2007年12月17日
【初体験】聖ピオ十世司祭兄弟会の聖伝ミサ
12月16日(日)、待降節第3主日のミサとして聖ピオ十世司祭兄弟会のミサ−所謂『聖伝ミサ』に与った。会場は『聖なる日本の殉教者巡回聖堂』である。
『聖堂』とはいっても、常設のものではなく、『曙町児童会館』の大広間を借りて『聖堂』としている。この会館自体も都や区のものではなく、町内会設置のもののようで、非常に古びた、小さな建物であった。
大広間では、演壇上が祭壇になり、会衆席は前8割程度が畳敷き、残りが板敷きである。そこに折り畳み椅子や座布団を置いてミサを行っている。そこで、会衆は跪いたり、起立したり、着席したりしている。
司式は、トマス小野田神父様。資料によれば、聖ピオ十世司祭兄弟会アジア管区内のフィリピン・マニラの修道院から毎月一度日本に派遣されているそうである。
ミサの開始は、10時半から。正午過ぎに終わったので、1時間半程度のミサの時間であった。
「感想は?」と訊かれれば、「よく分からなかった……」としか答えようがない。
たとえば、海外でミサに与っても、もちろん言葉は分からないが、司式司祭の身振り手振りや侍者・信徒の動きでミサの流れはつかむことができる。しかし、この『聖伝ミサ』全く要領がつかめない。よく、「ラテン語で挙げる所謂「新しいミサ」と『聖伝ミサ』は全くの別物である」とうかがう。まさにそのとおりであった。
聖堂に入る前、ミサ次第をお借りしたものの全く次第についていけない。今、祭壇で何が行われているのか全く分からないのである。周りの様子をうかがい、ワンテンポ遅れて、跪いたり、十字を切ったり、それで精一杯であった。このような始末であるから、聖体拝領は辞退させていただいた。
ミサへの参列者は二十数名。おそらく、みなさん顔見知りなのであろう。初めて参列した自分のことも、すぐにお分かりになったようである。ミサ後、神父様に挨拶し、正直に「よく分からなかった」ことをお話しした。「初めてですからねぇ〜」と慰めてくださり、「そのうち段々と分かってきますよ」と、次回からの参列も促された。
しかし、もしかしたら、神父様は、拙ブログをご覧になっているのかもしれない。初対面にもかかわらず、なぜか自分のこともご存じであった。
それにしても『日本のカトリック』とは小さな社会である。この二十数名の中でさえ、その他にも自分を知っている人がいらした。失礼ながら、こちらは失念しているのだが、昨年、ノムさんとの靖国神社参拝で一緒だったそうである。
帰宅時、神父様にお願いして、祝別していただいた御絵の裏にサインを頂いた。そのことばを最後に紹介する。
「天主さまの祝福が
多くありますように!
聖母マリア様が
いつも護り給うよう
お祈り申し上げます
トマス小野田神父
2007年12月16日」
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この記事へのコメント
確かにパッと見の印象ではなかなか難しいものがあるかも知れませんね。。
この形態のごミサの裏にあるもの、信仰のかたちといいますか、それを教えてくれるのはどこでしょうか。