走・山・友・学・日記(かしまえくすぷれす)

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help リーダーに追加 RSS ◇練馬から哲学堂公園へ歩く◇◇

<<   作成日時 : 2007/05/02 12:12   >>

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★連休の一日、またまた初夏の陽射し誘われて外へ出た。
歩いたのは、西武池袋線『練馬駅』から3,4の神社仏閣を訪ね、哲学堂公園、そして西武新宿線『新井薬師駅」までの2時間30分のウオーキング。
気温が25度以上となり暑かった。
◇歩いた日:4月29日(日)
◇歩行コース:
 西武池袋線『練馬駅』南口・・・東神社(豊玉北5)・・・大鳥神社(豊玉北5)・・
 ・・・(新井薬師道)(環七通)・・氷川神社(豊玉南2)・・・正覚院(豊玉南2)・
 ・・・(新青梅街道)・・お経塚(江古田2)・・・氷川神社(中野・江古田3)・・・
 東福寺(江古田3)・・・・(新青梅街道)・・・蓮華寺(江古田1)・・哲学堂公
 園(松が丘1)・・・西武新宿線『新井薬師駅』
◇歩行時間:2時間30分
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            (哲学堂公園・手前・六賢壹、奥・四聖堂)

★練馬駅南口へ降り、千川通りを横切って、飲み屋街を行くと、直ぐ緑に囲まれた東神社がある。
ここには「天明神水」という水が滾々と湧き出でいる。その水を飲むとご利益があるというので、水をいただいている人が次々にくる。私も飲んでみた。
一人のご婦人が、何が唱えながら祈り、水をいただいていたので、聞いてみた。
その天明神水の台座には東西南北と方角が刻まれていて、その人の生年によって、その方角が決まるので、その決まった方角から水をいただくというもの。
また、ここには縁結びの神があって、そのご婦人の娘さんは、縁がなかったがここにお参りするようになって結婚できた、など20分ほどお話を聞かされた。
境内に「ありがたや ありがたづくめの 神のくに 拝むよりほかなかりけり」(竜也仙人)の石碑がある。
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           (東神社の天明神水、ご婦人が祈祷)
★東神社の隣りに大鳥神社がある。
正保二年(1645)ここに鶴が三羽飛来したことに始まり、和泉国一宮の大鳥神社からの分神を勧請したという。11月の酉の日には開運熊手と提灯や万灯で賑わう。境内には石の薬師如来があり、万病、とくに眼病にご利益があるという。
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                (石の薬師如来)
★目白通りを横断して静かな新井薬師道に入る。
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                (新井薬師道)
この道は、江戸時代に旧江古田橋付近から南東へ向い、新井薬師への参詣道となっていた。旧暦の四月、新井薬師での釈尊降誕の祭礼の折は、この付近は麦畑であったが、近隣の村々から人々が行列を作り、大変賑わったといわれている。
昼時、途中の店に人が並んでいた。「そばや」らしいが、大分人気の店なのだろう。看板には和風汁そば「しゃんず」とあった。食べてみたかったが、先を急いだ。環七通りに出て、しばらく行くと豊玉南の「氷川神社」がある。
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                (豊玉南の氷川神社)
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                (氷川神社の神楽殿)
★この氷川神社は、旧中新井村の鎮守。祭神は素盞鳴命。境内には末社に北野、須賀、稲荷、三峯の各社がある。社伝では、主神は北野神社が最も古く、次いで須賀神社、その後、大宮一宮の分霊を勧請して、氷川神社の主神としたと言われている。神楽殿は、もと須賀神社の拝殿だったもので、文化8年(1811)に建てられ、釘を一切使わない組み込み式の建築技法を用いている。
★すぐ隣りに正覚院がある。
真言宗豊山派の寺院で、豊島88ヶ所の7番目の札所。境内には美しい多宝塔がある。
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                   (正覚院)
★正午を過ぎ暑くなった。上着を脱いでシャツ姿になった。徳殿公園のベンチで一休みし、軽食をとった。新青梅街道を歩き、歴史民族資料館の脇道を入っていくと「お経塚」があった。大正時代までは、人の背だけほどの塚だったという。
言い伝えによると、東福寺が火災で焼けた折、経文や過去帳などの灰を埋めて塚を造ったといわれている。それでお経塚というのか・・・。
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                 (お経塚)

★お経塚から歩いていくと正面に江古田の『氷川神社』がある。
旧江古田村の鎮守で創建は寛正元年(1460)という。
その隣りに東福寺がある。享保13年(1728)春、八代将軍吉宗公が、お鷹狩の折の御膳所となり、休息と食事をとったところで、境内には「徳川将軍御膳所跡」の石碑が建っている。境内には、大イチョウがあり、樹齢300年といいわれ、その側に石仏六地蔵が並んでいる。
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                (東福寺)
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              (東福寺境内、奥に御善所跡石碑が見える)
★山門を出て、江古田川を渡り、右折して住宅街を抜けると、再び新青梅街道へ出る。左に歩くと高台に蓮華寺があるが、その右手に哲学堂公園がある。
野球場では少年野球の練習をしていたので、暫くネット裏で観戦。
息子が小学生のときに、自分もコーチとして、休み時によく出かけ、ノックなどをして少年とともに練習に参加したことを懐かしく思い出した。
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              (少年野球の練習を懐しく観戦)
★哲学堂公園は、明治39年に東洋大学創立者、井上圓了によって精神修養の場として開設された。
哲学や社会教育の場として整備された全国でも例をみない個性的な公園だ。
昭和50年に中野区立公園となってからも整備や修復を重ね、区内でも有数の公園として親しまれている。
主な園内施設は、四聖堂(釈迦、孔子、カント、ソクラテスを祀る)、
六賢壹(聖徳太子、菅原道真、荘子、朱子、龍樹、釈毘羅山を祀る)、三學亭、宇宙館、哲理門、絶対城、髑髏庵、常識門、硯塚、鬼神窟、霊明閣んど七十七が散在している。
またつつじや菖蒲などの花も楽しめる。つつじは咲き始めであったが、菖蒲はこれからといったところだ。
連休とあって、親子連れなどが多かった。
★公園を出たところに妙正寺川が流れている。
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                 (公園の南を流れる妙正寺川)
四村橋を渡って、10分ほど歩いて、西武新宿線『新井薬師駅」に出た。練馬から哲学堂までの史跡巡りを兼ねた2時間30分のウォーキングは、こうして終わった。


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