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2007/12/27(木) アンパンマンの哀しみ その、キャリングケースはいつも 店の入り口付近の隅に、かわいくポツンと置かれていた。 私は商品整理をしながら、いつもそれを見つけるたびに なんだか暖かな気持ちになってた。 「今日もどこかのお年寄りが、この店に来てくれているのだなぁ」と。 荷物を入れたり、イスにもなったりするそれは よく、お年寄りが散歩で使うようなものだ。 かなり年季がはいってるみたいだ。 ベージュが少し汚れている。 少しほつれた箇所もある。 たぶん、店で買った食品を持ち運ぶ為のものなのだろう。 もう1ヶ月くらいになるのだろうか? そのキャリングケースを見かけるようになったのは。 ほぼ毎日のように、朝の10時くらいからある。 そして昼過ぎにはなくなっている。 たぶん開店と同時に店に来ては、のんびり買い物を楽しんで そして昼過ぎに帰ってゆくのだろう。 孫からもらったものなのだろうか? アンパンマンのアクセサリーが、そのケースの端に飾られている。 私はその人に、少し会いたい気持ちになっていた。 でも、いつも、そのカバンは見るのに、その本人に出会ったことがない。 それもそのはずだ。 そのカバンを持ち主は、店内では持ち歩いていないのだから (店専用の買い物カートを使っているのだろう。) たとえ、私の横を通りすぎても、私は気づくことが出来ないのだ。 自分で買い物に来るということは、一人暮らしなのだろうか? あのカバンのデザインからして、きっと、おばあさんなのだろうと 私は勝手に想像をしつつ、店でお年寄りのお客様とすれ違うたびに 「この人かなぁ」なんて思ったりもした。 たぶん、私は田舎の祖母を、どこか思い出していたのだろう。 もう、この世にはいないけど、お盆になると家族で会いに帰ってた あの私の幼い日々は、今も大切な想い出になってる。 優しかったおばあちゃん。 戦争時代を生きてきたせいか、いつもごはんを大盛りにして 小さな私にこう言ってた。 「たーんと食べんさい」(たくさん食べなさい)って 生まれた町の方言で。 今日、その持ち主に、店で偶然会うことができた。 あのキャリングケースを右手に握りながら その人は二人の警備員に連れられていた。 私はしばらく言葉を失っていた。 私の想像したとおり、その人はおばあさんだったけれど とても小柄で背中がまあるくて、顔は哀しげにうつむいていた。 その人は万引きの常習犯だったのだ。 私が毎日のように、見かけていたあのキャリングケースは 盗んだ品物を入れるための道具に使われていたらしい。 何か優しいもののように、勝手に想像していた私は まるで愚かなピエロのようで、でも、哀しくて笑えもしなかった。 何が彼女をあのように、させてしまったのだろう。 最初はきっと、きっと間違いなく、優しいおばあさんだったはず・・・ なのに、どこで道がそれて、どこで間違えてしまったのだろう。 どうしてその間違いを、誰も教えなかったのだろう。 そんなふうに、私はひとり、途方に暮れた。 大きな警備員の男に囲まれ、おばあさんの小さなその背中は 今にも消え入りそうなほど・・・。 きっと、キャリングケースの隅で揺れてる あのアンパンマンだけは 本当の彼女を知っているはず。 彼女にあった優しさと、間違う前の正しさを アンパンマンの送り主の いつかの暖かな笑顔のように。 2007/12/28 0:31:27 2007/12/25(火) ブラックサンタ わが家では「ブラックサンタ」がいることになっている。 ブラックサンタとは、悪い子の家に忍び込み 財布の中からお金を抜き取り、空になったその財布(または貯金箱)を 枕元において逃げてゆくというもの。 これはあまりにも子供たち(小学5年の息子と中学2年の娘)が 高額なプレゼントを要求するので、私が勝手に作ったもの。 (よく考えたら、単なる泥棒ですね。ブラックサンタは。) もちろん、家族で笑えるような明るい冗談なのだけど。 それで、今朝、中学2年の娘が「お父さん!クリスマスプレゼントが 枕元にないじゃん!」と、いかにも”私はサンタさんをまだ信じてます” みたいな乙女の目をして言うので 「違うよ!お父さんはね、昨夜はブラックサンタと格闘して 君の財布を守ったんだ!感謝しなさい!」って私が言うと それがウケたのか笑いながら「感謝します!お父様!」だって。 ”よし!これでプレゼントの件はうやむやに・・・”って 悪代官みたいにへへって思ってたら 結局のところ、娘の好きな高い本を買わされた。 ・・・軽くなった私の財布。 本当のブラックサンタは娘だったようだ。 2007/12/25 23:20:18 2007/12/16(日) 心の汚染 自分に期限をつけないと、ダメだなぁって思う。 ちょうど宇宙戦艦ヤマトに夢中になってた子供の頃のように 人類滅亡まで、あと265日とか・・・あんな感じで。 あれはよかったなぁ。 手に汗握ると言うか、「ヤマト、早く急がなきゃ!」って テレビの前で熱くなってたなぁ。 あんな気持ちが、今、とても欲しい。 自分に期限をつけてみるか。 ”今の自分はなんちゃら汚染が心の奥まで進んでいて この自分でいられる時間は、あと1年しかない”とか そんなSF的ストーリーを、自分に作ってみようかなぁ。 (間違っても、命の期限なんかじゃなくて。) そうすれば、がんばれるのかな? 急がなきゃって熱くなる あの頃の私がいれば。 そうすれば、誰かがくれるのかな? あの頃の私に戻す 心の汚染を除去する装置を。 2007/12/17 0:30:16 2007/12/15(土) 心の副作用 まずいなぁ。 今の私には、とても苦手な人がいる。 私の日常において、その人と会わないわけにもいかず どうしようか?と悩んだ挙句の果てに私の出した答えは 「出来るだけ、その人と会わないでいよう。 出来るだけ、その人と会話をしないようにしよう」 無視するような態度ではなく、ごく自然に避けようと。 そんなふうに過ごしていたら、案の定、私はその人からの 攻撃・・・と言うか、言葉の棘に、傷つくことが少なくなった。 よかった。この調子で行こう。 そう思って続けていたら、ある日、私は気がついた。 あれ?喋ることがとても面倒になっている。 今は明るく喋ればいいのに、私は黙ったままでいる。 あれ?どうしてなんだろう・・・。 よくよく考えてみると、この頃、極端に私は喋らなくなってる。 (もともと口数の少ない私がだ。下手をすると一日何も喋ってないかもしれない。) 私があまり会話をしないのは、苦手なその人に対してだったのに いつしか誰にも、同じような態度になってしまってる。 なんでだろう? ひとり、ぼんやりと考えてみた。 たぶん、人の心は川の流れのようなものなのだろう。 流れてしまうと、急に方向は変えられない。 心は緩やかな曲線でないと、変わることは出来ないのだろう。 ”よし、ココは笑顔でいよう。” そう心に言い聞かせても、そう心は思っただけで その顔は無表情になってる。 やはり心は変われないでいる。 苦手な人を避けること。 いい手段だったはずなのに、思いのほかその副作用は 私の心を蝕んでる。 まずいなぁ。 どうしたらいいんだろう。 2007/12/16 0:13:29 2007/12/09(日) KY否定論 どうして人は笑うのだろう。 それが本当の笑顔なのかそれが嘘の笑顔なのか またまた違う意味の笑顔なのか誰にもたぶんわからない。 その人自身も、ちょっとわからないくらいの不確かさ。 その意味は誰にもわからないのに どうして人は笑うのだろう。 そんなことを想うからか、この頃、私は あまり笑うことをしなくなった。 誰かと話していて、こんなときは作り笑いでいいのかな?とか ココは笑わないほうがいいのかな?とか そんなふうに考えている自分がとても不思議に思う。 まじめな話?それとも冗談? それすらもなんだかはっきりしなくて 想像で笑ったら、なぜかそっぽ向かれたり 逆に笑わずにいたら、どこか不機嫌にさせてしまったり。 あれ?笑うって、こんなに難しかったっけ?と 小さな不安がいくつも生まれる。 演技で笑うことが多すぎるからか この頃、笑うと虚しくなる。 いわゆる、「空気を読め」ってこと? そもそも「空気を読む」ってどういうこと? もちろんわかっているけれど、 そんなふうに気を使ってたら、全部嘘になってしまう。 自分をどこかに追いやってしまう。 なんてそれは哀しいこと。 全部嘘がホントになってく。 だから私は、決めたんだ。 無理に空気を読まないと。 だって、空気に書いてあることって、私が勝手に 書いたもので、誰かが書いたものじゃない。 自分で書いて、自分で読んで そうして自分で気を使って 結果、わかったような振りして。 何がわかったのだろう? 時々、どうでもいいことが どうでもよくない時がある。 私は空気を読みたくない。 読むのはちゃんと心であるように。 私はその心を知りたいだけ。 私はこの心を知って欲しいだけ。 ただ、それだけ。 2007/12/10 0:15:31 2007/11/30(金) ゆーくんの勇気 先日のこと、小学5年の息子、ゆーくんが 「持久走カード」を学校から持って帰るのを忘れていた。 「持久走カード」というのは、持久走の体育の授業を受ける にあたって、子供の体調を親が見て「走らせてもよい」という 許可のサインをし、先生に見せるもの。 それがないと体育の授業が受けられない。 (なんとも面倒な。ま、いろいろとあるんだろうな。) ゆーくんの忘れ癖は、これにはじまったことではない。 教科書なんかも、当たり前のように忘れてしまう。 そんな今までのゆーくんの悪行に、とうとううちの奥さんが 「学校に取りに行きなさい!」とゆーくんを本気で叱る。 しぶしぶゆーくんは、玄関でスニーカーのつま先をトントンと叩きながら 学校に行くことを決める。ショックを受けたのか、その両肩が下がっている。 すでに夕方6時を過ぎており、外はもう真っ暗で、少し心配になった私は ゆーくんと一緒に行くことにした。 自宅から学校までは歩いて10分程度の距離だ。 流れるヘッドライトの中を二人は歩いてゆく。 学校の校門に着いた私は、奥さんからもらった立ち入り許可証を 首からぶら下げる。(これをしてなかったら、不審人物に間違われてしまう。) なんて不思議な感覚なんだろう。 夜の学校なんて、なんだかとても懐かしい。 ところどころ点いているどこかの教室のオレンジ色の明かりが 寂しそうで温かそうで・・・。小学生の頃じゃないけど 遅くまでがんばったクラブ活動や文化祭の準備や・・・ そんないろんなことを思い出す。 おっと、想い出に浸ってる場合じゃなかった。 持久走カードを取りに来たのだ。 ゆーくんが教室に近い玄関の入り口で、とても困った顔をしている。 「どうしたの?ゆーくん?」 「うん、どうしよう。鍵がかかってる。 まだ、この時間だったら、開いてると思ったんだけど」 鍵がかかってるとなると、先生を呼ぶしかない。 仕方ないので、職員室へ行くことにした。 職員室では、煌々と明かりが灯っていた。 まずいことに、職員会議か何かをしているみたいだ。 先生たちが真剣な顔して話し合っている。 とても声をかけられそうな雰囲気ではなかった。 「ゆーくん、無理みたいだからあきらめようか?」 私はそう言った。たかが持久走カードだ。 明日、担任の先生に正直に話せば、何も問題はないだろう。 そもそも、うちの奥さんが怒ったのも、カードのことより、そのゆーくんの 責任感の無さからくるものだ。本人も十分反省しているだろうし。 だけど、そのときのゆーくんは違った。 「ううん、僕はあきらめない。先生に鍵を開けてもらう!」 驚いた。なんとも頼もしい顔をしている。 こんなゆーくんの顔ははじめてみた。 「じゃ、ひとりでやってみな」 私はそう言うと、離れた場所からゆーくんを見守ることにした。 ゆーくんが職員室のドアを開ける。 「失礼します!」そんな声が、玄関の窓越しに聞こえてくる。 「おう、どうしたんだ?青木?」そんな先生の声も聞こえてくる。 やがて、ゆーくんと担任の先生が、職員室から出てきて 教室へ向う姿が見えた。どうやらうまくいったみたいだ。 しばらくすると、ゆーくんが、駆け足で学校の玄関を出てきた。 私の前で立ち止まると、はぁはぁ、と息を調整している。 「どうだった?」と私がたずねる。 「うん、これ」とゆーくんは持久走カードを差し出す。 「やったね!」 「うん、やったよ!!でね、先生がね、”わざわざ取りに来なくても 連絡ノートに書いてくればよかったのになぁ”って言ってた。 でもね、”偉いな。”って誉めてくれたよ」 そんなふうに話すゆーくんのその目が輝いている。 なんだ・・・連絡ノートに書けばよかったのか。 でも、そんなことよりも私はずっと考えていた。 日頃、仕事で言いたいことも言えないような そんな私に比べたら、今のゆーくんのほうがずっと 勇気があるのかもしれないと。 なんてことだ。 もう、息子に追い越されそうだ。 そう思うと”やれやれ、もっと、しっかりしなくっちゃな”と 私は軽く両手で自分の頬をたたいた。 なんだか息子に負けたような気がして、思わずその帰り道 家まで走って競争した。さすがに私が負けるわけがない。 負けるわけがないけれども、本当はちょっと負けそうになって 私が本気で走ってたなんてこと、息子にはとても言えなかった。 まぁ、そんなことはいいや。 帰ると奥さんも、笑顔で迎えてくれた。 ゆーくんの誇らしげな笑顔が、なんだかとても気持ちよかった。 この日は私たち家族にとって、小さくも大切な想い出になった。 さて、これには、実は少し続きがある。 その翌朝のこと。 ゆーくんが「いってきまーす」と学校へ行って しばらくして、うちの奥さんは見つけてしまう。 ゆーくんの机の上に残された 学校へ持っていくはずの、あの持久走カード。 「ま、また忘れてるぅー!」 奥さんの、その大きな叫び声に 庭先の雀たちが慌てていた。 2007/12/01 0:27:36 2007/11/22(土) K君へ これはもう、随分と昔の話になる。 大学に入学した頃、こんな口下手で人嫌いな私に 友達なんか、出来るわけないと思っていた。 だから今まで友達なんて”別にいいや”と思っていたけど こんな遠く離れた見知らぬ土地ではさすがの 私も心細くて仕方なかった。 入学して間もなく私は、同じ学科のK君に声をかけた。 K君は、まるでジャイアンのいいところ、悪いところ、すべて取り除いたような感じで 太っちょで、友達はおらず、口数も極端に少なくて、常に一人を好むような そんなおとなしい性格だった。 きっと私と同じなんだろうとそれまでの観察から 私はそう結論付けていた。 午前中の講義が終わって、ざわつく教室の中、彼の隣に座ってた私は いくつかの会話を交わした後「よかったら、うちのアパートで 昼食でも食べないか?」とそう彼に声をかけた。 意外だったのか彼は少し驚いていた。でも、やがて子供みたいに うん、と声も出さないままで小さくうなずいていた。その笑顔が私も意外で それほど彼に”友達”を、期待もしないほど誰でもよかったのに(なんて失礼な) なんだかとてもうれしかった。 私とは対照的に、彼は常に体のどこかに汗をかくほど太っていたので 私の住んでいる下宿先が、少しはなれた小高い丘の上にあることを 私は急に思い出し”悪いことしたなぁ”ととても後悔をした。 それでも彼は笑顔のまま、ハンカチを額に当てながらも 長い坂道をついて来てくれた。嘘をついたわけでもないのに なんだか申し訳ないような気持ちで、私は彼のことを見ていた。 記憶と言うものは不思議なもので、そのとき彼と私の部屋で どんな会話をしたのか、昼ごはんはどこで何を買ったのかを 私はまったく覚えていない。ただ、そのとき、テレビは「笑っていいとも!」を やっていたということだけを覚えている。 もしかしたら、二人はただ、テレビを見ていただけで 何一つ会話をしなかったのかもと、そんな怪しい気もしないでもない。 確かに無口な二人だったから、実際、そうだったのかも・・・。 季節は春を少し過ぎたくらいだろう。 日差しがやけに柔らかくて、とりあえず、友達を作った私は それだけで何か、この先うまくゆくような・・・ そんな気がしていた。 でも、その先は結局、何も続くことは無かった。 そのわずか数日後、突然、彼が大学に来なくなってしまったのだ。 私は彼がどこに住んでいるのかも知らず、もちろん携帯電話なんて 当時は無くて、誰かに何かを聞こうにも彼の友達は私しかいなかった。 理由がまったくわからない。 まるで迷子のような気持ちで、私はとても切なくなった。 虚しいほどに彼を気にする人はいなくて、でも時もむごいもので やがて私も気にすることもなく、新しく出来た友達と日々を坦々と過ごしていた。 それから1年が過ぎた頃、私は2年に無事進級できたけど 専門の授業が増えるにつれ、やがてその授業についていけなくなっていた。 もともとは第3希望でやっと受かった大学は、学部も第3志望と言う 結局のところ、望んで入った大学ではなかった。 でも、あの頃、なぜか私は浪人などする気はさらさらなく 今ならよくわかるのだけど、ただ、流されるままに生きていただけに過ぎない。 はっきりとした夢もなく、目標も無く、なんとなく何とかなるくらいにしか思ってこなかった。 そのしっぺ返しを私は、たぶん痛いほど受けていたのだ。 それから私は、それまでの友達とうまくいかなくなり 人間関係にも悩む日々が続き、とうとう大学へ行かなくなった。 半年くらい私は登校拒否を続け、下宿部屋で、もうこれ以上の 悲しみは無いだろうと思えるほどに死んだように引きこもった あげくの果てに、大学を辞める決意をした。 私が中退の手続きをするために、久しぶりに大学へ行ったとき 奇跡は向こうからやってきた。 そこで私は彼と偶然、出会ったのだった。 学生達の人ごみに紛れて、見え隠れしていたけれど あんな太っちょの体格は彼しかいない。彼もやがて私に気づき 私と彼だけがそこに立ち止まって、二人はしばらく時を止めていた。 これが元恋人同士の再会なら、絵になるのだろうけど 一方は、太っちょのさえない男で、もう一方の私は 中退の手続きを終えた後で、もうこの先の人生は まるで闇しか見えないような、そんなどうしようもない私だった。 ずっと忘れていたくせに、私は彼に聞きたくて仕方なかった。 ねぇ、どうしたの?なんであれから学校へ来なかったの? 君も何か嫌になってたの?逃げたくて仕方なかったの? でも、また、来れるようになったの?ねぇ、やり直せるようになったの? じゃ、また、一緒に昼飯食べようか・・・。 彼に歩みかけたけど、私は一歩も進めなかった。 私はもう、ココを辞めるんだ。 いや、もう辞めたんだ・・・。 そう思うと、涙がこぼれそうになった。 彼はそんな私のことを知っていたのか 私に近づくこともなく、何も言葉にすることもなく ただ、小さく微笑んで、小さく手を振ってくれた。 それは「やぁ」という軽い気持ちだったのか それとも「久しぶり」という挨拶だったのか それとも「さようなら」だったのかは、私にはわからない。 でも私も小さく振った。 それは「やぁ」でもなく「久しぶり」でもなく ただ、最後に「ありがとう」という、そんな感謝の気持ちで。 そして、「忘れてごめん」という、そんな少し切ない気持ちで。 私に似た性格だから、たぶん彼も、いろんな長い苦悩を経て これからまた、ココで新しくはじめるんだろう。 それに比べ、私は長い苦悩の果てに、これからココを去ってゆく。 それはなんて皮肉なことか。 いや、彼は少しも私に似てはいないんだ。 きっと彼は、これからも、もっと強い心を作り、そして その先を歩いてゆくんだろう。 もしも私が、彼のような強い決意が出来たなら またそこに違う未来があって、彼と本当の友達に なれたのかもしれない。 後悔しないと決めたはずなのに、そんな思いが私に巡って そんな彼がうらやましくて、私は自分の小ささに すぐにでも逃げたい気持ちだった。 私はココに何をしに来たのだろう・・・。 そんな気持ちばかりが残った。 やがて会話をすることも無く、私は大学を去ったけど でも、偶然彼に逢えたおかげで、その小さな挨拶のおかげで 最後にいい想い出ができた。 思えば「笑っていいとも」を、ただ二人で見ただけの友達なのに あのときだけが、カケラみたいに輝いている。 ありがとう。K君。 君のおかげでココに来たこと、 すべて無駄にならずにすんだ。 たぶん君は私のことは、とうの昔に忘れているだろう。 だから感謝を込めて僕は、ココに君のことを記す。 いつかまた、君と逢う、そんな小さな奇跡を祈って。 ありがとう。 あの頃の唯一友達だった君へ。 2007/11/22 22:56:44 まるで、詩のように。(blog) (短い言葉の想いのようなものです。よろしかったら、こちらもどうぞ。)
2007/11/13(火) 公園に咲いた秋の花 近くの公園に、こんな秋が咲いてました。 ひとつひとつは枯葉でも、こんな大きな花になるんですね。 なんだかため息がこぼれます。がんばっているものの姿に。 ただそれだけのことなのに、まるで昨日までの嫌な自分が さらさらと消えてゆくような気がします。 秋はもうすぐ終わりを迎えるのでしょう。 公園ではお年寄りたちが、ゲートボールをして楽しんでいました。 ベンチでおしゃべりしているお年寄り達は、ぼんやりとひとり眺めている こんな変な私のことを、まるで母親のような理解で、暖かな目で見守ってくれる。 それが少し恥ずかしい。 時が雲の流れのように、ゆっくりと歩んでいる。 ケータイを取り出して、私はゆっくりとシャッターを切る。 枯葉がひらひらと私に降る。 それは別れを惜しむみたいに そっと私に語りかける。 ひとつひとつ ひとつひとつ。 「こんにちは。さようなら」と。 2007/11/13 20:02:50 2007/11/10(土) 授業参観とバザーと 今日は息子(小学5年)ゆーくんの授業参観があった。 土曜日は決まって私は仕事なのだけど、今日は偶然にも休みだった。 まさか、子供の授業参観に行ける日が来るとは!! 今まで参観日なんて、ずっと無理だと思ってた。 (土日・祝日が稼ぎ時のサービス業の宿命だ。) 今は中学になった娘の時でさえ、小学生の頃、一度も行けなかった。 子供の授業参観は私にとって、これが初めてかもしれない。 それくらい私にとって、とても貴重な参観日。 私はまるで遠足前の幼児みたいな気持ちで妻と二人で出掛けた。 外はとてもよく晴れている。 なんだかスキップしてしまいたいほどだ。 息子の小学校は、マンションから歩いて10分もかからない。 校舎が3棟もあるとても大きな学校だ。5年生の教室は3階にある。 スリッパに履き替えて私たちは、親たちであふれる人ごみの中、教室へと向った。 40人のクラスのゆーくんの教室は、広すぎず狭すぎずとても程よい大きさだった。 廊下では親達がすでにずらっと並んでいて、それぞれの子供を見守ってる。 ちょうど私と同じくらいの年代の方がほとんどで 日頃見ない同世代のその光景は、なんとなく不思議な感じがした。 さっそく妻と私は教室の後ろへと並んだ。 (壁には生徒の習字やら自画像が、ずらっと貼られてた。) いたいた。ゆーくんがちんまりと座ってる。 うちじゃ我がもの顔で座椅子に座ってゲームしてるのに 目の前のゆうーくんは、まるで別人。彼なりに緊張しているのだろう。 先生が「この問題がわかる人?」と言っても誰も手を上げない。 「仕方ないなぁ・・」と先生は言いつつ、偶然にもゆーくんに当てる。 「それじゃ、青木君。わかるところまででいいから答えてごらん」 ゆーくんは立ち上がり、もじもじと答える。 声が小さくてよく聞こえない。でも、答えは合ってる。(たぶん) 自信のなさは私に似たか・・・思わず頑張れって言いたくなった。 ここの学校だけかもしれないけど、生徒が答えを言うとき 最後に必ず「・・・と私は思います。みなさんはどうですか?」 と聞くのだそうだ。正しい答えだと「そう思います」とみんなが答え 間違ってると「間違ってます」じゃなくて「私は別の答えがあります」と言って 手を上げるのだそうだ。 なるほど、これもひとつの相手に対する思いやりの気持ちか? でも、ちょっと優しすぎるかなぁ。まぁ、生徒全員が 参加してるような授業の雰囲気は伝わってきた。 いいことじゃないかと思った。 その後、やっと、ゆーくんが私が来ていることに気づく。 にたぁって笑うその笑顔。今日の私の大収穫だ。 午後からは学校でバザーが開催された。 バザーと言っても、かなりのお祭り騒ぎで、私も妻と一緒に楽しんだ。 (人気の売店は、長蛇の列が出来るほどの賑わいだった。) そのとき一番よかったのは、250円の焼きそばを買って 小学校の教室で食べたこと。(教室が食堂代わりになっていた。) 窓際の席は太陽の柔らかな日差しが差し込んでいて 小さなイスに私は座り、窓の外の校庭を眺めながら あたたかな焼きそばを割り箸で食べた。 まるでそれはなんというか・・・ まるで小学生の頃へとタイムスリップしたみたいな気持ちだった。 教室も黒板も、机もイスも、みんなあの頃と変わらず一緒で とっくに忘れていたような気持ちが、じんわりと蘇ってきた。 あの頃、泣いてばかりの思い出しかないはずなのに みんなにいじめられ、嫌われてばかりだったのに なんで、こんなにも、あたたかいのだろう。 なんで小さな優しさに、今頃、気づいたりするのだろう。 不思議だなぁ。思い出は 誰もがちゃんと輝いてる。 本当によかった、ココに来れて。 ありがとう。 ゆーくん。 ありがとう。 みんな、みんな。
2007/11/10 22:54:17 2007/11/09(金) 夢の謎解き 私は夢の中でこれが”夢だ”とわかることがある。 わりとそれは頻繁に起きる。 だからそんなときは私は、自分のその夢の中で よく夢の謎解きをしている。 「夢の謎解き」。 それは夢がそもそも何であるか?という謎を 探求する為の実験だ。 夢の中で夢だと気づくようになったのは 二十歳ぐらいになってからだったか? 初めのころ、とにかく夢の中で私はそれが夢だと気づくとうれしくて 空を自由に飛んでみたり、高い屋根から飛び降りたりして 現実には不可能な行為を思う存分に楽しんでいた。 そうして次第に、私はその夢の中で その世界が何であるのかを知りたくなっていた。 それから私の夢の謎解きが始まったのだった。 けれどもなかなかうまくいかない。 相変わらず、私はそれが夢と分かると 夢の中ではしゃぐだけで、探求なんて忘れてしまう。 そんなことがほとんどだった。 けれども、少しずつではあるけれど、この頃その成果がようやく 見られるようになってきた。 あるとき、自分の夢の中でカレンダーが出てきたことがある。 それを見て夢の中の私はとても興奮した。 「あぁ、このカレンダーを見れば この夢がいつなのかわかるじゃないか!」と。 そしてその結果は・・・・ 2002年5月といったような数年前の過去のカレンダーだった。 (私は数年先の未来のカレンダーじゃないかと期待したのだけれど。) がっくりだった。その夢を見ている状況は、とても数年前のものともいえないし 実際にその頃に起きた出来事でもなかった。 結局のところ、夢は”でたらめ”でしかないか と私は残念で仕方なかった。 この頃は夢を見ない日もあって(正確には覚えてないだけか) 夢の探求も忘れかけた頃・・・それは起きた。 とても画期的なことだ。 夢の核心に迫る出来事といってもいい。 実は先日、私の夢の中で、小学5年の私の息子が出てきたのだ。 それがどうした?夢に息子ぐらい出てくるだろ?って 誰もが思うかも知れない。いや、これはすごいことなんだ。 なぜって、私はその夢の中でも自分の見ている夢だとわかっている。 その夢の中に出てきた息子。その息子に夢の中で私は尋ねることができるのだ。 「どうしてお父さんの夢の中にいるの?君はどこから来たの?」って。 これは画期的なことじゃないか!夢の住人に私はその答えを聞きだせるのだ。 私は夢の中で息子に聞いた。 さぁ、夢の中の息子よ。私にその答えを教えておくれと。 息子は不思議そうな顔をして、私のことを見ている。 少し恥ずかしそうな表情。まるで好きな女の子はいるの?と聞かれたような 照れ具合だ。夢の真実を話すのは、そんなに恥ずかしいことなのか? 息子はもじもじするばかりで、なかなか話そうとしてくれない。 私はとてもじれったくって、「早く教えて!お願いだから!この夢って何なの?」 私は息子の肩を揺らして何度も聞く。ようやく息子がその口を開く。 「仕方ないなぁ・・・ま、お父さんの夢だし・・・ 本当は話しちゃダメなんだけど・・・」 そんなとても意味深な前置き。 うん、うん、それで、何?何?私は目を輝かせ聞く。 そして息子がその核心を突いた話を語り始める。 やっと夢の謎が解ける! そう思った次の瞬間、私は愕然としてしまった。 ・・・・息子の話す言葉の意味がまるでわからないのだった。 息子は何かを話して私に説明しているのはわかるのだけど しかもそれはちゃんと日本語として私は認識しているのだけど その言葉に意味がまるでくっ付いていないのだ。 (まるで知らない外国語を聞いているかのような。) あぁ、なんてことなんだ。 やっと謎が解けると思ったのに 結局は失敗に終わってしまった。 どうしてなんだ? 今思うと、あれはもしかしたら、数百年後かそこらの 未来の言葉じゃないのかと思う。 (または数万年前の古代文明の言葉じゃないかと。) そんな気がして・・・。 あれはまだ、今の私たちの時代では作られていない言葉で 今の言葉ではこの夢は、きっと説明できなくて、この先 (または遥かなる太古)の言葉でないと理解できないのかもしれない。 いや、待てよ・・・もしかしたら神様が、急いでデータ削除したのか? そんなことも考えてみる。 でも、どうあがいても、結局何のことか分からなくて 夢はそのまま幕切れとなった。 あぁ、今度はもっと別な角度から、夢の謎を解かなければ。 まだまだ夢の謎解きは、簡単には終わりそうにない。 いつまで続くかはわからないけれども、これは私のある意味、夢だ。 必ず叶えたいと思う。 今回はダメだったけれど、次の謎解きがうまくいったら また、報告したいと思う。 ・・・なんてこれも、別の私が 見ている夢だったりして。 2007/11/09 21:59:13 2007/11/05(月) 内部告発 最近、賞味期限切れとか、偽装問題とか 毎日のようにテレビから流れている。 「実は10年以上も前から不正をしてた」とか 「売れ残りを再度、利用した」とか、その内容は ひどいものだ。確かに許されるものではない。 私が新聞やテレビを見る限りでは「社長が指示したのか?」とか そういう責任問題ばかりが重要視されてるようにしか見えない。 もちろん、それは当たり前のことだと思う。 知っててしたのか?知らずにしたのか?では罪の深さも大きく異なる。 ただ、私が気になるのは、その不正が発覚したその”経緯”だ。 不思議とその内容は、どのメディアもあまり触れたがらない。 私の見る限り、どのテレビも新聞も、「内部告発」という言葉だけで 簡単に済んでしまう。 もちろんそれは、その告白した人を守る意味もあるのだと思う。 いわばその人の人生をも、賭けるほどの勇気ある行動なのだと思う。 でも、私はどうしても気になる。 この偽装問題のほとんどが「内部告発」だという 社会現象(?)は、そもそも何が原因なのだろうか? 内部告発することによって、自分の会社が倒産するかもしれない。 自分に不利益が持たされるかもしれない。それでも内部告発する人たち。 これはどういうことなのだろう? もちろん、その「正義感」から勇気を出した人もいるだろう。 これ以上、見て見ぬ振りは出来ないと、意を決した人もいるだろう。 けれどもどうしても私には、そこに会社に対する「恨み」が見え隠れしてしまう。 そこにある根深い感情が、表に出ることもなく、知らず知らずに拡大している。 それがいいことなのか、悪いことなのか、私にはよくわからないけれど 何か漠然とした不安が、なぜか波のように押し寄せてくる。 やがて嵐になるような・・・そんな予感。 恐らくは、このような偽装問題は、昔から存在していた裏社会での 「必要悪」とうそぶく人たちの暗黙の了解だったのかもしれない。 それがあることによって、物事がうまく回ってたと言うような・・・。 それが今は、表社会に裸にされ、メディアにさらけ出されている。 でも、それは間違いではない。悪は悪でしかないのだ。 ただ、私は不安に思うのだ。 内部告発する人たちの、その見えない感情が。 もはやこれは、異常事態といっていい。 これだけ問題になっていても、その被害者はゼロに等しい。 食に関することや、大手企業の不正や偽装は、メディアが嬉々と飛びつく。 それだけ人々に関心のあることだ。話題も自然と大きく広がる。 これは何かに似ているなと思っていたら、そうだ、ちょっと前まで流行ってた 「テレビで紹介された翌日に、スーパーからその商品が無くなる現象」。 生産者や販売者を振り回し、生産体制を増強したとたんに、人々の熱が冷めるような。 結局はこれはテレビの”やらせ”が発覚し、いつしかそんな現象は消えてなくなったけれど。 この先この問題は、もっと大きなものが、それでも起きる気がしてならない。 私たちの見えないところで、今日も大量に捨てられてゆく食品。 これまで何度、回収され、どれだけ捨てられていったのか。 もはや何が必要で、何が悪いのかわからなくなる。 私はこの問題が、企業側の倫理問題では当然片付けられないものだと思っている。 すべての根源は、悪化し続ける労働環境にあるのではないかと私は思う。 上から「売上をあげろ!」と命令されたなら、当然努力しなければならない。 けれども今の世の中、そううまく稼げない。人員は削られ、以前の倍以上働き サービス労働してもダメで、それでも「やれ!」と足蹴にされれば もはや「不正」しか手段は無くなる。(先のテレビの”やらせ”も同じだ。) そして上司は言うのかもしれない。 ”私は「やれ」と言っただけで、不正をしろとは言っていない”と。 常に前年よりも売上を伸ばし、大量生産、大量消費し続けなければ 生きてゆけないようなこの社会。地球がこんなに壊れかけても、人々は 長時間労働を強いられ、自らの首を絞めている。 その結果から生まれた感情が、内部告発へと向けられたのではと思う。 いわば言葉は悪いけれど、それは「この会社を殺したい」という感情なのかもしれない。 今日もどこかで人々は仕事をし続けるのだろう。 その中で「内部告発」という切り札を抱えた人たちは 今もそれを握り締め、胸を震わせているのだろう。 いつ、会社を殺そうか。 真っ白な正義とともに、真っ黒な恨みとともに。 本当の問題は、偽装そのものではなく、その心の奥の闇を 深く照らすことではないか、そこに手を差し伸べるべきではないかと 今、私は自分の心に、密かに「内部告発」している。 2007/11/05 22:31:42 2007/10/22(月) はじまりはいつも雨 飛鳥さんの「はじまりはいつも雨」を聞いてると なんだか甘酸っぱい想いに駆られる。 私の中で忘れた記憶が・・・淡い恋心か何かか?・・・が どこかに潜んでいるんだろう。 もうカラオケには10年以上も行ってないけど 決まって私は「そして僕は途方に暮れる」と この「はじまりはいつも雨」を、あの頃よく歌ってた。 長いタイトルが好きなのか?なんてことは 別にどうでもいいことだけど、どれだけ古い歌なんだ? でも今の歌は私には、どうも長く心にとどまらない。 まるですぐに消えてゆく短命なサクラのようだ。 輝くけれどももう次の夏に忘れてしまうような・・・。 やれやれ、私の知らないうちに つまらない大人になってしまったか。 この頃、好きなものが増えなくなった。 テレビを見ても、お笑いタレントが騒いでるだけで ちっとも面白くない。昔はこんなでも笑ってたかな? とちょっと振り返ったりするけれど、それすらも思い出せない。 思わずため息が出てしまう。 ま、そんなものだから、夜はテレビは消したまま。 うちでは家族のそれぞれが、本を読んだり、何気ない会話を 交わしたりして、静かな夜を過ごしている。 妻と何か話している子供たちの横顔を眺めながら それもいいかなぁと、今ではぼんやりと思っている。 この頃日記を書くよりも、「まるで詩のように」のブログに 小さな言葉を載せることが増えた。 いろんな人の気持ちになって書くことが 今の私には少し楽しい。 楽しいといっても、ほとんどがセツナイものばかりだけど でも、小さな言葉の中に、散らないサクラを見つけられたらと こんな静かな夜に想う。 今日も星たちは、音もなく夜を渡っている。 明日もきっと、晴れるだろう。 そう思うと、私の中でささやかに言葉が 小さく降り積もってゆく。 私の場合、「はじまりはいつも雨」というより ”いつも小さな言葉”のようだ。 2007/10/22 20:36:03 2007/10/16(火) 晩夏 ユーミンの「晩夏」を聞いていると まずいことに・・・大声で泣きたくなる。 だから違う歌に適当に選曲したら その歌は「ダンデライオン」。 もっとまずいことになり、上を向いて 何かをこらえている私。 弱くなったなぁ・・・。 あの頃に戻りたいなぁって思うこの頃。 夜風が楽器を引くような虫の音がとても優しい。 人からは平気なそぶりばかりをして でも本当は、辛くて悲しくてどうしようもなくて でも、こうして時が過ぎると、どこか輝いて見える。 そのときは気づかないのに、未来の私はわかるんだ。 それでいいんだよって。 だから今は嘆くほど、ひどいものじゃないんだろう。 今はとにかく出来ることを、無理しないで精一杯に。 その中で頑張ってる自分がいればそれでいい。 誰も何も気づかなくても、今、言える確かなことは がんばったなぁ・・・って、唯一、未来の自分が誉めてくれる。 たとえそれさえ切なくても 自分の中に味方はいる。 がんばろう。 2007/10/16 0:13:20 2007/10/13(土) あきらめること 最近、なんだかあきらめ上手になったなぁって思う。 何をするにもあきらめてる。 これをしなきゃならない。 無理だ。仕方ない。あきらめる。 これもしなければならない。 無理だ。時間がない。あきらめる。 あきらめる、あきらめる。 どうせダメだからとあきらめる。 気づけば私は、ただのイエスマンになっていた。 ”はい、わかりました。はい、やります。” そんな言葉ばかりで・・・。 ”それは違うと思います。” ”それは賛成できません。” そんな生きた鼓動のような言葉が いつしか私から消えてしまった。 だってそんなことをしたら、とても疲れてしまうもの。 愚かだな。そう思う。 いつからこんなになってしまった? あきらめれば、楽だけど 心の奥ではきっと、叫んでる。 それは”違う!間違ってる!”と。 でも社会で生きてたら 違うことが正しくなる。 正しいことが間違ってる。 それを何度もみてきたら もう、感覚は麻痺している。 社会で問題になっている不正、改ざん、その他もろもろ。 どれもそれらは当事者にとっては、ずっと”当たり前”だったんだろうな。 それがいつしか知らないうちに、正しいことになったんだろうな。 違うことを”間違ってる”と言えない世の中なんて。 人はみな、群れてしまうと、心は磨り減ってしまうみたいだ。 互いの足を引っ張って、いつしか互いに落ちてゆくのだろう。 今日も私はあきらめている。 けれども心の奥ではきっと・・・。 弱いものの強がりにしても 今はそう信じてる。 でも、それさえも、 なくなったら・・・・。 この人生に意味などない。 2007/10/14 0:52:55 2007/10/12(金) 流されてはいけない言葉 私は中学生の頃、なぜかクラス委員長的な立場に させられることが幾度かあった。 それは私に責任感があるとか、リーダーシップがあるという 理由からではない。(どちらかというと私はまったくその逆だ。) たぶん、それは私が”まじめ”だからという点と、指名しても あいつは決して逆らわないという私の性格を知った上でのことで だから面倒な役はあいつにでもさせとけ、みたいな感じだった。 そんなこんなで、そのとき私は話し合いの 司会進行役をさせられていた。 私は不思議にも、そういう人の前に立って 何かを喋るのは苦にはならなかった。 それは私がこう思うからだ。 目の前にいる人たちは人間じゃなくて、これはキャベツ畑なんだと。 みんなキャベツだ。だから私は恥ずかしくないし、誰もこんな 私の話など、誰一人として聞いてはいない。そう思うからだ。 今もそんなふうに思う。 中学の頃から、私は何てひねくれていて、自虐的でつまらない 人間なんだろうかと思う。 そのとき、私はクラスの司会役として教室の教壇に立っていて 何かの採決をしていた。 (その内容は忘れたが、たぶん風紀的な、そんな規則の決め事だったか。) 最初は男子に「反対の人は手を上げてください」と私は言った。 二人くらいの男子が変な笑顔で手を上げる。 その二人は冗談で手を上げたのだろう。みんながくすくす笑ってる。 (どうやらそれは、賛成すべき事柄のようだ。) 次は女子に私は同じことを聞いた。 「反対の人は手を上げてください」と。 すると、たったひとりの女子が恐る恐る手を上げたのだった。 今度のは真剣な、固い反対の意思のようだった。 男子達が野次を飛ばす。 「なんで反対するんだよ!」「お前、ふざけんじゃねぇぞー」 そして誰かが言った。 「おい、理由を言えよーこら!」 そして誰かが続いた。「そうだ!理由を言え!」 そんな声が教室を響き渡る。 そして、私も調子に合わせて笑うように 彼女にこう聞いたのだった。 「あのう・・・反対の理由は何ですかぁ?」 そのときだった。 私にとって、その後の人生において二度と 忘れられない言葉を投げかけられたのは。 「青木君!どうしてさっきの反対の男子には聞かなくて 彼女にはその理由を聞くの!?おかしいじゃない!」 その怒鳴り声は、一瞬にして教室中を静寂に変えた。 その声の主はさっきから、黙って教室の隅で聞いていた 担任の佐藤先生だった。 佐藤先生は、若くて背がちっちゃくて とてもかわいい女の先生だった。 いつもニコニコ笑っていて、クラスでも人気の先生だった。 その先生が、顔を真っ赤にして怒っていた。 たぶん、あんなに怒った先生を見たのは初めてのことだったと思う。 私はそのときその言葉に、何も言えないでいた。 正直言えば、膝はがくがく震えていた。 のどが異常に乾いていた。私のその質問は どう考えても「悪意」の塊しか見出せなかった。 ただ単に、うすら笑う為のものでしかなかった。 周りの悪意に流されて、私がその悪意というミサイルの 発射ボタンを、彼女に向けて押したのだ。 あのとき確か性差別的なことで、 理由を聞くべき事柄ではなかったのだ。 (たぶん、女性の口からはなおさら・・・。) 私はすべてを公平に、なおかつその悪意を打ち消す 立場だったはずなのに・・・。 女の子は泣きそうな顔をして、私の顔を睨んでいた。 私はその彼女の視線に”自分のせいじゃない”と心で叫び 無表情なまま、他人事のような態度をとった。 私は所詮、委員長という器を持ち合わせていなかった。 そして心の中では私は、私を谷底へと落としていた。 「卑怯者!お前なんか死んでしまえ!」と。 なんて愚かな私なのだろうかと、その無表情とは裏腹に 私は自分を責めていた。(弱いくせに強がっていたのだ。) その出来事が強すぎて、その後、どうなったのか記憶は薄れた。 でも、あの時の先生が私に投げかけた言葉と、泣きそうな顔して 睨んだ彼女の目が、今も私の心を握りつぶす。 もう時効になってもいいくらいに、随分と昔の出来事なのに 私は今も悩むことがある。 「どうしてあんなことを言ったのだろうか?」と。 この私は、あの先生は・・・。 その答えは今もわからない。 あの叱り方で先生は、たぶん私に教えてくれた。 「流されてはいけない言葉がある」というそのことを。 だから私は今も思う。 決して流されてはいけないと。 あの日から ずっと、ずっと変わらず。 2007/10/12 0:35:35 2007/10/11(木) 小野信二くん 小野信二君が出てきた。 小野信二君は小学校の頃の私の友達だ。 もうかれこれ20年以上、会っていない。 友達といっても、家が近所だっただけで、たまに会話をした程度。 その小野信二君が出てきた。昨日の夢の中でのことだ。 つくづく夢って不思議だ。 小野君のことなんて、考えもしなかったし、そもそも 忘れていたくらいだ。なんで小野君なんだ? 小野君に何かあったのか?仮にそうであったにしても 親友ほどの仲でもなかったこの私の、夢になんか出てこないだろう。 この頃、私の夢はなぜか”小学校”がキーワードになっている。 何が一体、どうなってるんだ? 夢の中で、私は見たこともないような場所で(事務所のような雰囲気だった。) 何かしら仕事をしている。私の上司はなぜか柳井君だった。 柳井君も小学校の頃の友達で、彼とは小野君と違って仲のよい親友だった。 でも、同じく随分と会っていない。どうして私の上司なんだろうって 不思議に思ったけれど、彼は児童会長をしていたほど頭のいい友達だったから 自然と私の上司の設定になったんだろう。 その柳井君が、心配そうに私に言う。 「小野君を探そう」 いきなりだ。 私は当然、訳が分からない。”なぜ小野君なんだ?”とも思うが その柳井君の表情から、”今、探さなければならないんだ”と 思い直し、この気持ちをピシッと正す。 「この左の道を探してくれ。僕は右の道を探すから」と 柳井君は言うと走っていってしまった。 仕事中なのにと・・・思ったが、それほど重要なことなんだと 私は左の道を走る。 走りながら私はふと疑問に思う。 こんなところで小野君は見つかるのか? 闇雲に探すだけでは意味がないんじゃないか?とも思う。 もっともなことだ。そこで私は携帯電話を取り出す。 夢の中の携帯電話はとても不思議な形をしていて まるで昔の児童向けSF漫画に出てきそうな ピストル型の大きな流線型をしていた。 私はその巨大な携帯電話で「小野信二」と名前を打ち込んでいた。 小野君の電話番号はわからないのだけど、夢の中のその携帯には 名前を打ち込めば電話が出来るという設定があるみたいだった。 私は打ち込み、電話をかける。 電話をかけながら、ふと、疑問に思った。 「あれ?同姓同名の人がいるかもしれないのに この機能って、意味があるのか?」と。 案の定、違うおっさんの声がしてきた。 「はい、村上です」・・・しかも違う苗字。 私は「間違えました」と言って電話を切る。 小野君が見つからない。 道端で遊んでいる小学生達に「小野君を見なかったか?」とたずねてみる。 でも、小学生達は知らないと言う。当たり前だ。そのへんの小学生が 小野君を知ってるわけはない。小野君を知っているのは、私か柳井君しか いないのだ。 小野君のことをふと、思い出す。 小野君とは小学生の頃、ただ一度だけ、一緒に帰った記憶がある。 もともと近所に住んでたのに、その小野君の家は知らなかった。 私の知らない近道を通り、「俺んち、ここなんだ」と教えてくれた。 あの時の小野君の笑顔を覚えている。 次第にとても不安な気持ちになる。 探しているのに見つからない。街はどこか他人顔で まるで知らない街に一人、取り残されたような・・・ そんな気がする。 こんな切ない気持ちは久しぶりだ。 小野君に何があったんだろう? 私にこんな夢を見させて、何を伝えたかったんだろう? 現実の私も小野君の行方を知る手段はない。 実家の電話番号も知らないし、仮に分かったにしても 電話をかける理由がない。まさか、夢に出てきたからなんて 言うわけにもいかない。 不思議だな。 夢の中も現実にも、私は探せないなんて。 この行き場のない想いは一体なんだろう? 随分身勝手で失礼な想いではあるけれど 彼が今もあの笑顔で、どこかで暮らしていますように。 今はただ、そう願うばかりだ。 2007/10/11 12:09:54 2007/10/08(月) ひこうき雲 最悪な出来事に、気持ちがまったく晴れないので ネットに逃げ込んでたら、懐かしい歌に行き当たった。 歌は不思議。こんな気持ちを風のように撫でてゆく。 いつしか心は洗われて、まるで泣いた後のような とても晴れやかな気持ちにさせる。 私の青春時代(こっぱずかしい言葉だな。)と言えば やはりユーミンであり、山下達郎さんであり オフコースであり、チューリップであり・・・。 それらに共通するものは、私にとっては”心地よい哀しさ”だと思う。 哀しいからとひとりでいると”根暗だ”みたいな時代のときでも 彼ら彼女は哀しみを、そのまま僕らに聞かせてくれた。 それが私にはたまらなくうれしい。 生きることが楽しいだなんて、そんな時ははるかに短い。 いつも誰もが口にしないけど、哀しみばかりを抱えている。 その重さに耐え切れない時、人はやはり、立ち止まりたくなる。 そんなとき、どこかで歌が流れていて欲しいと思う。 誰に聞かせるためでもなく、お金や名誉のためでもなく 流れていて欲しいと願う。 疲れ果てて、立ち止まった人の心を 優しい川の流れのように、運んで欲しいと心から思う。 その流れの先にはきっと 幸せがあるなんて思わない。 でも、その哀しみを 受け止める小さな気持ちをくれる。 私はそれが大切だと思う。 明日もどこかで”ひこうき雲”は 誰かの心を運ぶだろう。 空に憧れて、空をかけて あの子の命がそうだったように。 2007/10/09 1:09:56 2007/10/6(土) おっさん化現象 幼い頃から、ずっと食わず嫌いだったキムチが 今日、はじめておいしいと思った。 また、ひとつ大人の階段をのぼる。 君はもう、シンデレラさ・・・ じゃなくて おっさんだな。 まーちゃん画 「タコヤックくん」 2007/10/07 0:50:00 2007/10/04(木) 続・小学校の夢 また、小学校の夢を見た。 いったいこれで何度目なんだ? こうなるともう、”小学校”に、 何か深い意味があるようにしか思えない。 いったい小学校に、何があるっていうのだろう? もしもこれがドラマなら、 こんな展開になるのかもしれない。 「職場でも家庭でも、うだつが上がらない男が続けて見る ”小学校の不思議な夢”に意味を問い、仕事だけの人生で初めて 1週間の有給を取る。 懐かしい故郷の小学校に訪れた彼は そこでかつての初恋の人が、佇んでいるのを偶然見つける。 車椅子の彼女は彼に気づくと少し驚いて、そして、少しほっとして 一筋の小さな涙を流し、彼にこうつぶやくのだった。 ”よかった。ずっと逢いたいと想ってたの・・・” 彼女の命は、あと半年しかなかった」 っていう展開。 ないって絶対。 昨日見た夢の展開は、そんな色恋ごととはまったくかけ離れている。 同じ女性でも、初恋の人じゃなくて、変な女性が登場するのだから いやになる。とりあえず、こんな内容だった。 夢の中で、私は図書館に借りた本を返しに行った。 (実際に、今日は図書の返却日だった。) なぜかそこは、図書館じゃなくて、小学校。 でも私は、それに何の違和感も感じていない。 はじめから知っていたように、小学校のどこかの教室に行き 本を返している。また、本を借りようと思うのだけど まわりを見てもどこにも本がない。 「本はどこですか?」とさっきの受付の女性に聞くと 「どこどこにあります」と教えてくれる。 その場所がどこにあるのか全然わからないのだけど 夢の中の私は”分かりました”と、あっさりと答えている。 そんな時、隣に誰かがいるのを感じる。 見るとひとりの女性だった。どこか見覚えがあるなぁと 思っていたら、それはあの作家の「江国香織」さんだった。 驚いた。と同時にうれしく思った。でも、少し確信が持てない。 本当にあの有名作家の彼女なのだろうか? 私がとても不思議そうに、見るともなしに彼女を見ていると その彼女はそんな私に気づいたのか、「これをあげましょう」と 小さく笑って右手にペンを持ち、紙にすらすらと何かを書き始めた。 ”そうか!サインをしてくれるんだ!やっぱり江国さんなんだ!”” と思った私は、飛び上がるほどに喜んだ。 そして、その紙を受け取ると、その書かれている文字に 私は絶句してしまった。 詳しくは忘れたけれど、そこにはまったく意味不明な 宗教じみたことが書かれてあった。 違った・・・。 彼女は江国さんなんかじゃなかった。 (私が勝手に勘違いしただけだけど。) そう思うと、彼女の顔がだんだん違って見えてくる。 まるで千と千尋の神隠しに出てくる”湯ばーば”(だったっけ?) のような”しわくちゃなおばあさん”に変化してゆく。 怖くなった私は逃げようとするのだけど まわりは霧に包まれて、自分がどこにいるのかもわからない。 次第に心細くなる。泣きたいような気持ちにもなる。 そこで夢は途切れてしまい、あとはもう、覚えていない。 小学校に何があるんだ? なんでこんなに切ない夢なんだ? せめて舞台を高校くらいにして セーラー服っぽい甘い夢を 見させてくれよ、私。って・・・ なんだそれは。 2007/10/05 0:01:16 2007/10/03(水) 夕暮れの小学校にて 夢の中で小学校にいた。 そこは、私が幼い頃に通っていた小学校。 私はどこかの教室にいる。そこから窓の外を眺めている。 季節は春だろうか?午後の日差しがやわらかい。 影がゆっくり伸びてゆく。もうすぐ夕暮れになろうとしている。 ココから眺める外の景色は、確か花壇のある小さな広場だったのに なぜか地面はコンクリートで固められ、グリーンに塗られたその一面には バスケットコートのようなラインが引かれている。 そこで生徒達が楽しそうにボールで遊んでいる。 それを見て”考えたなぁー”と私はとても感心している。 (ただの広場を、体育館のように作ったことを。) 不思議だな。 夢とはいえ、どうして私は小学校の教室で一人、佇んでいたんだろう? まるで主人公が死んでしまうような哀しい映画のラストシーンのようで、 でも、とても幸福感に満ちた・・・そんな不思議な夢だった。 だから今日はいいことあるかなぁって思ったけど 現実はそうはうまくいかないみたい。 今、ちょっとへこんでいる。 仕事で小さなミスをしてしまった。 本当にそれはちょっとしたことで、「すいません」のひと言で たぶん、笑って許せることでも、なぜかこの自分が許せない。 どうしてこんな簡単なことを・・・と我ながらあきれてしまう。 しかも、私はその間違ったことを 知らずに正しいものとして、得意げにみんなに発表してしまった。 もちろんそれも、たいした意味のある発表でもなく 「すみません」で片付くような微々たるものでも あの得意げになった自分のこの気持ちが恥ずかしい。 なんてかっこ悪いんだ。 どうしてこうもいい加減なんだ。 たぶん、天狗になったあの気持ちが ”ほれ見たことか!”と何かに罰を受けたみたい。 最近、物忘れがひどい。 「前にも話したでしょ」と誰かに言われても まったく覚えてないものもある。 それはもう、”本当に私に話したのか?”と疑いたくなるほど。 それが態度に出てしまうのか、みんな私から少しづつ 離れてゆくような気がする。 さて、明日はどうするか? なんてことを考えても 気持ちは一向に晴れてゆかない。 まだ、私の心には、 あの夕暮れが続いている。 2007/10/03 23:19:04 2007/10/01(月) あと5年は生きたいんだが 今日、売場でお客さん(初老の男性?)から こんなことを言われる。 「わしはあと5年は生きたいんだが、どんなビールがいいか?」 ”5年”っていったいなんなんだ? (どっからきた数字だ?) まさかこの人生の深い心理を私に問うているのか? それともちょっと、危ない(いろんな意味で)人か? などとほんの少し悩んだけれども、私は平静なふりをして 接客を試みた。 とりあえず、というかそれしか頭に浮ばなかったのだけど ビール売場でカロリーオフやら糖質オフやらプリン体オフやら そんな文字が缶を賑わしてる、まぁ、とにかくありったけの 健康志向のビールを勧めた。 すると、その私の勧めたビールがとても気に入ったようで 「そうか!今度からこれを飲んでみよう!」と 飲む前にすでに出来上がってるみたいに、なんとも声が大きく 豪快で元気が有り余ってて、笑うと目がしわになるような とてもご機嫌なおじいさんだった。 「ありがとうございます。ごゆっくりと」と言って 私はお辞儀をしつつ、その場を逃げようと・・・いや 離れようとした。 すると、おじいさんは何を思ったのか いきなり私の肩を思いっきりたたくと がははー!と笑いながら私に言った。 「わしも、あんたみたいにハンサムにしてくれ!」 なんだそれは? (ちょっとひいてしまう私。) 確かにおじいさんは、とても特徴的な顔で 私の場合は、ただ単に目立った特徴のない顔だ。 なんとも面白いおじいさんだった。 不思議とそんなふうに誉められた(?)ことが 私にはとても気持ちのいいものだった。 (女の子に言われたわけじゃないのに、どうした私?) こんな人もいるんだなぁ。 毎日があんな調子で愉快に人生を過ごしてるんだろうなぁ。 いいな、あんな人生。あんなお歳でもあんなふうに 私も豪快に笑っていたいものだ。 私は仕事をしながらも、ぼんやりと思ってた。 たぶん、きっとあのおじいさんは、 またどこか人の集まる場所で 間違いなく言っているんだろうな。 「わしはあと5年は生きたいんじゃが・・・」と。 たぶん、その5年後もずっと。 2007/10/02 1:06:50 |
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