この梅しさを訴えたい                     

                       原告団長 金洙栄(キムヨスン)

私は、日本社会の中で在日朝鮮・韓国人であることと、「障害者」であることの二重の重荷を持ち、そのために本当に悔しい思いをしてきました。

現在日本は不況で、私が職業を持つことがとても困難になっています。その為、弟や、ろうあ者の友人から仕事をもらい、土木などの仕事をしていました。私は耳が聴こえないことを最初から言っていました。親方は「わかった」と言ってくれましたが、私が仕事を間違えると、口でちがうと言われ、色々指示されました。私は「わからない」と言っても、「ちがう」と何回も怒られたので、私も腹が立ちました。家に帰ると電話がかかってきて、「明日からもう来なくてもいい」と言われました。クビです。

仕事をしていても、低賃金労働を強いられてきました。予想外に給料が少ないことがあったので、その理由を聞くと、「障害者は年金をもらっているからそれで十分だろう」と言われました。私たち在日「障害者」が、年金をもらえないことはほとんどの人が知らないし、何故もらえないのかを説明してもなかなか理解してくれませんでした。私は本当に悔しく、腹が立ちました。日本人と同じように年金をもらっていると思われていたのです。

 仕事がなければさらに生活は苦しくなり、それでも税金を納め続けなければなりませんが、私と同じ障害を持つ日本人は障害基礎年金を受給し、その恩恵を受けているのです。年金の受給資格がないために、生活上の不利益を被ることはたくさんあります。具体的には、去年の地域振興券の交付対象になれなかったし、消費税の値上げによる特別給付金の対象にもなれませんでした。年金をもらっていないと言うと、お金を借りることさえ出来ないこともありました。

 何故、私たち在日外国人「障害者」が、この様な不利益を被り、生活苦に追い込まれなければならないのでしょうか?

言い難いのですが、私の母は今80歳になりますけど、私に「障害」があり、年金も仕事も無いことを思い悩んだ末、生命保険を掛けて自殺を計画していたことがありました。私は頼むからやめてくれ、保険のお金なんかいらないと言って母をなだめました。私の耳が聴こえないのは、はしかで高熱を出したことによるものですが、母は生活が苦しく、充分な治療を受けさせてやれなかったせいだと、今でも自分を責め続けています。

 私が小さいころからアボジ(父親)に開かされ続けたことがあります。

それは、1910年韓国併合により日本の植民地になってから、多くの朝鮮人・韓国人が日本へ強制連行されたことです。一方的に日本国籍にされ、1952年サンフランシスコ条約締結の時には、たった一枚の通達で多くの朝鮮人・韓国人が日本国籍を剥奪され外国人とされました。しかし、アボジや私たちは社会保険料や税金を払い続けてきたにもかかわらず、保障を全く受けてきませんでした。アボジもずっとそういう不満を持っていたようです。

 私は耳が聴こえないので、何故年金がもらえないのか分かりませんでした。これまでずっと障害年金をもらえないことに我慢するしかないと思っていました。しかし、4年前に「年金制度の国籍条項を完全撤廃させる全国連絡会」の集会に参加し、在日「障害者」の仲間の話を聞いて変わりました。それから勉強して、全国連絡会の厚生省交渉にも参加しましたが、日本政府は考えを変えません。私は「このままではダメだ、裁判をしなければいけない」と思い、京都で「在日同胞聴覚障害者協会」の仲間に裁判をやろうと呼びかけました。

そして8名の仲間が集まりましたが、その内の一人で、私たちの心の支えであった金光孝さんが、2年前に交通事故で亡くなりました。彼は韓国の済州島で生まれ、戦時中日本に来られた在日一世です。耳が聞こえず、独学で言葉と手話を覚え、何の保障もないままずっと屑鉄集めの仕事をして生活してこられました。亡くなられたのが本当に残念です。

 私たちは、このような不利益を被って我慢する生活をこれ以上強いられたくないですし、人権すら守られていないような日本社会に一矢を報いたく、このように提訴したわけです。

 しかし、裁判は厳しいで九元軍人の在日韓国人の妻富申さんが戦後補償を求める裁判を起こして負けたことを聞きました。私たち原告は7名いますが、皆なかなか積極的になれません。弱いです。それでも、私は皆を引っ張ってがんばりたいと思っています。

 これから裁判をおこす中でしんどいこともありますが、この裁判で私たち在日「障害者」が不当におかれてきた無年金状態を打破する、国を撃つという気持ちと覚悟はあります。

 みなさんの心からの御支援と御協力をお廉いします。そして、共に日本社会をよりよい社会に変えていこうではありませんか。

   (在日外国人「障害者」の年金訴訟を支える会 パンフより)

   次は民族学校へいきたかった 原告M

意見陳述 無年金訴訟大阪高裁第1回公判 原告意見陳述 金洙榮さん

無年金訴訟京都地裁結審 原告意見陳述 金洙榮さん 

    

 とびらへ戻る  サロン吉田山  民族学校を考える