2007年12月28日

トラックバックについて その22

『トラックバックについて』(2007年12月22日付け)には、Pasさんをはじめ、123さん彦左衛門さんから貴重なるコメントを頂いた。ここに感謝申し上げたい。ありがとうございました。

Pasさんがおっしゃるとおり、「自分自身では信じる気などさらさらないものを他人を裁く材料にして悦に入っている」生き方というのは、極めて頭でっかちで、聖書に出てくるファリサイ派的なものを感じる。

今回の日本カトリック司教団のアドリミナ中、教皇ベネディクト十六世がお与えくださった講話には、次にような一文が含まれている。

「家庭や社会の中で愛のわざを行うことを通じて、人々は「キリストの内に神との出会い」へと導かれます。」

Pasさんは、おっしゃいました。
「私たちは信徒なのですから、」と。

そう、『信徒』として、社会の中で『愛のわざ』を行っていこうではありませんか。それこそ、神が、数少ない我々日本人カトリック信徒に期待されていることでしょう。

まさに「地の塩」となるべきなのです。


最後に。みなさんが良きクリスマスをお迎えくださいますように!


 



kasahara_7524 at 00:15 │Comments(2)TrackBack(0)カトリック  | 日記

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この記事へのコメント

1. Posted by Pas    2007年12月24日 10:39
要理の勉強会等で次のような問題を耳にしたことのある人は、少なくないと思います(言い回しは色々ありますが)。
「神学者から信仰を引き算すると何になると思う?」
多くのカトリック信者はこの問題の解答を知っています。またその「解答」に関わるべきでないことも。この件に関しては、これ以上は言いません。
2. Posted by Pas    2007年12月24日 11:39
最後に,今回の一件は、次のような「たとえ話」で考えることができると思います。

一人の警察に対する熱狂的なマニアがいて、しかし、この人は警察に入ろうとはしなかった。このマニアは趣味が高じて道路交通法を必死に独学で勉強し、自室の中の趣味の範囲内で自己満足するだけでは飽き足らず、ついには公道に出て取り締まりを始めた。呼び止めた人に対して、この警察マニアは道路交通法上の問題点を指摘した。呼び止められた人はこの警察マニアが本物の警察官でないことがわかると、ただただ迷惑なので、早く立ち去ろうとした。するとこの警察マニアは、「道路交通法上、おまえのやったことは問題であるのに、おれを無視して逃げるのか」と、自分の「正当性」を主張して、相手を執拗に追及した。

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