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「赤福」と警察官僚

 赤福で思い出したけれども、

 http://www.jcda.or.jp/center/shuppan/dou161/d161_04-05.pdf

平成8年警察庁入庁のキャリアである平居秀一氏の係累は、赤福の重役だと聞いた記憶がある。
 たぶん、この人のことなんだろう。

 http://www.mtc.pref.kyoto.jp/ce_press/no935/local.htm
 http://www.jcda.or.jp/center/shuppan/dou161/d161_04-05.pdf

 そう思って見ると、顔の造りも良く似ている。
 たしか一浪して東大法学部に入り、94年に司法試験に合格してから、警察庁に入庁している。
 経歴だけ聞くと近寄り難い感じがするけども、常識破りの豪快な人で、平気で公道を逆走したりもする。車の運転が好きで一日に数百キロの運転をものともしない。「カーナビに頼る奴はアホや」などと言い、なぜか車には全国の電話帳と地図が積み込まれている。日本中の道路地図が頭に入っているのだという。
 富士の樹海に出かけては自殺者の死体を発見したり、幼女連続誘拐殺害事件の宮崎勤の実家(事件現場の離れ)に忍び込んで探検したり、有名事件の現場を「視察」するのが趣味なのである(全部入庁前からの活動)。
 かなりの公安マニアで、千葉県警に研修で配属されたときには、管内の警備対象者をすべて記憶。たまたま交通警備の任についていたときに、日本共産党の県議がシートベルトを締めずに運転しているのを現認。呼び止めて、指紋を採取したことで署長賞を貰ったという。驚くべきことに、自然にナンバーを記憶しているだけではなく、無数に走る車の中からその番号を察知している。異能の人なのである。
 任務でもないのに、JR宿舎に出かけて行って革マルの活動家を監視したりする。そういう活動が大好きなのだ。
 オウム事件後、筆者も一緒に、深夜、富士山に出向いて、廃墟となったサティアンや、日本共産党の志位和夫委員長の自宅を見学に行ったことがある。
 平居氏は調査に妥協を許さないので、たぶん部下は平居氏並のハードワークを課されて、たいへんな思いをしているだろう。
 ただ、組織はそういう趣味的な活動を嫌うから、平居氏は公安畑を歩かないのだろうと筆者は勝手に想像していた。実際、最初に配属されたのは鳥取県警の交通規制課だった。
 しかし、人事情報を見るとその後は警備・公安の要職を歴任しているようである。なぜか、2006年4月1日に、千葉県警公安3課長から警察庁長官官房人事課付になっている。
 「警察を辞めたら悪徳弁護士になるんや」などとも言い、少なくとも当時は、出世競争などに興味はなさそうだった。たしかに、組織の規格からは外れている。注目の人物である。 


■県警人事(5日付) /千葉県
2006.04.01 朝日新聞東京地方版
 県警人事(5日付)【警視】公安3課長(警察庁運転免許課付)岩田康弘▽警察庁長官官房人事課付(県警公安3課長)平居秀一


■[人事]県警(9日) /鳥取
1999.08.03 毎日新聞地方版 
 ◆県警人事(9日)
 警備1課長(警察庁交通規制課付)平居秀一▽警察庁官房人事課付(警備1課長)熊坂隆・


■人事 徳島県警捜査二課長に平居警視が内定
2001.03.17 徳島新聞
警察庁は十六日、二十三日付人事異動で、徳島県警刑事部鑑識課長の金高弘典警視(38)の警察庁長官官房総務課付への転出と、鳥取県警警備部警備第一課長の平居秀一警視(30)の徳島県警捜査二課長就任、中部管区警察局情報通信部情報通信運用課課長補佐の高柳幸由技官(50)の徳島県警警務部情報管理課長への異動をそれぞれ内定した。
平居氏は一九九六年、東京大学法学部卒。同年四月、警察庁に入り、長官官房人事課、交通局交通規制課などを経て、九九年八月から現職。三重県伊勢市出身。
(略)

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