2009-11-11 はじめに
2007-12-22
■[レベル3][行政法]放送法が改正 「捏造」への行政処分は削除
ネタ切れで、捏造を使わないとやっていけない、まで読んだ。2020年までには、捏造が完全に合法化され、嘘と夢の世界になるのか。嘘や捏造を肯定する思想が教科書に載るかも。
■現世的に人気が取れるブログの特徴
1 そこそこ教養や文章力がある
2 面白いことが書ける
3 継続できる
4 信用や信頼を失わないように注意している
7 自分の領分を自覚しておりそこから逸脱していない
8 抽象的でなく具体性がある
■金と人脈と知恵を蓄積したマスコミ連中の意見なんか聞きませんよ
マスコミは、高度成長期に政府の保護を受けて発展し、莫大な資本、人脈、そして高学歴一本釣り採用による巨大な知識、知恵、技術を独占しており、事実上のコングロマリットを形成し、思想界、経済界を独占している。
マスコミは、非常に狡猾であり、国民を洗脳しているのに、国民の反感を買わないどころか、むしろ支持を受けてすらいる。どういうことかというなら、マスコミは、国民一人一人が何に飢えているかを知っており、その渇きを癒すための情報や物資を社会に供給するのだが、その情報や物資の中に巧妙に洗脳要素を混ぜ込んでいるわけである。したがって、我々がいくらマスコミを批判しても、国民はマスコミが供給する物にすがるしか生きていく道がないから、洗脳が終わることはない。と、こういうわけである。
2007-12-21
■サラリーマンの悩み第一位が人間関係
だろうなと思う。まず、その国の文化は言語に出る。日本語は、とても調和を気にする言語で、文法的に正しければよいというものではなく、なんと言えばいいか、さっと読んだときのまろやかさや違和感のなさが要求される。これがそのまま人間活動に出る。日本の組織社会では、全体の調和を崩すまいと一挙手一投足に気を使う社会で、この点は日本語とまったく同じである。自分が日本語の文字の一つになった感じになれば分かりやすい。私も日本語の文章を書いているときにはものすごく気を使う。これがかなりストレスになる。
英語やフランス語は、文法さえ合っていれば全体の調和はさほど気にしないはずである。少なくとも日本語ほど神経質ではない。英語は実用性重視で、汚なかろうが文法破綻していようが、能率的に素早く意味を伝えようとしてくる性質がある。ドイツ語は文法がきつく決まっていて、安定性がある。フランス語は流麗さを気にするものの、英語と同じで文全体の調和を追及するほどではない。中国語は、まず型破りである。一個一個の文字で意味をぶつけてくる。漢詩をみればよく分かる。文法がほとんどよく分からない。中国には法がないと言われることがあるが、文法もないのではないかと思う。日本語は、古文や擬古文では、中国語と同じで文字で意味をぶつけるところがあるが、明治以降、プロイセンに範をとったために、ある程度言語に論理性を押し込んだ。しかし、論理性は結局学界にしか定着せず、庶民の間では、中国語的な、一文字一文字による意味の押し付けが主流で、やはり論理性は薄い。日本語は、なんというか、中国語のように意味重視なのだが、島国であるためか高度に調和性を重視し、なおかつ、歴史経緯から一定の論理性ももった言語ということになるか。
■[レベル3][行政法]基礎科学研究の助成と振興に関する法律(基礎科学研究助成振興法)平成21年法律第132号
(目的)
第一条
この法律は、我が国および世界全体の長期的な科学発展の契機が基礎科学研究に係っているところ、基礎科学研究がその性質上競争ないし事務作業または人間的接触になじまず、静謐な環境における伸び伸びとした思索ないし研究が成果を得るための必須の要件となっていること、また、大学等研究機関以外の場所でも基礎科学研究が十分可能であること等にかんがみ、新たに基礎科学研究者の資格を設け、これに係る試験に合格した者に対して住居や食費をはじめとする生活保障等研究に必要な手段を給付することにより、基礎科学研究の助成と振興を図り、もって長期的な公共の福祉の増進に資することを目的とする。
(定義等)
第二条
略
(申請)
基礎科学研究者の資格を得ようとする者は、その旨、文部科学大臣に申請しなければならない。
(試験の方法等)
第四条
1 試験は、短答式(択一式を含む。以下同じ。)及び論文式による筆記の方法により行う。
2 試験の合格者の判定は、短答式による筆記試験の合格に必要な成績を得た者につき、短答式による筆記試験及び論文式による筆記試験の成績を総合して行うものとする。
(試験科目等)
第五条
1 短答式による筆記試験は、基礎科学研究者に必要な専門的な知識及び推論の能力を有するかどうかを判定することを目的とし、次に掲げる科目について行う。
一 思想
二 芸術
三 国際
四 地域
五 社会
六 制度
七 人間
八 環境
九 物質
十 生命
十一 数理
十二 情報
2 論文式による筆記試験は、基礎科学研究者に必要な専門的な学識並びに分析、構成及び論述の能力を有するかどうかを判定することを目的とし、次に掲げる科目について行う。
一 思想
二 芸術
三 国際
四 地域
五 社会
六 制度
七 人間
八 環境
九 物質
十 生命
十一 数理
十二 情報
3 試験においては、基礎科学研究者に必要な学識及びその応用能力を備えているかどうかを適確に評価するため、知識を有するかどうかの判定に偏することなく、理論的な理解力、思考力、判断力等の判定に意を用いなければならない。
第六条
1 試験は、次の各号に掲げる者が、それぞれ当該各号に定める期間において、三回の範囲内で受けることができる。
ニ 高校卒業者であって、基礎科学研究に対する優れた資質があるとみえる者として都道府県教育委員会委員長の推薦を受ける者
(試験等の実施)
第七条
試験は、それぞれ、試験委員会が毎年一回以上行うものとし、その期日及び場所は、あらかじめ官報をもって公告する。
(合格者の決定方法)
第八条
試験の合格者は試験考査委員の合議による判定に基づき、それぞれ試験委員会が決定する。
(合格証書)
試験に合格した者には、それぞれ当該試験に合格したことを証する証書を授与する。
(合格の取消し等)
試験委員会は、不正の手段によって試験を受け、若しくは受けようとした者又はこの法律若しくはこの法律に基づく文部科学省令に違反した者に対しては、その試験を受けることを禁止し、合格の決定を取り消し、又は情状により五年以内の期間を定めて試験を受けることができないものとすることができる。
第十一条
1 試験を受けようとする者は、それぞれ実費を勘案して政令で定める額の受験手数料を納付しなければならない。
2 前項の規定により納付した受験手数料は、当該試験を受けなかつた場合においても返還しない。
第十二条
1 文部科学省に、基礎科学者試験委員会(以下この章において「委員会」という。)を置く。
2 委員会は、次に掲げる事務をつかさどる。
二 文部科学大臣の諮問に応じ、試験の実施に関する重要事項について調査審議すること。
三 試験の実施に関する重要事項に関し、文部科学大臣に意見を述べること。
四 その他法律によりその権限に属させられた事項を処理すること。
3 委員会は、その所掌事務を行うため必要があると認めるときは、関係行政機関又は関係のある公私の団体に対し、必要な資料の提供その他の協力を求めることができる。
(委員)
第十三条
2 委員は、大学基礎科学教授及び学識経験を有する者のうちから、文部科学大臣が任命する。
3 委員の任期は、二年とする。ただし、補欠の委員の任期は、前任者の残任期間とする。
4 委員は、再任されることができる。
5 委員は、非常勤とする。
(委員長)
第十四条
3 委員会は、あらかじめ、委員のうちから、委員長に故障のある場合に委員長を代理する者を定めておかなければならない。
(試験考査委員等)
第十五条
1 委員会に、基礎科学者試験における問題の作成及び採点並びに合格者の判定を行わせるため試験考査委員を置く。
2 試験考査委員は、委員会の推薦に基づき、当該試験を行うについて必要な学識経験を有する者のうちから、文部科学大臣が試験ごとに任命する。
3 試験考査委員は、非常勤とする。
第十六条
第十二条から前条までに定めるもののほか、委員会の委員、試験考査委員に関する事項その他委員会に関し必要な事項は、政令で定める。
第十七条
この法律に定めるもののほか、試験に関し必要な事項は、文部科学省令で定める。
つづく
■[パズル遊び]今や数学との付き合いは離婚後の面接交渉のようなもの
http://q.hatena.ne.jp/1198195002
上底が4、下底が6の台形があります。
この台形に内接する(台形の4辺に接する)円が描けるとき、この台形の高さはいくつでしょうか。
簡単かもしれませんが、理由つきで解説お願いいたします。
数学の問題は、原則として書かれてあるとおりに解釈しなければならないが、その問題が試験外における受験生や一般人の質問にすぎない場合は、例外的に解答者の方で適当に解釈し直してよいと解すべきである。なぜならば、質問者の質問は往々にして誤解や脱落があるものであって、これを修正することもまた解答であること、そして試験でもないのだから勝手に修正しても問題ないからである。
本件は、試験外の質問に過ぎず、また問題文に不正確な点があるため、解答者の方で修正してよいと考える。
次に、問題文を検討する。
質問者は「台形」と言っており、どのような台形であるかを指定していないが、問題が受験数学っぽく受験数学の問題としてスタンダードな解答となるはずであること、時期的にセンター試験が近くセンター数学レベルのはずであること、一般台形と仮定しても問題として面白味がないこと、一般台形とすると値が定まらないこと、「いくつでしょうか」と言っているように決定問題であること、等脚台形とするとほどよく発想力と計算力をみられる問題となることなどの諸点を考慮すると、ここにいう台形とは等脚台形のことを指していると考えるのが相当であり、以下、「台形」は等脚台形として考えるものとする。
<方法>
けっこうめんどくさい。
底辺6、斜辺aの二等辺三角形に内接する半径hの円を描いて
三角比、面積の関係から、a,hについて連立方程式が立つから、これを
解けば値が出る。
もっとエレガントな方法があるかもしれないが
相似の三角形が2つあるからこれの底辺と高さを比較して一式
後は、hを高さにした3つの三角形の面積和と底辺かけ高さ÷2を並べて一式
これを連立すると、h=√6なので
台形の高さは2√6
検算したら整合するので多分これでいいはず。
■何ヶ国語も使うというのは異常だろう
日本語を使いつつ、英語も使い、フランス語も使うというのはいかがなものか。言語とは人となりである以上、色々な言語を使い分けるというのは、一つの人格分裂である。たとえば、きちんとした英語を書くには、英語文化が身にしみてないといけない。しかし、そんなものは英米圏で暮らす以外には身につかない。フランス語も同様。日頃日本で暮らし、日本の空気を吸っている日本人が、英語やフランス語をやるというのは、ナンセンスにもほどがある。養老孟司氏も言っていたが、何ヶ国語も使わせるのは、政治的意図に由来するとしか考えられない。
■結局アレだ
日本という国は、論理性をさほど大切にしない。まずは実。実を最大限取りつつ、飾りでそれに論理の服を着せる感じ。論理性を大事にするドイツとは違う。日本のような国で、一般国家学とか数学が流行るわけがない。それにしても、数学や基礎法学の学者は、よくこんな国で生きていられるな、と思う。すでにかなり鬱が入っているのではないか。
■[レベル3][行政法]実名か匿名か
公共の福祉の観点からインターネットに規制を入れる場合、ユーザーに実名を名乗らせるべきかどうかが問題となっているので、これについて検討する。
確かに、実名を名乗らせれば、ユーザーに発言責任を持たせることができるようになり、社会的相当性を欠く表現や議論などを抑止でき、実名を公開させるとする議論も一定の説得力がある。
しかし、現実の社会を考えても分かるように、実名など個人を特定できる情報を明らかにした場合、著しく表現が不活発になるというのが我が国の実態であり、実名を公開させると、せっかくネットの登場により憲法の所期する表現の自由が活発となったのに、これを殺いでしまうおそれが出てくる。したがって、実名公開論は、非現実的であるか、少なくとも時期尚早である。
そこで、匿名を維持しつつも、様々なインターネットアーキテクチャの構築により、社会的相当性を欠く表現等を緩やかに抑止していく方針が妥当と考える。すでにmixiなどでは、様々な規約や温和な空気(atmosphere)の醸成により、社会的相当性の確保につき一定の成果をあげており、実名公開までさせなくても目的は達成できると考える。
■日本の政治体制=政官財全体主義
個人主義と全体主義を合体させる必要性はあるが、論理が許容しないからだめだろう。この点、日本は、公共の福祉というあいまいな概念をでっちあげて、両者を合体させたツワモノです。まあ「みんなの幸せ」なる概念が意味不明なので、実際は論理破綻しているのだけどね。これは「みんなの幸せ」の美名の下に政官財全体主義を強行する口実。
2007-12-20
■公共の福祉という美名の下の官僚主義
日本の法律の核心は、行政法と私法の取締強行規定である。公共の福祉の美名の下に、よほど的外れでない限り、法律規制の形で行政が民間に介入することができる。また、経済自由の原則と言っても、実際は私法に多くの取締強行規定(当事者で勝手に決められない事項)が入っており、それほど自由ではない。そして、このような介入を可能にしている「公共の福祉」というものが実にあいまいであるため、実際は行政のさじ加減で都合のいい法律を制定したり、都合の悪い法律は作らないようにするといったことが可能になっている。公共の福祉というのは、良くも悪くも日本の官僚の独善である。官僚がみんなのためになると思ったものが公共の福祉になる。なので、法律は事実上何でもありであり、ロジックで歯止めがかけられるような世界ではない。日本の法律は、そこにある法律と先例をともかく覚えるしかなく、ロジックでやっていくような世界ではない。
最近はこの規制を緩めて経済の自由度を高めようとしているのであるが、やったこともないことをすれば、あちこちで破綻が起こるのは当然だろう。必死でごまかしているが。このまま国際情勢が安定していれば、経済は自由と不自由を行きつ戻りつしてそこそこのところに落ち着くのだろうが、国際情勢次第では、一気に戦前に戻るかも。
■[レベル3][行政法]<宅建業法違反>「レオパレス21」が取引主任置かず
宅建業法とは何のことはないただの取締法令ですが、ことはレオパレスだけじゃないだろう。規制緩和であらゆるものがずさんになっている。牛丼屋でも客の味噌汁に昆虫の死体を入れるような馬鹿もいるらしいし。マックも同。氷山の一角。規制が緩和・解除されて、行政のコントロールが緩んだのだから、手抜きはどこでもやっていそうなことだ。逆に言えば、昔の公共の安全は、行政の強い管理があったからこそ実現していたといえる。
■[レベル3][民事法]ダウンロード違法化は当然の成り行き
まあ、あって当たり前の法律である。いままで立法をしなかったことがおかしかったといえよう。著作権法は、著作権者等に著作物を排他的に専有させることを目的にしている。これは当然であって、有償で売る目的で自分で作ったものを勝手に誰かにコピーされて無償で配布されたら、ものを作る気力は失せてしまうだろう。だからこそ、自分で作ったものは自分で専有するという著作権を認める必要がある。そして、音楽ファイルなどの場合、私的利用であっても、ダウンロードされて利用されてしまった場合、CDを無料で聞いているのと同じ状態になるから、著作権法の法目的のためにこれを規制するのは当然である。今までの著作権法は、ネットでダウンロードされるというような場合を想定していなかったので、そのような規定を欠いていたのであって、今回、新たに法のけんけつを埋めるためにダウンロード違法化を立法するのは当然である。
これに対して、ダウンロード違法化で文化が滅ぶなどと言っている人がいるが、他人の著作物を横領してまで文化がどうのこうのというのは公正ではない。なぜそういったあからさまに間違った意見を書くのか分からない。
■[パズル遊び]ネピアの数
http://d.hatena.ne.jp/pran/20071219#1198056107
256回倒した場合、少なくとも一匹仲間になる確率を求めよ。
大体65%のようです。
<方法>
1−(255/256)^256
ここで一般化してみますと
1−[(n−1)/n]^n
=1−(1−1/n)^n
n→∞で
1-1/e (eは自然対数の底)
n=256は、nとして十分大きいので
1−(255/256)^256≒1−1/e
が言えて、e=2.71828…より、e=27/10などとすると、
1−1/e=17/27=0.63
ということで、65%付近だろうと見当がつきます。
馬鹿正直に(255/256)^256の計算をしなくても
e=2.71828…の値を知っておけば、
計算がきついということは
ないのですけどね。
注
id:akatori777様からご指摘を頂きました
lim(n→∞)(1-1/n)^n
の値がどうなるかですが、この問題は
lim(n→−∞)(1+1/n)^n
がわかればよく
n=-kとおくと、
lim(k→∞)(1-1/k)^k=lim(k→∞)[(k)/(k-1)]^k=lim(k+1→∞)[(1+1/k)^k]*(1+1/k)=e
となるので、結局、1/eに収束します
2007-12-19
■世間やネットに流されている言説
というのは、政官財の都合を正当化した一種の「法」であり、奴らの手先は、あらゆる個別的な生のあり方を、その「法」でむりやり“包摂”しようとする。たとえば、2chねらーは、政官財に不都合なブログを発見したら、一斉に「キチガイ」「頭がおかしい」「中二病」といった言葉を浴びせかけてくる。これは、そうしたブログが不都合であるため、政官財の定めた法によって排除しているわけである。もちろん、そのような包摂は虚偽なのであるが、不思議なことに、これが繰り返し行われると、個別生よりも「法」の方が現実化してしまい、個別生の事実的合理性は忘れ去られてしまい、「法」こそが合理的であるという錯覚に陥ってしまう。多くの者は、マスメディアによって反復継続される法包摂によって次第に錯覚させられていき(あるいは仕事上の必要から強制的に法の価値観を植えつけられていき)、しまいには法を現実と同一視してしまうに至る。まあこれが社会を支配する根幹構造である。
■[レベル3][刑事法]社会的相当性の内容が分かる事例
http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=2458
原判決は,被告人が正当な理由なくショッピングセンターで27歳の女性の後をつけ背後の至近距離からデジタルカメラ機能付き携帯電話で約11回にわたり臀部等を撮影したという公訴事実に対し,被告人は臀部をねらったものではなく,社会通念上容認できないほどはなはだしいと認められるほどの卑わいな行為ではないとして無罪としたが,被告人の撮影行為が臀部をねらった卑わいな言動に当たることは明らかであるとして原判決を破棄し,被告人を罰金30万円に処した事例
現実の社会では、女性のしりを、衣服を着た状態であっても携帯電話で撮影することは違法であるようです。これと比べると、ネット社会がいかに狂っているかは分かると思います。特に2chのVIPなどで毎日毎日立ち上がるスレッドの内容などは、女性のしりを撮影するという程度を超えて、女性に抱きついたり、裸で街に出ているようなものでしょう。社会的相当性を著しく逸脱していることは明らかにもかかわらず、政府が何の手も打たず、2ch文化が高校生の間に普及している現実は奇異なものがあります。これは政府がわざとやっているようにしか思えません。一体、リアルとネットのこのギャップは何なのでしょうか。
■ネットというのはあれ
現実の社会から「社会的相当性」というストッパーを外して、荒れ狂う人権を法の枠ギリギリまでドヴァっと解放したというか、それだけの話。で、どうなったかといえば、この有様。なんでこういうことしているかというと、一つの経済上の作戦なんだろうけど。
■東大教養学部は有名無実
東京大学の教養学部には、id:feuillesのように腐れた教師しかいなかった。実態は、ありとあらゆる知識を頭の詰めこみましたというだけの人間ばかりで、真の教養をしている者などいない。有名無実。所詮これが日本か。とにもかくにも外国からもって帰った知識を頭にインストールして、何か実益になるものは生まれないかと思っているだけなのである。つまり、日本における教養とは、古代ギリシアの哲学者たちが取り組んだ事実的意味での教養ではなく、産業利益中心主義に奉仕するものとしての教養(産業主義という体系の一部として生存している教養)であり、相当都合よくデフォルメされた教養である。こうした国では、いくら事実的意味の教養では素晴らしいものでも、産業主義に奉仕しない教養は切り捨てられる。
■マスコミの洗脳の仕方
見た目が美味しそうなエサの中に洗脳剤をまぜてあちこちにばらまきまくる。国民は飢えているので確実にエサに食いつき、食べようとする。それで毒までしっかり食べてしまう。こういう仕組みだから、いつになっても洗脳が成功しているのである。この「毒まんじゅうばらまき理論」を「win-winの関係」などと言っているからどうしようもない。
女とは何か。知らない間に人生の選択肢を切り落とされ、社会に放り出され、藁をもつかむ思いで生きている哀れな生き物。女をコントロールするのは簡単で、洗脳剤の入った美味しそうな毒まんじゅうを街にばらまいておけばよい。女は飢えているので、簡単に毒まんじゅうを拾って食います。そして、洗脳剤を取り除く知能もないので、簡単に洗脳されます。これが世の中の仕組み。
■寛容と感情死は紙一重
何にも怒らないということは、寛容というより、感情死である。