第2回 地球塾公開講座

日時 平成15年7月6日(日)18時〜21時

場所 鳥羽水族館エントランスホール

地球塾塾生橋本サブリーダーの司会進行で第2回地球塾がスタートしました。

 地球塾推進委員会委員長 奥野和宏氏(鳥羽シーサイドホテル専務)の開講宣言。
 幸吉の人生観ユーモアを引き継いでいる館長に今回の講演をお願いしました。これから館長に替わる新たなスターを育てていこう。

テーマ「ジョークは会話の潤滑油」

鳥羽水族館 中村幸昭館長

 皆さん今晩は、鳥羽水族館の中村でございます。今日は日曜日でお休みのところたくさんの皆さんがおいでいただきまして、沢山話を聞いていただくと光栄の行ったり来たりでつきあったりです。目の前に魚が沢山います。魚を見ながら話を聞くとぎょぎょとします。わかります。今、あじさいの華が美しい季節ですがそろそろ終わりかけまして、庭に見えますクチナシが今日は何輪華が咲いているかな。朝起きてから散歩して犬を連れて、オードリーヘップバーンのオードリーという雌犬ですが。クチナシの香りを聞いて会社に来るわけであります。
僕の自己紹介から、初めての方も見えると思いますので申し上げます。僕は昭和3年1月1日、日の出と共に生まれました朝六時です。いいですか、めでたい男ですよ。1月元旦の朝6時ですからね。ところが、鳥羽町の当時の役場が休みだったので1月7日に登録されています。従って、七草粥が大好きであります。私の生まれた鳥羽の中之郷という海岸の近くで歴代海産物問屋をやっていまして4代目の長男でございます。ところが、私のお祖父さんは漢文学者みたいな人で、僕の名前を中国の古典で春夏秋冬といのがありますが春と秋が一番陽気がいいということで、季節の春は幸せの春にすると言うことで幸昭(ハルアキ)という変わった名前を付けてくれたのであります。うちが貧乏でありまして破産状態でしたから、お袋がおやじのところに嫁に来るときには。どうしていいのか分からない。子供の頃アイスクリームが初めて鳥羽に来まして、お祖父さんとお祖母さんが初孫ができたと言うことでアイスクリームをいつもおねだりして食べていましたら、胃腸を壊しました。ぼくは、樋の山の今、金比羅山の鳥羽ぶんしゅ庵てありますが、昔、かいしゅん堂という宿がありまして、そこの別荘におばあちゃんが留守番をしていましたのでわたしは幼稚園に行くまで預けられました。家庭の断絶がありました友達は一人もいません。ですから一人でその辺を散歩してカエルを捕ったり蛇を捕ったりトンボや蝉を捕ったりしていました。ある日、お祖母ちゃんが孫の私が帰ってこないということで。その当時の消防団が家捜しをして、家や山を探したんですが、夜中になっても見つからない。しょうがないので明日の朝捜索をしようということで、行方不明になった僕を心配して、夜中の2時頃におばあちゃんが押入を明けたところ、奥のところでバケツを抱えて僕は寝ていました。その中に赤いアカテガニという蟹をいっぱい捕って寝ていました。見てお祖母ちゃんはビックリしていたという話を後でしていました。

病弱だった私が足を使うようになりました。山にいる鹿とか狸が歩くときみなさんよく注意して見ていて下さい。必ず前足のここを押さえて歩くんです。ここはツボなんです。前足をかがめて、歩くんです。後ろ足からやるとべた足になるんですよ。前足のつぼを押さえて歩くと人が10分かかるところが7分で歩けます。早足で。そうすれば健康になります。足を使うということは、手も動くし、内臓の働きも良くし、頭のコンピュータも綺麗にするんです。そのことを子どもの時に気がついてから早足で歩くようになりました。すっかり健康になりまして小学校から今日まで、この方大病をしたところがありません。健康第1番は足です。そして私はオヤジとお袋が一生懸命働いてくれて僕は魚屋に生まれましたから海産物の問屋ですから。魚を取ることを勉強するために水産高校に行きました。漁業科というところに。太平洋戦争が始まりました。みなさん若い方は知らないと思いますが水産の学生は四日市の浦賀ドックという造船所に働きに行きました。忘れもしません昭和20年6月18日空襲に遭いました。焼け野原になりました。学校に帰ると先生が君は魚屋を継がずに新聞記者になりなさいと言われたので、ぼくは、東京の大学を出て朝日新聞の東京本社にいました。学芸部です。学芸部というのは天文学、星のことから化石のことまであらゆる考古学まで、猛烈に勉強しましたから頭のコンピューターにまだインプットされています。ぼくは、今でこそ北海道から沖縄まで三千回以上の講演をしましたが、人前でわたしは小学校5年生の時まで話ができなかったんです。気が小さいから、今も気が小さいですが。どういうことになったかという転機を申し上げます。誰でも才能は人間はドングリの背比べで同じなんです。小学校5年生の時に鳥羽小学校の全校生徒に当時はテレビがなかったんですラジオ全盛時代でありまして、JOCK名古屋の放送局から郷土の誇りと言うタイトルで作文を書けということで全校生徒作文を書かされた。そのときに郷土の誇りということで、郷土の大先輩の御木本幸吉、門野幾之臣、江戸川乱歩、近藤真琴、九鬼嘉隆の事を書いたら、たまたま入選となりました。それで学校の先生がNHKの名古屋の放送局行って、それを君は代表でやらないといかんとみんな残れとみんな残されたときに、リハーサルのとき自分で書いた原稿ですから原稿なしでしゃべったんです。それから学校の先生は君は偉いということで。講演の時は人前で話すときは一切原稿を用意してはいかん。ノー原稿でやれということで、その癖が付きまして。水産にはいりましてからぼくは校内の弁論大会になると学年の代表でやれと。大学へ入りましてからも新聞部や弁論部におりまして話をする機会を作ったということで、今ではどんなに1万5千人という大会の講演もありますが、いっさい上がったりしません。今日は百人くらいの人が見える。今日は鯛が百匹泳いでいる。二千人いれば鯖が二千匹いるな。鯖を読むなということでね。そういうことをいつも考えていますから上がったり緊張することはありません。緊張するのは蚊取り線香のキンチョールぐらいでいいんです。いいですね。それで桂三枝、浜村順、明石さんまに学風を教えて、もう30年になりますが、水族館の名誉顧問をしております。三枝は名前が三枝(34)だから、3、4、12回来いというてありますが。時々来ます。この間も鳥羽にやって来ました川柳の専門家を連れましてね。今母の日は大事でしょ。お母さんが一番偉いのですからね。この世の中で。で作ったんですよ「母の日はみんなで送るカーネーション」いいでしょこれ。お母さんはいいけどお父さんカゲが薄いわなこれは。6月の何日やらだれも知らんがなこれ。父の日の川柳を作りました。三枝と。お父さんうち帰ってきやへんな。よろしいか。「父帰る娘出かける妻寝てる」。うちの家内が妻がまだ寝ているだけいいわな。そういいますからもう一句作りました。「父帰る娘出かける妻も留守」。そういう時代なんです。

すべての命は海から生まれたんです。海は、海の母とかく。宇宙船地球号に住んでいますが。46億年前にこの地球は誕生したといわれている。30億年前すべての命は海から生まれました。海はお母さんです。この世の中で一番大切な人は誰か。お母さんです。お父さんも大事だけど、お母さんのお腹の中に十月十日入ってましてお母さんは陣痛に耐えて。そして生んでくれた。母は偉大ですよ。そのお母さんを大事にしなければ罰が当たります。お母さんは女性です。だから我々男性は女性を大事にしなければいけない。それが当然の権利、責任です。それが今、セクハラ事件なんてとんでもない話ですよ。女性を大事にしなければ男はダメ。そういうことをいつも考えながら文部科学省や厚生労働省でも女性を称える講演をしています。人間より偉いのはだれですか。神様でしょう。神さんより偉いのはおかみさん。伊勢神宮だって天照大神は女性の神さんなんです。そうでしょ。

御木本幸吉翁は鳥羽の「阿波幸」という「大里」に残っていますが、うどん屋のせがれでありました。家は貧乏だったんです。そして、お嫁さんはうめさんという方をもらったんです。うめさんは子供を3人産んで若くしてこの世を去りました。真珠博物館に残っている記録を見なさい御木本幸吉も偉かったけど偉かったのはうめさんです。奥さんですよ。奥さんは赤潮で真珠貝が全滅したとき、どうやって御木本幸吉を励ましたことか。私は真珠養殖はやめやとあきらめかけたときに。ネバーギブアップですよ。あきらめかけた御木本幸吉を最後まであきらめるなといって励ましたのは奥さんですよ。子育てをしながら立派な人でしたよ。それで大晦日になるといつも借金が多いのでうめさんは幸吉翁に手紙を出しました。正月に借金取りがようけやって来るうちに。あんたがおると断るのに難儀する。私が全部断る。ウチの中のことは。だからあんたは正月に帰ってくるなという手紙を出したんですよ。偉い人でしたよ。だから、うめさんを称えないといけないということがあります。

御木本幸吉翁は生前に葬式のリハーサルをしたい。こういう事を言っておりました。本居宣長翁が、葬式のリハーサルを行ったんですね。松阪の人ですね宣長記念館に書いてあります。自分の悪歌は「大和心の人と映え朝日ににおう山桜のように」。奥墓のところに山桜の木をどこに植え、石段をどれだけにして設計図も全部作って葬式をやれと。ようは松坂の町をだれとだれが先導してどのようにしてやれという絵図面まで残っていますよ。やったんですよ。それを幸吉もやりたかったんだけれども、周りからガーガー言われ、もうやめや。御木本のじいちゃん96歳でなくなりましたね。生前に僕は丸幸という海産物問屋の孫でありましたから、前に行きますと丸幸のマゴかあがれあがれと大事にしてくれました。おもしろい話がいっぱいあります。言い尽くせない。一つは蟹の話。赤テガニという蟹を知っていますね。鳥羽では、「あかめんよう」という蟹が。歩いてるでしょ。あれが海岸の多徳島の家に向いて上がってくる。蟹がぞろぞろと歩くわけですね。御木本幸吉さんは蟹を観察していますから。おい見とれよこの蟹はな、こちらからこちらを通ってこう行ってこう行ってこう曲がって帰る。方向と進路がわかる。こっちの蟹は、こう行くやんな、よう見とんないなと僕にいうて。観察していますから暇やもんでな。それを見とるとそのとおり。そういうことを観察する力があったということや。

蛍の話があります。蛍が大好きだったんです。多徳島とういのは川も水もほとんどありません。蛍をよそへ取ってきて多徳島に夏の夜、蛍の満艦飾みたいに飛ばした。綺麗ですわな。ロマンチックで。「蛍はええな。おい来年もな蛍が沢山出るように部下に命じて蛍を増やせ」こういうた。その翌年、蛍がぜんぜん飛ばなかった。おじいちゃん怒って、「何で蛍おらへんのや。」。幸吉さんもそのことを知らなかった。蛍の幼虫は川蜷という小さな貝をエサにしていますから、水がないからいないわけなんです。そのことで大失敗した話がある。ワシは蛍で大失敗してな。それから僕は蛍のことを研究しました。皆さん夏の夜この辺に飛んでいる蛍は、ぱっぱっと光るのは雄と雌の愛のシンボルですよ。命名するパターンが違うんですよ。ゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタルだけじゃないの。日本列島だけでも蛍を調べたら45種類いるんですからね。憶えといてくださいね。関東の蛍は2秒間隔で光るんやんな。関西の蛍は4秒間隔やんな。大井川のてきようを挟んで電気のサイクルが違うから。ところが岐阜県は真ん中やろ。岐阜の蛍研究会が調べたらその真ん中の3秒やて。岐阜の蛍。本当ですよ。梶原知事に僕がそういうとるもんで梶原知事大喜び。やっぱり真ん中や。蛍が証明しとるって。そういう風な色んな視点に対する観察能力で健康で96まで生きましたから。おじいちゃん何で元気なの?と言うたら。こういうねん。うまいものはようけ食べたらいかんのやんな。うまいものは2箸のこせと言ってますね。もっと食べたいピューと止める。それを何でもかんでも食べてぶくぶく太って心臓病や糖尿病になったりするわけ。それから朝起きたら3食べなさい。朝はエネルギーを費やすんだから3食べよ、昼は2でいい、夜は胃腸を休ませにゃいかんから1でいい。3,2,1や。それを1,2,3と食べるから、みな健康を損なう。こういうことをいうてました。

そのことを実証する話があります。今から10年ほど前、志摩郡の阿児町鵜方に「まん」さんというお婆ちゃんがおりました。106歳です。まん婆さんです。阿児町は、その人に健康をめでて健康読本「まん」ばあさんを作った。僕は、健康の講演がありますからお婆ちゃんに会いに行きました。お婆ちゃんどうですなというたら。あのなワシの小学校の同級生は皆死んでいっておりませんがな。そりゃそうですよ。106歳やもんな。ずーと考えてみたら走馬燈のように浮かんできたのは、死んだのをずーと思い出したら大飯ぐらいと大酒のみから順番に死んだわなとこういうた。そのとおりやな。よろしいか。まんさんどうですかな。楽しみは私は朝早う起きて朝わらを打って藁草履を作るんだ。1日20足作って軒先にぶらさげとくんや。まん婆さんの健康にあやかってその草履をちょうだいともらいに来る。売ったりしないんですよ。プレゼントです。十人の人が毎日入れ替わり立ち替わり来る。にこっと笑う。その顔を見てわたしは明日も生きたいなという勇気が湧いてきて夢と希望をもってやったということをいってましたよ。御木本幸吉もそうなん。

御木本幸吉翁は、世界をいつも飛び回っているということで地球儀をおいておりましたよ。僕の部屋も世界の地図を貝で作って、13500個やっていますよ。御木本幸吉に負けないように僕もインターナショナル。僕は、海外もヨーロッパからハラッパまで行ってきましたよ。ハラッパから帰ってくると犬連れて広っぱに行っています。行ってないのは南極と北極だけ結局は。わかりますか。三枝は、こういいます。館長、人間も頭のいい人と悪い人とおりますな。何を言うとるのや人間皆ドングリの背比べや。長崎県に行くと佐世保(させぼ)という町があるでしょ。地元の人は「させぼ」と濁音が付くんですよ。三重県や県外の人は「させほ」というんですよ。「させぼ」と「させほ」どう違うのと聞いたら。それはほぼ同じやというの。わかりますか。三枝のこの間、誕生パーティーが大阪でありまして吉本の社長も来ておりました。その時にトップバッターであいさつせというから。愛知県の岡崎の近くに幸田という町があるんです。幸いの田と書くんですよ。そこへ行ったら町長や役場の職員はうちは「こうだ」町です、「こうだ」町ですというとるわけ。JR東海の駅見たら「こうた」と書いてある。「こうだ」と「こうた」と違うやないかと言ったら、「あーだ、こーだ」言わんといてやて。志摩観光ホテル賢島知ってますね。結婚式ありました。三重県の人は知ってますけど。県外の人はこう言うんです。館長、ところでここに来るとな、どんなあほな人でも賢くなるのか?賢い島やで。何言うとんのや。そのまま、賢島を漢字でストレートに読んでみない。賢島(けんとう)違いや。

近鉄は複線になりました奥志摩までね、昔は単線やったの。近鉄の駅は津とか宇治山田でも松阪でもよろしいが乗って降りてするのに大体40,50秒かかるんですよ特急乗って降りて。ところが単線の時は、鳥羽から賢島まで単線でしたから鳥羽の駅のセンサーでね磯部の駅なんかにおるとみんなですね電車差し違えるまで1分半ぐらい待たなくてはいかん。大阪からよいよいでやって来た志摩観光ホテルに泊まる団体がですね一杯飲んでましてね。磯部の駅であんまり長いこと止まっとるもんで、車掌を捕まえてね。なんや、おまえのとこ特急、特急いう割にえらい遅いやないか。特急券払い戻せというた。そしたら車掌は、言いました。お客さん怒ってもいけませんわ。これはな鳥羽から志摩まで行っている鳥羽志摩線(とばしません)という線やで。飛ばしたらいかんのや。ああそうかな。分かったという。

サンキューてるよさんていう地下鉄がどこに行くかで有名になった漫才師がですね。四日市の前の加藤市長に頼まれて、僕は講演に連れて行きました。あの人も賢い人ですね。ひらめきありますね。四日市の皆さん、ぼくは、頼まれて東京から名古屋まで新幹線に乗って来ました。それで名古屋から四日市までは、近(ちか)鉄に乗ってきましたといったら。四日市の人がビックリして地下鉄あらへんのにな。近鉄やのにな。えあれ「きんてつ」と読むんですか?「ちかてつ」やと思いましたは。うまいわね。そういうアドリブが大事。

ぼくが、海外に行ってもそんなんですが、シカゴへこの前行ったんです。日本代表でね。3日間英語のペラペラ会でかなわんなと思った。ほったらアメリカ人の知っている奴がでてきまして日本語うまい、こういう。中村さんあのな日本は米が足らんそうやでな。カリフォルニア米余っとるでこうてくれ。何をいうとるンや米買ったら農水省も日本の農家も困るというたら。ほんなら何で日本人はアメリカのことを米の国と書いて米国というんや。すぐにぼくは反論しましたよ。あんたらなアメリカ人は日本にお節介してもろうたら困る。日本人は米が足らんときは、パンも食べるがな。あんたらアメリカ人はなんで日本のことをジャパンというんだというたら、それ以上いわなかった。

この前、鯛は恋をすると赤くなるというPHPから本を出した。タイの政府に招かれてバンコクのオリエンタルホテルに行きました。VIPの待遇はいいのですけれども。こんな大きな鯛の料理が出てきた。食べたらうまい。鯛は分かったでもういいわ。他の魚も食おうやないかと言ったら、持ってきました。ぜんぜん違うんやんな鯛と。これなに「鯛」、これは、これも鯛。鯛と違うやないかといったら、ここは国がタイだから魚はみんな鯛です。バンコクだから万国共通だとか。タイに日本語のうまい奴がおりまして、鯛は一匹まで呼び名があるよと、憶えとけと言ったらみんなメモしてましたよ。いいですか憶えておいて下さい。その時即興で作ったんですよ。1匹おったら、おめでたい。2匹おったら、逢いたい。3ついたら見たい。4ついたら、したい。5ついたら、痛い。釣り針に引っかかったら痛いんやでな。6ついたら、むきたい。7ついたら、なめたい。8つおったら、やりたい。鯛釣りをやりたいンよ。勘違いしたらいかんよ。9いたら、食いたい。十いたら、捕りたい。これが退屈させない大(タイ)変な話よ。

去年、僕は蝉の研究をしました。日本の蝉は、土の中に4,5年入っていまして幼虫が、地上に出ましてミンミンシャーシャー鳴きますね。蝉時雨といってうるさいという人がいます。そうではない。鳴いているのは全部雄です。雌は鳴かない。発信器がないから。分かりますね。僕はこんな立派な男ですよ。僕と結婚してくれる女性はいらっしゃいといって命をかけた恋の雄叫びなんですよ。いいですね。その蝉が好きな雄の所に雌が行って、結婚するとたった1週間で死ぬでしょ。はかないでしょ。空蝉なんてという言葉がありますね。アメリカにいる17年ゼミという蝉がいる。17年間土の中にいるんですよ。地上に出て1週間で死ぬんですよ。去年の夏17年ゼミのお母さんが、土の中だからと思って卵を産んだとしたらどうです。その赤ちゃんは2019年でなければ地上に現れることがないでしょう。今、土でしょう。十七年先にいつの間にやらアスファルトやコンクリートにしたらどうなりますか。アウトじゃないですか。そういうことを考えて舗装するのかどうかということを地球環境でも人間に問われているんですよ。蝉が僕は出てくるとじっと見ています。昨年は猛暑でしたから土の中で死んでいる子が多かった。出られなかったんですかわいそうに。一日目はジイジイジイジイて鳴いていますよ。未熟ですから。二日目、三日目になるとみんな先輩が鳴いていまして「つくつくぼうし」とか「シャーシャー」「ミンミン」とかいって段々上達するようになる。そういうのをセミプロというんです。分かりますか。

そういう風に話というものは、おもしろおかしくというか周囲を明るく楽しくしなければ意味がない。暗い話ばかりしていたら居眠りしますよ。堅い話ばかり聞いていたら居眠りするのは当たり前ですよ。講演にいって一人二人でも居眠りするということはそれは疲れているから寝てるんじゃないんです、講師の話がおもしろくないから寝るんです。責任は講師にあるんです。一人といえども一時間半の講演に誰も寝る人がないように、ジョークというかユーモアたっぷり色んな話をして、惹きつける話が必要なんです。その話術というものはテクニックはいりません。みんな先ほど申し上げたようにみんなドングリなんです。どうやってそれをするかということについてのストーリーはないんです。僕は今日なんかぜんぜんストーリーも考えておりません。

ですから、やっぱりお母さんを大事にするというのは、富士山3775メートルですね。いいですか。世界の一番高いチョモランマ。エベレストは8850メートル。フィリピンのマリアナ海溝は11340メートルありますから富士山が3つスポッと入ります。だから父の恩は山よりも高く母の恩は海よりも深し。お母さんはこの世で一番偉大な存在やないかということで、お母さんを大事にしなかったら罰が当たる。そんなものは、お母さんを大切にしないような人間だったら教育をやってもダメなんです。女性を大切にしないような男性だったらだめなんですと同じ事はいえると僕は言いたいのであります。

そうゆうようなユーモアの精神というものは、色んな人に私は全国各地、芸能から政治家から学者から色んな人に会いますけれども本当にユーモアのセンスを持った人が一杯いるんです。その人の人間は長所も欠点もありますから、欠点を探さないあらを探さない。いい所ばかり見つける。人生の哲学の言葉で美点凝視といいます。いい所だけ真似する。そういうことをいつも心掛ける事が大事ではないかと思いますね。

私はいろんなところで色んな話をしますが、この間も神社庁の全国大会がありました。明治神宮伊勢神宮いろんなところ。宮司さんが二千人ぐらい集まりました名古屋で。僕に軟らかい話をせちゅうもんで、ある神社の宮司さんがですね境内を見回りにいったんです夜中に、そしたら若者がごそごそごそごそしているので、注意したん。こんなところでいったい何しとんのやと注意したら。その若者曰く、近頃宮司さんだいぶ氏子が減っているもんでな氏子を一人で作っとるんですわ。このごろの若者にしてはえらい感心な奴やな。そやけど、その辺にプラプラ紙が落ちとるやないか。神(紙)を粗末にしたらいかんぞといったら、片づけて帰った。神様を大事にせということを言った。

皇室とのお付き合いがあります。いいですか皆さん。昭和天皇がお元気なときに、初めて九州に行ったんですよ。ユーモアのある方でしたよ。昭和天皇は。熊本と大分の地に案内して、陛下向こうに見える大きな山が有名な阿蘇山でございますと申し上げたら。「あっそう」といわれたのは、本当なの。水族館に来られたときに陛下をご案内した。貝類学者ですからね。陛下これは、伊勢湾でとれる何何という貝でございますと申し上げたら、「あっそう」とは言わなかった。「あっそうかい(貝)」といわれた。さすがは貝類学者ですね。ユーモアで返すのがエチケットですから。人生というものは色々な意味合いがある。天皇陛下のように、生きている限りもってきて、それを研究するのが生き甲斐ですねと申し上げたら、そうだそうだといわれました。

今から18年前吹上御所です。夏の暑苦しい夜でした。どういう加減か隙間から蚊がブンブン飛んできましたチクチク刺されました。さすがの陛下も痒いので、ボタンを押して侍従を呼んで、蚊が襲来してきたから直ちに捕獲せよと。電気を煌々と点けまして蚊を昆虫網で捕まえました。陛下ただいま蚊を捕獲いたしました。七匹捕まえました。どうしましょうか。殺したらいかん。カゴの中にいれて飼っといてくれというんや。翌日、生物学研究所に行って自分の血を吸った蚊を顕微鏡で覗いて、雄は何匹雌は何匹調べて、逃がしてやった。ほんとの話ですよ。

我々は、中国から渡ってきた漢字で文化というものがあるでしょ。文化とはなんぞや。文章の文に、文が化ける。女の人の化粧が化かして装うというがごとし、時代と共に変わっていく。文学も音楽も、今やパチンコの文化とかカラオケの文化まで出てきました。僕に言わすと、夏の夜ブンブンブンブン飛んでいる蚊も「ぶんか」というんです。あれ文化活動しとるんやな。血を吸わないで痒かったらカルチャーショックだと思ったり、あの人間の生き血を吸いに来る憎たらしい蚊を調べてみてちょうだい、全部雌ですよ。いいですか雄は人間の血を吸わないんですよ。知ってますか。ここが大事なんですよ。蚊の雄は卵を産む必要がないの。だから葉っぱとか樹液を吸って生きているんです。蚊の雌は母性があって子孫を残し、生きるために卵を産むためには、どうしても人間の生き血を吸わないかんの。そう思うと僕は蚊の雌に同情して三回に一回は痒いのをガマンしてすっと血を吸わしている。僕は蚊の雌に対して愛の献血運動に協力しているの。これは極端な動物愛護の精神かも知れませんが、生きとし生けるものは命がある。その命の尊厳を、尊さをもう一度足元を見つめ直して、地球全体をどうするのかということを問われているんです。

その遺伝子を継ぎました今の天皇は魚のハゼの肩胛骨、骨の研究では、医学博士をおとりになってもいいくらい論文を書いてますよ。皇太子様は蛇とトカゲが大好き。昌子さんが八年前においでになるときに百八十項目チェック項目があったんですよ。僕は知ってますけどね。昌子さん子どもの時、道端にいる蛇を捕まえても平気ですからね。大きなニシキヘビ気持ち悪いやろ。平気ですよ。蛇だったらヘビー級でもいいということで合格になったんですから。秋篠の宮殿下は、子どもの時、礼宮といわれていました。小学校五年生の時に初めてきた。茶目っ気のある子でね。で僕が説明したら魚も好きやけど、亀のところに来るとね、彼はね、途端に「あーや、こーや」といってくるんですよ。殿下の家にしょっちゅう行くでしょ。紀子さんと二人が言うんです。館長さん、うちのナマズ大きくなったんで見てちょうだい。タイのメコン川の。何メートルもある大きなナマズを飼っているんですよ。殿下はロンドンに行って大学でナマズの勉強したら、ナマズは2700種類いますが大きいのも小さいのも髭生やしていますからね。ナマズにあやかって髭を生やしているのと聞いたら。ピンポンといわれましたよ。毎日ナマズくわずでナマズ勉強している。それで、去年も紀子さんに頼んでマコちゃんカコちゃん4殿下がここに来ましたよ水族館にその時一緒に飯食っていうた。殿下は子どもの時、蛇とかげ蛙が好きでナマズ好きになって、5年前から鶏の勉強を始めた。鶏というと庭に飼っている鳥と違いますよ東南アジアに行くとジャングルのうえを飛び回っているその遺伝子を勉強して学位を取ったんですよ。殿下、もう鶏やめとかないかんな。牛の勉強したらいかんな。どうしてという。牛と鶏とやったら「もうけっこう」ちゅうやないか。豚なんかやったら、トンでもない。

その秋篠の宮殿下が11月の7,8,9日と3日間、殿下と紀子さんがお見えになります。これは、生き物文化史学会といいまして人間も動物なんだけれども動物も植物もみんな生き物でしょ、それと人間の幅広い文化を考えようということで生き物文化史学会という学会ができた。その第1回のシンポジウムを鳥羽でやるということで鳥羽にみえる。それでパーティーもやりますし、サンアリーナで何千人か集めてやろうと思ったら、バトミントンの大会で一杯だったの、鳥羽の市民文化会館で全国の学者やシンクタンクから七百人に来る。その実行委員長をやっていただくのが後ほどお話し頂く南山大学の目崎先生です。僕も発起人の一人に頼まれて、なぜ殿下、鳥羽やというたら。中村館長おるでな、ちゃんとしてくれるやろということで、僕は丸投げされたもんでな。これやらないかん11月に。

そういうふうなことがありまして。御木本幸吉翁の話もありますが、きんさんぎんさんを面倒見ていましたからね。ガールフレンドで。きんさんぎんさん鳥羽に何遍も連れてきたし、伊勢神宮も何遍も連れて行きましたよ。一〇〇歳になってからも。金さん銀さんはおもしろかったですね。あの人は頭が良かった。札幌に三日行きましたよ。泊まってましたよ。小樽まで寿司を食べに行った。そしたら札幌市長から電話かかってきて、館長札幌に来とるんやできんさんぎんさん市役所に連れてきてちゅうから。行ったってもいいよといったら、バスが迎えにきた。マスコミ、テレビや新聞がいっぱいおりました。市長はいいました。きんさんどうしたら長生きできるんですかとこういうたら。きんさんアドリブですよ。パッと言いました。あのな市長さんよ。お上の言うことをきかんことが長生き出来るンやとこういうた。あれにはマスコミも口あんぐり。外でエゲエゲしていました。札幌の川にな、鮭がようけ上ってくるんやと。ところが海や川も汚染されてね。札幌の市民は鮭が上ってこんことがあって、これはえらいことやというて、みんな鮭の稚魚を育て何万と放流した。ほしたら、どんどんまた、上ってくるようになってね。市民は鮭が豊平川ちゅう川を上ってくるとみんな涙を流して喜んだという。そやろ、きんさんぎんさん、さけは涙かため息か。

というふうなことで皆さん。女性の方は特に言いますよ。川におります魚で鮎という魚は1年で死ぬということを知っていますね。年魚です。鯉は150年生きるんですよ。恋愛をするときは、愛は覚め易し。1年で終わりやでな。恋をすると長く持つの。いいですね。海におりますイカは、何年生きるか。一年でいかれる。蛸は二年。蛸は足が8本やろ。イカは10本あるやろ。2本足が多いから足が絡まるやろ。だからアルゼンチンいったらイカのことを「カラマル」という。蛸はパッと墨を吐いて逃げるわな。煙幕張って、一回吐いたらものすごいエネルギーを費やすわけ、イカは賢いこいからパッパッパッと断続的に墨を吐く。そのイカの墨がパッと散らばるとイカの格好になるイカの分身になる。それを敵が追いかけとるうちに逃げる。本物のイカと違いますよ。イカサマに行かれるという。

三枝の弟子がこの間やって来まして、館長、魚という漢字を二つ書いたらなんや。魚を二つ書いたら煮魚(二魚)や。魚三つ書いたらなんや、サンマちゅう。何でアジはアジというんや。アジは、いいですか憶えといて下さいね。アジは、味(アジ)がいいから鯵(アジ)というんですよ。だから、魚偏に参ったという字を書くの。いいですね。小アジ中アジはええけど、大きなアジは、やっぱり大味(おおあじ)やでね。イワシというのは魚偏に弱いと書くわな。弱きものの汝の汝は女、今は強い方に変わったけどね。イワシがピューと泳いどった。そしたら大きな群れで泳いどったら、大きな魚が追いかけて前に岩があるの知らんと岩に頭をぶつけて死んだから岩死(イワシ)。本当は、岩死から転じて鰯となったんです。

岐阜の梶原知事と前の北川知事と神田知事と三人が東京で一緒にしたパーティー。なかなかグルメですから梶原知事は。僕にこういう。館長ふぐを食べるとなおいしいでな。それでふぐの中毒に当たるとテトロドトキシンで命失うわけや。どうしたらいいんやな。そない簡単やわ。蝋燭をこないして飲んだらパッと全部はき出して助かる。北川知事にいうた、三重県は亀山蝋燭があるからいいわな。そやけど岐阜と愛知の知事は気をつけなくてはいかん。なんでや。岐阜と愛知は、いぬおわりという。良く聞いとけというて話した。スッポンは何でスッポンや。スッポンちゅうものは男が食べると精力剤というんやけど、女の人も食べてもよろしいんよ少々は。そやけど冬の寒いときあんまりようけ食べるとね血圧がグッグッとね。着とる服も着物も全部脱いだるでスッポンポンになるんでスッポンちゅう。あの永六輔という男がおりますね。ちょいちょい知り合いで来るんです。彼が来るとこういうんです。館長、僕はな名前が永(エイ)やでな。魚のエイばっか見とる。エイ以外見やへん。エイはいつ見てもエイなー。ホントやんな。神戸、それから九州に魚のエイを祀った神社があって、エイのおもちゃばっか集めとる。三枝がこの間、館長何で魚偏に交わるという字を書いて鮫になるんや。中国の人はちゃんと考えている。いいですか。海の中に布団もベットもないでね。雄と雌、しっぽとしっぽ巻き付けてSの字型になって交わる。交尾する。

ですからジョークというものはおもしろいことはいつでもどこでも飛び出すようにせにゃいかん。それから数字を覚えるマジック。電話番号を覚えるマジック。みんなコツがあるの。覚えといて下さいね。こないだ熊本に応援に行きました熊本県の知事は、潮谷義子さんてきれいな女性の知事ですよ。一緒に飯食いましたよ。阿蘇山で講演しました。阿蘇山の頂上は何メートルですかと聞いたら。1592メートル。すぐにわかった。覚えやすい。熊本県は肥後の国(1592)と覚える。いいですね。埼玉県の土屋知事は、毎年鳥羽に来ます。応援演説にいきました。圧勝しました。裏の事務所で万歳万歳てやっとる。知事、あんた喜んだらいかんがな。奥さんの内助の功やが。なんでや。最終得票見てみない。1122041票て書いている。これは、「いい夫婦はよい」と読む。ああそうかな。次いった2185315票と出た。知事に言いましたとっさに。21は21世紀、4と4を足したらの8、幸せ、二一世紀の幸せ求めて、5315票はゴーサインで行こうちゅう。それいいなーといって知事は受け売りしています。というふうに国家予算でも何でもそうですが、みんな覚えようと思ったら語呂合わせで覚えられる。株価でも。そういう訓練をしているかどうかによって違うんですよ。

暗い話をしとったらいつまでもジメジメして周囲が暗くなる。誰でも人生は、喜怒哀楽がつきものですよ。辛いこと寂しいこと悲しいこと誰にでもありますよ。僕はそういうことがあるといいことが起こる前兆だなーとプラス思考に思います。私のとこは、よろず相談で女の人、経営者の方、男の人一杯来ます。聞いてみるともう過ぎ去ったことですよ。過去ですよ。昨日はもう終わったやないの。今日はtodayで間もなく暮れていく。明日のことを考えよう。風と共に去りぬのスカーレットオハラみたいに、苦難の歴史があっても明日はカーラに日が昇る。明日のトゥモローか。明日という漢字は明るい日と書くんです。明日のことを考える前向きに。そうしなきゃいかん。あんたみたいに考えていたら犬の病気や。なんやな犬の病気ちゅうのは。犬の病気ちゅうのは、健康な犬を連れて行くとグイグイ引っ張ってくれるやろ。病気の犬を連れて行ってみない。道の途中でパタンと倒れる。ワンワンがパタンと倒れるから、これをワンパターンちゅうんや。犬のことも150種類いますから調べていますし、水族館の魚だけでなく鳥のことも獣のことも昆虫のことも色々と調べています。

こないだケントギルバートちゅうよう出てくるあのアメリカ人のけったいなのおるな。シカゴ生まれの。ジョークが上手いんですよ。いいですかこれジョークですよ。これ猫の話やんな。よう聞いといてな。ジョークですから深刻な顔せんとね。僕の友達がね箱根にドライブに行ったの。そしたらね雨が降ってきた。デートの約束しとるしこれ早よ行かな行かんわとビューと行ったら、キュンと音がしたもんで、えらいことやわこれはまあー。犬か猫でも轢いたかなーと思って、ふっと見たらこんな小ちゃい子猫が死んでいるように見えたもんで、片づけんとヤバイと思って降りた。そしたら大きな猫がバッと出てきて口に持って運んでいった。これは、きっとお母さんの猫が子猫を運んでくれたのかなー。やれやれと思って、また車に乗った。遅れとるのを取り戻さにゃいかんなということでスピード出した。猫をひき殺したったんやて、にゃンとも言えん気持ちやて。雨が降っているし夏のミステリー。また、グーと走っとったら、ふっとバックミラー見たらさっきの猫がどこまでたっても追いかけてくる。気持ち悪いなー。早よ行きたい。もう一遍よく見たら真っ黒な大きな猫や。もう一度よく見てみると、その猫は黒猫ヤマトの宅急便でした。わかりますか。そういう話が次から次へと出るように普段から訓練が必要だということ。

御木本幸吉翁はそういうことで世界の婦人の首を真珠で飾ってみせると豪語したのは、自分の目標を難しいとわかっていながらでも大きな目標を設定して、それで自分が言ったことは責任を待たなければいけないということで養殖真珠を発明したということがありますよ。大きな事をいうのはホラを吹くんではない。その夢に向かって実現するその苦労というのが負けじ魂でそれが大事。僕は鳥羽へ台風でやられてお袋が病気になって、昭和28年に帰りました。魚を売る仕事をしていましたから鳥羽で水族館を作ろうということで小さい水族館を作りました。27歳でした。独身でした。その時、鳥羽の人はこう言いました。こんな鳥羽みたいの田舎に、鳥羽に旅館が5,6軒しかなかった、御木本真珠島なんか橋架かっとらへん。船で漕いで行っとって、そんな鳥羽みたいな田舎に水族館なんか作ったて3年もつかいな。3年で潰れてくよって、僕は言われた陰口を。よし見とれよ。今に見とれ。僕はファイトが湧いた。若いときは何もないんだから。何もなしで今日になったんですよ。負けじ魂。そしたら人生号の私は大きな夢を見て、どうせ見るならでっかい夢みる、大きな夢を見て、夢を追いかけ夢を追いかけなきゃいかん、そして夢を食う実現する。御木本幸吉は、こないしてこうた。僕らの爪のあかを煎じて。鳥羽の先人が一杯いたんですから、門野幾之臣、御木本幸吉や一杯、それを真似したらいいんだということで、大きな夢を見て夢を追いかけ夢を食う。これぞ人生のドラマでありロマンである、ということを私は言い聞かせて48年間になる再来年が50周年になります。僕は後何年生きるか分かりません。しかし病気をしたことがない。医者いりません。薬はいっさい飲みません。ストレスはぜんぜん溜まりません。どうやったらストレス溜まるの教えてちょうだい。雨が降っても僕は傘を差して歩きません。雨降りに傘を差してレインコートを着て歩いているの人間だけやないか。トンボやチョウチョが傘を差すの見たことないやろ。鳩やカラスがオーバーを着とるか。冷暖房ないところで、風邪一つ引かんで生きとるやないか。それは自然に近くなったらいい。僕はそういう学生時代に神田の質屋にオーバーを質入れしましたから、その時約束したんですから、一生嘘をついてはいけない。だからオーバーを着ない。心頭滅却すれば火も又涼しいという言葉がありますがそういう気持ちの持ち方が大事なんです。

人生は人のため世のためになる。名誉や地位や肩書きやお金だけがすべてではないでしょ。お金を何億持っとっても死んでくときに、地獄に行くか天国に行くのか知りませんが、あの世に行くときに入場料がいりますか。木戸銭はいりません一銭も。そうでしょ、お金なんか問題やないやないですか。最低生活さえできたらええやないか。それより自分を犠牲にしてでも人のため世のためになる人生。それが御木本幸吉が考えていた人生だったということを僕は色々調べて思い出しているのであります。どうぞ私の話をこんな話しとるとキリンの首はなぜ長いのか、いつまで話してもきりがない。ホント1週間2週間かかるんですからね。お疲れのところこの予定の時間になりましたのでひとまず終わらせていただきます。ありがとうございました。

写真左から、松月講師、目崎塾頭、中村館長、今井地球塾リーダー
 上の写真の4人によるユーモアのディスカッションが行われました。今井リーダーは館長に圧倒され少し押され気味でした。館長レベルになるためにはかなりの修行が必要ですね。ユーモアの奥は深い。改めて感じました。

この内容は事務局がまとめたものであり、文責は事務局にあります。


戻る