及川和男さん(74)の「村長ありき~沢内村深沢晟雄の生涯」(新潮社)を20年ぶりに再読した。
奥付によると「村長ありき」は84年1月に出版されているが、私は87年10月に新潮文庫で読んでいる。村上春樹の「ノルウェイの森」がベストセラーを走り、TBS系列で「男女7人秋物語」が放映されていたころだ。私は沢内村がどこにあるかも、深沢晟雄が何者かも知らなかった。単に文庫本で読めるノンフィクションが欲しくて手に取った。私はまだ新聞記者ではなかった。
深沢晟雄は一度は夢破れた男だった、と再読して知った。
村随一の俊才の夢は山あいの小さな村に収まらない。東北帝大法文学部に進み、戦前は上海銀行や台湾総督府、満州拓殖公社で、戦後も佐世保船舶工業で働く。
深沢が村に戻ったのは昭和29(1954)年6月。すでに48歳だった。深沢の沢内での後半生は10年7カ月だけ。この短期間で、全国初の老人医療費無料化を実現させ、やはり全国初の乳児死亡率ゼロの記録を達成する。
夢破れた男が、一度は捨てた古里の貧村で別の夢を実現させる物語、と読んだ。生命尊重を唱える聖人君子ではなく、夢を追う生々しい男が、脳裏に浮かんだ。
夢を追う物語に、私は弱い。
前年86年の「男女7人夏物語」で、桃子(大竹しのぶ)は「ノンフィクションのライターになる」と、良介(明石家さんま)と別れアメリカに飛び出す。「秋物語」には夢破れ帰国した桃子を良介が問いただす場面がある。
「お前、ノンフィクションのライターになる夢どうしたんや?」「捨ててしもたんか、もう?」「なんで、そんなに簡単に捨てるんや!」「おれは、お前の夢が実現するチャンスやと思て、アメリカ行かせたんやぞ。その夢をなんで、そんなに簡単に捨てるんや!」(鎌田敏夫「男女7人秋物語」立風書房より)
88年に私は新聞社に入社した。新聞記者もノンフィクションのライター、だろうか。夢を実現させたという実感はない。しかしまだ48歳にはなっていない。【石川宏】
毎日新聞 2007年12月23日