職場の仲間や気の合った友達との忘年会も今夜あたりがピークか。会の後、一杯気分でカラオケを楽しむ人も多かろう。
その歌だが、今夏亡くなった作詞家の阿久悠さんが随筆集「歌謡曲の時代」で、死語になったわけではないが「『歌謡曲』という言葉が使われなくなってから久しい」と述べている。確かにそうだ。
昭和から平成に移るころに歌謡曲の存在が薄くなったと阿久さんは分析する。この間の歌の違いは、昭和が世間を語ったのに対し、平成では自分だけを語っていると。なるほど。平成の若者の歌を何度聞いても覚えられない理由が分かった。
「歌謡曲は時代を食って色づき、育つ」。これを知っていたから生涯五千以上もの歌謡曲の詞を書くことができたのだ。時代をとらえた典型例は昭和四十七年に山本リンダさんが歌った「どうにもとまらない」だ。
当初は「恋のカーニバル」という題だったがレコーディング終了後、急きょ、面白い歌詞の最後行をタイトルにした。これが運命を変えた。田中角栄内閣が誕生し日本列島改造論に地価、株価が沸き立った時代を象徴する歌となった。
「赤福」が昨日、農林水産省から改善確認調査を受けたが今年は不二家、船場吉兆など食品偽装が「どうにもとまらない」年だったといえる。来年はゼロにしたい。天国の阿久さんも苦笑いしながらそう思っていることだろう。