方、仕事を終えて大須の町をうろついていたら、大須の商店街を沖縄のエイサーの人たちが踊りながら太鼓を叩いて集団でいるのを見掛ける。三越で沖縄の物産品展をやっているので、それに絡んだパフォーマンスとのこと。なかなか良い男が一杯で、「沖縄って良い街かも」と単純に考えてしまう。でも前に沖縄に行った時に、ちっとも良いこと無かったんだよな〜。大須大助とたまたま出くわしたので、「ちょっとあの男、良くない?」・「ああ、あれは良いねぇ」などと品評する。不純。エイサーを踊ってる人たちは、そんな目で見られてるなんて思わなかっただろうな。でもやっぱり格好良かった。ちょっと2丁目祭りのシーンがフラッシュ・バックしそうになって、一瞬、「ここは仲通り?」なんて思えたけれど。家に帰って来たら「改良園」という園芸メーカーの通販用パンフレットが届いていたので、読む。 |
6月21日(金) |
仕事が終ってから、NLGR検査班の打ち上げ。久しぶりに検査班のメンバーが揃う。一次会は居酒屋。二次会はブラッシュ。そこまではまだ良かったのだが、生ビール飲み放題とブランデー飲み放題のお蔭でブラッシュを出てからの記憶が怪しい。99%に預けてあった物を取りに行ったことは憶えているが、その後ヒップスに行ったのか駄駄に行ったのか、それとも両方とも行ったのか両方とも行っていないのか記憶が無い。ノンケ・サウナに泊まる。 |
6月20日(木) |
花屋のタカちゃんのお店に行き、色々と庭の垣根の足元に植えると良さそうな苗を買ってくる。仕事を終えて家に帰って来て、夜の9時だというのに園芸熱に取り付かれて、小雨の降る合間を縫って庭いじりを始める。1時間ほどで植付け作業は完了。自分でも夜になって園芸をすることになるとは思わなかった。それから祐筆係をいつも頼んでいるやすゆき君の家に行き、ケーキを2人で喰いながら資料作成作業。23時30分には家に帰って来る。ここのところ少しオーバーワーク気味(いつものことだけど)で、昼間の外回り中にちょっと目が疲れたと思って目をつむったら、2時間も寝てしまったのにはビックリ。昼飯と3時の休憩の時間をつぶしてスケジュール調整をして、なんとか帳尻を合わせる。今週は土曜日も出勤しないといけない。あと2日頑張ろうピロリ菌退治の抗生物質なのだが、4種類の薬を指示通り飲んでた筈なのに、残りの分量を数えたらバランスが悪い。どこで分量を間違えたのだろう。 |
6月19日(水) |
サッカー・ワールドカップで日本が負けてしまったので、鬱陶しいくらい街中で見かけていた青色の日本チームのユニフォームを着ている人の姿も見ることが無くなった。良かった良かった。あれは今にして思うと、アレだな。日頃からサッカーの「サ」の字も知らないような人たちが盛り上がっていたのは、ただ単にお祭騒ぎをしたかっただけなんだな。中田がどうの稲本がこうの言う前に、名古屋グランパスエイトを応援するように。って、自分もグランパスの選手1人も知らないんだけど。そう言えば、中日ドラゴンズの選手も誰1人知らないや。今の監督って誰なんだろう。取り合えずワールドカップの馬鹿騒ぎが収まってやれやれと思っていたら、いたよ帰宅電車の中でまだ着てる人。唐突だけど、ホントに電車って密室だよね。金山駅から刈谷駅まで快速電車は停まらないんだけど、その中で青いユニフォームを着た人がブツブツ独り言をつぶやきながら、車両の中を行ったり来たり何往復もしてるよ。久しぶりに見る電波少年。窓ガラスに向かって、「そこ入っちゃ駄目」とか「年寄りなんだからぁ」などの謎の言葉をつぶやいている。OLとか女子大生とか、恐いものを見るようにして無視してるんだけど、ワザとぶつかっていったり。暫く観察してたんだけど、駅に着くまで異様に濃い20分間でした。あれでアライグマの帽子を被っていたら完璧だろうに。 |
6月18日(火) |
日本ツバキ協会から、機関紙『ジャパン・カメリア』の最新号が届く。庭木や草花を又あれこれ植え足したいのだが、花屋をやっているタカちゃんに助言をして貰ったり、取り寄せて貰わなければならない。ガーデニングは楽しい♪。国立名古屋病院へ行き、資料を受け取る。映画の件で監督から「出て来なさい」と電話を貰うが、連絡が来るのが遅く家に帰り着いた後だったので、今夜のお出かけは無し。ピロリ菌退治の為に抗生物質を飲んでいるのだが、心配していた副作用も出ないので嬉しい。ショーのフライヤーの件で連絡をしないといけなかったことを、寝る前になって思い出す。 |
6月17日(月) |
仕事が終ってから国立名古屋病院に行って、資料を受け取る段取りになっていたのだが、受け取れる筈の資料が準備されていなかった。仕方ないので後日また受け取りに行くことにして、アリーチェと大木監督と合流。また映画の内容について話をしたりする。途中からドラァグ・クイーンのピンコが合流して、話がすごい方向へ。本当に映像として撮影できるのだろうか。でも監督は天才だから、最後はきっと何とかなるだろう。楽観♪。電話でスカトロジーナと、ショーのことについて打ち合わせをしたりとかもする。ショーまではまだ一ヶ月はあるので、ちょっと余裕♪。家に帰り着いたら23時になっていた。 |
6月16日(日) |
ノンケサウナに昨日は泊まって、午前11時に起床。それから会社へ車を借りに行き、ホテルに泊まっている大木監督と東京小間使いを迎えに行く。ホテルの近くに車を停めて先ずは食事を済ませ、それから3人で車に乗り込んでロケ・ハンティングへ向かう。場所は2ヶ所ほど候補地を見て回る。監督が気に入れば使う事になるかもしれないが、まだ他にもロケで使えそうな場所を探しておかねばならないであろう。15時頃にアリーチェと「ぼせ」クンが名古屋駅で自分達と合流。自分はそれと入れ替わりに車を会社へ返して家に帰る。 |
6月15日(土) |
着物屋に行き、浴衣を受け取る。63000円の出費。でも仕立て上がりは、あれだけ反物を吟味したので良い出来栄え。見る目を持った人ならば、この価値が分かるであろう。ぐふふふ♪。夕方から映画・『G8』のスタッフ「東京小間使い」クンと「ゆういち」クンと18時前に待ち合わせをして、3人で松坂屋南館にある蓬来軒にて「ひつまぶし」を頂く。2人は初めて東京から名古屋へやって来たので、ひつまぶしは珍しくて美味しいと喜んでもらえた。それから「ハーブス」でケーキを食べながら食後のお茶をして、パルコでウインドー・ショッピング。21時になったので駄駄へ行き、かるく世間話など。自分はまだ酒が飲めないので、オレンジジュースを飲む。夜中の0時になったので中日ビルまで行き、「まり」さん・「アリーチェ」・「大木監督」・「野口」クン・「名古屋小間使い」等と合流し、計10名で瓦町の「すかいらーく」へ行き、やっと映画の打ち合わせが始まる。途中脱線しつつも、朝の4時まで掛かって話を煮詰める。 |
6月14日(金) |
金山駅で、サッカー・ワールドカップの日本チームのユニフォームを着た人たちを大量に見る。普段からサッカーを見てもいないような人達が、「サッカー最高!」みたいに熱く盛り上がる、こういうノリが理解できない。普段からこの人たちは名古屋グランパスエイトの試合とかにも足を運んでいるのだろうか。どうせユニフォームもワールドカップが終れば着やしないくせに、節操も無く盛り上がっているのはどういう心持ちなのだろう。普段からサッカー一筋に応援している人から見たら、こういう「にわかフアン」は腹立たしく思わないのだろうか。顔にペインティングで日の丸を書くな!。書くんだったら普段から書いておけ!。日本が試合に勝ったからと言って川に飛び込むな!。グランパスが勝ったら堀川に飛び込め!。 |
6月13日(木) |
8月の上旬に開催される、「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」の出展映画・『G8』(大木祐之監督作品)に出演することになった。まだ台本も貰っていないので、どういう役をやるのかは分からないけれど、クランク・インも6月下旬には始まるので取り合えず、女優として『ガラスの仮面』は毎日読んで勉強することにする(それが役に立つかどうかは分からんが)。今週末は、監督やスタッフの方々と打ち合わせの予定。うひゃー!。 |
6月12日(水) |
一昨日の日記にナンシー関のこと(と言うより、ソックリさんの話)を書いたのだが、今日のお昼過ぎに友達から携帯で、「あんた、ナンシー関、死んだんだってよ」と連絡が入る。うげげ〜。ナンシー関さんの訃報をお悔やみ申し上げます。まさか自分が日記のネタにしたのが原因ではないとこだけは分かるのだが(←当たり前)、時期的な偶然といいビックリしてしまった。それから午後の2時からは病院にて胃カメラ。ほぼ8割方、十二指腸潰瘍の治ったので、明日からピロリ菌除去の抗生物質を一週間飲み続けることとなる。それが済んでもう一度病院で検査をして貰えば、全快の太鼓判を押してもらう予定。禁酒もあと一週間ほどの辛抱だ。それにしても胃カメラ。前回は胃の痛みもあって、あまり苦痛を感じる余地も少なかったのだが、今回は本当に辛くて苦しかった。他人様に見せた事も無いような場所(←胃袋)に太い物を突っ込まれ、何枚も恥ずかしい写真(←胃の内部の様子)を撮られるわ、「力を抜かないと苦しいですよ〜」と耳元で囁かれ医療プレイかと思わせるものもあったが、そんなことも終って暫くしてからの感想で、犯られてる(胃カメラを飲んでいる)最中はそんな余裕も本当に無かった。もう胃カメラはこりごりだ。麻酔のせいで終ってからも気持ち悪く、会社に戻ってしばらく横になっていた。そういう訳で午後からはほとんど仕事をせずに終る。会社を夕方6時半に出て、大須大助と久しぶりに喫茶店でおしゃべりを楽しむ。話題はやはりナンシー関など。19時30分に美容院の予約をしていたので髪を切り、パルコの中にある紀伊国屋書店で『グイン・サーガ第85巻・蜃気楼の行方』を買って、それを読みながら家に帰る。 |
6月11日(火) |
NLGR・検査班の反省会を国立名古屋病院の会議室でやるので、会社を5時30分で早退して会場へ向かう。今回の参加は、当日参加した医師や看護婦さん検査技師さん等の医療スタッフと、受付けを担当してくれた名古屋市と愛知県の職員さん、検査前相談を担当したHIVと人権・情報センターさんのスタッフ、そして主催者として自分というメンバー。今回の反省点と次回の改良点について、8時半近くまで約3時間かけて発表し話し合いました。そのあと金山駅まで地下鉄で戻り、駅の近くのカレー屋で「はまぐりカレー」を食べる。この時点で9時。明日は潰瘍の検査の為に胃カメラを飲まないといけないので、これから明日の昼の2時まで一切の飲み物食べ物も口にする事が出来ません(水も駄目)。辛い・・。 |
6月10日(月) |
仕事帰りの電車を金山駅で待っていたら、駅のホームのベンチにナンシー関そっくりの女が携帯電話でしゃべっているのを見つける。駅の構内は禁煙なのに煙草を吸いながら、大声で携帯を掛けているのを見て、「<女>以前に、人間としてどうよ」という印象を受けました。品位に欠けるのは氏素性の問題だから仕方無いとして、大人としてマナーが守れないというのは見ていて恥ずかしいものだ。ああやって周りに気を遣う事が無くなると、内面からブスになるんだろうなぁと納得。ナンシー関はマナーを守れる人だと思うから、外見が似てるというだけで、ナンシー関を悪く言っている訳ではないです。そのうち電車が来たので乗ると、今度は大槻ケンヂそっくりな人を発見。この人は物静かに大人しく吊革に掴まっていました。2人も一時期にそっくりさんを見て、変な感じもしたけど得したような気になりました。 |
6月9日(日) |
お昼から名古屋へ。内海先生のところへ頼まれていた届け物をして、それから三越へ。8階の催物売り場でやっている「大江戸・職人物産品展」に行く。その場で作ってくれたものを頂けるコーナーがあって、そこで「たいめんけん」というところのオムライスを食べる。美味しかったのだが、隣りに座ったお爺さんが入れ歯のせいかクチャクチャと音を立てながら食べるので、ちょこっと減点。柳川鍋の材料とかフキの佃煮なども購入。桶とかを作るところを実演しながら販売しているコーナーも有ったりしたが、値段が高くて買えないので見るだけにする。その後、松坂屋に移動してブラブラする。とても涼しそうで気持ち良さそうな夏布団とかガラス製の食器を見たりする。夕方に蕎麦を頂いてから家に帰る。久しぶりにゆっくりできた2日間になりました。 |
6月8日(土) |
一日中ごろんごろんして過ごす。 |
6月7日(金) |
そう何日も禁酒できるかー!。そういう訳で、「発泡にごり酒」というのを2本買って来て家で飲んでます♪。これがまた飲み易くて美味しいのだ。アルコール度数も6〜9度と低目だし、酒粕のような味がして日本酒が苦手な人でもこれなら大丈夫なんじゃないかな。トロリとコクがあって、冷やして飲むとサイコー♪。でもやっぱり潰瘍が恐ろしいので、程々にしておきます。明日は休みだ!。 |
6月6日(木) |
夜の8時から国立名古屋病院の内海先生のところへ行き、NLGR検査会班の反省会をやる日にちと、検査会班の打ち上げをやる日にちを決める。こういうことは、すぐに決まる。自分はきっとグランド・ホステス役に又なるだろうから、それまでに十二指腸潰瘍が治ってますように。 |
6月5日(水) |
メーカーの営業の人と同行で、得意先を回る。一緒の車に乗っていても、歳が近いせいか話もし易くて助かった。半日掛けて営業車で7件ぐらい得意先を回って新しい商品などをセールスしてきたんだけど、どこも不景気であまり良い話にはなかなか繋げ難かった。最後の一軒に着いて車から降りる前に、「ここの会社は、前の工場が落雷のせいで全焼してしまったので、ここに移って来たんですよ」とか説明してあげると、「今どき落雷っていうのも珍しいですよね。天災って、何が起きるか分からないものですね」と素直に返してくれた。折角メーカーから来てくれたので話を盛り上げようと思い、「そう、まるで濁流に家を流された西川峰子のようなものです」と自分が言ったら、「誰それ?」とでも言わんばかりの怪訝な顔をされてしまった。このメーカーの人とはやっぱり、相性が合わないかもしれない。 |
6月4日(火) |
来週の胃カメラ検査の予約の為に病院に行く。ついでにピロリ菌の有無についても検査を受ける。結果としては陽性。何か、名前が「ピロリ」というだけで情けないんだけど、一週間ほど抗生物質を飲み続けていれば除菌できるらしい。 |
6月3日(月) |
午後から仕事の合間を縫って、愛知県庁と名古屋市役所に、NLGRのイベントもHIV抗体検査会も無事に終った報告とお礼を言上しに行く。報告書も改めて提出しなくてはいけないし、残務整理で今月一杯は掛かりそう。県庁では借りていた展示物を返却したり、市役所では少しの時間歓談したり。 |
6月2日(日) |
NLGR2日目。10時にフロントからの電話で起きる。やはり栄の近くにホテルをとっておいたのは正解であった。今日は検査班は11時に医師会館に全員集合。昨日やり残した告知用の模様替えの続きをしたりミーティングをしたりしているうちに時間は早くも過ぎてしまい、ギリギリ12時ジャストには告知の受付を開く。そこからまた自分とプラスの男性スタッフは池田公園へ移動。昨日と同じように検査班テントの展示物を取り付け、お弁当を食べ、医師会館と定期的に連絡を取り合って会場の込み具合等の情報を整理し、イベント班の総合案内所からアナウンスして貰ったり、ホワイトボードに書き込んだりする。先日、採血の前相談を担当してくれたHIVと人権・情報センターの五島さん(代表理事)を始めとするスタッフが、テントの展示状況を見に来てくれたので話をしたりする。2時過ぎに、イベントの応援団長の「オカマのケンちゃんとスーパーホモンキーズ」のメンバーとを、医師会館裏口から検査班本部まで案内。応援団長から医療スタッフへ、激励の挨拶と応答等がある。和やかな雰囲気。医師会館の裏出口まで応援団一行を案内して、そこから自分はダッシュで池田公園へ。今年は走り回らなくても済むかと思ったけど、やっぱり走ってるよ。2時30分から「ゲイの為の勉強会」の打ち合わせ。二日目のゲストは伏見憲明(『クイア・ジャパン』編集長)と野口氏(哲学・思想家)の2名。昨日から会っているので、自分が池田公園まで戻って来た時にはあらかた打ち合わせも終っていました。この講演の内容は、「ここ10年、バブル期以降のゲイ・コミニュティ内での歴史と変遷。パレードに至るまでにゲイ自身とゲイ・コミュティが思想的にどう変化してきたか等」。勉強会は3時からのスタート。今回も手話通訳者の女性が2名付いてくれたのだけど、「おネエ」とか「アナルセックス」とかの、ゲイならでわの専門用語が連発されるので、とても大変そうでした(笑)。講演は昨日と劣らず大勢の聴講者が詰め掛けて頂けたので、大盛況でした。17時30分に検査班テントの撤収作業。自分はまた会社の車庫までタクシーに乗って移動し、トラックに乗って池田公園へ。そこから手の空いているイベント班スタッフにも手伝って貰って、トラックへテント等の機材を積み、国立名古屋病院まで運搬。プラスのスタッフがトラックに同乗してくれたので、病院での荷物を降ろしたりの作業は助かりました(この時点で19時ちょっと前)。んで、一回医師会館前でプラスのスタッフを降ろして、またまた自分は会社へ。トラックを車庫へ仕舞い、タクシーで医師会館まで戻って、最後のお客さんが医師会館を出られたのを確認して、医師会館からの完全撤収作業。20時には完全撤退終了。今年もイベント会場でのフィーナーレには出れなかったよ。撤収前に6階の検査班本部にて「閉会」。主催者として閉会の挨拶を話しているうちに気持ちがぐぐっと来て、ちょっと泣きそうになってしまった。今回の抗体検査会が無事終われたのも、いろんな団体や個人の方の温かい協力と理解があったからで、感謝の気持ちで一杯になりました。もちろん、イベント準備で何日も前から額に汗をかいて働いてくれたボランティア・スタッフや関係各位の協力と力添えが有ったからこそ、イベントも検査会も、両方成功できたのだと思います。皆さま、有難うございました。本当に感謝しております。 |
6月1日(土) |
朝7時に起きる。JRが休日ダイヤなので気をつけて家を早目に出て、8時40分には会社の車庫へ。そこから昨夜テント等を積んだトラックに乗って栄に移動。、栄にある有料駐車場に一旦トラックを預けて9時には愛知県医師会館に入る。6階の研修室に検査班全員が集合し、最後のミーティングとシュミレーション。全員持ち場に着く前に、NLGR・HIV抗体検査会の「開会」をする。緊張して上手くしゃべれなかったなぁ。10時に受付が開始されるので、自分と「プラス」の男性スタッフ(←ノン気)4人は、1人を待合室のビデオ操作係に置いて(検査に来られたお客さんが待っている間にゲイ・パレードのビデオが見られるようにしていた)、池田公園へ移動。自分はトラックを移動させて、同じく池田公園へ。受付開始から夜の8時まで、ゲイ・スタッフは医師会館への出入りは厳禁となる(プライバシー保護の為。従って自分も入れない)。池田公園にて「検査班ブース」の立ち上げ。昨夜国立名古屋病院から借りてきたテントを、公園の北側・勉強会テントの隣りに位置する場所に建てる。ところが、プラスのスタッフも自分もテントを建てる手順に手間取り、結局イベント班のスタッフの手を借りる事となる。NLGRイベント班は、これより前・朝の6時から公園を掃除したりテントを建てたりしているので手順が早い。四苦八苦しながら、何とかテントを建てることが出来ました。やすゆき君に作ってもらった幕(全長25メートル)でテントの三方を囲い、HIVと人権・情報センターの厚意でお借りした「キルト」やポスター、愛知県庁から借りてきたパネル等をそのテント内に展示する。昨日慌ててホームセンターに買いに行った針金やペンチ・ロープなどがここで役に立つ。名古屋市役所から頂いた啓発用パンフレット等も陳列し、途中空になったトラックを会社の車庫へ戻し、タクシーで池田公園まで戻ったりもしたけど大体1時間ぐらいで内装も完了。これから、テントの外に建てたホワイトボードに検査会場の混み具合や待ち時間などの情報を、自分(池田公園)と内海先生(医師会館)が携帯電話で常時連絡を取り合い、その都度書き込んだりイベント会場内にイベント班の総合受付を通してアナウンスすることになる。12時。イベントの開会式。検査班のテント内から見学する。ブラスバンドが入ると華やかになっていいなぁ。とても見ていて格好良かった。プラスのスタッフは1時間ずつぐらいでビデオ操作係を交代。2回目の入れ替わりのときに、医師会館から自分の分のお弁当とお茶も運んで貰いました。テントの裏に作った休憩所内でそれを食べる。午後からはホワイトボードの管理と、テントの展示物を見に来てくれたお客さんに展示物の解説をすること等をする。検査会は去年の反省点を大きく改善したので、順調に採血も進んでいる連絡が入る。良かった良かった。午後2時から隣りの勉強会テントにて、「ゲイの為の勉強会」の打ち合わせ。ゲストの池上さん(「ぷれいす東京」代表)・宮田さん(産経新聞局次長)と手話通訳者(ボランティアの女性)2名と、司会のやすゆき君と自分とで内容を再確認。3時より勉強会はスタートする。この講演の内容は、大きく言って、「日本国内でHIVという病気にどれだけの人が関わって闘ってきたか。そのボランティアの歴史について」という内容。池上さん宮田さんの大物ベテランによる対談は、面白くて1時間30分という時間もあっと言う間で、大勢の人が聴講に集まってくれました。終って池上さんをホテルに案内したり。それからまた検査班テントの管理。夕方6時に一旦テントを閉める。三方に張っていた幕を四方に張り巡らせて、展示物もそれぞれ安全に管理できる場所へ移動。そのあと、明日抗体検査の告知が終ったあとにアンケートを書いてくれたお客さんに配る「お土産セット」の袋詰め作業。この時点で検査を受けられた人が300人近かったので、プラスの男性スタッフが、一生懸命300セット袋詰めしてくれました。その中身はコンドームとかジェルとか。袋詰めが終った後、19時になったので検査会も受付終了。プラスのスタッフは医師会館内に引き上げ、自分も20時少し前に最後のお客さんが医師会館から出られた報告を受けてから医師会館内に戻り、明日の「告知」用に医師会館内の模様替え作業に取り掛かる。看護婦さんは医療器具を運び出したり、撤去する物は医師や男性スタッフが裏口まで運び出したり。ギリギリの退館時間まで全員で作業。20時30分には検査班スタッフ全員が医師会館から撤収完了。明日の集合時間を確認して医師会館組は解散となる。しかしまだ、国立病院に運ばれた検体をそれぞれの検査法で検査する国立病院組は、夜を徹しての作業となるであろう。ここまでが、自分が検査班実行委員長として担当した検査班の流れ。大きなアクシデントも事故も無く。本当に良かった。今回はイベント班の内容は全然頭の中に入っていなくて、却って客観的に池田公園各所で行われたイベントを見れたような気がする。アッ子がイベント班の実行委員長として働いていたんだけど、その姿を見て、「大きく成長したなぁ」と感心することしきり。このイベントが終ったら、労をねぎらってやらなきゃいけない。それぞれ担当した持ち場は違っていても、お互いに苦労したことは並々ならぬ事であったと思うし、これ自信とステップにして、更に大きくなって貰いたい。身内を誉める訳ではないが、それぐらい今回のアッ子は立派であった。空いている時間は公園内をふらふらしていたので、知人や知り合いと久しぶりに会うこともしきり。ゲイ・ミュージシャンでは、今回イベントには自分は関わっていないにも関わらず、屋良朝友とSuzukirizinの2人が自分の所にもわざわざ挨拶に来てくれました。あとジーメン・モデルでは昭彦クン益荒男クンと泰之クンの3人が来ていました。昭彦はミュージシャンとして今回はエントリー。あととにかく色んな大勢の人と久しぶりに会いました。特筆しなくてはいけない事と言えば、大阪(今は東京)に住んでいたハルキ君が、やっぱり可愛らしかったことであろう♪。8時過ぎに一旦ホテルにチェック・インして(絶対に疲れて家に帰り着けないと予想して、近くに予約しておいた)、医師会館で貰った晩御飯用のお弁当を食べて休憩。去年の大晦日に『NHK紅白歌合戦』を見て以来だから、本当に半年振りにテレビを見る。ホテルのベッドで、ぐて〜っとなりながら見た番組は、『世界不思議発見』。何か黒柳徹子も坂東英二も野々村真も、全然キャラクターも芸風も変わっていないや。足が死ぬ程痛い。疲れ過ぎてて逆に眠れなくなったので、またシャワーを浴びてから池田公園へ歩いて行く。公園でピンク・ベア氏や伏見憲明氏や野口君やアリーチェと話をしたり。気が付いたら夜中の12時。1時からゼニスで、アッパーキャンプのショーと星野晃代のライブがあるので、これだけは絶対見てからじゃないと寝れないと思い、時間潰しに駄駄へ。まだ十二指腸潰瘍のせいでアルコールはドクター・ストップが掛かっているので、オレンジ・ジュースしか飲めない。とほほほ。駄駄の店内は、お客さんが大入りで物凄く混んでいました。んで、アッパーキャンプのショーはやっぱり面白かった。星野晃代のライブは今回一番の楽しみにしていたのだけど、期待を裏切らず最高だった♪。晃代さんのCDは次回買おう。満足して機嫌よくホテルに戻り眠る。すぐに熟睡。 |