2007年12月26日

誰が教会法を恐れているのか?

「頬白親父」氏と愉快な仲間たちが、私個人についてなにやらわいわい騒いでいる。よほどお暇なのだろう。
http://blog.livedoor.jp/kasahara_7524/archives/51197483.html

「頬白親父」氏は私について、次のように述べている。

「Pasさんがおっしゃるとおり、「自分自身では信じる気などさらさらないものを他人を裁く材料にして悦に入っている」生き方というのは、極めて頭でっかちで、聖書に出てくるファリサイ派的なものを感じる。」

ここで引かれているPasさんの「自分自身では信じる気などさらさらないものを他人を裁く材料にして悦に入っている」という言葉は、私にはまったく当てはまらない。こういうのを妄想と言わずして何と言おうか。
私はカトリックではない。未洗礼者であるばかりか、洗礼志願者でもない。これは事実である。しかし、この事実から「自分自身では信じる気などさらさらない」とは断言できない。なぜ私の内面を、赤の他人が分かるのだろうか?
この点で同類のピオシンパ、『護教の盾』のヨゼフ・ジェンマ氏が偉いなと思うのは、私との対話において、私が非信者であること自体は問題にしていないところだ。
私自身カトリックの友人知人がいるが、少なくとも彼らは、カトリックについて非カトリックである人間が語るということを、いちいち問題にしない。間違ったところがあれば正すだけである。信徒でない人間が宗教について語りえないとすれば、宗教学などの学問は不可能になってしまう。
「他人を裁く材料にして」も、まったく意味不明である。いつ私が判事なり裁判官になったのだろうか? 教会法あるいは教皇文書の意向に反しているかいなかは事実問題だから、判事でなくても、専門家でなくても判断できる。この点で、素人であるだけでなく、非信者でもあることは、かなりのディスアドバンテージではあるが、不可能ではない。ただ、その判断(裁定)に法的効力がないだけの話である。
かりに私のしている行為が「裁く」ことなのだとすれば、そもそも「頬白親父」氏と愉快な仲間たちもまた、同様に教会文書を用いて、典礼規定に反しているだの反していないだのと、司教を「裁いて」「悦に入っている」と言える。
私は該当記事において、プライマリーソースである教会文書に照らして「カトリック信徒は聖ピオ十世会のミサには行くべきではない」ことを論証しただけである。これが間違いだと言うのであれば、私がカトリックか否か(それを信じるつもりがあるのか否か)などという瑣末なことを論じるのではなく、同じレベルで反論していただきたい。できないならできないでもよいが、それならば私について根拠のない妄想にふけるのはまったく時間の無駄であると言いたい。

PS・ちなみに当記事から「頬白親父の一筆啓上」にトラックバックしたところ拒否された。自分に都合の悪いコメントは削除、自分に都合の悪いトラバは拒否、なるほどこれが「地の塩」たる「信徒」による「愛のわざ」なのか。


(文責・金田一輝)



posted by kanedaitsuki at 12:12| Comment(26) | TrackBack(0) | その他
この記事へのコメント
浅慮と傲慢ゆえにカトリックにおいては背教者となられた頬白親父氏も、やはり何かの信徒なんでしょうな。「何か」は判りかねますが。

僕には70年代後半から80年代にかけて極左テロリストに、「彼等」がダブって見えますね。やたら問題意識を振り回して増長するバカと、彼等の腹立ちにも一理有りと偏向報道を繰り返したバカマスコミ。
グリコの「○○限定」ポッキーの如く、バカと同調者はパッケージを変えて現れるんですねぇ。

最後に申し遅れましたが、主のご降誕まことにおめでとうございます。来年も宜しくお願いいたします。
Posted by サエキ at 2007年12月26日 13:41
サエキさん、

あなたも、カトリックなのですか?

あなたのコメントが、正統なカトリックである「頬白親父」氏の「人格権」を侵害していることに、お気づきですか?
Posted by カーテンレール at 2007年12月26日 18:19
まぁ、師匠の批判にむかついての言論でしょう。それに個人の日記に、なにを書こうが、トラバ拒否しようが、自由に行う権利はある。(ただし、その状況を見てギャラリーがどう判断するかは別物です。)

ただし「金田一輝は、カトリックの信仰を、信じる気がさらさら無い」のか?否か?という件に関して、師匠とじかにあった事もあるわたくしの主観的観察に基づく結論から言うなれば、まぁ「否」でしょうな。

ぎょーかい的な見地からするに、「招かれている状況である。」と見做しています、しかし他者であるわたくし的には、秘跡は神とその人との間において成り立つゆえに、いま現在、それにコミット出来るものではありませんね。ゆえに生暖かく見守っているという感じです。今後、どうなるかについては神のみぞしる。的に。

受洗を含めた神の奇跡は、これはもう論理的存在ではないですから、なる時ゃなっちゃうもんですし。駄目な時は駄目でしょう。正直に言ってしまうと、洗礼の秘跡と金田さんとの関係性においては「神に委ねる」という状況に到るにはまだまだ関門もあるかもしれないと見ておりますが、そんなの金田さんがやるこって、私がどうこう言うこっちゃないっす。だからギャラリーが秘跡の分野に相当することを勝手に決めつけて云々してるってのはかなり神様の事を信頼しとらんなというか、秘跡ってのは理性を越えたトコにあるんで、目に見えるような事で判断出来かねます。

我々が出来得るのは人間の己の限界を知った上での範囲で、教理とか神学とか、あるいは典礼上に見えるような表象の現象についてはまぁ語れる分野でしょうが、聖霊の働きについてはあれこれ出来ないです。
Posted by あんとに庵 at 2007年12月26日 18:45
ちなみに、「教会」共同体に加わる「受洗」というもの、未信者と信者を分けるものというのは、「教会を信じる」ということに連なります。
「教会」について金田氏がどう考えているのかはこれまた内面の問題ではありますから、単純に「信じていない」と結論付けられないとは思いますが。

わたくしは「教会」という定義を広義に考えるなれば「信じる状況下にある」と見做していますが、しかし今の処「カトリックの教会共同体」を「信じる」ということにおいてはよく判らん。という印象ですね。

ですが、それで「だからどうした?」って感じ。話せる事は話せるわけで。
Posted by あんとに庵 at 2007年12月26日 18:54
サエキさん、コメントありがとうございます。

「同調者」を増長させるのも何なので、サエキさんの発言にはノーコメントということで(笑
こちらこそ、来年もよろしくお願いします。
Posted by kanedaitsuki at 2007年12月26日 19:28
カーテンレールさん、

>あなたのコメントが、正統なカトリックである「頬白親父」氏の「人格権」を侵害していることに、お気づきですか?

質問です。なぜ「正統なカトリックである」人が、カトリック教会法に反したミサに出席し、それをネット上で公言するのでしょうか?
Posted by kanedaitsuki at 2007年12月26日 19:30
カーテンレールさんに素朴な質問ですけれど、
「正当なカトリック」である頬白親父さんが
靖國昇殿参拝し神道式礼拝に喜んで出てますが、
それはカーテンレールさんが所属する
カトリック教会では指導司祭も諸手をあげて
賛成していますか?
聖ピオX世会のように第二ヴァチカン公会議を
認めないなら異教排他が喜ばれませんか?
もし頬白親父さんが貴方がおっしゃるように
正当なカトリック信徒なら異教礼拝したことについて
告解しているでしょうから、こんな手前の心配事は
余計なお世話ですね。失礼いたしました。
Posted by まるちゐぬ at 2007年12月26日 20:18
まるちゐぬ さん、

はい、おっしゃるとおり、「余計なお世話」だと思います。
Posted by カーテンレール at 2007年12月26日 21:42
まるちゐぬ さん、

「正当」ではなく、「正統」です。
Posted by カーテンレール at 2007年12月26日 21:45
カーテンレールさま

ご主張拝見いたしますに、カーテンレールさまが仰りたいのは、
「名誉毀損」である、ということで間違いないでしょうか?だとして、
ご自身で立派に反論され、人格権を守っておられるとお見受けします。
全く個人的見解となりますが、こういった場合、当事者同士にて、
(結果がどうあれ)公開の場にて解決の努力をすべき事案と存じます。

当方含めて、第三者は退くのが礼儀のように思われますし、
頬白親父氏はまずご自身のブログに反論のエントリーをアップされており、
代弁者の必要なお方には思われません。如何でしょうか?
Posted by anbai at 2007年12月26日 22:06
上記投稿について、以下のように訂正いたします。

×
> ご自身で立派に反論され、人格権を守っておられるとお見受けします。


> 頬白親父氏はご自身で立派に対応され、人格権を守っておられるとお見受けします。
Posted by anbai at 2007年12月26日 22:08
カーテンレールさんへ。

ピオX世会の礼拝に通うようになった頬白
親父さんは今後、靖國昇殿参拝をしますか?
貴方の指導司祭のトマス小野田神父さまは
何とおっしゃっていますか?

ところで「正統なカトリック信者」ってナニ?
わかりやすく説明していただけませんか?
もちろん他人を「正統なカトリック信者」と
定義できる貴方も「正統なカトリック信者」
ですよね。

今年不惑を過ぎた頬白親父氏を庇う発言より、
他人の「信者度」を認定できる貴方のコメントに興味津々。
お返事お待ちしてます。(^_^)
Posted by まるちゐぬ at 2007年12月26日 22:37
基本的にanbaiさんに同意。

頬白親父さんより、ここで「あなたはカトリック信徒ですか?」と電圧かけてくるカーテンレールさんのほうが実は興味深いや。前のエントリでいきなり声かけられたんでよく知らないんですが・・・。
Posted by あんとに庵 at 2007年12月26日 23:12

まるちゐぬ さん 、

上記、あなたのコメントについて。

3行目、直ちに、撤回してください。

私は、小教区に所属する信徒で、聖ピオ十世会とは、無関係です。
Posted by カーテンレール at 2007年12月26日 23:37
小教区に所属する信徒であるカーテンレールさんへ。

それは3行目については失礼いたしました。
貴方が所属される小教区司祭は靖國昇殿参拝に
ついて正統な信者であろう貴方の背を押すように
行きなさいと勧めていらっしゃいますか?
拙コメントの5行目以降の質問についての
ご返答を誠実にお待ち申し上げております。
貴方が繰り返される「正統なカトリック信者」に
ついての説明です。
Posted by まるちゐぬ at 2007年12月26日 23:51

まるちゐぬ さん 、

私は、「正統なカトリック信者」という言葉は一度も使っていません。まして、繰り返してなどいません。

「正統なカトリック」と、一回使ったのです。

そして、あなたが「正当」と書かれたから、「正統」です、と指摘したのです。単なる、あなたの誤字訂正に過ぎません。

私のコメントは、「サエキ」氏のコメント、冒頭26文字の表現が、ある人の「人格権」を侵害していませんか、と「サエキ」氏に問いかけたのです。

あなたの御質問のお答えは、あなたの信頼できる「指導司祭」にお尋ねになるのが、賢明でしょう。
Posted by カーテンレール at 2007年12月27日 01:02
カーテンレールさんへ

回答になっていません。
早い話、一度でも二度でも百度でも同じです。
貴方が2007年12月26日 18:19付で

  >>正統なカトリックである「頬白親父」氏

と「一回」書いているのですから固有名詞を「信者」
に置き換えただけです。別に

 『正統なカトリックである「ヒト」

でも構いません。私は貴方に

  「正統なカトリックであるヒト」

とはどのようなヒトを指すのか「貴方に」説明を
求めているのですよ。
なぜここで指導司祭が出てくるのです?
私の指導司祭と知り合いですか?そうだとしても
私は「貴方に」回答を求めているのです。貴方が
おっしゃる

 「正統なカトリックである人」

とはどういうヒトを指すのかわかりやすく
賢明なご説明、お待ちしております。
Posted by まるちゐぬ at 2007年12月27日 02:53
まるちゐぬ さん 、


 「正統なカトリック」と、一回使っただけなのに、

 「貴方が繰り返される」「正統なカトリック信者」という、あなたの文章表現は、誤っていませんか?

 「繰り返される」を撤回してください。



 「なぜここで指導司祭が出てくるのです?」って?

 「指導司祭」に「」を付けたのは、私が先に撤回を求めた「3行目」に、あなたが私に対して、

 「貴方の指導司祭のN(固有名詞)は何とおっしゃっていますか?」などと、憶測を超えた断定的な表現をされたからです。

 あなたが私に対してお使いになったお言葉「指導司祭」をそのままお返ししました。



 私のコメントは、「サエキ」氏のコメント、冒頭26文字の表現が、ある人の「人格権」を侵害していませんか、と「サエキ」氏に問いかけたものです。



 あなたの御質問「正統なカトリック」とは何かについて、このようなコメント欄では、書きつくせないことくらいは、お分かりいただけませんか?10行、20行で書ききれる概念ではありません。だから、信頼できる方に、お尋ね下さいと申し上げたのです。

 


 
Posted by カーテンレール at 2007年12月27日 04:41
カーテンレールさん、

投稿の際、あまり空白を開けないよう、お願いします。普通に書いているのに、結果そうなっているのなら、ごめんなさい。

さて、あらためてカーテンレールさん、私の質問に逃げないで答えてください。ここは私「金田一輝」のブログですよ。再掲します↓
「なぜ「正統なカトリックである」人が、カトリック教会法に反したミサに出席し、それをネット上で公言するのでしょうか?」

>「正統なカトリック」とは何かについて、このようなコメント欄では、書きつくせないことくらいは、お分かりいただけませんか?10行、20行で書ききれる概念ではありません。

へえ、そうですかねえ。
たとえば、「正統なカトリック」である一つの要件として、「キリストの代理人である教皇との一致」というものがあります。
教会法に反した違法ミサにすすんで出席することは、「教皇との一致」にかなったことなのでしょうか?
イエスでしょうか、ノーでしょうか。答えるに難しい問いではありません。一行で済みます。
Posted by kanedaitsuki at 2007年12月27日 08:15
カーテンレールさんへ、

 >「繰り返される」を撤回してください。

はい、繰り返していませんね。私が悪うございました。
けど、私において繰り返したも繰り返さないだの、誰に対しての人格権侵害ゆえに使用しただの、どうでもいいことです。
もう一度言います。
これまでこちらが気を使って貴方が2007年12月26日 18:19付で

  >>正統なカトリックである「頬白親父」氏

と「一回」書いたことについて固有名詞を「信者」または「ヒト」に置き換えました。が、一般の説明ではここに書くのが難しいとおっしゃるなら、改めて質問します。

 頬白親父氏における正統なカトリックとは?

と第三者の貴方にわかるのでしょうから、人格権というものを傷つけたであろう相手に「貴方が」出した「正統なカトリック」です。頬白さんがどういう点で「正統なカトリック」なのか教えてください。

ああ、それと私が貴方に尋ねた指導司祭の意見ですが靖國昇殿参拝についてですよ。「正統なカトリックとは何か?」ではない。頬白親父さんは少なくとも年に2度靖國昇殿参拝を神官の下、神式で行っているではありませんか。この行為「正統なカトリック信者」ですか?
Posted by まるちゐぬ at 2007年12月27日 17:08
「ちなみに当記事から『頬白親父の一筆啓上』にトラックバックしたところ拒否された。自分に都合の悪いコメントは削除、自分に都合の悪いトラバは拒否、なるほどこれが『地の塩』たる『信徒』による『愛のわざ』なのか。」

人聞きの悪いことを言わないでください。自分は、何にもしていませんよ。トラックバックの拒否も都合の悪いコメントの削除も。
トラックバックの仕組みはよく分からないけれど、もう一回やってみて。前回のトラックバックは上手くいって、残っているでしょ。
Posted by 頬白親父 at 2007年12月27日 21:39
頬白親父様

すいません、横入り大変失礼致します。

>自分は、何にもしていませんよ。トラックバックの拒否も都合の悪いコメントの削除も。

トラックバックについては当事者間でお話になればよろしいのですが、ひとつの資料としてこちらをご覧いただけますか?

http://ime.st/s04.megalodon.jp/2007-1224-1937-29/blog.livedoor.jp/kasahara_7524/archives/51197483.html

元記事の方は「仰る通り」そのままでしょうが、なぜ別所沼という方はこういったことを書かれたのか?別所沼氏の言及どおり、どうしてご自分のブログ記事の魚拓(キャッシュ)を取られていることをどう受け取っておられますか?また該当投稿の削除で頬白親父様が別所沼氏の投稿をなぜ、

http://blog.livedoor.jp/kasahara_7524/archives/51196639.html
(以下引用)
> 極めて悪意ある誤解に基づくものでした。

と見なされたのか、非常に疑問でございます。ブログ運営上のお差支えなければで構いませんが、その部分について簡潔にご事情お伺い出来ますでしょうか?
Posted by anbai at 2007年12月27日 22:38
ああ、ごめんなさい。二回目ですね…以後留意します>管理者様、閲覧者の皆様

×
>どうしてご自分のブログ記事の魚拓(キャッシュ)を取られていることをどう受け取っておられますか?


>このようにご自分のブログ記事の魚拓(キャッシュ)を取られていることをどう受け取っておられますか?どうしてだと思われますか?
Posted by anbai at 2007年12月27日 22:41
別所沼さんの投稿は、あるソーシャル・ネットワーキングサイトでのことについて言及したものでした。
当該ソーシャル・ネットワーキングサイトは、既に当該サイト会員となっている者からの紹介がなければ入会できないものであり、また、そのような「しばり」があるからこそ、ネット上の会話、意見交換が楽しめるものと考えます。ですから、そのようなソーシャル・ネットワーキングシステム内での発言等を広く、ブログ等に載せておくことは適当ではないと考えた次第です。
Posted by 頬白親父 at 2007年12月27日 23:03
anbaiさん

でも、このトラックバックについての書き様では、読み手には、あたかも自分が「悪者」のように受け取られませんか?

何もしていない自分へのこの言及。敢えて言わせていただけば、「卑怯」です。

もし、自分のトラックバックに係る設定がおかしいのであれば、ご教示ください。
Posted by 頬白親父 at 2007年12月27日 23:38
頬白親父様

ご回答、有難うございます。削除理由の大枠の部分は理解しましたが、もうひとつよろしいでしょうか?

お話の内容ですと、「SNSの内容については外に出さないのがマナーであるので」という一言で宜しかったのではないでしょうか?
当方がこの点をお伺いしたのは、どうして別所沼氏の投稿が「悪意と誤解」だったということを書き添えなくてはならなかったのか?ということに疑問を生じてしまったからです。これまでも当方は頬白親父さまのブログを閲覧しております。別所沼氏のご投稿に関しては内容に厳しさこそあれ、基本的には「忠告」ではないかと考えておりますが。
それゆえ、今回の削除のコメントに大変にびっくり致しました次第ですし、また別所沼氏の再投稿にも特段の悪意を感じるところがございませんでしたので…怪訝にも感じました。しかしこれは主観の問題もありますので、当事者への質問以外に判断の方法がございませんでした。

以上、失礼ありましたらご容赦を。

>でも、このトラックバックについての書き様では、読み手には、あたかも自分が「悪者」のように受け取られませんか?

当方は、(不都合ない限りにおいてですが)別所沼氏への措置についてご説明いただくこと以外にお願いしておりません。実際、頬白親父様ブログにはご支持の書き込みもあるわけで、そのどれもが「(こちらのブログに書かれることは)気にしないほうがいい」というご忠告の内容と読みます。何故そう言った方々のご忠告を受けてなお、このブログに構うことをされたのかを逆にお伺いしたいのですが?

何より当事者同士の対話で解決すべきことは、このブログ管理者宛てにお話をされるのが筋であるかと存じます。
Posted by anbai at 2007年12月28日 00:08
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