今、平和を語る

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今、平和を語る:作家・瀬戸内寂聴さん

 ◇「愛国心」宣揚、戦前に似た空気に

 大正生まれの作家、瀬戸内寂聴さんは85歳の誕生日を迎えた先月、佐渡に流された世阿弥の晩年を描いた大作「秘花」(新潮社)を出版した。健康にして健筆。「ここまで生きてきたから、もう何でも言えるの」とほほ笑む瀬戸内さんに、戦争の時代を振り返り、現代の危機を語ってもらった。<聞き手・広岩近広>

 ◇命を粗末にする、今は悪い時代/教育基本法より大人が変わるべき/戦争は後になって反省しても遅い

 ◇戦後60年「9条」のおかげで一人も戦死しなかった

 --北京で終戦を迎えられたそうですが、当時の様子はどうでしたか。

 瀬戸内 戦時中の北京では、日本はまだ戦勝国でしたから、日本人は威張っていましたよ。中国の人たちを安い賃金で雇って酷使していたのですから。アマとかボーイとか呼んで、私の目の前で足げにしたり、たたいたりする日本人もいました。日本人って品性が下劣なんですよ。とても恥ずかしかった。こんなことをしていたら、この戦争は負けるかもしれないと直感したものです。日本が負けて終戦になったとき、ひどいことした日本人は、皆まとめて殺されると、正直言って思いました。でも私はね、中国の人たちに、とても優しくされましたよ、本当に。

 --終戦の1年後に北京から引き揚げて郷里の徳島に帰られたとき、お母さんが空襲で亡くなっていたのですね。

 瀬戸内 昭和20(1945)年7月3日のことで、防空壕(ごう)のなかで祖父と2人が焼死したと聞き、それはショックでした。私のいた北京に来るといって荷物をまとめていたのですから。まだ50歳の若さだった母の背中は材木が焼けたように真っ黒だったと聞きました。それでも祖父は母が覆いかぶさっていたのでほとんど焼けていなかったそうです。私は涙が止まりませんでした。

 --加害と被害を含めて、なんとも無謀な戦争をしたものです。

 瀬戸内 残酷で大間違いの戦争でした。私は昭和18年9月に東京女子大を繰り上げ卒業し、即10月に北京に行ったのですが、その直後に学徒動員があったでしょ。あとで、その映像を見ましたけど、同じ世代の男の子が戦場に動員されていくのですから、かわいそうで、かわいそうで。あの映像を見ますと、今でも涙がでます。為政者がどんな美辞麗句を並べても、戦争は人を殺すことなのです。敗戦のとき、私の考え方は180度転換しました。これからは自分で体験して、自分で考えたことを信じて生きていこうと思いましたね。自分の無知を恥じ、無知は悪だと悟りました。遅まきながら私にとって、初めて自我が確立できたんじゃないかしら。

 --戦前、戦中、戦後を生きてこられた瀬戸内さんからみて、今の日本をどう思われますか。

 瀬戸内 85年生きてきて、今ほど悪い時代はないと思いますね。ほめるべきところが何もない。親が子を殺し、子が親を殺し、若い人の自殺も目立つし、本当に命を粗末にしてます。

 --教育基本法を変える前に、まずは大人が変わるべきでした。

 瀬戸内 子どもって、大人の背中をみて育ちますからね。尊敬する大人がいなかったら、それは子どもが悪くなって当たり前ですよ。お金もうけのためなら、あくどいことをしてもいいという態度でしょ。お金さえあればなんでも手に入るという思想でしょ。これでは救いようがないですよ。やはり政治ですね、政治がおかしいからです。政治家が目覚めてくれないとだめですよ。その政治家を選んだのは国民だから、選ぶ国民に力がないことになる。投票率の低さからして、選挙が本来の機能を果たしていないと思いますね。

 --改憲が政治日程にあがってきました。

 瀬戸内 私は戦争が身に染みていますから、うかつに憲法9条を変えたらどうなるのかと危惧(きぐ)します。少なくとも戦後60年、日本が平和でこられたのは、9条のおかげですよ。誰一人として戦争で死ななかったのですからね。このことは、とてもすごいことなのに、今の若い人たちは、よくわからないようですね。話しても、伝えても、実感しないとわからないのでしょうか。残念なことです。

 --ところで、現在の日本は戦前に似た空気が生まれている、とおっしゃっていますね。

 瀬戸内 憲法改正、つまり9条改正、そして徴兵、戦争……。そういうふうなムードが生まれているようでなりません。戦前は愛国心を宣揚していたでしょ、今またそんなことを言い出しはじめたではないですか。私の体験では、戦時色が強くなっていく空気というものがあると思います。かつては軍隊が、軍部の政府が、それを演出しました。今は普通の政府ですが、戦争を知らない人たちが首相になって大臣になっていますね。その人たちは、戦争の本当の恐ろしさを知らないのですよ。

 --これまでも湾岸戦争や米国のアフガン攻撃に反対されて断食や写経を呼びかけるなど身をもって抗議してきました。

 瀬戸内 個人なんてね、体制が戦争に向かっている時には、なんの力も発揮できないんです。ここまで生きてくるとそう思います。しかし、たとえ防ぎようがなくてもね、戦争は嫌ですと主張しておかねばならないと思いました。だから行動したのです。でないと、あとで歴史をさかのぼったとき、1億人の国民がこぞって賛成していたということになるでしょ。私と同じ考えの方が大勢いて、一緒に写経もしてもらいましたよ。

 --自衛隊がイラクに派遣されるとき、行くべきでないと内部から反対の声がなぜ出なかったのか、といぶかっていましたね。

 瀬戸内 日本は平和ボケしているんですよ、戦争の恐ろしさがわかってないのです。後になって、なぜ、あのような戦争をしたのだと反省しても、すでに大勢の人が死んでいます。歴史って、そんなものかなとも思いますけどね。

 --最後に若い世代へメッセージを。

 瀬戸内 自分の命を大切にしてほしいということですね。自分の命を大切にする人は、他人の命も大切にします。そうなれば、そんなにうかうかと人を殺したり、戦争などはできないはずです。(専門編集委員)

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 毎月最終月曜日の夕刊に掲載、次回は7月30日の予定です。

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 ■人物略歴

 ◇せとうち・じゃくちょう

 1922年徳島市まれ。東京女子大卒。63年に「夏の終り」で女流文学賞を受賞、73年に中尊寺で得度、天台宗の僧侶になり寂聴となる。92年「花に問え」で谷崎潤一郎賞を受賞。97年に文化功労者、98年には「源氏物語」の現代語訳(全10巻)を完結させる。01年「場所」で野間文芸賞を受賞、旺盛な執筆、講演と説法を続けている。06年文化勲章を受章。

毎日新聞 2007年6月25日 大阪夕刊

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