ライブ用サングラス2007年モデル
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油断するな。
でも、意識しても、どうにもなるものでもない。
また、びくびくしてたら、生きていけない。
意識してたとしても、「条件」が整えば、崩れるのは当たり前。
崩れていく現実をマノアタリにして
それを、「当たり前のこと」として受け取れるか。
見ているのに見ていない。
見えているのに見えていない。
頭で分かってるつもりでも、
腹の底から理解していない。
だから、愚痴が生まれ、深い溜息をつく。
明日なんて誰にも分からない。
そのくせに、自分や、自分の周囲には、
「固定」的な継続性を求めている。
自分にとって都合の良い「無常」には無頓着なくせに。
ちゃんと「受け身」をとれるかな?
受け身がうまくとれなくても、
崩れる時は、崩れていく。
僕らの足下にある「基本」。
だから、
時の流れに棹さして
僕は、この「瞬間」を噛みしめる。
それは、まるで
「砂に書いたラブレター」。
メッセージが波に消されないうちに、
聴いて欲しい歌がある。
でも、その歌は、まだ未完成・・・。
いや、未完のままでも歌わなきゃ。
嗚呼、
もっと、優しくなりたい。
もっと、強くなりたい。
そして、
もっと、人生を謳いたいのだ。
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テレビで山下達郎の「クリスマスイブ」の英語版が流れるCMを見た。
音楽には、想い出がくっついている。あのときの、空気も、匂いも、一緒に思い出す。
この歌に出会ったのは、1988年。大学時代、京都に住んでいた頃だ。
当時毎週欠かさず見ていたバラエティ番組の提供が「JR東海」だった。ストーリー性のあるCMの背景にそのメロディーは流れ、そのCMを見るたびに、胸がキュンとなった。寺の子であるのを忘れて(笑)、この歌のイントロが聞こえ始めるとソワソワしたものだ。
それ以後、毎年クリスマスが近づくと、この歌がアチコチから流れてきた。
毎年この歌と一緒に、仲の良い友人達は、それぞれの「恋」に走っていった。僕は、クリスマスを理由に「動く」ことはなく、年末に北海道に帰省する「荷造り」をしていた。その部屋の背景には、やはり、この歌が流れていた。
さびしかった。
好きな人は遠くにいた。
学生時代、雪のない京都の街で、何度、雪を期待しながら、僕は夜空を見上げただろう・・・。
この歌の本当の意味を知ったのは、そんな夜だった。
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所属バンドの解散コンサートまで10日を切った。
昨晩もバンドの練習があったのだが、メンバーの中に風邪を引いた人がいたり、「体調管理」が大変な時期になってきた・・・・。
巷ではインフルエンザが流行し、私も、うがい手洗いを忘れないようにしている。でもいくら気をつけていても、どこで風邪を引くか分からない・・・というコワサがある。「冬」のコンサートは、コンディション調整がとにかく大変だ。
すご~~~~~く矛盾する言い方だけれど、
もし風邪をひくなら、今だ!
こじらせなければタイミング的には10日後の本番には治ってるはず。もしも本番3日前くらいに風邪になったら、もう当日には間に合わないだろう。だから、風邪をひくなら、今ひきたい!!
・・・・・な~んて、そんな「矛盾した気持ち」になってしまうくらい、今の時期、一番「弱気」になる。
なんとか、無事に、コンサート当日にたどり着きたい。
でも、こんな不安を抱えながら過ごすのも、今年が最後だ。バンド解散した来年からは、この時期に、何もないのだ。
でも、
またまた矛盾した言い方だけど、
今年バンド解散で、正直、ホッとしている。
ライブ期日を決めて、ポスターチケットを作成し、お客さんに宣伝し、チケットを売って、そのライブ当日の「たった2時間」の為に、風邪を引かぬよう、ケガをしないよう、「お葬式」が入ってもナントカ日程が重ならないよう、、、、、そういう「ヤリクリ」を考える事が、だんだんしんどくなってきた。
やっぱり、それは僕が今年「住職」になったからかもしれない。そして、今日も「葬儀」があったのだが、大切に仏教をお伝えしなきゃならない「葬儀」を、ソワソワした気分で勤めるわけにいかない。そういう「気持ち」の置き方を考える事も、だんだんしんどくなってきた。
仲間はすぐ集まれる。すぐ再結成できる。いつでも飲める(!)。
だから、解散は、サビシイけど、
どこかホッとしている。
だから、最後の今年のコンサート、なんとか良いコンディションで歌いたい。
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Mail Heart Concert VOL.10
Last Concert ~メロディの風と共に去りぬ~
とき・平成19年12月26日(水)
午後6時15分開場(バンド10周年のビデオ上映があります)
午後7時00分開演
ところ・信金コスモスホール(国道37号線グルメシティ伊達店(旧ダイエー)西向い・伊達信用金庫本店ビル2階)
入場券・500円
問合せは minoyamail@yahoo.co.jp まで!
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いろんな事件がある。
今日もニュースをつければ、散弾銃乱射事件、犠牲者の葬儀を伝えていた。
最近、『「死」の教科書~なぜ人を殺してはいけないか~』産経新聞大阪社会部(扶桑社新書)を読んでいる。そこには、JRの脱線事故で突然に愛娘を失った方の日記も紹介されている。
突然に、最愛の人がいなくなってしまう、受け入れがたい現実を前に、人はどう想い、どう考え、その後、どう歩いていくのか・・・
今日、葬儀があった。
でも、いつもの葬儀と違うのは、そこに「遺体」はなかった。
実は、15年前に突然に失踪した方の葬儀だった。事件に巻き込まれたということ。警察も「殺されている」と認めた上で捜査をしてきた。
その「現実」の中を、15年間もの長い間苦しみながら生きてきた母であるバアチャン。結局、息子さんは帰って来ないまま。そして、15年。
バアチャンは最近、夜になると、「息子さんの夢」を見る回数が増えた。同居している家族の皆さんもバアチャンを支えながらも共に苦しんできた。
そして、バアチャンは「区切り」「ケジメ」として、その息子さんの「遺体のない葬儀」を執り行うことを望んだ、そういう法要だった。僕にとっても、初めてのケースだった。
受け入れ難い「現実」を前にした家族、その人たちにかける「言葉」など、僕には持ち合わせていない。それがよく分かった時間だった。
ただ、バアチャンは明るかった。割り切れないまま、でも、明るかった。
「これで、心残すことなく、息子のとこへ逝ける・・・」
そう言ってまた笑った。
受け入れがたい現実を受け入れるのは、本人しかいない。その受け入れ方も、人それぞれにあるのだろう。
受け入れられないままに受け入れたバアチャンの笑顔のように。
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今週は、忘年会や学習会で、2回も「登別温泉」に行き、泊まった。
先日11日の当ブログ「動けないコワサ」でも書いたように、一泊しても、結局は翌朝早くにチェックアウトして帰らなきゃならないから、ゆっくりできないんだけど・・・・
それでも、やっぱり温泉はいい!!
湯船の中で思いっきり足や手を伸ばし、目を閉じて、ゆったりしてみた。
「嗚呼、いつまでもこのまま、こうしていたい・・・。」
ポチャン♪
「非日常感」を楽しみながら、みんなと飲み、語らい、温泉での夜が更けていく。
就寝。zzzzzzzz・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2日目、早朝に「朝風呂」に入ったあと、その温泉特有の「匂い」を残したまま服を着て、僕は温泉から帰る。※湯上がりにシャワーを浴びて、温泉の香りを洗い流すのがモッタイナイ自分は、いつもそうなのだ・・・。
朝8時30分。さっきまで温泉にいたのがウソのように、「坊さん」に変身した僕が檀家さん宅をお参りに回り始める。
時折、そんな自分の「衣」のスキマから「温泉の香り」がモワワ~~~~ンとしてきて、僕は、まだ温泉の「余韻」を楽しんでいる。さっきまで温泉に行ってた自分が嬉しい。
しかし、
昼過ぎくらいからその体に残る「温泉臭」が気になり始める。ふと、鼻に手をやってみると、手のひらにも「温泉臭」が残っていた。だんだんその「匂い」が鼻にツイテくる。
顔とかにも「温泉成分」が残っている感じで、次第になんだかベタベタしてきて、顔を洗い流したい衝動が押し寄せてくる。
お参りを終えて、私服に着替えても、その「匂い」は残っている。シャツにも、パンツにも、靴下にも。
「あぁぁぁぁぁ、、、、もうイヤ!!この匂い!!」
僕は、ウチの風呂に駆け込み、シャワーを浴びて、ボディーソープで念入りにその「匂い」を消す・・・・。
そんな「温泉臭」の結末でした。
寝る前に食べたスィーツの口の中に残る余韻を消したくなくて、歯磨きをしないで寝て、結果、後悔するのと、似ている・・・・(笑)。
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