[トップページ] [平成12年一覧][The Globe Now]][222.0131 中国:政治][316 国際社会の人権問題]
--Japan On the Globe(162) 国際派日本人養成講座--------------- _/_/ _/ The Globe Now: 天安門の地獄絵 _/_/ _/ _/_/_/ 天安門広場に集まって自由と民主化を要求する _/ _/_/ 100万の群衆に人民解放軍が襲いかかった。 -----------------------------------------H12.10.29 30,002部-- ------------------■3万人突破の御礼■------------------ お陰様で、本号を持ちまして、購読者数3万人を突破できま した。本年1月に2万人を達成してから、9ヶ月で1万人の方 々を新たに読者としてお迎えできました。巻末でご紹介してい る書籍版も早くも第3刷と好評です。これも皆様方からの励ま しと周囲の方々へのご推薦の賜と、篤く御礼申し上げます。 -------------------------------------------------------- ■1.歴史の改竄■ 1989年6月に中国で起きた天安門事件(欧米では、「天安門 の虐殺」, Tienanmen Massacre と呼ばれる)では、自由と民 主主義を求める学生・市民が軍隊に強襲され、北京で死者1万 人、負傷者はその倍、北京以外では死者2万人、負傷者4万人 の被害が出た、と国際アムネスティその他の人権擁護団体は推 定している。[1,p520] しかし、自由を求めて立ち上がった学生達の犠牲的行為は、 すでに欧米諸国や我が国からも忘れ去られ、遠い歴史の一こま となりつつある。 一方、この事件を北京政府は人民日報で次のように報じてい る。 首都ならびに全国の全人民は、軍が人民の誰一人殺害し たり、危害を及ぼしたりしなかったことを理解するであろ う。反革命分子に抗戦するにあたって、軍は自衛行動を余 儀なくされたが、発射したのは空砲だけであった。その間、 将校、兵士、そして警官の4人が、これら非人間的な抗議 参加者によって残忍にも殺害された。これら分子の残忍性 は、一般人民の想像を絶するものである。[1,p504] 多くの犠牲者の写真や、外国人報道記者の虐殺証言にも関わ らず、このような発表が平然と行われる所に、中国政府のよく 言う「歴史の改竄」の典型を見ることができる。 ■2.学生は「階級の敵」になりつつある■ 1989年3月8日、北京の人民大会堂で中国共産党政治局の全 体会議が開かれていた。席上、李鵬首相は、北京やその他の都 市の多くの大学キャンパスで、学生達が現政権に対する抗議集 会を開いている事実を指摘し、彼らは「西欧化に過剰に曝露」 された結果、「腐敗」してしまっており、今や「階級の敵」に なりつつあると指摘した。 リベラル派の前党総主席・胡耀邦が割って入って、教育の普 及によって、学生の中に「抑圧されてはならない」という自覚 が生まれてきたことを認めようとしないことから、中国の諸問 題は派生したものだと主張した。 そして胡耀邦は立ち上がって、「中国にとっての唯一の希 望」について、何か言おうとした所、声が出ず、口をぽかんと 開けたまま立ちつくした。そのあと、崩れるように床に倒れて しまった。胡耀邦は担架で運びだされ、会議は流会となった。 ■3.人民は戦いを挑むことになろう■ 文化大革命を生き抜いたケ小平が、経済の近代化を目指して 1982年に後継者として党総主席に指名したのが、胡耀邦であっ た。胡耀邦は共産党のイデオロギーに対する攻撃を始め、リベ ラルな改革を押し進めた。学生たちはその一語一語に陶酔し、 民主主義の確立を求め始めた。 多くの党幹部の子息も学生達のデモに加わり、逮捕されて強 制労働収容所に入れられた。党長老たちの圧力のもとに、ケ小 平は周到な打算の結果、胡耀邦を失脚させた。胡耀邦はある人 にこう語っている。 ケ小平は、自ら仕掛けた罠にはまってしまった。経済の 一部自由化を実施したことは、全面的な政治の自由化を求 めていた人民の気持ちを誤解していたことを示す。 もし自ら欲するものが得られないとするなら、人民は戦 いを挑むことになろう。学生だけでなく、すべての人民が。 人民公会堂で倒れてから、5週間後の4月15日、胡耀邦は 二度目の発作を起こして息絶えた。その死を引き金にして、彼 の予言した「人民の戦い」が始まった。 ■4.中国に民主主義移行の権利あり■ 同日、数千人の学生の隊列がシュプレヒコールを繰り返しな がら、天安門広場に現れた。先導する学生は胡耀邦の写真を掲 げて、従う学生達は、追悼の意を表すために、白い服をまとい、 白い花束を手にしている。 人民英雄記念碑の前で、「中国に民主主義移行の権利あり」 と大書した横断幕が掲げられ、学生リーダーが「胡耀邦万歳! 民主主義万歳! 自由万歳! 汚職撲滅! 官僚機構廃止 !」と叫んだ。 人民大会堂のサロンでは、党の政治局会議のメンバーが、怒 りをあらわにして、学生達の動きを見ていた。楊尚昆国家主席 が「やめさせなければならない、直ちに」と言ったが、趙紫陽 党総主席は、学生達と共に歩んでいるテレビや新聞雑誌のカメ ラマンを指して、「全世界の注視の的になっている。我々を批 判するよう学生達をし向けるようなことは、いっさいしないこ とにしよう。」と止めた。 その後、日が経つにつれて、天安門広場の群衆は増え続け、 100万人にも達したが、警察の取り締まりは散発的であった。 趙紫陽が、学生に干渉しないという態度をとり続けていたから だが、これは彼が党内での実権掌握を狙って、学生運動を利用 しているからだ、とのうわさが絶えなかった。趙紫陽は、胡耀 邦の後継者として、経済自由化を進めてきた人物だった。 ■5.学生の戦い■ 100万人以上もの群衆を、学生リーダー達はよく統率し、 非合法的な動きを押さえて、当局に手出しをさせるきっかけを 与えなかった。またその民主主義の要求も、憲法から引用した 文章で裏付けされていた。 多くの大学当局では学生にデモを止めさせるために、父兄を バスで集め、説得させようとした。父兄から今後一切の仕送り をやめ、絶縁すると脅されたが、学生達は言うことを聞かなか った。 やがて、400人を超える学生が、当局が民主主義要求を聞 き入れるまではと、死を賭してハンガーストライキに入った。 学生リーダーの一人は次のように演説した。 死はわれわれの目的とするところではない。しかしなが ら、もし一人の死もしくは何人かの集団の死が、さらに大 きな集団の生活改善とわが国の繁栄を助長するというのな ら、死を回避する権利は我々にはないということになる。 目撃した外国人報道記者は、ハンストに参加した学生たちが 相手を弊(たお)さずにはおかないという覚悟を決めているこ とに気づき、「神風特攻隊のパイロットはこのようであったに 違いないと思わしむるものがあった。」と語っている。 ■6.趙紫陽の失脚■ 騒ぎが始まって、ちょうど1ヶ月後の5月15日、北京政府 はソ連のゴルバチョフ書記長を迎えた。しかしこの騒動のお陰 で、書記長一行は裏道を走り、人民大会堂にも普段は掃除夫が 使う西門から入らねばならなかった。外では、「モスクワには ゴルバチョフと自由!、中国にはケ小平と汚職!」などと書か れた垂れ幕が掲げられ、「ゴルバチョフ同志よ、われわれにペ レストロイカを与えたまえ」という叫び声が会議場にまで届い た。北京政府の面目は丸つぶれとなった。 翌16日夜、ケ小平は趙紫陽を呼びつけて、1時間以上も、 怒りをぶつけた。二人は50年以上も一緒にやってきたのだが、 ついに決別の時が来た。しばらくにらみ合った後、ケ小平は目 をそらし、横にいた李鵬の方を向いた。李鵬は満足感を隠そう ともしなかった。 5月19日早朝、趙紫陽はやつれた表情で、天安門広場でハ ンスト中の学生達を訪れ、「私が今回ここを訪れたのは、諸君 の赦しを乞うためである」と述べた。その後、趙紫陽は黙って 車で去っていった。こうして学生達が新しい政権を作ってくれ るかもしれないと期待した人物は歴史の舞台から消えていった。 ■7.もつれた雑草を刈り取るには鋭利なナイフを■ 5月後半からは、学生や市民による騒乱が全国の約20都市 で広まった。西安では30万人が抗議デモを行い、軍の車両や 施設が放火された。湖西省では2千人の学生が駅を自主管理し、 湖北省では揚子江の橋を占拠していた。 5月27日、趙紫陽に代わって、上海で学生運動に断固たる 処置をとった上海党第一書記の江沢民が党総書記に任命された。 6月2日、ケ小平は党幹部を邸宅に集めて、学生に対して断固 たる処置をとるという決定を下した。ケは「もつれた雑草を刈 り取るには鋭利なナイフを使わねばならない」と言っていたが、 もしそうしても欧米諸国からの軍事的報復はなく、建前上の非 難はあっても、外交面、貿易面の断絶は一時的なものになるだ ろう、という情報を各国駐在の中国大使から得ていたのである。 その時には推定10万人の人民解放軍が戦車、ロケット・ラ ンチャー、重機関銃などの重装備をして北京を包囲していた。 北京以外にも、上海、武漢、成都などの都市に5万人近い兵力 が展開されていた。 ■8.虐殺の夜■ 6月3日(土)深夜、テレビのスクリーンに「戒厳令司令 部」という文字が現れ、「広範囲にわたる市民の要請により、 軍は暴漢に対処するため、協力かつ効果的な措置を講じようと している。市民は街頭に出ないように。」という声明が読まれ た。 兵士達は、「反革命分子が疫病の蔓延を計画中」であるから、 と何かの注射をされ、命令があれば射殺せよと、言われた。 バスやトラックで作られたバリケードに一斉射撃が加えられ、 人々が次々になぎ倒されていく。戦車がバリケードをつきやぶ り、その後に装甲車やトラックの列が続いた。 兵士達が注射されたのは、麻薬であったようだ。彼らは見境 なく銃撃し、銃弾にやられた人々が悲鳴をあげるのを耳にして は、笑っていた。 北京の事務員や工員たちは、学生達が危ないと、あわてて天 安門広場に集まり、1時間後には百万人を超える群衆となった。 しかし武器もなく、彼らに出来ることは、学生に危害を及ぼす なと、兵隊に向かって絶叫することだけだった。 40、50人の市民が列を作って、軍隊に向かって前進する と、並んだ戦車の間から歩兵が一斉射撃をして、なぎ倒す。弾 丸を装填して発射、また装填して発射、、、。 ■9.中国人民を支持してください■ 夜が明けて、天安門に通ずる東西約10キロ半の両長安街に は、男性や婦女子の死体があちこちに横たわっていた。兵士達 は夜のうちから、死体を積み重ね、ガソリンをかけて焼いてい たが、外国特派員の目から隠すために、ヘリで死体を北京市西 方の丘陵地帯に移送し、そこで火葬にした。 その悪臭は市内の上空にも漂い、英国大使館報道担当官ブラ イアン・デイビッドソンは、ナチスの収容所周辺の悪臭も、こ のように吐き気を催すものではなかったか、と語っている。 天安門で事件を目撃した若いアメリカ人教師バー・セイツは、 その夜の光景を思い出す。彼は、歩きながら一人の中国人青年 に声を話しかけた。青年は、手押し車で負傷者が連れ去られて いくのを見ながら、両手で顔を覆い、それからバーに向かって 訴えた。 あなたは、中国人民を支持してください。お国に帰って も、中国人民を支持してください。 ■10.事件のあと■ 民主化要求に立ち上がった学生達は、民主主義のチャンピョ ンを自認する米国がバックアップしてくれるのでは、と淡い期 待を抱いていた。しかし、それはあまりにもナイーブな期待だ った。米政府は人民解放軍の動きを偵察衛星を通じてリアルタ イムに把握していたが、北京政府に自制を求めることもなく、 学生達に迫り来る危機について警告することもしなかった。 事件後、ブッシュ大統領は対中武器輸出と、米中軍関係者の 接触を一時停止すると発表したが、「米中関係は米国にとって 重要であり、私としては維持されることを望んでいる」と記者 会見で述べた。米中間の貿易はその前年には、40%増の12 億ドルに達し、対中投資も35億ドルにのぼっていたのである。 激化する日本との経済競争を勝ち抜くには、米中貿易をテコに するしかない、という戦略の前には、学生達の民主化要求も、 そして彼らの人権や生命すら無視されたのである。 事件後、世界銀行からの借款停止など、国際社会は中国に対 する制裁措置をとったが、翌年の湾岸戦争に際して、米国は制 裁解除に向けての後押しを中国に約束した。これは中国が国連 安保理で拒否権を発動しないこと、イラクに売却した中国製ミ サイルの配置情報を提供する事、という二点の見返りである。 湾岸戦争の一週間前、北京政府は逮捕された推定3千名にの ぼる学生達の裁判に関して、米国側が公式な抗議をしないよう 期待していると伝え、米国はこれに応えた。裁判の結果、民主 化を要求して平和的なデモを実施しただけの学生達が、3年か ら13年の刑期で強制労働収容所送りとなった。 胡耀邦のもとでようやく芽生えた自由化・民主化への動きは、 こうして「鋭利なナイフ」で完全に刈り込まれ、ソ連や東欧に 比すべき共産党独裁からの解放はさらに遠のいてしまった。 ■リンク■ a. JOG(109) 中国の失われた20年(上) 〜2千万人餓死への「大躍進」 b. JOG(110) 中国の失われた20年(下) 〜憎悪と破壊の「文化大革命」 ■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け) 1. 「北京の長い夜」★★★、ゴードン・トーマス、並木書房、H5.10 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ■KATSUEさん(中国留学中)より 私は3年前に中国に渡り、現在北京にて中国古代建築史の勉 強しているものです。3年前、私がまだ中国語を勉強している 教室において、先生が「歪曲」という言葉で例文を作るとき、 「日本は歴史を歪曲しました」という文をつくるのです。そし て日本人が多くの中国人を殺害したことを身振り手振りで説明 するのです。周りには私の他に一人日本人が、その他はすべて 韓国人留学生でした。その際、先生は日本人を「日本鬼子」と 呼びます。 先日買い物に行った先で、異様に日本を誉める店主に出会い、 長い時間話していたのですが、話の展開は予想の通り、「日本 は戦争で中国に大きな損傷を与えたのに、びた一文賠償してい ない」という方向に流れました。「私の記憶が確かではないの ですが、確か何億もの金を中国に渡しているんじゃ?また、北 京の新空港も日本が一部出資していると聞いたけれども…?」 と聞き返すと、「まったくそんなことはない。経済的な援助は 一切されていない」と、通りを歩いていた博士過程だという学 生や買い物客まで巻き込んで大論争になりました。 つまり、彼らの心の中は、「日本は戦争中にあんなに中国を めちゃくちゃにしておいて、現在はそれらすべてを忘れて裕福 な生活をしている、それなのに我々は今だにこんなに貧しい、 どういうことなんだ?」という気持ちでいっぱいなのです。 中国のマイナス面がやたらに目につく時間が、躁鬱のように やってきます。その度に、貴誌の記事を読み、己を元気づけて います。そして、私はどう転んでも中国人ではない、日本人な んだ、と認識している毎日です。 ■編集長・伊勢雅臣より KATSUさんへの声援として、本誌69号での次の一節を お送りします。 この輻輳する国際社会で、真の平和と友好を実現しよう と思ったら、我々はその複雑さに耐えつつ、自らの「根っ こ」を見つけ、翼を鍛えて、相手の「根っこ」まで辛抱強 く橋を架けていかなければならない。 ちなみに対中賠償に関し、中国政府が日中共同声明第5項に おいて、「中華人民共和国政府は、日中両国民の友好のために、 日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言」してい ます。こういう歴史を無視して、日本は賠償していない、など と言われる所にも、中国の複雑性があります。 ■「The Globe Now: 天安門の地獄絵」について Abeさんより 学生の運動で自由と民主主義が認められていたら、ロシアの ように混乱ばかりが広がり、自由と民主主義を誤解している人 民で、悲惨な事になっていたのではないでしょうか? Y.Tさん 中 国政府による民主化運動の弾圧は,世界各国の強い批判を受け ました。かれらの暴挙は,当然非難されるべきことと思います。 しかし,もしあの民主化運動が共産党政権を倒し,民主化勢力 が権力を掌握したとしたら,中国はどうなっていたでしょうか。 ■ 編集長・伊勢雅臣より お二人の言われる通り、民主化運動が政府を倒しても、現在 よりももっとひどい混乱が起こっていた可能性は十分あるでし ょう。民主化運動が失敗すれば弾圧されて地獄となり、成功し ても果てしない混乱が待っている、そこに中国の政治の複雑さ、 中国人民の同情すべき状況があります。我が国の外交を考えて いく場合に、まずこの認識からスタートしなければなりません。
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