二十九歳の若さでこの世を去った児童文学者新美南吉の代表作といえば『ごん狐(ぎつね)』を挙げる人が多いのだろうが、『手袋を買いに』も人気が高いという。雪が降り積もった日に、狐の子どもが町まで手袋を買いに行く物語である▼狐の母親は、正体がばれたら買うことはできないし、人間は怖い存在なので、おりに入れられてしまうと思っている。だから子どもの片方の手を人間の手に化かし、必ずこの手を戸のすき間から差し出して金を払うのだと注意する▼ところが子どもは間違って反対の手を差し出し、<このお手々にちょうどいい手袋下さい>とお願いしてしまう。さて、どうなるのか。店の人は狐の手を見て<おやおや>と思うが、本物の金だったので毛糸の手袋を持たせ、そのまま帰す▼物語は母子の会話で幕を閉じる。子どもは当然、<人間ってちっとも恐(こわ)かないや>というが、母親はそうはいかない。<ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら>とつぶやく▼作品が書かれたのは一九三三年十二月二十六日とされている。二日前のクリスマスイブに南吉は、新しい雑誌を若手でつくる計画をあきらめざるを得ない状況に追い込まれている。そこで新美南吉記念館(愛知県半田市)は母親の言葉を、南吉自身のつぶやきではないかと解説している▼誰しもがつぶやくことだろう。何かを成し遂げたいと思えば思うほど、妨げようとする人が現れる。でも狐の子どもは手袋を買うことができた。南吉は信じていたと思う。人間はいいものだと。