「もう衆院のカーボンコピーとは呼ばせない」―。江田五月さんが岡山県三人目の参院議長としてさっそうと登場したのが八月。父三郎さん(元社会党書記長)が、くしくも自分の誕生日(五月二十二日)に急死、後継を固辞したものの運命的なものを感じ、裁判官から政界に転じて三十年目だった。閣僚も経験したが、参院議長就任は久々の表舞台となった。
温厚でクリーン、政界の知性派として知られる江田さんだが、若いころは父親譲りの熱き心を持っていた。岡山朝日高時代、生徒会役員の江田さんらが、当時禁止されていた運動会後のファイアーストームの復活を計画。「やったら退学処分じゃ」と学校側。「それでもやる」と激しく対立したが、何とか矛をおさめた。東大時代にも教養学部自治会委員長として全学ストの先頭に立ち、退学処分(のち復学)になったほどの熱血漢だった。
十年前から、ある会合で江田さんと時々お会いする。打ち上げの席で、ミーハーな話を向けてみた。「江田さん、昔週刊誌のトップ記事で『江田五月、吉永小百合と…』というのがあったでしょう?」「ああ、あれね。弟(早大出身)のことじゃあないかなあ」。どうやら兄弟を取り違えた誤報が真相のようだが「僕もねー、そりゃあ吉永小百合に言い寄られたらねー」と気軽に応じてくれた。
衆参両院の、これほど極端な「ねじれ」は過去に例がない。江田さんの座右の銘は「もともと地上に道はない。みんなが歩けば道になる」。未知の世界に進む今、ぴったりの役回りであろう。
(読者室・佐藤豊行)