2007年12月23日(日) 東奥日報 天地人



 夏目漱石の妻・鏡子の陣痛は午前三時ごろ始まった。四人目ともなれば、妊婦もそれなりに見通しがつく。「正午ごろでなければ生まれまい」。が、間もなく我慢できなくなった。医者だ、産婆だと騒いでももう遅い。「夏目の手につかまってうんうんいっているうちに、とうとう産まれっちまいました」。

 鏡子が語る「漱石の思い出」の一節だ。漱石は取り上げ婆(ばあ)さん役は初めてなので、どうしていいか分からない。妻に言われ、よしきたとばかりにただ脱脂綿で赤ん坊の顔をおさえていたという。そこへやっと本物の産婆が飛び込んできて、それ着替えだ、それ産湯をわかせ、と大騒ぎに。

 出産はいつの世も一家の一大事だ。無事に生まれてくれるだろうか、と家族だから心配もする。そんな時、産科医がいて診てくれたら、どんなに心強いことか。が、その産婦人科医数が本県は女性十万人当たり全国四十四位という。一位の鳥取県の半分というから悲しくなる。

 そのせいだろう、県内の産科医療施設が次々と減っていき、産科医がいない市町村が増えている。このままでは若い人が住めなくなる。全国から格差をつけられ、さらに同じ県内でも格差をつけられる。そんな市町村にとって現状は理不尽と言うしかない。

 本県は救急隊が妊婦を搬送しようとして医療機関から断られるケースが少ない。数少ない産科医がうまく連携しているからだろう。が、いつまで持ちこたえられることか。政治の無策が何とも腹立たしい。約百年前の“漱石産婆”を笑っていられない。


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