2007年12月22日
トラックバックについて
金田一輝さんが設置、運営されている次のブログ
『カトリックの擁護 Defence of Catholicism
趣味としてのカトリシズム 』
(http://defencecatho.seesaa.net/)
では、
『聖ピオ十世会のミサには行くべきではない』(2007年12月19日付け)と題し、拙ブログにもトラックバックを頂いたところである。
「いつも妄想ネタを提供して巷のカトリックウォッチャーを笑わせてくれている「頬白親父」氏が、聖ピオ十世会の違法ミサに参加したことを公然と自らのブログで発表している。
この「頬白親父」という方は、一部の左翼のように反権力の蜜の甘さを知った結果、周囲の助言に耳を貸さず、司教に対する無邪気な反抗を継続し、急速に右旋回してしまっている。さらに強烈な妄想を展開するのだろうと、今後愉しみではある。(以下略)」(http://defencecatho.seesaa.net/article/73599415.html)
また、当トラックバックについて、Pasさんからも貴重なるコメントを頂いた。
この両者に対し、まずは、御礼を申し上げたい。どうもありがとうございました。
ところで、拙ブログは、本当に「巷のカトリックウォッチャーを笑わせてくれている」のであろうか?賛否両論こそあれ、多くの方にご覧いただいているのであれば、幸いである。であれば、これからも多くの方のコメントやトラックバックを期待したい。自分の勉強、研鑽の糧となるものであるので。
Pasさんのご質問にお答えするとすれば、次のように考える。
つまり、自分のような生き方。洗礼・堅信の秘跡を受け、神からのすばらしい愛の内に生きることを決心する。そして、そのような神からの愛、大いなる恵みには到底応えることはできないものの、せめて、自分自身の全力をもって神へのお返しを試みようとする。
その「神へのお返し」とは、『愛するおんひとりご』さえもこの世に送られるほど我々を愛してくださっている神への感謝である。待降節を迎えている今に相応しく言えば、2000年前、この世にあったイエズスを『三位一体の御子』と信じ、そのみことばやみわざを『神からの福音』とすることである。
そして、『御旨の天に行わるるごとく、地にもお行われんことを』と我々が毎日祈るように、世の聖化を図られる神のご計画に全身全霊をもって参与することではないだろうか?
このような生き方は、、もし、金田一輝氏がブログ名称のとおり「趣味」程度でカトリックを考えていらっしゃるのであれば、『滑稽』に見えるのだろう。
お答えになったでしょうか?
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この記事へのコメント
私が驚いたのは、「いつも妄想ネタを提供」「巷のカトリックウォッチャーを笑わせてくれている」「一部の左翼のように反権力の蜜の甘さを知った」「周囲の助言に耳を貸さず」「司教に対する無邪気な反抗を継続」「急速に右旋回してしまっている」「さらに強烈な妄想を展開するのだろう」等々、「金田一輝」氏が罵倒をこれでもかと羅列していることです。単に聖ピオ十世会関連だけなら、それのみを批判すればいいだけの話ですが、そうではなくよほど以前から「金田」氏は「頬白親父」様に尋常ならざる敵意を抱き続けてきたとしか思えない表現です。「金田」氏の真意がどの辺にあるかは理解しかねますが、降誕節も近いというのに、ネット上とはいえ、あまりに悲しい光景だと思いました。
残念ながら、心ない者からの『罵詈雑言』には慣れっこになっている頬白親父です。
しかし、Pasさんをはじめ、このトラックバックをご覧になり、「ネット上のあまりに悲しい光景」を晒し、不愉快な思いを抱かれた方もいらっしゃるようです。ここに拙ブログ設置者としてお詫び申し上げます。
これからもコメントを頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
最近多忙で、多くは書けませんが、私は同じ教区でお世話になっているものとして、管理人さんの気持ちは、よくわかります。
今までどおりの路線でがんばりましょう。『あがないの秘蹟』104項については主任司祭から、私たちに理解を示す見解をいただいています。もう少し話をつめてからまた書きます。
なんだか、ひどいブログがあるのですね。
この方は、現実の教会を知らない方のように、お見受けします。教会は「神の民・キリストの体・聖霊の神殿」ではありませんか。この3つの本質を、頭と、心で、理解されてから、カトリック教会について述べるべきでしょう。
管理人さん、どうぞ、動揺されずに、がんばりましょう。応援します。
当該コメントは、他のソーシャル・ネットワーキングサービスに関わることである上、極めて悪意ある誤解に基づくものでした。
したがって、ブログ設置者の判断により削除しました。
「いつも妄想ネタを提供」「巷のカトリックウォッチャーを笑わせてくれている」「一部の左翼のように反権力の蜜の甘さを知った」「周囲の助言に耳を貸さず」「司教に対する無邪気な反抗を継続」「急速に右旋回してしまっている」「さらに強烈な妄想を展開するのだろう」.......
彦左衛門:この金田という男は、教皇庁文書などに通じているところを見ると、神父であるらしいが、もしそうなら、偽名など使わず、堂々と本命を名乗り、ブログも本命で運営してもらいたい。
それにしても汚い、無根拠の、誹謗のための誹謗の言葉だ。呆れてものも言えない。
金田某は、頬白親父さんのピオ十世会ミサへの出席だけを取り上げ、批判しているが、頬白親父の拉致問題への取り組み、信徒への両形相での聖体授与批判など、もっと大切な問題については、だんまりを決め込んでいる。
頬白親父さんによる司教や聖職への要望や、批判やらは、専らこの二つの問題に係わるものだ。ところがこの問題への言及は全くない。
彼はこういう問題で、司教や聖職を弁護できないことを知っているのだろう。だから、司教への忠義立てのため、別の問題を持ち出し、親父さんをこき下ろし、そして罵倒しているのだ。
若し頬白親父さんを批判するなら、先の二つの問題についての自分の見解をまず明らかにしてもらいたい。そして司教たちが拉致問題を無視しているのが当然だということを説得的に証明されよ。
また信徒への両形色での聖体授与の実施とその一般に行われている方式に、教皇庁文書に照らしても何ら問題がないと言うことも、教えてくれ。
<充満する悪意とはかけ離れたところで平和な心でクリスマスを迎えようではありませんか。
ご提言ありがたし。でももう晩いので失礼します。お休みなさい。