「佐藤優現象」をめぐる新たな展開
筑摩書房から原田武夫氏の新刊が送られてきた。
http://www.haradatakeo.com/
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480064052/
拙著『諜報機関に騙されるな!』が複数個所引用されている。
走り読みして「なるほどな」と思った。
今週号の「週刊新潮」に、原田氏に対する批判記事が掲載されている。
http://blog.goo.ne.jp/shiome/e/c575dbe398aff85351e2b213e0558180
一昨日、国会図書館に調べものに出向いた際、「元外交官」云々という大きな見出しの中吊り広告がチラと目に入り、少し気にはなっていた。
コンビニで立ち読みすると、年末年始の合併号とはいえ、見出しも記事の扱いも、内容と比べて不釣合いなほど大きく感じられる。
おそらく先制攻撃なのだろう。
と同時に考えたのは、「これはこっちにもミサイルが飛んでくるかもしれんな」ということである。
年の瀬に物騒な話である(この殴り書きは、殴り書きに過ぎないから、どさくさに紛れて発表し、どさくさに紛れて消去しようと考えている)。
(重要な注)原田氏及び以下の諸氏について。次の二名の例外を除き、他の方々については一面識もないし、これまで直接・間接を問わず一切連絡したことはない。
例外1:「突破者」氏は公安調査庁在籍当時から面識がある。
例外2:大森氏は一度自宅を取材で訪問したことがある。
■金光翔氏
http://watashinim.exblog.jp/6590201/
http://shutoken2007.blog88.fc2.com/blog-entry-1.html
http://katayamatakao.blog100.fc2.com/blog-entry-16.html
■片山貴夫氏
http://katayamatakao.blog100.fc2.com/blog-entry-1.html
伊田氏は単なる編集部員ではなく、副編集長である。実質的な佐藤氏担当者である。「直接あって話し合ったこともある」どころか、足繁く公判も傍聴してきた。
次の記事は、当時、同じ週の「週刊新潮」に、同じネタを先に抜かれている。要するに「金曜日」は舐められているのである。にも拘わらず、縋り続けて今に至る「金曜日」はいじらしい。「金曜日」との関係が本格化するのはたしかこれ以降のことである。
http://www.fujisan.co.jp/Product/5723/b/86922/
■小谷野敦氏
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070525
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070426
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070511
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070524
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20071219
■近頃まったく更新されない「うどん屋かっちゃんの××な日記。」氏
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=407761&log=20070121
■柏原竜一氏他
http://202.239.151.196/mag/shokun/shokun0705.htm
http://www11.ocn.ne.jp/~terry/studiesintel.htm
http://www.chikura.co.jp/book/0894.htm
http://www.nids.go.jp/profile/history/history01/12-kotani.html
■大森義夫氏
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1166125784/1-52
37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 07:28:51 ID:nG0dul/d
「国家と情報」 大森義夫 (元内閣調査室室長)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9980678313
42.インテリジェンス改革の要点とは
「佐藤優氏にたずねたいこと」
1.強力なロシア諜報機関(当然にスパイ摘発のための監視機関を含む)の本拠地
モスクワで情報収集活動された時に大使館の同僚に依る「プロテクト(防衛活動)」
を受けましたか?
2.鈴木宗男代議士に直接報告されたそうですが、まさか日本に電話したり、モスクワ
のホテルの一室で話したりしなかったでしょうね?
38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 18:58:14 ID:PISBZ3D1
大森の嫉妬が凄いねw
■天木直人氏
http://www.amakiblog.com/archives/2007/11/14/
■池田信夫氏
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/b0484c361bb6195f6feee22abfc3e064
■「突破者」氏
http://web.chokugen.jp/sato/
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no01/f2019sm2.htm
かつて中核派に涙の謝罪を行った「突破者」氏も、あれはデタラメと開き直って見せるのが“地アタマ(実に嫌な響きの言葉である)の良さ”の証拠であり、そうできるのは現在の「現象」の賜物である。
そういう地アタマの良さを発揮しなければ、何か都合の悪いトラブルが起こったときにうまく前捌きができないのである。
http://web.chokugen.jp/sato/2006/09/post_e536.html
筆者は2004年9月16日の公判で、傍聴席に「突破者」氏がいるのを発見し、二人の関係に気付いた。たぶん、安田好弘氏との線も、「突破者」氏経由なのだろう。
どういう経緯で接点が出来たのか知らないけれども、二人の間には本質的な親近性があるように筆者は思う。
90年代末期、アウトロー・ブームとでも言うべきものが起こり、「突破者」氏が左翼・新左翼に受容された状況と、現在の「現象」は規模と裾野こそ違え、実は背景を同じくしているのではないか。
つまり、信奉者たちは、自分が生きるための知恵を、かつてはアウトローに、今度はインテリジェンスに求めている、というわけだ(同様に、ラスプーチン・バッシングに狂奔した層とこれを狂信する層は同一である・・・その可能性を想像してみることが宣伝工作者には必須の能力である)。
世界観哲学がとうの昔に崩壊した今、できることは二つしかない。
一つは古い看板を持ち出してきて、あれこれ奇妙でグロテスクなモザイクを拵え上げながら、そう思わせないように見栄えよく飾って見せることである。これは古い看板に郷愁のある「突破者」氏前後、それ以上の世代に訴える。同時に効果があるのは、古い看板の再評価が実は20年近く前から唱えられていたにも拘わらず、あらためてその看板の見直しに斬新さを覚える、筆者より一周り、二周り下の世代である。
もう一つは、知的迷妄を一足飛びに跳躍する、そんなことが出来るかのような新たな幻想を呈示することである。後者がアウトローであり、はたまたインテリジェンスである。各々の体現者(?)に共通して必要なのは、「既成の秩序からの排除。つまり異能の異端者」というイメージである(異端者でも、群れることがあるらしいので要注意である)。
「古い看板」と「幻想」が同居している、いや使い分けているのが「現象」の本質である。
「地アタマが良い」とされる人はたぶん地道な努力や学問が嫌いだろうから、後者の「幻想」に簡単に飛び付くのである。しかし、「地アタマは良い」ので現実感覚を発揮して、絶対にスピリチャルなほうには行かない。「いかに勝つか」という処世術を学びたいのである。勝つためにアウトローたらんとし、謀略を実践するのだとしたら、怖い世の中である。
一方、「地アタマが悪い」人は、不器用な分、たぶん前者に救いを見出そうとするのである。獄中の読書リストに『構造と力』が含まれているけれども、これは獄中者と同じ青年期に同じブームを過ごした、多分いわゆる「負け組」の、特に「地アタマが悪い」人向けに媚びるためのサブリミナル・メッセージである。
実に良く出来たシステムであり、工作である。
『「近代の超克」論』の著者が存命なら、必ずや現在の「現象」を嘲笑し、一刀両断しているに違いないと筆者は思うのだが、なぜかその死者すらも、モザイクの一つに嵌め込まれているらしいので恐るべきマジックだと言わねばならぬ。
対等に張り合える知識人はいないのが「現象」の特徴である。つまり、文化人も編集者も読者も皆バカになってしまったのである(こんな変な、誰にも見てもらえない言わずもがなの雑文しか書けない筆者も無論その一人である)。
ところで、アウトロー現象は当時、なぜ今回ほどには拡散しなかったのか。
「突破者」氏はたしかアウトローのはずだから、『太平記』や『神皇正統記』なんぞ読みはしない。虚栄心からインテリジェンス(知性)をひけらかすのは、地アタマの悪い証拠で、アウトローにあるまじき行為だからである。「はあ?マルクス?ヘーゲル?そんなもん読んどる奴はアホや」と言って何ら恥じるところのない自信と実力を持っているのがアウトローである。
知的衣装をまとったり、文章なんぞ書いているのは偽者のアウトローである。
「突破者」氏はアウトローであるが故に、それだからこそ正当にも、工作者としての楠木正成とイデオローグとしての北畠親房を一身に具現しているかのように見せる手の込んだ演出は試みない。そんなイカサマを嫌うのがアウトローだからである。
かく演出しながら右派にアピールする発想・観点が、最初から欠けていただけのことである。
ここであらためて注目されるのが、アウトローとインテリジェンスの関係である。
いやいや、大仰にそんな疑問を立てて見せるまでもなく、アウトロー氏自身、スパイ活動という形で、文字通りインテリジェンスを実践していたではないか。
アウトローとインテリジェンスが実は同質だったというこの二重、三重の逆説、皮肉!
もっとも、インテリジェンスの一部には、目的のために手段を選ばないという非合法の要素があるからして、インテリジェンスは読んで字の如くアウトローに他ならず、特段驚くには当たらぬのかもしれぬ。
謀略やプロパガンダも、インテリジェンスと言うと「下品」には聞こえないので、カタカナ語は便利である。
ちなみに、「下品」というレッテル貼りも、インテリジェンスによる観念操作技術である。蛇足ながら付け加えておくと、そういうレッテル語は実は自分自身に一番よく当てはまっているのである。筆者がそういうのだから説得力がある。
とにかく、何でもかんでもインテリジェンスである。
特に「相手の嫌がることをやるのがインテリジェンス」という特殊個人的なインテリジェンス観に立った場合、インテリジェンスは限りなくアウトローに接近する!!