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「風船爆弾」心臓部を寄贈へ 横浜の女性、国立科博に

2007年12月25日12時34分

 太平洋戦争末期に旧日本軍が独自開発した「風船爆弾」の心臓部にあたる「高度維持装置」が、27日に国立科学博物館に寄贈される。国内で確認されている唯一の実物で、科博は「残っていること自体が奇跡的。日本の技術史の空白を埋める貴重な史料だ」と歓迎している。

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寄贈される高度維持装置。歯車のついた回転板が見える

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回転板の反対側に気圧計が載っている。左下の接点が導火線につながっていたらしい

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風船爆弾の概要図(「風船爆弾秘話」から)

 風船爆弾は、米国本土を攻撃するため、和紙をコンニャクのりで張り合わせた気球に爆弾をつり下げ、高層気流に乗せて数日かけて飛ばす兵器。44年秋から45年春に約9000個が放たれ、1割ほどが米本土に着いたとされる。オレゴン州で6人が犠牲になった。

 気球を遠くまで確実に飛ばすには、途中で気温低下などで浮力が小さくなったとき、自動的におもりを落とし高度を保つしくみが欠かせない。装置は気圧計で気圧変化を検知し、歯車1個分ずつ回転板をまわすしくみ。高度が下がる(気圧が上がる)と電気スイッチが入り、高度が上がるまで砂のおもりを落とすようになっていたらしい。

 寄贈するのは、今年「風船爆弾秘話」(光人社)を出版した元横浜共立学園教諭桜井誠子さん(66)=横浜市栄区。同校の女学生が戦時中この装置の検査に動員されていたことを知り、関係者をたどるうち、装置作りに携わり、ひそかに持ち出していた男性を探しあてた。発覚すれば極刑になるほどの最高機密だったといい、男性は今も名乗り出ることを避け、詳しい経緯を語らない。

 科博は日本の科学技術の歩みを紹介するフロアで、零戦などとともに展示する考え。鈴木一義研究主幹は「目的の是非は別にして、手元にあるものを組み合わせて何とかしてしまう、技術者の発想力のすごさを感じる」という。

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