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我慢の限界値

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藤原 邦康
オレア成城 院長
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1日に診られるのは8人まで。集中力の持続性を考えてのことです
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Q

我慢の限界値

日時│2007/04/19 21:42│評価:0pt

マッサージ・各種療法

はじめまして
父親が武道の師範をしているおかげで子供の頃から何かと鍛えられて「痛いと思わなければ即ち痛くない」という考えが骨身に染み付いている学生です。
ご相談したいのはここ半年ほど僕が我慢している痛みのことです。
半年前に引越し業のアルバイトをして重たい荷物の運搬をしていて腰に鈍痛を覚えました。家に帰り入浴して暖めたら鈍痛が激痛に変わり3日ほど寝込んでトイレに行くのも覚悟を決めてそろりと動く情けないことに。
それ以降ふとした拍子(物を落として拾おうとする、人に呼ばれて振り返ろうとする、前に屈む)と腰が痛くて2週間我慢して医者に行き「椎間板ヘルニア」と言われました。しかし医者に行く暇はないので腰に市販のコルセットを巻いてどうにか普通の生活を過ごしています。ここ1ヶ月ほどは足に電気のような痺れを感じることもあります。(臀部から足の裏を伝い踵の辺りまでしびれるような気がします。)
これはよくなっているのですか、それとも悪くなっているのですか?
「痛いと思わなければ痛くない」精神で堪えていますがあとどれ位我慢をすると開放されるでしょうか?
反対に「ここまで我慢していいけどもうこれ以上はアウト!」という我慢の限界値に該当する兆候みたいなものがあれば教えて下さい。今はどうにか普通に学校に通い居酒屋で厨房のバイトもこなし週に2度は道場で稽古をしていますが正直言って「我慢・気合・ど根性」で乗り切るのも疲れてきました。何か助言等を頂けたら幸いです。よろしくお願いいたします。

質問者│あまの☆・東京都・男性・20歳

Q

痛みの閾値

回答者:藤原 邦康│日時2007/04/19 21:47

痛みが出る境界を「閾値(いきち)」といいますが、これが人によって違うのは確かです。

また、訓練によって痛みを感じにくくする、あるいは無視できるようにすることも可能であると考える人もいます。(進化論的な発想。「高木の葉を食むためにキリンの首は長くなった」)

ただ、痛みに耐えられない人がふるいにかけられてこういった訓練から脱落していくだけで、耐えられる人が選別されていくとも考えられるわけです。(自然淘汰の発想で、「キリンの首はもともと長かった。低木が枯れた後、首の短い動物が絶滅した」)

痛みの訓練については、私は個人的には後者が正しいような気がしています。格闘技など激しい痛みに耐えられる人は良くも悪くもかなり特別な人で例外的だと思います。

何が言いたいかというと、「痛みがある」ということはきわめて普通のことだと思ってほしいのです。

また、上記とは別の考え方として、病気や外傷などに対する心理的な反応というものがあります。例えば、「あなたは癌です」と宣告されると、否定→拒絶→受容→絶望→諦観→希望という心理ステップを経るわけですね。あまの☆様の場合は「拒絶」と「受容」の間の段階だと思います。

まず痛みがあるという事実、そして根性で乗り切るのに疲れたというご自分の気持ちを受け止めてください。しびれが出るのはヘルニアから由来していると思われます。これは病理学的に筋が通っていますし悪化しています。これを事実として受け止めてください。

痛いのは恥ずかしいことではありませんし、時間は作ればあるはずです。

ヘルニアにはカイロプラクティックが有効です。気軽に問い合わせてみてください。


藤原 邦康 【米国公認ドクター・オブ・カイ
ロプラクティック】
カイロプラクティック&ボディケア オレア成城
Tel. 03-6806-6684

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評価者:あまの☆│日時:2007/04/19 23:35

痛み→シビレ→よくなる!だと思っていました。
だからシビレが出てきたので「よし!あと少しで痛くなくなるぞ」と期待していました。
「痛い」というのは正直言ってすごく苦手です。
いざ治療に行っても「痛くありません」と虚勢を張る気がしないでもありませんが(^^;

 
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