ジャカルタの墓地で献花した安倍首相の隣に元皇軍兵士の姿があった。祖国敗戦後、インドネシア独立に人生を捧げた日本人。参戦した兵士達こそ大東亜戦争の誇り高き体現者だ。 アジア3ヵ国を歴訪中の安倍首相は、最初の訪問国インドネシアで意外な場所に足を運んだ。知られざる英霊の眠る場所… 8月21日午前、安倍首相は昭恵夫人を伴ってジャカルタ市内にあるカリバタ英雄墓地を訪ね、花輪を捧げた。掌を合わせたのは元日本軍兵士の墓前だった。 ▽カリバタ英雄墓地を訪れた安倍首相夫妻(ロイター) カリバタ英雄墓地は、大東亜戦争終結後のインドネシア独立戦争を戦った軍人や国家に多大な功績を残した政治家など特別に埋葬される国立墓地だ。7,000柱以上の英雄の中には、27柱の皇軍兵士も含まれている。 5年前、小泉首相(当時)もインドネシア訪問でカリバタ英雄墓地で訪れたが、墓地中央にある英霊碑での献花だった。個人の墓前を日本国総理として詣でたのは恐らく今回が始めてだ。 ▽墓地で献花する安倍首相(ロイター) そこに眠る皇軍兵士は、厳格に当時の軍紀に照らせば離脱兵とも捉えられるという。武器を置けとの軍命に逆らい、インドネシア国民の為に敢えて銃を取った者たちである。 日本が国家として故意に忘れていた者たちを総理大臣が顕彰した意味は大きい。そして、独立戦争に参戦した皇軍兵士に礼を尽くしてきたインドネシアにとっても意義深い。 ▽英雄墓地を訪れた安倍首相夫妻(ロイター) カリバタ英雄墓地を訪れた安倍首相の隣には、イスラム帽をかぶった日本人の姿があった。杖を曳くこの高齢の男性こそ、独立戦争の英雄の1人である宮原永治(みやはら・えいじ)さんだ。 【再び戦場に向かった皇軍兵士】 現在85歳の宮原永治さんは、祖国から来た首相の墓参をどのような想いで見守っていたのか…宮原さんが旧日本軍との関係を絶って62年の歳月が流れている。 大正11年、台湾台南州生まれの宮原永治さんは、志願兵として帝国陸軍に入隊。シナ戦線やフィリピン戦線を転戦した後、終戦をジャワ島で迎えた。その終戦の場所がその後の人生を大きく変えたのだった。 「連合軍の反攻を免れたジャワ島では、日本が負けたという実感はなかった。台湾出身の私は、敵として戦った国民党のいる台湾に帰ったら処刑されると思った」 ▽2年前カリバタ英雄墓地での宮原さん(読売新聞) 台湾を避けて本土に帰る道はあったが、宮原さんは帰国しなかった。そして、我が国の敗戦直後に起こった英蘭軍との独立戦争に身を投じ、独立を勝ち取った。 その期間は実に4年半に及んだ。祖国・日本が敗戦に打ちひしがれ、やがて復興を遂げようとする過程で、宮原さんはインドネシア人兵士と共に戦場で闘っていたのだった。 宮原さんは独立戦争終結後も日本に帰らず、インドネシア国籍を取得。名前もウマル・ハルトノ・ミヤハラというムスリム名に変えた。 ▽宮原永治さん昭和61年頃(『帰らなかった日本兵』より) 60年代に進出した日系商社の駐在員として活躍。現在は、インドネシア独立戦争に関わって現地に残った元皇軍兵士の互助組織「福祉友の会」顧問を務めている。 毎年、宮原さんの元には8月17日に開かれるインドネシア独立記念日の式典招待状が政府から届くという。安倍首相訪問の直前に行なわれた今年の式典にも宮原さんは独立戦争の英雄として参列していた。 【伝説のスカルノ独立宣言】 8月17日、インドネシア独立記念式典が大統領宮殿で行なわれた。独立62周年を祝うセレモニーだ。 インドネシアが独立国家として国際社会から承認されたのは1950年。そうであれば「独立57周年」となる筈だが、インドネシア人が心に刻む独立の日は、あくまで昭和20年の8月17日だ。 ▽今年8月17日の式典(ロイター) そこには我が軍が深く関わっている… 昭和17年3月1日、今村均中将率いる第十六軍はジャワ島上陸作戦を敢行。当地の攻略には3ヵ月以上が必要と見られてた。しかし我が軍の連戦連勝で僅か9日で蘭印司令官は全面降伏。350年に及んだオランダ植民地支配はあっけなく幕を閉じる。 蘭印植民政府によって流刑されていたのが後の国家指導者スカルノ初代大統領とハッタ初代副大統領だった。 ▽スカルノ初代大統領 早くから2人は日本に独立を要求していたが、約束は果たされず、小磯声明を経て「独立許容」の通達が出されたのは昭和20年8月11日のことだった。 それを受けてサイゴンにいたスカルノ、ハッタ両名が急遽ジャカルタに舞い降りたのが8月14日。我が軍の爆撃機で飛来した2人を民衆は熱狂的に迎えたという。 日本のポツダム宣言受諾が明らかになった8月17日未明、民族運動に理解のあった前田精少将の自宅でスカルノ初代大統領は独立宣言文を書き上げる。そして夜が明けた後、集まった群衆の前で伝説的な宣言文の朗読が行なわれた。 ▽独立宣言文を読み上げるスカルノ初代大統領 「われわれインドネシア人民は、ここにインドネシアの独立を宣言する。権力の移譲その他の事柄は、秩序ある方法によって、可能な限り迅速に執行されるものとする」 権力は日本軍政から「奪取した」のではなく「移譲された」のだった。実に重要な点だ。この宣言文は独立記念式典でも毎年読み上げられる。 ▽独立記念式典に臨むユドヨノ大統領(ロイター) しかし、この独立宣言を認めない勢力があった。植民地復活と喜ぶ連合国、具体的には英蘭軍だ。4年半に渡る熾烈な独立戦争の始まりでもあった。 【戦利品を奪いに来た英蘭軍の暴虐】 我が国の敗戦を受けて再びオランダが何喰わぬ顔で乗り込んできた…というのは誤りだ。「エメラルドの首飾り」と謳われたインドネシアを戦利品と考えて進駐したのは英軍であった。 昭和20年9月、英軍は少数のオランダ人で編成したRAPWI(捕虜救恤隊)を伴ってジャワ各地に進駐してきた。それに対してインドネシア人は敢然と立ち上がり、全土にラスカルと呼ばれる武装集団が自然発生する。 ▽スラバヤに上陸した英軍戦車隊 英軍はスカルノ初代大統領を支持する勢力を「土民の暴徒」となじった。だが、現地に居たのは大人しく植民地支配を受け入れるかつてのインドネシア人ではなかった。ある者は、こう印象を語ったという。 「わずか3年間の日本統治で猫は虎に変わっていた」 一部ではオランダ人の犬だった華僑を襲撃するなどの動きもあったが、やがてラスカルはスカルノ大統領の強いリーダーシップの元で統合され国軍(TKR)に再編成されて行く。 そこで重要な役割を果たしたのが、皇軍が昭和18年に編成したPETA(ペタ=祖国防衛義勇軍)だ。 *YouTube『PETAとインドネシア独立』 PETAは士官学校的な意味合いも兼ね備えた軍事訓練機関で、卒業したインドネシア人は約3万8,000人。スハルト元大統領もPETAの卒業生で、高く評価していた。 「PETAは独立戦争の主力であり、国軍の母体となった」 インドネシア国軍の将校の多くが卒業生だった。PETAはジャワ派遣軍司令官・原田熊吉中将の功績が大きいが、現地人に武器を渡して訓練するという考え方は皇軍独特のものだ。 イスラムの指導者で元首相だったモハメッド・ナチール氏は、こう述懐する。 「これまで植民地主義者が被植民地国の住民に武器をくれたり、訓練を施すなど前例がない。オランダは350年間も統治しましたが、ピストル一丁くれませんでした」 そして、このPETAの存在が、インドネシア独立戦争に多くの皇軍兵士が参加した要因のひとつでもあった。 【教え子を裏切らず、銃を手にした】 独立戦争に参加した皇軍兵士はスマトラ島で約500人、ジャワ島で約300人。さらに軍属・民間人有志を含めると最大2,000人規模にのぼる。 その内、400人から500人が独立戦争中に命を失ったと見られている。足跡を残さずに戦場に向かった者も多く、実態は未だ判明していない。だが、その誰もがインドネシア独立、白人植民地からの解放の為に銃を取ったことは間違いない。 8月15日の敗戦を境に、インドネシアに駐留する我が軍は複雑な立場に立たされた。我が軍の武器・弾薬など装備品をインドネシア人に譲渡することは許されなかった。 更に英軍は、こう通達を出す。 「日本軍は連合軍が進駐し、交代を命ずるまで現状を維持し、治安を確保すべし。その為に必要なる武器は所持してもよろしいから、暴動は必ず鎮圧すべし」 暴動とは即ち独立運動であった。各地の独立運動ではPETAのエリート達が中心的な役割を担っていることも多かった。昨日まで仲間だった者に銃を向ける訳にはいかない… ▽整列するPETAの兵員 一部の皇軍兵士は、軍籍を離れ、インドネシア人の側に回って英蘭軍との対決に挑んだ。中には訓練を施していたPETAの兵士から直接懇願されて戦場に向かった者もいた。 PETAの創設理由は、白人植民地支配からの脱却、インドネシア人の独立だった。今まさに、その時が来たのだ。教官が教え子を裏切ることなど出来なかった。 【スカルノ演説に奮い立ち戦場へ】 いったい幾人の皇軍兵士が独立戦争に身を投じたのか、はっきりした記録は残っていない。 ▽英霊墓地にある元陸軍曹長・小泉敏雄さんの墓(読売新聞) 在インドネシア元皇軍兵士の互助組織「福祉友の会」が70年代末に発足した時、把握できたのは僅か200人だった。それが28年後の今は6人ばかりに減っている。 今年6月11日、残留した元皇軍兵士の代表的な人物だった藤山秀雄さんが世を去った。享年85。インドネシア人残留日本兵のその後を追ったドキュメント『帰らなかった日本兵』の巻頭を飾っていたのが藤山さんだった。 ▽故・藤山秀雄さん 佐賀県出身の藤山さんは19歳の時、志願して陸軍に入り、シンガポール、ラングーンを経てジャワ島で終戦を迎えた。独立戦争に参加した他の皇軍兵士と藤山さんの参戦理由は少し異なる。 8月17日、ジャカルタにいた藤山さんはその日の朝、市内の大規模集会を警備するよう命じられる。「ただし発砲してはならない」との不思議な軍命だった。 ▽独立に湧くジャカルタ市内の広場 それが伝説的なスカルノ演説だったのだ。藤山さんは集まった群衆の熱気を目の当たりにし、強い感銘を受けて独立戦争に加わったという。 2年前の独立記念式典では宮原永治と共に元気に参列していたが、今年の出席は叶わなかった。藤山秀雄もまたカリバタ墓地に眠るインドネシア独立の英雄の1人だ。 *YouTube『JAPANESE SOLDIER IN INDONESIA』 戦場で足を負傷した藤山さんは、インドネシア政府から軍人恩給を受けていたが、一方で我が国での名誉回復の動きは遅かった。 【大御心に殉じた皇軍兵士の鏡】 藤山さんさんはインドネシア国軍から勲章付きの軍服を贈られるなど英雄として讃えられている。しかし、戦後の日本は軍籍を離脱して独立戦争に参加した元皇軍兵士を無視し続けた。 ▽国軍の征服をまとった藤山秀雄さん(読売新聞) 『帰らなかった日本兵』の記述では、度々厚生大臣宛に恩給請求書が出された反応は芳しくなかった。存命の21人に対して一時軍人恩給が支給されたのは、時代が平成に移った1991年のことだった。 その平均額は5万円足らず。しかも1回限りの支払いだ。それでも元皇軍兵士は名誉回復がなされたと言って喜んだという。哀しいエピソードである。問題はカネではなく、祖国からの名誉だったのだ。 日本の降伏後であったが、インドネシアに残った元皇軍兵士の多くは、旧軍刑法違反を気に留めていた。終世日本名を名乗らず、市井に埋もれて生き抜いた者も居るという。 だが、終戦の御詔勅を知って独立戦争の戦場に向かった者も少なくなかった。 「東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シテ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」 例え日本軍が破れても、東亜諸国の解放という聖業を諦める術はない…そうした誇り高い意志を胸に秘めて独立戦争に加わった。 ▽カリバタ英雄墓地での宮原さんと安倍首相(ロイター) そして4年に渡る激戦の果て、インドネシアは悲願の完全独立を達成。大東亜戦争の本懐はそこに遂げられた。 独立戦争を闘い抜いた元皇軍兵士が人目を忍ぶ離脱兵などであるはずがない。 正に彼らこそ大東亜戦争の体現者だ。 〆 最後まで読んで頂き有り難うございます♪ クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発 となります ↓ 参考動画: Japanese Samurai in Indonesia http://www.youtube.com/watch?v=jpzNVPRmzAs 参考記事: 読売新聞2005年7月20日「独立英雄」元日本兵 イザ8月21日『首相、カリバタ墓地に献花へ 旧日本兵も埋葬』 参考文献: 名越二荒之助編『世界から見た大東亜戦争』展転社 ASEANセンター編『アジアに生きる大東亜戦争』展転社 土生良樹著『日本人よありがとう』日本教育新聞社 長洋弘『帰らなかった日本兵』朝日新聞社 田中正明著『アジア独立への道』展転社 |
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タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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中国ネット社会に楔を打ち込め
中国政府が現在、中国で急速にひろまりつつあるインターネットに神経をとがらせているようです。 Tecnobahnより転電です。 ...続きを見る |
ネトウヨのブログ 2007/08/23 02:04 |
「美しい国」より「独立国日本」を・・・安倍総理に望むこと
残暑お見舞い申し上げます。それにしても今年の暑さは尋常でありません。日本人のあまりの不甲斐なさに天が警告を発しているのではないかなどと妄想しております。 ...続きを見る |
草莽崛起 ーPRID... 2007/08/23 07:44 |
イラクでブラックホークダウン、米兵14名全員死亡
||| イラクのブラックホークダウン」 |||イラク北部で米軍のブラックホーク機墜落 乗員14名全員死亡 夜間掃討作戦展開中の事故 メカニックの不調か原因を究明中 ...続きを見る |
米流時評 2007/08/23 15:00 |
日印首脳会談:「インドの中の日本」建設へ−朝鮮日報
日印首脳会談:「インドの中の日本」建設へ(朝鮮日報 8/23) ...続きを見る |
草莽崛起 ーPRID... 2007/08/23 19:00 |
頑張れ!ヒゲの隊長!!!
あの“ヒゲの隊長”佐藤正久参院議員が批判されています。 批判の対象になっているのは、8月10日のTBS系列のニュースで放映された以下の発言です。 ...続きを見る |
依存症の独り言 2007/08/23 20:21 |
安倍首相にインド国会スタンディングオベーション
安倍首相がインド国会で演説し、スタンディングオベーションが起きていたようです。 まずは外務省公式サイトより引用です。 ...続きを見る |
ネトウヨのブログ 2007/08/24 01:36 |
NHKの左翼売国放送・・東京裁判2番組・・
終戦記念日付近に一度、そして今週深夜に再放送された、東京裁判にかかわる「A級戦犯かく語る」「パール判事」の2番組。 安部首相はパール判事の息子と会ったようだが。どうでもいいですよー。 2番組とも糞。 東京裁判の不当性。石油禁輸されたからやむなく開戦。こうし... ...続きを見る |
時事問題ショートコメント! 2007/08/24 02:41 |
「慰安婦決議」は日本の危機である−すぎやまこういち氏
国家の名誉を汚す濡れ衣は必ず晴らさなければならない ...続きを見る |
草莽崛起 ーPRID... 2007/08/24 07:02 |
安部首相 英雄墓地へ
インドネシアの独立の為に戦った日本軍兵士の英雄墓地を安部首相が、墓参りしていた。新聞もテレビも報道しなかったので、此処を見るまで知らなかった。日本のマスコミは、腐りきっている。---------------------------------------------------------------------------... ...続きを見る |
ナームカーングボン・サアードの部屋 2007/08/26 15:55 |
梅沢隊長の恩に沖縄県民は仇で返すのか!?
拙者は6月22日に 沖縄県民よ・魂よりも命が大事か!? という記事を書いた ...続きを見る |
Empire of the Sun太陽の... 2007/09/28 16:42 |
内 容 | ニックネーム/日時 |
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アネモネさんは、格調高いなあ。 |
神谷晃良 2007/08/23 00:26 |
こんばんは。 |
現役保険営業マン 2007/08/23 00:32 |
安倍氏はインドネシアを通じて靖国神社に参拝したと思える。その気持ちは靖国に眠る旧皇軍の日本兵にも通じたことでしょう。日本のメディアはこのことは報じないのでしょう。 |
K8 2007/08/23 02:01 |
アメリカ在住ですが、 |
magics 2007/08/23 03:16 |
何故か、中国・韓国共静かなもんですね〜。 |
梅昆布茶 2007/08/23 05:08 |
8・15の靖国神社参拝スルーには大いに落胆もし安倍氏に対する期待も減少しほぼ底をつきましたが、今回の南アジア歴訪とインドネシア独立戦争に参加した皇軍兵士の墓地詣でたその姿に、安倍氏の誠を見ました。 |
マルコおいちゃん 2007/08/23 06:25 |
アネモネ様、こんにちは。かつて映画『ムルデカ』が製作上映されたとき、反日左翼勢力は無茶苦茶な非難を浴びせたものです。しかし今のところ安倍首相の「誠」に左翼は沈黙したか無視しています。インドでの国会演説にしても言える事ですが、首相は後が無いのですから自分の信念に基づいて外交を推進して欲しいと思います。 |
藤田達男 2007/08/23 06:49 |
インドネシアでの今回の墓参を伝えたマスコミ報道は、私の知る範囲では、今のところ皆無です。 |
アサピー嫌い 2007/08/23 08:30 |
いつも拝読しております。貴サイトはテレビ新聞が報じようとしない情報を発信されていてとても助かります。^^; 自分のブログでも紹介させていただきます♪ 安倍さん、ええとこあるがな♪ |
でこサングン 2007/08/23 08:51 |
安倍ちゃん、何かやってると思ったらこういう事だったんですか。日本じゃ報道されないし、政治的にはどうと言う事もないんでしょうが、それでも個人的には靖国参拝に行かなかった事と相殺しても良いくらいだなぁ。インドネシアの方々も喜ばれた事でしょう。インド・中東周辺との関係強化やら、北朝鮮への経済制裁やら、外交面ではGJ連発してますね。日本国内が敵だらけですし、この調子で外に味方を作る方が得策の様な気がします。 |
だめ狼 2007/08/23 09:00 |
う〜ん、良いなあ。素晴らしいエントリーをありがとうございます。 |
花うさぎ 2007/08/23 09:25 |
大東亜戦戦争でインドネシアで従軍していた方は、もう亡くなりましたが、現地の人にとても良い感情を持っていました。この記事でその一端が理解できました。白人からの解放という点で、現地の人たちと共有できる基本感覚があったのですね。 |
g-pal 2007/08/23 09:27 |
ハリマオや藤原機関に続いて、またまた格調高い大東亜戦争の歴史講義をありがとうございます。「日本精神が一番」というケマル・イドリス氏の言葉は感動的です。今や、国内の日本人が日本精神を伝えたり、正しい日本語を語り継ぐことは、皆無に近くなった。外国人や海外にある日本人に頼らざるを得なくなってしまった。すべて、反日教育がもたらした必然の結果です。反日サイドに阿って、「大東亜戦争の意義」の「負」の部分だけを強調し、「意義」の部分に目を瞑ってきた旧文部省の責任は重い。 |
風来坊 2007/08/23 09:39 |
上の↑「大東亜戦争の意義」の「負」の部分は、ミスです。正しくは、「大東亜戦争」の「負」の部分です。失礼しました。 |
風来坊 2007/08/23 09:43 |
>安倍首相は「今はしたくても出来ない」立場にあるんだと思う。 |
ナポレオン・ソロ 2007/08/23 10:05 |
これに対して、安倍政権が協力を明確に断る姿勢を示さなかったのが、国民に対して一番イケナイ事だが、政治的には江択民の影響を脱した現シナ共産党中央の政治観は未知数な部分が多い、それを見極める事なく、現政権のメンツを潰して、シナが政局となってしまえば、以後どんな政権になろうがどの途、シナは米国と直接交渉するしかなく、事実上日本は極東の政治舞台から退場させられる懼れがある、との危惧を抱き、参拝への逡巡になったのではないか。 |
ナポレオン・ソロ 2007/08/23 10:07 |
オリンピック開催も、経済維持も同程度に暗雲が懸かって居ると言える情況で、この度の「太平洋二分割論」ですが、これがオリンピック開催とは真逆のベクトルを発生させる事は誰でも解ることです、この独走発言を放置した事実によって、胡政権が相当の求心力を喪失している事がハッキリしてきたワケです、胡政権がカナリ追いつめられた情況に有るのは間違いがないようです。 |
ナポレオン・ソロ 2007/08/23 10:07 |
安倍首相良い事をされました、この記事を書いてくれたアネモネさん、素晴らしい記事です。当時のアサヒグラフはぺタ(少年兵だった記憶が有ります)を訓練する写真つきの記事を配信していた癖に今はダンマリ、今日の安倍首相の行動も一切報道していませんね。 |
古田 2007/08/23 10:08 |
>オランダ軍から輸送を命じられた物資をひそかに独立軍に横流ししてた |
A 2007/08/23 11:12 |
捏造だらけの日本国 |
masashi 2007/08/23 11:50 |
アネモネさんありがとう。 |
竹 2007/08/23 13:14 |
>神谷晃良さま |
アネモネ 2007/08/23 17:46 |
>藤田達男さま |
アネモネ 2007/08/23 17:47 |
>風来坊さま |
アネモネ 2007/08/23 17:48 |
いつ聞いても熱く自然に涙がでてくる話しですね…有難うございます…でも安倍さん… |
2PAC 2007/08/23 19:26 |
いつ聞いても熱く自然に涙がでてくる話しですね…有難うございます…でも安倍さん… |
2PAC 2007/08/23 19:26 |
感動したと同時にこのような日本人が居たことを誇りに思います。 |
fuyuneko 2007/08/23 19:34 |
誤変換と思われる箇所を見つけましたので、報告します。 |
まじっく 2007/08/23 21:03 |
この件、時の首相「村山富一」が土下座お詫び行脚でインドネシアに立ち寄り、「現地の方々にえらい迷惑かけた」とお詫びを表明したそうです。ところが現地の方々は「はぁ?何言ってんのこいつ」という反応。(現地に残られた皇軍兵士の方々は特級の英雄扱い、大変慕われていたそうです。) |
taka 2007/08/24 00:48 |
不思議な気持ち。安倍総理大臣が詣でられた墓は、インドネシアの英雄が眠る場所のそれとは言え、旧日本軍からしたら軍規違反の離脱兵のもの。その様な個人の元日本兵の墓前で合掌する安倍総理大臣がとても立派に見えます。お世辞じゃ無く、やはり日本国民は、良き総理大臣を選んだのだなと、何処か安堵の念を禁じえません。アネモネさんが、綺麗に決めています。『正に彼らこそ大東亜戦争の体現者だ』。あの戦争は、只の侵略戦争では無いです。例え、旧日本軍離脱兵でも、インドネシアの国民から英雄として扱われている彼等は、一日本人の私としても誇りに思えます。 |
神谷晃良 2007/08/24 00:52 |
『悪辣な植民地支配』。 |
神谷晃良 2007/08/24 01:41 |
ちっとばかり面白い記事をアンチキムチさんで見つけたんですが、安倍ちゃん今回靖国に行かなかったのはGJだったのかも知れませねぇ。 |
だめ狼 2007/08/24 07:23 |
安倍首相の演説は、インド国会で聴衆の大きな拍手を得たという。マスゴミが伝えようとしないその演説のさわりを以下要約。 |
名無しの経営者 2007/08/24 15:00 |
10年以上前にインドネシアに行ったけど、地方を回っている時に私が日本人だと判ると「空襲警報」とか「天皇陛下」などと話し掛けて来る人が多かったです。 |
旅人 2007/08/24 18:50 |
中国では泥棒やら詐欺やら親切な人のバリエーションが余りに広くて、人間性が掴み難かったです。 |
旅人 2007/08/24 19:25 |
私の「戦前派お勧めのブログ」で貴ブログを紹介させて頂きました。なお私のコメントでは貴ブログの趣旨と一致して居ない所もあるかも知れませんが、私の勝手な感想なのでご了承下さい。 |
無党派A 2007/08/26 11:49 |
『 日本は現地人に武器を与え軍事教練をした 』これこそが日本のかつての海外進出が 欧米の植民地政策に対抗する目的でアジアの解放を企図したものだった有力な証拠です。台湾や朝鮮では現地人の士官学校への入学を認め士官として教育した。欧米は植民地では農産物・鉱産物を収奪するだけで加工製品を現地に売りつけただけだったが、日本は現地に工場を作り生活必需品の生産から指導した。中国や朝鮮がいかに否定しようともこの事実は消えない。 |
ミナミ北朝鮮 2007/08/26 22:32 |
はじめまして、今度の日本の総理大臣は日イ交流会長も勤める福田クンです。 なぜゆえに彼は安倍さんのように英雄墓地に来ないのか? |
ジュパング、インドネシア、トゥマヌ 2007/09/24 20:21 |
“友人”ニック・ロックフェラーとの会話内容を語ったインタビューの一 部がネット上で公開されています。 |
fukuro 2007/11/13 18:49 |
“友人”ニック・ロックフェラーとの会話内容を語ったインタビューの一 部がネット上で公開されています。 |
fukuro 2007/11/13 18:49 |
“友人”ニック・ロックフェラーとの会話内容を語ったインタビューの一 部がネット上で公開されています。 |
fukuro 2007/11/13 18:50 |
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