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社説:教育再生会議 改革像がなかなか結べない

 教育再生会議の第3次報告が出た。後に1~3次集約の最終報告があるが、今回で会議の論点はほぼ尽くしたといえる。多方面に急ぎ足でわたり歩いた印象で、改革像が結びにくい。

 再生会議は06年10月、安倍晋三前首相の政権発足とともに閣議決定で設けられた。教育改革を最重要課題として掲げた安倍前首相の直属実施部隊のような存在で、実質的に「安倍会議」と呼ぶべき有識者会議といってよい。

 前首相が描いた教育改革の全体イメージは今では必ずしも判然としない。教育基本法改正に見ることもできるが、これはその前の政権からの継続案件だった。著書で明らかにしているように、学力低下を理由にした「ゆとり教育」の否定、規範意識の育成、学校間競争と成果に対する傾斜的な支援、学校教育の「バウチャー制」導入などがそれだったのだろう。

 折しも、いじめ自殺や履修偽装など問題が相次いで表面化し、学校や教育委員会の不手際も露呈して改革機運の追い風になった。

 再生会議はそれに沿うように「公教育は今や機能不全」とし、授業時間増、いじめや暴力への厳しい対処、不適格教員の追放、学校や教委の責任明確化、めりはりをつけた財政措置、世界トップランクの大学育成などを提起してきた。

 だが、9月、突然安倍氏が退陣すると、会議は当初の勢いを失う。実質上の主宰者が消え、現実の政策に結びつける担保がなくなったのだ。安倍カラーは薄まらざるを得ない。

 例えば、安倍教育改革プランで目玉とみられていたバウチャー制。原理は、親子が自由に学校を選び、学校に渡す引換券の数で運営費が決まるという仕組みだ。公立校同士の競争と質向上を狙うものだが、与党内でも反対論が出た。身近な所に多数の選択肢を持つ都市部と、選びようがない過疎地との落差、格差は歴然としているからだ。

 3次報告は、考え方を反映させた「モデル事業」の試行を提起するにとどめた。また、分数もできないという大学生の低学力対策として高校卒業時に学力を確かめるテスト案もあったが、実施困難は明らかで、事実上棚上げになった。

 会議は多様な問題に提言を図ったが、このように現実にそぐわなかったり、短期間で論議自体が掘り下げ不足に終わったりしたものもある。またかなり以前から中央教育審議会や文部科学省などが取り組んできた課題との重複も少なくない。

 今回の6・3・3・4制弾力化や飛び級の促進などもそうだ。だから無意味だとばかりはいえない。長年論じながら実現しないで先送りしてきたことこそ反省すべきなのだ。その点では会議の重複提言も意義があり、受け取る政権が、くむべき内容の実現に真摯(しんし)に取り組むのは当然だ。

毎日新聞 2007年12月26日 東京朝刊

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