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【いじめと生きる】

第5部「加害者」たちの歳月 (5)謝罪…13年前 

2007年5月2日

清輝君の遺影に向き合う父親の大河内祥晴さん

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乏しい罪の意識 父は変化待った

 自分をいじめていたあいつと街で出くわした。懐かしそうに笑顔で声をかけてきた。ぼくは、目をそらせて無言で立ち去った。あいつは不思議そうな顔をしていた−。

 昨年九月、愛知県西尾市の大河内祥晴(60)の家を訪ねてきた宮城県の男子大学生(20)は、そんな最近の苦い“再会”について話した。そして、悔しそうにつぶやいた。

 「殺してやりたい。あいつは、ぼくのつらさを今も全然わかっていないんだ」

 祥晴によれば、その大学生がいじめを受けたのは中学の三年間。高校では、いじめはなかったが、今度は「ならばなぜ中学で、いじめられる必要があったのか」などと悩み、大学進学後も不安定な状態が続いていたという。

 祥晴は一九九四年、中学二年生だった二男清輝=当時(13)=を、いじめを苦にした自殺で失っている。以来、その経験をふまえ、全国の子どもたちからの相談にボランティアで応じてきた。

 あの大学生は祥晴宅に二泊して帰った。その二週間後、自らの命を絶った。

 彼だけではない。祥晴がこれまでに会ってきたいじめ被害者で、加害者から謝罪されたと聞いた例はほとんどない。その意味では、息子の清輝をいじめた加害者は珍しいケースかもしれない。当時少年だった四人のうち三人は、二十代半ばになった今も仏壇を参りに来る。

 彼らは清輝の自殺直後には「おもしろかったから(いじめた)」と答え、約一カ月間、自分たちの行為を説明する文章を毎週書いて持ってきたが、祥晴が読んで感じたのは罪悪感の乏しさと、「こんな淡々と書けるのか」というやるせなさだけだった。

 ところが、二カ月たつと、一人が「警察に話していないことがありました」と打ち明けてきた。彼らは次第に素直に話し始めた。高校や専門学校に通う間、月命日には親と一緒にお参りにきた。

 「(四人を)なぜ家に入れるんだ。清輝君はそんなこと望んでないよ」と抗議の電話も入った。祥晴にも、彼らを許せないという本心は当時も今もある。そして、言葉による謝罪で心に響くものは、十三年たつ今も、実は、一つとしてない。

 それでも受け入れてきたのは、彼らの変化を信じたからだ。今、霊前に長く座り、じっと合掌している姿を見ていると、「過去の行為と向き合い、清輝に語りかけてくれている」と感じる。

 四人は就職し、二人は結婚して子どもがいると聞いた。「子どもは大事にしないといかんよ」と祥晴が言うと、深くうなずいていたという。

 四人は、いずれも取材には応じてくれなかった。ただ、家族によると、そのうちの一人は数年前、いじめ自殺のテレビ報道を見ながら、こう漏らし、ため息をついていたそうだ。「いじめ、いつまでもなくならんね」

 祥晴は、思う。自分を訪ねてくるいじめ被害者の多くが、そのつらさを分かってほしい一番の相手は、本当は「自分をいじめた相手」なのではないか。あの大学生だって、多分…。

 謝られて、過去のつらさが清算できるわけでも、めちゃくちゃにされた時間を取り戻せるわけでもない。「でも、それでほっとできる。(つらさを)わかってもらえたと納得できて、ようやく次のスタートへの心の整理が、少しずつだけどできていくんだと思うんです」 (文中敬称略)

 =第5部おわり

 【加害者の謝罪はまれ】 いじめ問題に取り組むNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」の武田さち子理事(48)によると、加害者が罪を認めて真摯(しんし)に謝る例は極めて少ない。周囲の大人たちの言動にひきずられるのが、その主な理由だという。「管理責任を問われる学校が事実を隠し、親が被害者の非を言い立てて自分の子を正当化する。そのため、はじめは反省を見せていた加害者の子は『自分は悪いことをしていない』『周りの大人がうそを守ってくれる』と思いこんでしまう」

 

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