2007-12-28
■煤払いサプライズと東京物語
昨日と一昨日は晴れた天気、このチャンスを逃すまいと年末の掃除にいそしむ。
長男、次男、三男が2階と1階の北側廊下の窓ガラス&サッシ&桟を計14枚の裏表を磨いてくれた。
さらに長男と次男はリビングのガラス障子4枚も拭いてくれた。とにかくあちこち桟だらけでお手間入りなだけに、お手伝い、ありがとう〜♪(日本家屋って、年末の大掃除を通して、共同体の絆がより強まるように装置されていると私はつくづく思うのだ。障子の張り替えとか襖の張り替えとか....家の造りそのものが家族の絆強化システムなのだ。でなけりゃ、とてもじゃないけど主婦一人で大掃除なんて土台無理な話だ。)
私はシステム・キッチンの各引き出しから全部ものを出して庫内を磨き(ホウ酸ダンゴが効いているのかゴキブリの形跡ゼロ^^)、寝室の窓ガラス4枚、そして来春中学生になる次男の部屋にするために2階の真ん中の部屋(すでに半物置き場化していた!?)を片づける。ついでに寝室のカラーボックス内の本や雑誌も処分。今から12年前の週十冊の「週間金曜日」。整頓中、つい読んでしまう。ある日雇い労働者の投稿内容は「規制緩和やリストラばかりして、日本は大丈夫なのか?」とまさに今の日本の状態を預言していた。彼が危惧したことは12年後の今、すべて当たっている。それにしても溜めた資料や本の上にはホコリが積もるものだ....。パタパタはたき
次男、三男の絵本も大処分。ちょっと惜しい気がするが思い切って、本人達にいるものいらないものに分けてもらう。
保育士をしている伯母からいただいた絵本は、なぜかロシアものが多い。
ロシア絵本って独特なのだが、なんだかどこかで懐かしい日本人の感覚に繋がっている気がする。
地味でシンプルな絵(はよいや絵が可愛くない)なんだけど独特の叙情性がある。そして内容は意味深(高い文学性っつうやつ!?)。
「3匹のやぎとがらがらどん」って、あれは面白いな〜
ぐりとぐら....中川えりこさんと大村ゆりこさんのものも、捨てられない。
真ん中の部屋を片づけるのが、結構、骨がおれた。
多くは「すでに必要なし」とバシバシ捨てるのだが、捨てることを前提に物質(モノや情報)と経済を巡らせることで豊かさ?を保つ資本主義・先進国の民にとって掃除とは、とにかく「捨てる」ことかなのか?と我ながら情けなくなった。
整理ダンスの引き出しの中のものを「あれもいらんこれもいらん」と気前よく捨てていると、中から文房具券500円分とかテレホンカード2500円分とか出て来る。(テレカって、そういや携帯の普及で今は売れていないのだろな。ってかそのうち使えなくなるかも!?)
もっとも驚いたのは長男名義で作っておいた「定期預金の証書 ○○万円分」が出てきたことだ。3年定期で、すでに10年前に満期を迎えており(なんで銀行から連絡が全く来ないのだろう?)なんかボーナスが棚からぼた餅気分。私は定期を作った覚えがなく帰宅した夫に見せても「こんなの作ってたっけ?」と完全に忘れていたのである。夫婦揃って忘れていて、しかも証書がずっとテキトーな場所に放っておかれたことに、息子にあきれられた。
私は私でバシバシばんばん、ゴミ袋に放りこんでいたので、そのはずみで捨てなくてよかったとホンマにムネをなでおろすのである。(いやもしかしたら、ゴミ袋をあさるともしかしたら、あともう一回くらいこういうサプライズが出て来るかもしれない。(^^;)
夫と証書を見ながら「あの頃は利率がこんなによかったのか....」と驚いた。
うちは子どものお年玉はそれぞれの名義で通帳を作って預金しているので、ちゃんと普通預金に入れなおしてもらうように夫に頼む。あんな証書、紙切れ一枚では心もとない、燃やしてしまたったらもともこもない。
そういえば、その昔、私が此処に嫁ぐ前のこと、義父は年末の大掃除で裏の畑でゴミと一緒に間違って(現金支給だった)ボーナス袋も燃やしてしまったという驚愕の伝説がある。私はここに嫁いでから年の瀬を迎える度に、当時まだ元気だった大姑にそのエピソードを毎年聞かされた。義父はこの家に入り婿しているので、さぞかし肩身の狭いお正月を迎えたことだろうなぁと当時に思いを馳せたものだ。(その上、今だに姑が若嫁にまで当時の失敗談を語り継ぐのだから義父にとったらたまったものでなかったろう)
義父とは逆パターンで思いがけずふいにお金が入って来た(錯覚にすぎないが^^)年末掃除だった。(って、まだ全部終ってませんが....)
それにしてもわたしは、この頃ふと義父のあの件は、燃やしたなんてのは実は詭弁で、もしかしたら婚家に頭の上がらない義父の精一杯の抵抗(もしくはヘソクリ)だったのでは?といぢわるな私は「家父長制の生け贄?になった男」の心情を勝手に想像してみたのだった。
おそらく婿養子である義父のボーナスの使い道に、義父の自己決定権は与えられてなかったと想像できるからだ。(いやあくまでも私の想像にすぎないが....でもきっとかなり事実に近いと思う)おそるべし「家父長制」なのだ。そう、なにも家父長制とは、嫁にとってだけ不利なものではない。「家」に「入り」してきた者にとっては、男であろうが女であろうが、数々の予測しなかった不条理が待ち受けているものなのだ。
家を新しく建てる時もお金を出すのは義父で、でも家の設計・決定権は大姑&大舅にあったのだろうと想像できる。(事実、夫からそんなことを彷彿させられる当時のエピソードを聞かされたことがある)そしてその家に私たちが「継ぐもの」として今は住まわせていただいている。(我が家は息子が後を継ぐようにと先に建てられていた。もちろんこの村での春の大祭や法事神事などの慣例に見合ったパブリックな場としてふさわしく設計されたイエが、息子の嫁が決まる前にすでに建てられていたのだ。)
そして、例えば私が嫁いでから何ヶ月かした後、「庭の松の木が病気になったので...」ということで、その時に庭師に支払う「○○万円」を大姑&姑(←実の仲良し親子)から私たち若夫婦に請求されたことがある。庭の松の木の手入れに「○○万円」かけることや、その請求が自分たちに来ることにも驚いたものだ。よく、家のローンもなく、大きな家に住まわせてもらっているとよその人に言われることがあるが、そういう一般の核家族家庭のローンの苦労とはまた別種の、ある種の同様の立場の人にしか分らない想像できないような苦労が『家を継ぐもの』には常々あるのだ。
それは例えば墓の守や檀家としてのお寺とのつきあいとか(田舎では檀家が費用を分担してお寺の改修改築や自宅の建設費用までめんどうをみる。また、集落によっては寺の跡継ぎが仏大に行くお金もすべて檀家がお世話するそうだ。お寺のために各家が○○○万ほど分担することなど当たり前に行われている。同じく田舎で結婚した友人が「田舎暮らしって、お金持ちじゃないとやっていけないって分った」と面白いことを言ったのを覚えている。これは別に有閑なお金持ちなのでもなんでもなく、ただ、始末して真面目にコツコツ働いて、自分の家が共同体の一部である自覚が高く、いざというときに必要なお金を常々から溜めておくという真面目な生活が出来る人にしか暮らせない場所だということだ、少なくとも旧集落とはそういうものだ。)このように街に住む核家族や独身者には想像の及ばないさまざまな「枷」があるものなのだ。
「イエを存続させるって大変なことだな」と嫁いだ瞬間から、しみじみ味わってきた....。
で、年末に3日かけてコマ切れで一服時間に小津安二郎のDVD「東京物語」を観た(忙しいからね^^)。
しんきくさいといえばしんきくさい物語の流れだが、家族とか親子というものの本質をよ〜くあぶり出しているなぁ〜と思った。
あの老夫婦の長女、東京で美容室をやっている「おねえさん」の態度と言動、ありゃやないだろうと時々あきれもするが、多くの別の所帯を持った「子ども」(あるいは巣立って別の暮らしをする子ども)とは、老親に対してあんなもんなんだろうなぁとも思う。あの「おねえさん」は超リアリズムだ。そしてあれこそが、あの程度が、健康な家族の体(てい)というものなのだ。たぶん。家族とか親子とかそういう幻想を見事に打ち破っている。あの人こそが現実だろう。
概して亡き次男の嫁は「よい存在」として浮きあがってくる。それもポジション上そうなりやすいのだ。これを嫁のパーソナルな問題だけとはき違えて観てはいけない。「次男の嫁」とは一般的にいって、夫の両親と一番べったりしなくていい存在であり(そういう期待をはなからかけられていないだけで、すでにお得なのだ)、故に、なにかちょっとしただけでも大変稀なこととして有り難がられるお得なポジションなのだ。勿論、小津監督はそれに気づいてか気づかずか、次男の嫁を「よい嫁」として描いていますが...。そして東京物語に登場する次男の嫁は実際にいいヨメですが....でも、やっぱり物語の中でも、そういう力学も働いているのです。そこまで読み取るべきだと私は思うのであります。^^
ということで、ここに理想の老夫婦や理想の未亡人が描き出されるのだが、長兄も長姉も末の弟も妹も決して誰も悪くない。
私には長兄の気持ちも、長兄の嫁の気持ちも、長兄の子ども達の気持ちも、長姉、長姉の婿の気持ちも、みなよく分る。
誰も悪くない。
みな自分が生きている現場を守るのに必死なだけだ。
原節子はお得な役どころなのだ。
私の友人は三男の嫁だが、長男の嫁も次男の嫁も大姑と折りが悪く、結局、友人夫婦(三男夫婦)が大姑を自宅に預かり介護し看取った。その時に親戚中から「三男の嫁なのによくやってくれた」とお葬式の時に褒められたそうだ。彼女達夫婦は勿論、自宅での介護でさんざん苦労したのだが、それでも「自分が三男の嫁=本来、大姑を看なくてもいい立場、と周りが旧来の固定観念で思いこんでいるからこそ、非常に感謝されたのだと思う。」と友人は私に語った。
「これが長男のお嫁さんであるお義姉さんだったら、こうはいかなかったと思う。同じように介護しても、周囲からそんなに感謝されなかったと思う。看て当たり前、という態度を親戚中がとったと思う。ただでさえ仲の悪い間柄で、だからこそお義姉さんは介護をすることを躊躇したし、介護してもしなくても、結局、相当に葛藤があったと思う。」と友人は語った。
だから友人はお葬式の後で、お義姉さんに直に謝ったそうだ。
「私は三男の嫁なのに、さしでがましいことをしてごめんなさい。」と
本来なら(!?)長男の嫁がして当たり前(と思われた世代だろう、今の50代はまだ...)のところを自分が介護の苦労を買ってでた上に、何もしなかったお義姉さんにお葬式で謝ったという友人...。
ここまでよく出来た人間がいるのだなぁと私は心から友人に頭が下がった。
自分がその家で生まれて何番目の男と結婚していようが、まず義理の親族の介護など大変なのだ。(肉親だってそうだが、仲の悪い姑関係などもっとも苦しいパターンだろう。子育ても介護と同様に大変だと語られやすいが、笑顔と柔肌で親を癒してくれる、抱っこもおんぶもしやすい可愛い我が子のオムツ替えと、嫁に増々憎まれ口を叩く食べるだけが楽しみの体重の重たい醜い姑の下の世話と、どちらが大変か簡単に分ることだし、比べること自体無理がある)
その上、介護をした上で、介護をしていない人に向って「私のせいで、あなたに肩身の狭い思いをさせてごめんなさい」と三男の嫁が長男の嫁に謝れるだろうか。そこまで他者に気遣いできる人を私は知らない。
私は芯から友人に敬意を払い誇りに思った。(私自身できないと思う....)
しかし、私も三男の嫁立場だったら、どうだっただろうか....。
聡明な友もまた、自分が東京物語の「原節子」的ポジションに自分がいただけのこと、と悟っていたのだろうと思う。
(だけどその上で義理の親に「本当に情のある態度」をとれるかどうかはパーソナルな問題だろう)
年末年始、まだまだ世の中の大多数の人が、好むと好まざると親元、配偶者の家族、親戚,縁者と関わる季節だ。
私にとってちょっと苦手な季節だし、綺麗ごとでなく多くの既婚者の「本音」はそんなもんだろう。
「結婚」とは、山奥の禅寺や洞窟に籠ったり、滝に打たれなくてもできる、最も身近にある普遍的で汎用性のある大変な人間修業の場なのだ。なぜなら人類の存続は、結局はまともに家族する人にかかっているからだ。家族しない者は、究極の自己利益追求のあと、別共同体(仲よしクラブ=心の狭い善人の寄り集まりによる排他的組織ともいう)を築くか、あるいはそこに入信する(カリスマのおこぼれにすりよる自己のネズミ男化)か、あるいは自己利益のみ追求の結果、やがて独りでのたれてゆくかもしれない。あるいは、人の為に働くということが分らない(したくない)という人は、後者タイプになるかもしれない。