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2007-12-25 Tue
民主党が「08年税制改革大綱」を出しました。その目玉としてはガソリン税暫定税率の廃止を謳っています。暫定税率の内容は報道されているとおりですが、廃止すれば道路整備に充てられるべき1兆4,000億円の減収になります。民主党は一方で道路整備の水準は維持するといっていますが、それは現実問題難しく、暫定税率が廃止されれば道路整備の遅れは容易に予想されます。民主党やそこから応援をもらう方は説明責任が求められます。ただそれでも、現実的にはこのガソリンの高騰を受ければ都市部はもちろん宮崎のような地方でもそれを支持する声は少なくないと思います。やはこのガソリン高騰は度が過ぎていますし、宮崎のように車への依存が高い地方では本当に生活を直撃しています。自民党も高速道路の深夜割引の拡大などは打ち出していますが、それは主に事業者向けであり、一般市民にはほとんど恩恵がありません。自民党や与党もそのあたりのサポートを図る必要があると思います。
私はこれからの政治の対立軸は、いずれ「都市部と地方」の対立に収斂されていくと思います。県議会議員になって思いますのは、やはり山間部における道路整備の重要性です。まさに生活道路、命の道です。暫定税率の廃止がそれを遅らせるとすれば賛成はできません。これは実感としてあります。
とはいえ、まったく逆のことも思います。私が大学院を出てすぐに宮崎に帰らなかった理由の一つに「東京でサラリーマンとして暮らしたとき、地方の想いや声をどう感じるのか」体感したいという思いが強くありました。
東京にいれば毎日ラッシュのなかで通います。飲み会で終電を逃せばタクシーではとても帰れないので朝まで飲み屋で過ごす。出張で空港に行こうと思えば2時間前には出なければならない。休日にちょっと緑のあるところまでと思えば奥多摩や秩父まで片道2時間。車を持てば環八は夜中まで慢性的に渋滞、駐車場代も高い。環状道路は一向に整備されず、車線も狭い・・・。そんな暮らしの中で宮崎に帰ると、車で10分で出勤できたこと、車で20分も走れば美しい海や山。飲み会が終わっても1000円余りで家に帰れる・・・。
終電間近の満員電車。酒臭いの中で、吊り下げられている地方への旅行を誘うポスターを見て率直に「うらやましい」と思っていました。
そんな中で在京のマスコミが地方の道路はムダだムダだと大合唱すれば、そんな都市部の人々が「確かにその通りだ」と思うのもその通りです。
身も蓋もないいい方をすれば「分かり合えるのは無理」だと思います。そう考えますとイデオロギー闘争が終わり、2大政党の違いが薄くなってきた現在、都市部の意見を重視するか、地方の意見を重視するかが大きな争点になるのは自明の理だと思います。
とはいえ、それは望ましいことではありません。都市部の住民に地方の声を伝えていくにはどうすればよいのでしょうか。
では地方がどうすればよいか。私は地方が地方自身で優先順位を決めていくことだと思っています。例えば県内でも優先順位を県内で決めて、まず宮崎県はここをお願いします、と訴えていくことです。確かに辛いですが、それができなければ、都市部からは「あれもこれも」と思われ、理解を得ることはできないでしょう。
地方には地方の、都市部には都市部の論理があります。いくら自らの価値を述べても、いかに相手を非難しても始まりません。自らで自らのことをどう議論するか、政治的には大変難しく大きな課題ですが、皆さまともよく議論しながら自分自身の大きな課題として追いかけていきたいと思っています。
2007-12-24 Mon
クリスマスイブになりました。皆様はどんな1日でしたでしょうか?私は夕方まではいろいろ忙しかったのですが、夜は久しぶりに予定がスポット空きました。なかなか人も誘いにくいし、さりとて家にいるのも癪なので、夕日に向かって10号線から218号線を西に走ってみました。
夕日などあっという間に沈んでしまいますから、高岡をすぎて野尻に着く前にはすっかり帳は下りてしまいました。当然熊本や天草まではたどり着きません。もちろんシンガポールやロンドンにも・・・。
谷川俊太郎の有名な歌に『朝のリレー』というのがあります。「カムチャッカの若者がキリンの夢を見ているとき・・・」から始まる教科書にも掲載された有名なものですが、そんな思いで暗くなった道を走ってみました。
去年の今頃はこんな思いも感じることすらありませんでした。不安を抱えながら、何から手をつけて意見ばいいのかわからない状況で日々走り抜けていました。そう思うとこのような気持ちを持てること自体が、ありがたいことだと思います。
今年もわずかです。年末は何かとお忙しいと思いますが、ご自愛頂きますよう。
今日は散文調ですいません・・・。
2007-12-23 Sun
選挙を手伝ってくれた20人くらいとメンバーとのささやかな懇親会を開催しました。選挙が終わって8か月、選挙後の打ち上げ以来これだけのメンバーが集まったのは2度目です。1回目の選挙は最初から最後まで"勢い"で突っ走った感じでした。まさにこのメンバーと荒海に漕ぎ出した、といった感じでした。これからの選挙は現職としての評価を受けることになりますし、成果を説明もしていかなければなりません。
しかし、このメンバーは私にとって旗本のような存在です。このメンバーに見捨てられたら政治を続けることもできないでしょう。
どんな大軍団でも崩れるときは脆いものです。戦国最強といわれた武田家は名将・武田信玄の息子武田勝頼が織田信長に敗れた長篠の戦いが原因で滅亡したようにいわれますが、実際はそうではありません。それ以後も大きな勢力を持っていましたが、年貢や賦役(労働奉仕)を頻発したため、木曽義昌をはじめとした一門が相次いで離反し、織田軍侵攻後は亡き信玄の弟をはじめことごとく逃亡。最後は譜代の家臣小山田信茂に自分の城で一緒に戦いましょうと唆され、移動中に豹変され自害するという悲惨なものでした。
父・信玄は「人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵なり」というほど家臣を大事にしていました。しかし、それを蔑ろにしてしまえば、強力な軍団も崩壊してしまうのです。
私のスタッフは武田軍団に比べれば小さなものかもしれません。しかし、宮崎への熱い想いを持っている人ばかり、まさに「人は城、人は石垣、人は掘」です。
そんな基礎を大事にしながら、新しいフィールドも重ねていく。新しい年はそれをうまく調和できる1年にしていきたいと思います。
2007-12-22 Sat
東京です。どの駅に降りてもイルミネーション。この時期ほど東京の力強さを感じる時期はありません。前に在籍した楽天のメンバーとの懇親会です。同じ"月"に入社したメンバーを同期と呼ぶような移り変わりの激しい会社ですが、忙しい中多くのメンバーが来てくれました。会社の話を聞きますと大変面白く、本当に時がたつのを忘れます。
私がいた1年半は短いながらもさまざまな重要な局面がありました。ホリエモンことライブドアの堀江社長、村上ファンドの村上社長の逮捕、TBS案件、野村監督の球団監督就任、六本木ヒルズから品川への移転発表など・・・。本当に濃縮した1年だったと思います。いま思いましても懐かしい気持ちです。
宮崎交通にしても楽天にしても多くの皆さんと今でも仲良くさせて頂いています。特に考えていたのではありませんが、心がけていることを文字にしてみれば下記のようなところだと思います。
1、辞めた会社の悪口を言わない。
2、借りていたものをちゃんと返す。引き継ぎもちゃんとする。
3、取引先に会ったとき、さりげなく相談に乗る。
4、人事情報などをちょくちょく仕入れる。
5、立場を変えて見えることを提案する。
6、その会社を"好き"でい続けること。
1は必須です。もちろん世の中に不満のない会社などないと思いますが、特に辞めたことを正当化するために「この会社は○○が悪かったからだ」と自分を正当化する人がいますが、これをやったら100%いい関係にはなりません。仮にうなずいてくれていたとしても「辞めたくせになんだ!」と思われるのがオチです。
2は当たり前のことですが、意外と出来ていない人もいるようです。特に給与が締めの関係で先払いになっていたりするものを返さない人は論外。また引き継ぎが適当で取引先に怒られたりして頭を下げる事態になれば、決してその人にいい印象は残らないのは自明の理です。は意外といます。"立つ鳥、跡を濁さず"重要です。
3は結構難しいのですが、前の会社で取引先だった方と会ったとき「新しい担当者になって、こんなことがあるんだけど・・」といった話を受けることがあります。それを後輩(引き継ぎ者)にさりげなくアドバイスすること、それにより会社ともコミュニケーションをとり続けられやすくなります。
4は下世話なようですがかなりポイントです。誰がどこにいるのか、昇進や辞めたなどの情報も重要です。立場を変えた人とは新たな視点で関係を作ることも可能です。
5は少し高等戦術ですが、これも重要です。いまのフィールドに立ってみて、会社がどう見えるか、仕事の問題点などを"いやみにならない範囲で"サジェスチョン(示唆)することです。言い過ぎるといやみになりますし、感情的な反発をも生みます。しかし、これこそが最も前にいた会社に対する"貢献"だと思います。
6は1の逆なのですが、その会社の商品やシステムのユーザーであり続けることです。そうすることで、その会社の変化にも気付き、5もうまくいくのです。
このようなことだと思います。私は宮崎交通も楽天も今でも大好きです。確かに私は人や仕事にも恵まれたからなのでしょうが、本当にありがたいことです。
いつか宮崎県の仕事から離れるときにも、同じような気持ちを持ち続けられるよう心がけていきたいと思います。
みんなと別れて、山手線でホテルに向かいます。帰り先が同じの後輩からいろいろ悩みなど聞きます。ふっと、去年までのサラリーマンだった日々を思い出します。そして後輩と別れ、本当に何の気なしに渋谷駅で井の頭線の改札口に。ホテルは新宿なのに、です。そうです、私はいつもこのルートで吉祥寺の自宅に帰っていたのです。どうも懐かしさのあまり、足の赴くままに歩いていたようです。
懐かしさはいいのですが、それに縛られてはいけません。頬をパンと両手で一度叩いて、新宿のホテルに帰りました。
窓の外から見える原宿のイルミネーションがやたらきれいに見えるクリスマス前の夜でした。
2007-12-21 Fri
11月議会が終わりました。最後に裏金の決算を企業会計(病院局)を含め不認定にして閉会しました。2年連続の不認定という県政というより全国的にも稀有なことになってしまい、知事の謝罪と議長の苦言があるというそれも異例でした。
「知事の裏金はありませんか?」という言葉から表面化したこの問題。リーダーが変わらなければ永遠にブラックボックスだったのではないか、そう思うとぞっとします。そういった"淀み"を起こさないための定期的な職員の人事異動であり、霞が関からの幹部の受け入れではなかったのか、再発防止のためには単に経理のあり方だけではなく、そういったシステム全体を見直していかなければならないと思います。
議会が終わり、田野町へ。台風14号以降に発生した土砂の流入、堰堤の決壊、農業用水の能力低下などさまざまな課題を伺いました。台風災害といえば県北地区が大きな被害が出ていますが、田野町でもこのように大きな被害を残していることに驚きました。さっそく田野町から県土整備部に連絡をして、状況を報告。そして県庁に帰りさっそく県土整備部と打ち合わせ。状況を報告して可能なことについては対応をお願いします。
議員という仕事柄県庁の各部と打ち合わせしますが、いちばんアクションが速いのは県土整備部だと思います。ワンデーレスポンス(その日のうちの返答)を心がけているとのことでしたが、このあたりのノウハウはぜひ各部とも共有してもらいたいと思います。
打ち合わせが終わると議会棟はもう真っ暗です。議会事務局も打ち上げのようです。職員の皆さんにとってはやっと忘年会、といった感じでしょう。自分で守衛さんにカギを返して、大急ぎで空港へ。私たちには終わりはありません、もう次に向かってのアクションです。
企業誘致の打ち合わせのため1泊2日の上京、たぶん今年はこれで終わり。頑張ってきます!
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