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弁護士今枝仁の「だからあなたも息抜いて」

2007-12-23 綱紀委員会に提出した文書

私に対する懲戒請求事件について、統一的な弁明文書を綱紀委員会に提出しましたので、その内容を公開します。

対象弁護士からの答弁書等を公開している懲戒請求人のブログなどもあり、じきに公開されると思いますし、社会的の関心の高い問題だと思いますので、今読み返してみると直したい部分もありますが、そのまま公開します。



平成19年広弁綱第    号懲戒請求事件

懲戒請求人        

              答弁書兼意見書

                             平成19年12月10日

広島弁護士会綱紀委員会御中

対象弁護士 今 枝  仁

第1 総論 

   本書面は、光市事件弁護活動に関連し当職になされている多数の懲戒請求事件について、すでに簡潔な答弁書を提出している案件については追加意見書として、現時点で懲戒請求がなされ未だ当職が答弁書を提出していない案件についてはその答弁書兼意見書として、当職に懲戒の理由となるべき非行がないことを示すとともに、懲戒請求人らがなしている本件刑事弁護活動への誤解を解消すべく、説明を試みるものである。

   すでに東京弁護士会や仙台弁護士会で綱紀委員会の判断がなされているということであるが、そこで述べられているとされるように、本件刑事事件の弁護活動は被告人の供述に基づき被告人の権利擁護のためになされている正当な弁護活動であり、懲戒請求人らはこの理解を欠いているものである。

第2 答弁部分

   まず、多くの懲戒請求書式に共通する懲戒事由について、答弁する。

 ? 科学的にも常識的にも到底理解できないし理解したくもない主張を並べ立ててまで被害者を侮辱し死者の尊厳を傷つけているとの点について。

 ア 赤ん坊をたたきつけたのは「ままごと遊び」という主張について。

   そのような主張は、そもそもしていない。被告人が被害者宅を訪問する前に、多数の部屋を訪問した行為を、「ままごと遊び」と表現したものである。その表現自体が妥当であったかどうかはともかくとしても、被害者や被害児に対する犯行行為をもって「ままごと遊び」としたものではないから、その評価以前に、前提事実が間違っている。

   また、個別訪問の動機が、「取り残された孤立感」や「仕事をしていない罪悪感」から生じており、水道管工事人になりきって「会社のPR」と称してなしていたことも、鑑別記録に記載がある。つまりこれを「ままごと」と評価する素地は、もともとの証拠の中にあったのである。

   被告人が本件当時かなり未熟であり、しかも犯行時はさらに退行していたという評価が鑑別記録等でなされていることから、未熟を連想する表現として「ままごと遊び」が用いられたのであるが、誤解を招きやすい表現であったことは、反省している。

 イ 被害者を姦淫したことにつき「死者を復活させる儀式」と表現したについて。

   弁護人ら作成の更新意見書にこのような表現がなされていること、通常の一般人の感覚として違和感や嫌悪感があるであろうことは認める。しかし、これは「被告人がそのように認識してなした」ことを、被告人の供述に基づいてなしているのであり、弁護人らが創作したものではない。

   被告人が、「死者が生き返る」ものと本気で信じており、犯行時も退行した倫理状態で「死者が生き返る」という原始的恐怖心から突き動かされてた、目の前の刺激に短絡的に巻き込まれている、とするのが鑑別結果である。恐怖心と「再生させよう」という行為は逆方向かもしれないが、背景にある、死者の復活を本気で信じるという特異な心理状況は、裏付けられている。

   また、弁護人らとて、姦淫行為により死者が復活すると考えてそのように主張しているわけではない。あくまでも当時精神的に未熟であり、犯行時退行現象を起こしていた(鑑別記録に記載あり)被告人が、混乱の中で、そう考えた、ということを主張しているに過ぎない。つまり、当時の被告人の主観にとっては「復活の儀式」とでも評するような行為であったと述べているのであり、弁護人の客観的認識として姦淫行為が死者復活の儀式とするものではない。

   この点も、誤解を招きやすい表現で配慮が不十分であったということは反省している。

 ウ 赤ん坊の首を締め上げたのが「謝罪のつもりのちょうちょう結び」という点について

   被害児の死因については、そもそも、発見された状況の紐の結び具合、巻かれていた部分の長さ、被害児の首の太さ等から、鑑定資料や実験調査に基づき、「強く締め上げたものではない」ことを主張しており、「締め上げたのを」という前提が異なる。

   また、鑑別記録の中には、被告人が被害児の中に、継母が産んだばかりであった義弟の姿を見ている旨の記載がある。先に記したように、被害者の中に実母を投影していたというのであるから、義弟を投影した被害児に面して、その母親(被害者の背景に投影された実母。実際には実母の子でないが混乱している)を死亡させてしまった申し訳ない気持ちから被告人がほかに理由無く必要以上の長い時間、被害児に応対していることは、旧証拠からも明らかである。すなわち、泣きやませようとしてあやし、あちこちに連れ回し、天袋に入れたり、風呂桶に入れたりする。ここで重要なのは、風呂桶の中には5本の水入りペットボトルがあったのであるが、被告人はそれを認識していなかった(なんだかガスガスと音がしたような気がするが、ペットボトルには気づかなかったと供述)ようなところから、被告人が述べるように、風呂桶をベビーベッドと認知していた形跡が旧証拠にも顕れており、解離現象による認知障害が示唆される供述がもともとあった、ということである。

   そして、被告人は、被害児童の首に紐を巻いた状況を明確に記憶していない。それは上記の解離状態から理解可能である。そして、後に、客観的に「ちょうちょう結び」がされていたことを捜査官から聴いて知ったのと、自分がその母親を死亡させてしまったことを申し訳ない気持ちで被害児をあやしなんとか泣きやませようと右往左往していた混乱した記憶とから、被告人としては、「謝罪の気持ちでちょうちょう結びをしたのであろう。」としか、推測できなかったのである。

   また、鑑別記録には、「被害児を殺害する理由などどこにもない状況であった。」旨、この部分の説明になると被告人の説明が滞る旨の記載がある。仮に強姦目的であり姦淫行為をなした後であったとする旧供述によれば、早くその場から逃げ去ればよいのであり、被害児を泣きやませようと時間をかけて右往左往したり、わざわざ殺害する必要もない。

   こういった事情から、弁護人は、被告人が供述するところに従い、前記のような主張をしたのであり、上記の理由からその主張をなすことに自体(裁判所が受け入れるかは別問題)には合理性はある。

 ? 非科学的・非人道的な主張を行ってまで殺意を否定し、意図的に裁判の遅延を試みているとの点について

   証拠、弁護側が新たに収集した新証拠だけでなく、鑑別記録をはじめとした旧来の証拠を精査した上で、被告人の言い分を元に主張を構成しており、主張内容が必ずしも非科学的・非人道的でないことは上記で説明したとおりである。

   仮に非科学的に思える面があるとしても、それは「被告人が犯行時そう認識していた。」とするのみであって、必ずしも弁護人らもが「姦淫行為で死者が復活する。」「ドラえもんがなんとかしてくれるのである。」等と主張しているのではない。

   そして差し戻し審は、5月下旬の第1回公判から12月初旬の第12回公判まで、約半年間の間に12回もの公判期日を開催して結審するという、控訴審審理においては「空前」とも言えるようなスピード審理を実施したのであり、また、そのような集中審理方式は、弁護人の側から裁判所検察官に提案したものであり、「最大限、審理の迅速化に尽力した。」というのがむしろ実態であって、裁判の遅延を試みたと評価するような余地は微塵もない。

 ? 裁判制度と弁護士制度への信頼を傷つけ続けており、所属弁護士会の秩序又は信用を害し、その他職務の内外を問わずその品位を失うべき非行であるとする点について

   前記のように、弁護人らが主張するところは、被告人の供述とそれを裏付ける証拠の存在によるものであり、本件においてなんら不当な弁護活動はなされておらず、上記のように評価する前提事情がない。

   また、弁護人らがあたかも不当な訴訟活動をなしているかのような印象を与えたのは、マスメディア偏向報道にも原因があり、その報道をのみを根拠として本件懲戒請求の前提となる認識が形成されている可能性が高く、そもそも前提に誤認がある。

   本件のような社会的に注目される重大事件、とりわけ世間全般から唾棄されるような凶悪犯とされている被告人について、誰も進んで弁護したいというよりは、できるならば避けたい、というのが本音である。家族や事務所、依頼者の反対もある。今回生じたような、脅迫行為もある。そして現実に最高裁段階でその弁護人らへのバッシングは空前のものがあった。

   しかし、そのように個々の弁護士が受任しにくい事件であるからといって、必要な弁護を受けられず、漫然と審理が終えられてベルトコンベア式に処罰がなされるようなことは、絶対にあってはならない。どんな被疑者被告人についても、実質的に充実した「弁護人による弁護活動を」受けるのが憲法の約束であり、それが確保されることを条件に身体拘束や住居の自由の制約が一定の範囲で許されているのであり、いくら凶悪犯と目されているからといって憲法の約束を反故にすることは許されない。

   当職ら差し戻し審弁護人らは、本件のような状態の被告人であっても、いやむしろ、世間全般から唾棄され死刑の剣を喉元に突きつけられている被告人であればこそ、最大限の弁護活動をなし、検察官の主張と立証とに徹底した弾劾を加え、平面化した証拠を立像化し、公平な第三者たる裁判所が的確に評価できるよう、生き生きとした刑事裁判を復活させるべく、弁護団に参加したものである。これを正当に評価するならば、社会の公器たる刑事司法制度の信頼を高めようとする行為でこそあれ、信頼を失墜させるような行為とは言えない。

   誰もが引き受けたがらないような事件でありながら、地元広島で足立弁護士に加え新たに6名の弁護士が無償で弁護団に参加した。このことは、所属弁護士会への信頼を傷つけるどころか、その信頼を維持するがための行為とも言える。

   むしろ、全く同じ内容の懲戒請求が、数を頼んで何百となされることの方が、所属弁護士会の秩序を乱してしまっており、遺憾である。懲戒請求は、対象弁護士に非行があり懲戒処分をなすか否かを弁護士会が調査・判断する端緒になるものであって、同一の請求が増えることに積極的な意味はない(それぞれが具体的な被害者である場合などは別として)。しかもこのような重大な裁判の弁護人らであることを前提とし、懲戒処分を受けさせようということは、その裁判の遅延等の影響を無視したものであり、論理矛盾している。

 ? 当職が、9月20日の記者会見で泣いた点について

   これについては、本件のようなせい惨な事件であり最も心を痛め苦しんでいる遺族があることを考えれば、弁護人としてあるまじき失態であり、反省している。ご遺族や不快感をもった視聴者には、心からお詫びしたい。

   ただ、懲戒請求などバッシングの強い中で弁護活動をなし、その当日には目の前で遺族の厳しい意見陳述があり、述べられた意見のあまりの切実さに法廷ですでにもらい泣きしていた経緯もあり、特に本村洋氏の意見陳述中では当職の実名を挙げて当職のブログ内容を引用して一審弁護人を批判する意見が述べられるなどし、さらに、その後、当職の質問により被告人から「検察官は、僕をなめないでいただきたい。」という、置かれた立場や状況からも決してなすべきでないような不用意な発言を引き出してしまい、傍聴席で被告人の発言一つ一つに揺さぶられる遺族の心情を殊更にかき乱してしまったことに申し訳ない気持ちがあり、後悔の念にも襲われ、これらが錯綜し、あの場での涙となってしまったものである。

   弁護士としての自覚や感情制御が未熟であったことは反省しているが、決して被害者や遺族、社会を愚弄する意図によりなされたものではない。

 ? 懲戒請求人に「求釈明書」を送付したことが不当な恫喝であり懲戒請求制度を萎縮し、弁護士懲戒制度と弁護士自治を成り立たせなくなるものであるとの点について

   本件に関する一連の懲戒請求書は、そのほとんど(おそらく95%以上が)、懲戒請求人自らがその理由を考えて記述したものではなく、インターネット上のテンプレートを印刷しあるいはそのコピーを入手してそれに署名押印しただけのものである。

   また、当職は、テレビ番組で光市事件弁護団懲戒請求することを扇動した橋下徹弁護士に対し民事訴訟を提起する原告であり、同人の扇動の影響があってこのように多数もの懲戒請求が殺到したものと考えている。

   このような状況で、各請求人が個別具体的にどのような考えで懲戒請求をなしたのか実態を知り、理解を深め、的確な答弁や対応をなすためには、それぞれの懲戒請求人が懲戒請求をなした動機、経緯、考慮の内容等を、問い合わせることが必要と考えた。

   また、懲戒請求をなした際に懲戒請求人の氏名・住所が対象弁護士に告知されるのは制度上の前提であり、そのような説明がなされなかったのは橋下弁護士テンプレート作成者の不親切に過ぎず、対象弁護士懲戒請求人に民事訴訟を提起することも裁判所により許容されているのであるから、求釈明書を送付することはなんら禁止されておらず、禁止する根拠もない。

   当職は、他の懲戒請求事件において、懲戒請求人に手紙を書き、それを綱紀委員に資料として提出したが、それについて特に問題視されたこともなく、懲戒請求人に書面送付することにつきなんら障壁を感じるような前提がない。

   記載された文面が、受け取った一般大衆にとっては厳格で「威圧を受けた」と感じられたのであれば、懲戒請求人が扇動に乗って気楽に懲戒請求をなしただけでありその意味の重さを理解していない者であったり日頃弁護士からの書面に接したことのない者であるなどの可能性を考えれば、その受けるであろう打撃・驚愕感に対し、配慮を欠いた表現になってしまった不親切については謝罪する。しかし当職に対し懲戒請求を向けてきた者に対する釈明を求めるものであり、取り下げ等を強要する内容でもなく、なんら恫喝する意図はないし、懲戒請求をなしたこと自体単なるクレームではなく(単なるクレームについては別途、苦情申立がある)テンプレート書式に署名押印するのみである等十分な調査・検討をした形跡がない懲戒請求人に、その心情や根拠を個別に問う書面としての相当性は逸脱していない。

   当職は本件のような懲戒請求により懲戒処分が下されるとは毛頭考えておらず、また数も数百とあり全員が取り下げなければ懲戒請求を受けている事態は依然継続するし、全員が取り下げる可能性などないから、当職が取り下げを求める必要もメリットもない。ただ、懲戒請求人らが、説明を求められて理由を整理等なそうとすることで、自ら省みて慎重に検討し、懲戒請求理由の有無等につき判断される機会を持とうとしたに過ぎない。

   実際、この求釈明に対応して、調査・検討なく懲戒請求をなした心情や理由を返答した者も複数いたし、「懲戒請求の理由が無いことを理解した。」として懲戒請求を取り下げた者も複数いたのであり、求釈明をなしたことに一定の意義もあった。目的は正当である。 

第3 光市事件の差し戻し審弁護活動は、正当なものである

 1 懲戒請求人らのなした懲戒請求は、その記載されたところの定型文言の背景に、光市事件自体についての理解不足が横たわっていると考えるので、補足説明する。

   なお、当職は、本年9月以降、他の弁護士ブログや自身のブログ上で光市事件の事情の説明をなしており、そちらも参照いただければ幸いである。

   ブログは、「今枝仁」で検索すれば一画面目に現れる。

 2 旧供述、旧控訴審までの事実認定こそが、誤りである。

 ? 捜査段階の供述調書は虚偽が混入していた。

   旧控訴審までの事実認定は、被告人の捜査段階における供述調書を元に事実認定している。

   被告人は、殺意を明確には争っていなかったものの、それは殺意の有無により殺人罪傷害致死罪に評価が分かれることを知らず、自分の手で2人の尊い命を殺めてしまった以上は、「殺した」=「殺人罪」と思っていたからである。

   被告人は、鑑別調査、第一審公判被告人質問、第二審被告人質問で、一環して、強姦目的の計画性を否認する供述をなしている。検察官の上告趣意書で「強姦の計画性を否認しており、反省していない」旨述べられているのであるから、誰が見ても明らかな否認である。しかし、「一・二審では全て認めていたのに」という誤解が蔓延しているが、それはいくら弁護人がそれを訴えても報道がなされないからである。

 ? 被告人の捜査段階の供述は、「死刑」を威嚇に用いられ、畏怖し、萎縮し、捜査官が述べる経緯を受け入れて調書に署名してしまったに過ぎない、虚偽供述が多い。供述調書にも、「検察官さんに『生きて償え』と言われ、僕自身、本当のことを正直に話して、生きて償おうと思いました。」旨の記載がある。被告人は実際は検察官に「正直に話さないと、死刑もあり得る。君を死刑にしたくないから、正直に話しなさい。」と言われ、検察官が考える筋書きを受け入れたという。供述調書の記載も、被告人が述べるような経緯を裏付けている。少なくとも「生きて償おうと」させて供述を引き出しておきながら、検察官死刑求刑したのであり、偽計による供述と言える。

   被告人の供述調書の中でも、最初の供述は、被害者の首を「右手で」締めた、というものであった。それが「両手で締めた」に変遷し、さらに、「両手で締めても死なないので、親指を喉仏に立てて、全体重を乗せて締めた」に変遷していく。真実が一つでそれを供述しているのであれば、こういう変遷は起こらないはずである。

   戸別訪問の際の認識についても、「若い奥さんがいたら話をしたいなあ。できたらエッチでもできればいいなあ。」と、いわゆる「団地妻の誘惑」的な和姦願望が述べられていたのが、途中から「抵抗されたら無理矢理にでもレイプしよう。」という強姦の犯意になっていったり、それが家裁から逆送された後には家裁での「レイプ目的でなかった。」という供述に整合性を持たせるためか、「エッチできるかどうか、半信半疑でした。」と後退したりしている。

   また、「被害者を殺害し、姦淫する間、赤ちゃんがずっと被害者の肩にすがりついて泣いていました。」という供述も、捜査の途中から突如登場する。殺害行為と姦淫の間には、衣服を切り刻んだりガムテープを口に巻いたりいろいろな行為があったはずなのに、ずっとすがりついて泣いていたというのも不自然だし、その間ずっと泣かせておいて、姦淫行為が終わったとたんに煩くなって殺害するというのも不自然である。さらに第一審公判では、「姦淫時は、赤ちゃんはどこかに行っているような感じでした。」と述べている。実際には、現供述のように被害児死亡後に被害者への姦淫行為がなされているので、「姦淫時には被害児の泣き声が無かった」かのような第一審公判供述で真実が暴露されていたのであり、これに反する供述調書が虚偽なのである。

   「被害者にハイハイしようとする被害児を抱え上げて頭上から思い切り頭から床に叩きつけた」という行為があまりにも無情かつ残酷な行為として取り沙汰されるが、そのような証拠はなにもない。あるのは捜査段階の自白調書にそういう記述があるだけで、目撃者もいなければ、客観証拠もない。被害児の遺体には、そのような行為をなされたら幼児に当然生じてしかるべき損傷がない。通常幼児にそんなことをしたら、頭蓋骨骨折や脳挫傷を生じるが、そういう痕跡はない。

 ? 結局、捜査段階の供述は、18歳という年齢に加えさらに未成熟な被告人が、検察官の「本当のことを正直に話さないと、死刑もあり得る。」という発言におびえ、自身がなんの罪もない2人の尊い命を奪ったことは事実であり否定しようもないし、諾々と捜査官らの考えるような筋書きに沿った供述調書の作成に、その機嫌を損ねたくない一心で、漫然と応じてしまったに過ぎない。捜査段階の供述調書の内容と、鑑別所での供述、第一審・第二審の公判供述が矛盾していたことは証拠上明らかであり、その矛盾を放置して捜査段階の供述に依拠した事実認定をなしていたのが、誤りであったのである。

 3 被告人は、旧公判で必ずしも認定事実を認めていない。

 ? 第一審

   被告人は、第一審公判で、事前の強姦の計画性を否認している。個別訪問をしたのは、暇つぶしと寂しさを紛らわすためであり、会社の制服で会社名を名乗り、会社をPRしたい気持ちもあったとのことであった。

   殺意については、弁護人から殺意があったことを前提に質問がなされており、殺意があったかどうかを述べる機会を与えられていない。

   しかも殺害態様の供述については、「予想外な抵抗を受け、パニックになって頭が真っ白になって、無我夢中でやっているうちに、殺すはめになっちゃったんです。」旨の供述であり、強姦目的や殺意を前提とした態様でない。

   遺体を押し入れに入れた理由も、「発覚を遅らせようという思いはなく、目の前に遺体がある状況をなんとかしたかったのです。」と述べている。

   事実関係を認め争わなかったのは、弁護人である。被告人は罪状認否や証拠の同意の意味を理解していなかった。一審弁護人は、被告人の父親から依頼を受けた私選弁護人であり、父親から「遺族の損害賠償請求が自分に向かないよう」するよう要請されており、遺族感情を逆撫でするような訴訟活動をできなかったというのである。もっとも、一審弁護人も、被告人自白調書の一部の信用性を争ってはいる。しかしもっと踏み込んで、任意性を争うべきであった。

 ? 第二審

   第一審の判決に対し検察官量刑不当の控訴申立をなしているだけであり、被告人・弁護人が控訴を申し立てていないので、第二審では事実を争うことができず、死刑無期懲役かだけが争点になっていた。検察官からの控訴がありながら、被告人側の控訴を検討しなかった一審弁護人の対応に問題がある。供述調書の信用性を一部争っており、公判被告人が強姦の計画性を否認しているのであるから、被告人に事実認定の不服があることは弁護人には分かっていたはずである。

   かくして、第二審の弁護人の訴訟活動にはもともと根本的な制約があった。特に第二審では、「不謹慎な手紙」という異常事態が生じ、これに対し防御し、死刑への変更を阻止し、無期懲役判決を維持することが至上命題となったことは理解が可能である。

   第二審の被告人質問でも、被告人は戸別訪問の段階での強姦の計画性を否認している。しかしその後の実行行為の部分については、一切質問を受けておらず、供述もする機会がなかった。

   「不謹慎な手紙」については、状況や立場、遺族の心情を鑑みれば、到底許されないような不謹慎なものであったことは否定できず、被告人も反省するところである。

   しかし、よく「法制度も熟知しており、知能が高く、狡賢い。」などと評されるが、「少年は無期でも7年で仮出獄する。」というのは本村洋氏著書「天国からのラブレター」初版の編集部後記(現在の版では、削除されている)から知ったにすぎず、「5プラス仮で8は行くよ。」というのは、他の友人からの手紙に「君の場合は、5プラス仮で8くらいじゃない?」と書いてあったのをそのまま他の友人に書いたに過ぎない。

   このような手紙を書いた被告人が不謹慎であったことは否定しないが、その手紙の相手は、平成12年3月に検察官に会い被告人からの手紙を提出した後も、被告人に手紙を書き、旧控訴審によれば被告人を煽り、不謹慎な手紙を書かせては検察官に提出していた。「天国からのラブレター」を被告人に差し入れ、その末尾の「7年で仮出獄」を教えたのもその友人であり、本村洋さんについての評価を聞きだそうと誘導し「被害者さんのことでっしゃろ?」と書かせたのもその友人である。自発的に作成されたのではなく、誘導され、検察官に提出する目的の下、書かされた面もある。 

 ?  1・2審を通じ、8回ほど被告人質問の期日があったが、そのほとんどが犯行態様以外の質問、「不謹慎な手紙」等に費やされ、犯行態様についての質問と回答がなされたのは、そのうち1期日、およそ20〜30分程度(多く見積もって)であった。

   また、被告人は、裁判所に提出される資料は一切差し入れてもらっておらず、中身を把握していなかった。被告人が自ら差し入れを希望して入れてもらった、本村洋さんの意見陳述調書を除いて。

   被告人が、なぜ、どのような犯罪をなしたのか、公判で十分に吟味することなく、捜査段階に作成された大量の自白調書によった結果、実際になされた犯行とは異なる態様が認定されていたのである。

 4 差し戻し審で事実関係を争うことは、困難であるが否定されていない。

   最高裁判決が、「事実関係は、他の動かしがたい証拠から、揺るぎなく認められる。」旨判示したことから、差し戻し審で事実誤認の主張をなすことが許されない旨の誤解がある。

   この点については、八海事件第三次最高裁判決が、「破棄判決の拘束力は、原判決を破棄する理由としての原判決に対する否定的消極的判断については生じるが、原判決に対する肯定的積極的判断については生じない。」旨判示しており、その射程(適用範囲)につき限定していないから、本件についてもこれが妥当し、最高裁が「原判決死刑の適否についての審理を尽くさなかった違法がある」旨とした点は差し戻し審を拘束するが、「事実関係は揺るぎなく認められる」とした点には拘束力は無く、差し戻し審で事実誤認を主張することも、なんら制約がないのである。

   当職が原告としてなした橋下徹弁護士に対する損害賠償請求民事訴訟被告橋下徹答弁書においても、本件に八海事件の適用があり、差し戻し審において事実誤認の主張をなすことが否定されていないことは認められている。

   この点、元検察官や学者のコメンテーターが、「最高裁の判断を前提にすると、差し戻し審で事実誤認を主張できない。」旨の虚偽をコメントしていることに誤解を蔓延させた問題がある。誰も、八海事件の判例を紹介し、それが本件に適用されないとする理由を説明していない。

 5 死刑廃止運動のために集まり、個別事件を政治的に利用などしていない。

   当職自身のブログ等で明言しているが、当職自身は死刑廃止論というわけではなく、消極的死刑存置論者である。

   そもそも、光市事件弁護団の活動において、死刑制度の是非について、議論がなされたことは、見聞したことがない。

   確かに、「年報 死刑廃止」という雑誌で光市事件の特集をなしていたり、光市事件の裁判期日に前後して死刑廃止運動団体の集会が開催され光市事件弁護団の構成員が出席したりしている事情はあり、これらの点から、かかる誤解を受けることにもまったく理由がないとは言えないかもしれないが、弁護団が組織として死刑廃止運動と連携しているわけでもなければ、本件の刑事弁護活動を通じて死刑廃止運動のためになそうというような気配は毛頭無い。

   弁護人の更新意見書、弁論要旨においても、死刑制度についての違憲論や国際条約違反等の論理は展開されていない。

 6 差し戻し審において、弁護側取調請求証拠の多くが、裁判所に採用され、取り調べられた。

   法医学鑑定書、心理鑑定書、精神鑑定書、それらの作成人の証人尋問など、弁護人らが取調請求した証拠の多くが、裁判所に採用された。もしも、主張が荒唐無稽で内容自体失当であり、到底証拠により裏付けられるようなものでないとすれば、裁判所がそれらの証拠を採用するはずがない。また、裁判所は弁護側の取調請求証拠をなんでもかんでも全部採用しているわけではなく、唯一の情状証人や弁護人作成の報告書等、採用が却下されたものも複数あり、採用された証拠については採用の必要性と許容性が裁判所に肯定されたということが明らかである。

   しかも、弁護側立証に対応して検察官の側も、法医学鑑定書とその作成人の証人尋問を請求し、実施された。弁護人らの主張が荒唐無稽で取るに当たらないものであり事実に揺るぎが生じようもない状況であれば、検察官が事実関係についての証拠調べ請求をなし立証をはかる必要性もないはずである。少なくとも、検察官が立証(反証)の必要を感じる程度には、弁護側の立証に説得力があったということを示している。

 7 弁護団に、懲戒理由となるような「説明義務違反」はない。

   テレビで懲戒請求を扇動した橋下弁護士は、その後8月に出席した大阪弁護士会館での弁護団の説明集会での発言や、橋下弁護士自身のブログによると、少なくとも現在は、弁護団の弁護活動(主張)が正当なものであることは認めているようである。

   そして、弁護団の最大の懲戒理由としては、「主張が変遷したことの説明義務違反」としている。

   しかし、一連の懲戒請求において、これを理由とするようなものは見あたらない。

   また、橋下弁護士自身、「僕も自ら懲戒請求をかけることにしました。」としながら、その後多忙を理由に「やっぱり、しないことにした。」とのことである。これは、橋下弁護士自身、本件弁護人らに対し懲戒請求をなす行為が、懲戒請求が認められないばかりでなく、橋下弁護士のような法律家がなすようなときには逆に自らの懲戒事由ともなり得るようなものであることを理解しているからであると考える。橋下弁護士が「なぜ自分でやらないのか。」と批判を受け、いったんは「僕もやります。」と明言しながら懲戒請求をなさない事実が、橋下弁護士自身も、本件の懲戒請求がおよそ懲戒処分にならないどころか、その調査検討義務の懈怠と言われるようなものであることを自白しているに等しい。

   弁護団は、5月の弁論期日後以来、集中審理ごとに1回は記者会見をなし、事案の説明をなす努力を続けている。その内容はインターネットで動画配信されている。

   また7月頃には、光市事件を解説する冊子を印刷し、必要な範囲で交付している。

   8月に大阪、10月に福岡、12月に広島で説明集会を開催し、大阪では弁護士のみを対象としたがその様子は冊子として公開されており、福岡広島では記者や一般の来場も許容している。

   「供述の変遷」については、9月の集中審理での被告人質問のテーマであったので、それ以前に説明をなすことは困難な面があった。9月以降、当職はブログを開設し、その中で光市事件の問題点についての説明をなす努力をなしている。

   このように、弁護団や弁護人らは、守秘義務や誠実義務の制約を受ける中で、状況に応じて可能な限り、遺族や社会に対する説明の努力をなしてきた。

   その説明方法が未熟で洗練されていない稚拙なものであったとしても、説明義務違反が懲戒理由という前提として、説明をなしていないわけではない。

   そもそも、橋下弁護士が唱えるような「説明義務違反」が「懲戒処分の理由となるべき非行」となる余地はない。重大事件で社会が疑問を持ったら弁護士は説明する義務を負うということになるのか。

   当職自身は、振り返ってみれば、早い段階から、主張が変わった原因や経緯を遺族や社会に可能な限り説明し、理解を得る努力をなし、社会の反発を回避する努力をなすことが、被告人の利益のためであり、被害者遺族への配慮であり、ひいては刑事司法に対する国民の信頼を高めるためにも良かったのではないか、との考えに至ってはいるが、これも当否の問題であり、懲戒理由となるような懈怠とは言えない。

第3 結論

   本件懲戒請求に関し、懲戒請求人が対象弁護士懲戒を請求するところは、専らマスメディアにより受けた情報によるものか、それを元にインターネット上で議論されていた情報程度によるに過ぎず、弁護人が作成した更新意見書やその記者会見インターネット上で動画配信されている)を吟味し、必要な調査・検討をなした上で、対象弁護士懲戒事由となるべき事由があるかを判断したものではない。そのことは、懲戒請求のほぼ全部が、懲戒請求人自らが記載したのではない同一書式によりなされていることや、当職からの求釈明に対しても調査・検討があったことを窺わせる回答が無かったことからも分かる。

   懲戒請求人のほとんどは、マスコミにより与えられた情報をそのまま信じ込み、事件から8年も経って差し戻し控訴審審理となり被告人の主張が一変した(かのように見える)こと、このような経緯に翻弄されている本村洋さんほかご遺族のために、「なにか自分にもできることはないか。」との一心から、善意でなされたものであるかもしれない。その善意は、尊いものだとも思う。

   当職としては、改めて社会の反感・批判を身を以て感じ、混乱した社会の中で社会から注目を浴びる重大事件の被告人の弁護をなす上でどのような気遣いが望ましかったのか、反省し、考えるよい機会となった面もある。

   しかし、懲戒請求を、しかも同じ内容・文面のものを数を頼んで申し立てる、という方法は妥当ではなかった。懲戒請求をなすということは、橋下弁護士によっても「民事訴訟を提起する際以上には注意義務がある」のであり、裁判を起こす以上の法律行為をなしている自覚の下になされた請求がどの程度あったか。住民票の提出を求められ激怒、対象弁護士から書面が届いたことで狼狽というようなことは、裁判であれば予測できる事態を予測していなかったことを示し、懲戒請求が民事訴訟以上、刑事告訴・告発に近い法律行為であることを理解していなかったことを意味している。

   当職は、現時点で、懲戒請求をなした各人に個別の民事訴訟を提起することは考えていない(状況が変わったり、よほど悪質な請求があったことが判明したり、懲戒にしない判断が出ても懲戒請求が続いたりするようであれば再検討の余地もある)。だから「恫喝」ではないし、恫喝する理由もない。

   ただ、懲戒請求人らには、刑事弁護の困難性、刑事司法において求められている役割、被告人の権利、弁護人が果たすべき社会正義は刑事司法の一翼に過ぎずそれ自体完結した客観的正義を求めた場合には刑事司法が窒息してしまうと考えられてきたこと、被告人の利益を守ることを通じて弁護人は刑事司法の健全な運営に貢献するものとされていること等々、十分に考えて、理解して頂きたい。そして、社会が凶悪犯罪を憎むのは当然として、その風潮を助長し、利用するようなマスコミ報道がなされているという現実も理解されたい。香川県坂出市の事件で、テレビ等を通じ被害児らの父親が犯人だという印象を受けた人は多いと思う。しかしそれは真実ではなかった。マスコミを通じ植え付けられる印象が、常に真実とは限らないのであり、視聴者は批判的に視て自分の考えを形成し、判断をなす自己責任がある。

   また、弁護士に対する懲戒請求というのは、形式的には規程上「誰でも」できるということになっているが、実質上も「誰でも」自由になしていいというものではない。対象弁護士懲戒事由があると判断すべき調査・検討義務を尽くした者が、その理由を説明して、なすべきものである。訴訟も「誰でも」起こせるが、報道で「許せない。」と思ったとして、テンプレート書式の訴状に署名して裁判所に提訴するだろうか。訴訟を提起した以上は住所氏名が相手に知られ、相手から反論がなされたり直接手紙が来たりする可能性は予想しないだろうか。「懲戒請求が民事訴訟以上の法律行為であること」を説明せずに扇動したのは、橋下弁護士であり、テンプレート作成者である。日弁連の説明不足を批判する向きもあるが、確かにその不親切は否定できないとしても、説明が無くとも、民事訴訟や刑事告訴をむやみやたらとなすべきものでないことは、通常は、判断可能である。よく「7000件も懲戒請求されたのだから、みんなそれほど怒っているのだ。」と言われるが、懲戒請求人自らよく知っているように、1人の懲戒請求人がだいたい7〜21人の弁護士懲戒請求している。実質的に懲戒請求をなしている人は、約500人である。視聴者1000万人とも言われる「たかじん」の番組を視た人と、視ていない人のうち、懲戒請求をなしたのは約500人である。橋下弁護士は、「何万、何十万とやってもらいたいんですよ。」と言ったが、約500人である。1000万人に対し500人としても、0・005%である。残りの99・995%は、冷静に判断して、行動していないのである。

   マスメディアを通じて得た情報や印象だけで、懲戒制度の趣旨に合致した懲戒理由があるか無いかを調査・検討する努力もなさず、弁護士への懲戒請求をなすことは、弁護士の職務活動に対する威圧であり、妨害ですらある。民事訴訟以上の法律行為(ちなみに行政不服審判法の適用があり、日弁連の決定への異議についての訴訟管轄は東京高裁とのことである)であり、数を頼んで安易になすようなものでないことが、理解されるべきである。もちろん、実際に懲戒処分に値すべき非行がある弁護士については、その理由を調査・検討し、事実上・法律上の根拠を述べて懲戒請求することは否定されていないのであるから、上記のように考えることが過度の懲戒請求への萎縮となり弁護士自治制度の崩壊になるというのは極論であって、今現在も各単位会と日弁連弁護士自治を全うするため理由のある懲戒請求については真摯に検討し続けているのである。

   先に述べたように、本件のようなせい惨な重大事件において、何の罪も咎もない幸福な人生を歩み始めた尊い命が、突如として理不尽にも奪われたということへの怒り、憎しみは人間として当然のことであり、悲しみや怒りを共感し、刑事訴訟手続きに翻弄され苦しまれている遺族のために「なにか自分にできれば。」という善意で行動を起こされること自体は、まったくに「尊い」人間的行為だと思う。驚きもし、正直、感動もした。しかし、だからこそ、この事件できちんと真相を見極めなければならない。この事件の背景は、原因は、経緯は、なんだったのか。「犯行現場」「取調べ室」という密室で、何が、起きたのか。事件報道は、間違っていなかったのか。旧1・2審で検察官の主張通り裁判所が鵜呑みにした事実と、現在被告人が主張する一見荒唐無稽な事実と、どちらが真実なのか。裁判所の結論がどちらに傾こうと、検察官の主張に弁護人が反論し、双方の主張・立証を戦わせて、それを第三者の観点で裁判所が判断することにより、より真相に近づくことができる。刑事訴訟とはそういう観点から成り立っており、捜査機関のテーゼにアンチテーゼを立てるのが、弁護人の重要な役割である。もしもアンチテーゼが不合理であり根拠(証拠)が薄ければ、弁護側が敗れ、検察官の主張がそのまま真実とされようが、その討論のプロセスを保障するのが刑事裁判である。アンチテーゼを立てること自体、圧力をかけて禁止しようとすれば、刑事裁判が前提とした弁証法のモチーフは崩れ、えん罪が続出する全体主義的社会の到来が待っているだけである。

   懲戒請求人には、このような理解を頂くことが必要である。

   本件懲戒請求に理由はなく、対象弁護士懲戒処分に付さないとの議決を求める。

                                   以上