「この仕事、一生やりたいな」。大学に入って初めてのアルバイト、地下鉄工事でそんな事を思った。狭く深い溝の中で、コンクリートの壁に接着剤を塗る作業。1時間も塗ると、すっかりトルエンに酩酊(めいてい)していた。バイトを休んだ週末、ラジオのニュースで跳ね起きた。親方と学生が作業中、急性トルエン中毒で死んだのだ。あとで知ったが、法令ではファンなどで換気しなくてはならなかったという。親方の死で小さな有限会社はあっさりつぶれた。
接着剤をひとさし指で丹念に塗る仕草一つとっても、職人はみなまじめだった。仕事に自信もあった。だが、細部に優れ大局に弱い者の常か、誰も安全管理のいいかげんさを口にしなかった。私も「こんなもんだ」と疑問もないまま、そこに漬かっていた。
2年半留年したため、さまざまなバイトをしたが、ほとんどの組織が多かれ少なかれ小さなウソをついていた。売り上げ水増しや、費用を浮かせるための材料、人員減らし。結論ありきの環境調査。元請け企業も役人も、あうんの呼吸で認めているふうだった。
だからだろうか。企業の偽装に驚かない。手法もクラシックに見える。昔の企業は正直だったと言うが、私が労働現場を知った80年代、それは神話になっていた。突き詰めれば、組織、業界には、暗に触れようとしない偽りか装いがあったように思う。
むしろ喜ぶべきは、告発者が出てきたことだ。職場の調和、空気に流されず、「おかしい」と言える人が出てきた。07年の偽装発覚は、小さくまとまる調和を崩す個人が誕生した証しかもしれない。
毎日新聞 2007年12月23日 0時13分
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