現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事

芥川「地獄変」の直筆原稿2枚見つかる 岡山・倉敷

2007年12月21日12時06分

 作家の芥川龍之介(1892〜1927)の代表的な小説「地獄変」の直筆原稿2枚が、岡山県倉敷市で見つかった。同小説の直筆原稿が見つかったのは初めて。また、未完で終わった新聞小説「邪宗門」の直筆原稿22枚も見つかり、掲載作品とは表現が一部異なるため差し替え前の原稿とみられる。確認した片山宏行・青山学院大文学部教授(日本文学科)は「芥川の作品を仕上げる過程や苦労がうかがえる貴重な資料だ」と話している。

写真

見つかった「地獄変」の直筆原稿

 直筆原稿は、芥川と親交があった、明治時代の詩人で大阪毎日新聞社学芸部長を務めた薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)(1877〜1945)の孫ら遺族が出身地の倉敷市へ04年に寄贈した遺品の中から見つかった。

 「地獄変」の直筆原稿は作品の書き出し部分で、200字詰めの原稿用紙の冒頭に、題名と芥川の名前が書かれている。保存状態も良く、推敲(すいこう)した跡がわかる。

 「地獄変」は、芥川が大阪毎日新聞社の社友だった1918(大正7)年5月に同新聞と東京日日新聞に20回連載された。しかし、研究者の間では、掲載後に原稿は廃棄されたとみられていた。

 「邪宗門」は同年10〜12月に同じ2紙で32回連載後、芥川がスペイン風邪にかかったことなどを理由に打ち切られた。残っていた原稿22枚は冒頭の部分。連載3、4回目にあたる16枚目以降が、掲載作品の登場人物とは性格が違って描かれている。新聞紙上で発表される直前に何らかの理由で差し替えられ、使われずに薄田の手元に残ったとみられる。

 このほか、芥川が新聞社に入社した際の「入社の辞」の原稿や、薄田あての書簡などもあった。

 片山教授は「直筆原稿の書き込みから何度も推敲した芥川の熱意や、創作の上で何を悩んだのかが推定できる。評価の定まった観のある芥川の作品でまだ研究の余地があることがわかった」と話している。

PR情報

このページのトップに戻る