私は断然「ブログ派」で「アンチmixi派」です。
何故なら「書くこと」と「読むこと」の自由が無くなると思っているからです。
「アンチmixi派」の理由
■「自分の日記に書ける内容が制限される」
■「他の日記の閲覧、コメントへの強迫観念」
「星野かえるのひとりごと HOSHINO Kaeru's monolog」より引用
「mixi疲れ」という言葉を耳にしてから、
「mixi」と「ブログ」、はたまた「ネット」そのものや
「ユーザの性格」に及んで、色々と想うところがありました。
今日はこれらについて、固めにお話ししたいと思います。
さて。みなさんは「mixi派」「ブログ派」どちらでしょうか。
私は「ブログ派」ですが、mixiが好きな方を批判する気は全くありません。
キャラミル研究所で、毎回「タイプ8」「クール」を叩き出す私は、
「カモメはカモメ、人は人、私は私」主義ですから。
mixiが自分に合う人もいれば、合わない人もいる。
どちらが良くて悪いわけでもない、と私は思っておりますので。
「600万人のmixiユーザーの中には、そういう意見を持つ人も居るのだなあ」
という程度に聞いて頂ければ幸いです。
では次に、私のmixiとブログの現状についてお話します。
私は、mixiにも席を持っています。
このブログをmixiに繋いでいる訳ではなく、mixi上の日記を立てています。
大して運営しないまま、現在は更新していません。
何度か友人からmixiへの誘いを受けましたが、お断りしています。
また以前、仕事の関係で他のSNSに入っていたこともあります。
そこではブログには書かないような、地域ネタなどを書いておりました。
こちらは現在、脱会しております。
続いて、ブログに関して。
私のブログは、現在ココだけです。
一時期、他のブログも同時に持っていましたが、こちらに統合しました。
このブログを始めてから、もうすぐ2年になります。
それ以前は、ホームページを持っていました。そこで、
ブログ形式ではない(コメント・TB機能を持たない)、
ネット日記を3年ほど続けていました。
このブログの前衛となった日記です。
このネット日記とブログは、私の中では正反対の存在です。
両者では、大きく「目的」、「ルール」が違います。
ネット日記は「読者様に楽しんで貰える文章であること」
ブログは「自分の書きたいことを正直に書くこと」
と、目指すものが真逆だからです。
つまり、ネット日記では、
読者様が心を痛めたり、不快になるような文章は極力避けるのが前提で。
読んでいて楽しいもの、面白いものを載せることが目標です。
日記を「公開」する以上は、「見せるもの」なのだから、
相手に伝わり易く、また相手を嫌な気持ちにさせてはならないという、
断固とした考えを持っていました。
しかし、このルールを守ることは、次第に難しくなってきました。
例えば、友人と会ったことを日記に書きたいとします。
友人が日記を見ているとなると、書けないことが出てきます。
その時の、正直な気持ちを切り取って、記録しておきたいのに。
それが叶わないことが、何度かありました。
「書きたいように書けない」それは私にとって非常に苦痛です。
どうしても、という時はルールを破って、書いた時もありました。
そこで、ホームページ閉鎖をきっかけに、ブログへ移転。
新しい舞台では、正直に書くことを目標としました。
「正直」に拘ったのは、当時の日常、環境では、
なかなか「正直」に振舞えなかったからかもしれません。
また、包み隠さず心情を吐露しているブログに多数出会ったことにも起因します。
内容が辛辣だったり、書き手が泣きながら書いているのが見えるようなブログ。
今まで毛嫌いしていた、非常に辛く、痛い言葉。
その言葉に、助けられることが多々ありました。
当ブログが対象とする読者様は、原則、「オフラインの私と面識が無い方」です。
オフラインでお知り合いの方、私の傍に近い人にほど、ココを教えようとは思いません。
原則と言ったのは、例外の方が居るからです。
私が把握しているだけで、3名の読者様がオフの私も知っています。
その3名様は、普段なかなかお会いすることが出来ない、
「オン」というよりは「オフ寄り」の方なので、特別にお教えしました。
私にとってブログとは、「好きなように書ける場所」として、
守っていきたい秘密基地なのであります。
基地に集う読者様に対しては、「去るもの追わず」の体勢です。
「ココは、決して面白可笑しいところではありません」
「大切な読者様を傷付けるかもしれません」
「こんなブログでも良いのなら、是非にごゆるりと」と思っています。
そんな考えを持つ私から見て、
mixiという場所は、自分のニーズに適したものではありません。
私は、自分を知らない人に見せることが前提で、
mixiは、自分を知っている人に見せることが前提ですからね。
よって、冒頭に申し上げた「アンチmixi派」の理由。
〓「自分の日記に書ける内容が制限されること」が生まれてしまうわけです。
これは当て嵌まらない方も多いかもしれません。
普段から表裏の無い方には、理解に苦しむでしょう。
次の理由では、頷いて頂ける方は多くなるのではないでしょうか。
〓「他の日記の閲覧、コメントへの強迫観念」です。
「うちに足あとを付けてくれたのだから、こちらも行かねばならない」
「コメントを頂いたら、すぐにコメントを返さなくてはならない」
真面目で義理堅い日本人は、ごく普通にこう思ってしまうものです。
それが、日常生活でも顔を合わせる人なら尚更。
「どうして、昨日は来てくれなかったの?」などと言われるかもしれません。
学校、職場から帰宅後もずうっと同じ人と一緒に居る、ということです。
このような事態で、束縛感を覚えない、という方には問題ありません。
毎日決まった人とメール・電話が出来る人にはむしろ好都合でしょう。
しかし、自由至上主義、束縛嫌悪主義の私には、到底できぬことなのです。
「mixiにかかる時間を他のことに使いたい」と思ってしまうからです。
「ああ、オレも」と言って下さった方、ありがとうございます。
以上、「アンチmixi派」の2つの理由をご説明しました。
ここから浮き彫りになることが、「ネット」という世界に対するイメージです。
私はネットを「匿名世界」だと思っているわけです。
何処の誰か解らない人とお話する場所だと。
でもこの考え方は、最早「古い」のかなと思いました。
学校の友達同士で、HPを一緒に運営するのが普通になってきたのですから。
とっくにネットは「匿名世界」を超え、
「日常生活の延長」として存在しているんですよね。
自分の考えが古いんだ、と気付いた時、
「ケータイを毛嫌いする大人達」と同じではないかと思いました。
「ケータイなんて」と言う大人達は、
街中に溢れるケータイを持つ若者達が、信じられません。
しかし、現代の若者達はケータイを持つことが当たり前の世界に生きています。
良いか悪いか好きか嫌いかの次元ではなく、必ず持っていなくてはいけないのです。
大人達の中に「ケータイなんて」と思う人が居るのも、当然のことです。
彼らが生きてきた世界には、ケータイが存在しなかったのですから。
そして現在も、ケータイを持たずに生きていくことが許される環境にあるのですから。
だから、ケータイを持っている人も、ケータイを持っていない人も、
お互いに不思議でしょうけど、お互いを責めないで欲しいですよね。
…とまあ、ちょっと横道に反れてしまいましたが。
「ネットは匿名世界であって欲しい」と願う人が、
「アンチmixi派」の可能性が高い、ということでした。
最後に「ユーザの性格」について論じてみたいと思います。
先程も少し申し上げましたが、
「自由至上主義」の方に「アンチmixi派」が多いと考えられます。
つまり、mixiやブログに対して、
「コメント、TB、アクセス数は少なくても良いから、
書きたいことを自由に書きたい」と思っている人。
ネット上では「マイペース」でありたい人ですよね。
よって、導き出される結論はこちら。
「ネットは匿名世界であって欲しい」と願う人が「アンチmixi派」である。
「ネット上ではマイペースでありたい」と願う人が「アンチmixi派」である。
以上証明終わり。と致します。
長文に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
「星野かえるのひとりごと HOSHINO Kaeru's monolog」より引用