このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。
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当然ながらこの本は買っていません。立ち読みで得た情報で書いているからいい加減なところや、間違ったところがあるかも知れません。でも、故意に捏造したり、他人の書いた文章を無断引用したりはしていません。
盗作問題に関しては、きっちりけじめをつけるから乞うご互期待と大見得を切っていたのが、ようやく活字になって世に出たわけであります。
内容は、予想通り。
悪意はなく過失で無断引用してしまった。引用先からその点を指摘されるや、速攻で謝罪し、法律的な解決を求めたのに、相手は自分のblogに経緯を発表したりして、逆に自分が被害者になりそうな状況だった。名誉毀損を指摘したら、今度は恫喝だとblogに書かれた。法律的な解決を求める態度とは思えず、交渉決裂を余儀なくされた。
言い尽くされたことですが、この期に及んでなお、盗作は認めず、ネットで地雷を踏んだ自分が被害者だと主張するようです。嘘も100回つけば真実になるとでも思っていらっしゃるよう。
さて、唐沢さんは鬼畜ぶっているけれど、実は大変小心な方だということが、文章の端々に見かけられることは、色んな方が指摘しています。
例えば(ウラモノ日記からの引用)
本書の一部がサイト『漫棚通信』の内容と酷似している、という指摘がサイト運営者の方からなされました。
悪意または盗用という意はまったくありませんが、山川惣治『サンナイン』のストーリィ紹介に関し、当サイトの紹介を大いに参考にさせていただいたことは事実ですし、ある作品のストーリィを紹介するという性格上、参考にさせていただいたサイトとの記述の非常な類似のあることも事実です。
お分かりですか? ここで唐沢さんはとてもおかしなことを書いています。それは後々まで無断引用という言訳をしていったのとは矛盾したことです。つまり―
ある作品のストーリィを紹介するという性格上、参考にさせていただいたサイトとの記述の非常な類似のあることも事実です。
ねえ(笑)。
引用したのは事実だが、その旨を書き添えるのを忘れてしまった。悪意または盗用という意はまったくありません。
そう主張しているはずなのに、上記の二つ目の引用文は「同じ話の要約なんだから、似ているのは当たり前」という開き直りなのです。
唐沢さんは無断引用と言う言訳が通用しなかったときのことを考えて、こうした開き直り風の苦しい言訳を考えていたのでしょうが、小心の余り、それまでも同時に提示してしまったのですね。
こうした例は他にもあります。
漫棚通信氏から「本当に原典を読んで書いているのか?」という疑問を投げかけられたときに、偶然にも漫棚通信で要約された部分だけコピーを所持しているという、なんか自分で首を絞めているような言訳をして、原典の何ページにはこんなことが描かれていますとか、詳細に説明した後、またこんなことを書いているのです。
しかしながら、古書市場においても入手の極めて 困難な本書籍を手元に置き参照できるという、ある意味の贅沢を、どれくらいの人間が享受できることかに関しては、ご理解をたまわりたくお願い申し上げる次 第です。
情けなくなりますね。
つまり、コピーを持っているという悲しい嘘がばれたときのために用意した開き直りの言訳、「だって、その本滅多に手に入らない本なんだから、持ってなくたってとやかく言いわれる筋合いはないし、そんなもの持ってるような贅沢な人間の文章、コピペしたっていいじゃんか」ってことを、またもや小心の余り同時に書いてしまう。論理の崩壊、自己矛盾、それらを敢えて犯しても保身に走る姿は気の毒なほどですね。
いや、なんでこんな言い尽くされたことをまた書いたかと申しますと、本書でも唐沢さんは同じことをしているのです。つまり、法的な解決を相手が放棄したから交渉が決裂したと、一見正当な言訳をした後で―
手元に本がないので正確な引用は出来ませんが、要は、今後過失で無断引用した人が困らないように妥協しなかったと書いてあるのですよ。つまり自分のことを差し置いても同罪の人間に累が及ばないようにしたという、まあ、なんともお為ごかし&蛇の足の言訳。だったら、交渉を決裂させた真の意図はそっちじゃないかと突っ込まれますよね、普通。でも小心な唐沢さんは最初の言訳が論破されたときの用意をちゃんとしているし、それをまた同時に提示して、ああ、やっぱり小心な人なんだなあ、と納得させてくれるのです。
と、何もかも予想通りの展開なのでした。
が。
非常に驚いたことがあります。それは唐沢さんがネットをチェックされていなかったと語っていることです。
ではかつて社会派くんがゆく! のなかで、
唐沢はすっかり、いつ牢屋にぶち込まれてもおかしくない大悪人と言うことになっているのだな、あれには笑った。
という文章(すみません、正確な引用ではありません)、てっきりネットを見ての言葉だと思ったら違うよう。ではなにをご覧になったのかしら、活字媒体、電波媒体こんな文言(唐沢は大悪人)を見聞きした覚えもないし、と思ったところでふと気がついた。電波そのものなのですね。天からの声を聞いて、一人笑っていらっしゃたと。傍で見ていたら、さぞ素敵な光景だったでしょう。
さらに、あの有名な
自室に戻り、ホッピー。メールチェックなど。寄席用語でいうところのオヤカッテヤガル奴の書き込み、先日より顕著。苦笑しつつ、サテどうしてくれようと思う。
のも、2ちゃんとかblogとか小生のサイトとかをご覧になっての言葉だと思っていましたが、これも電波だったのですね。勃起した陰茎が、そこかしこに見えて、「さて、どいつから咥えてやろうか」「どいつに掘ってもらおうか」と妄想にふけっていたわけで、これは傍からも余り見たくない光景であります。
因みに。
『噂の真相』98年4月号の「1行情報」(1行知識じゃないよ)から
「おたく評論家として注目の唐沢俊一が実はバイセクシャルとの情報」
そして、唐沢さんの結論は「ネットで散々叩かれたけど、実際にはなにも変化はなく仕事も以前どおり変わりない」ということでございました。
なんか、みんなでちゃんと謝れよ! って叱っていた小僧が、しばらく黙り込んでいたからどうしたのかと思ったら、雲古もらしてたみたいな印象なんですけどねえ。
「う、こいつ、雲古もらしてる!」
「わ! 汚ったねえ!」
ということで無事解放されました、ですか。
唐沢俊一様、これからも脱糞で異臭を振りまき、尻の辺りを膨らましたまま生きていってください。
あ、ネットは見ていないのか。
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至福の時間
一昨日、『坂東三津五郎の食い放題』(光文社 2007)を購入して貪るように読んだ。この文庫〈食〉の名著シリーズは、以前紹介した吉田健一の『酒肴酒』とか色川武大『喰いたい放題』とか荻昌弘『男のだいどこ』とか、絶版になっていた、文字通り食の名著を復刊してくれる、まことに感心な叢書なのだが、この本は初読。三津五郎は自ら包丁を振るい出汁をとり、プロの料理人に対抗意識を燃やしながら食を追及するという、なんとも勇ましい態度で臨んでいるから、そこらへんの酢豆腐なんか束になったところで敵うはずがない。さらに著者は文字通り「食に命を懸けた」人間で、カバー見返しの略歴には「'75年1月京都南座に出演中に急死。享年68」しか書かれていないが、これは割烹料理屋で出されたふぐの肝(猛毒テトラドキシンを含有するとらふぐの肝だった)を、同席した者皆怯えて手を出さないのに「これを食わずして食通と言えるか」と他人の分まで総て平らげ中毒死したのだ。
おっと、『酒のほそ道』の話だった。これまた食と酒を語って間然するところがない、週刊漫画ゴラクの連載マンガだが、単行本も巻を重ね早や22巻。ストーリーマンガならともかく、毎週、数ページという週刊誌連載なのだから大したものだ。しかも毎回質を落とさずにその度にときめかしてくれるのだから、著者ラズウェル・細木は只者ではないな。
毎度、〈酔々取材レポート〉と題して書き下されるエッセイ、今回は、「蕎麦前一献 江戸蕎麦探訪記」で東京の蕎麦屋をレポートする。そこで紹介されるのが「かんだやぶそば」「並木藪蕎麦」「室町砂場」「巴町砂場」だから、嬉しくなる。え? 誰だって知ってる、当たり前の店じゃないかって? だから嬉しいんですよ。そのことについて、著者はさりげなく、こう書いている。
ひと口に蕎麦屋といっても、日本蕎麦のみならずラーメンからスパゲティーまで提供する大衆食堂のような店から、ガイドブックに必ず登場する老舗、あるいは雨後の筍のように開店と閉店を繰り返すニューウェーブ道楽蕎麦屋までさまざまである。
ニューウェーブ道楽蕎麦屋とは言いえて妙、昨今、こんなものをあり難がる田舎者が目に余るとき、一刀のもとに切り捨てる態度は爽快である。
老舗の蕎麦屋は酒や酒肴も用意しているが、あくまで蕎麦を食わせる食事どころとしての本分をわきまえている。その蕎麦屋としての矜持にまたグッとくるのだ。
パチパチパチ。まさにこの言葉こそ、呑兵衛の矜持でありまする。
本書にはさらに「居酒屋のコハダ」とか「風干し」とか「魚の漬け物」とか、何気ない居酒屋の肴をテーマに、にやりとさせる物語を綴っていくのである。
そして、これも毎度書いていることだが、著者ラズウェル・細木は決して薀蓄は傾けず(これは吉田健一と共通するところ)、決して偉そうにならず(小生が一番見習いたいところだな)、淡々と素敵な時間を提供してくれるのである。
でね。
宗達くん、あれにはドキっとしましたぜ。七夕の短冊の
「兼八(かねはち)・松露うすにごり・伊佐美(いさみ)GET」
かすみGET。そうですか、GETですか。
『酒のほそ道 22』 ラズゥエル・細木 日本文芸社 2007
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この白痴を更迭してくれ!
原告側の対応批判=「司法判断どうお考えか」-町村官房長官
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=367609&media_id=4
以下、この糞馬鹿の発言をmixiニュースから引用する。
町村信孝官房長官は20日午後の記者会見で、薬害C型肝炎訴訟の和解協議で原告側が国の修正案を拒否したことについて「大変残念だ」とした上で、「『この案でなければ受け入れられない』と言うのは、司法の立場をどういうふうにお考えなのか。ただ、簡単に駄目というだけでなく、何らかの対応を考えてほしい」と述べた。全員一律救済を主張する原告側の対応に疑問を呈し、問題解決へ一定の歩み寄りを求めたものだ。
なんという思い上がった不愉快な発言。これだけでも万死に値すると思うのだが、なんとこの糞馬鹿は、あろうことか、こんな発言までしておるのだ。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=365847&media_id=20
以下、吐きそうだが引用。
未確認飛行物体(UFO)の存在をめぐり閣内不一致か?――政府が18日に閣議決定した、山根隆治参院議員(民主)の質問主意書に対する答弁書で、UFOについて「これまで存在を確認していない」としたことをめぐり、閣内の反応が分かれた。
UFOを信じるとして、答弁書よりも踏み込んだのは、町村官房長官。
町村長官は18日夕の記者会見で、「個人的には、UFOは絶対いると思っている」と述べ、記者団の笑いを誘った。その理由について、町村長官は「ナスカ(の地上絵)とか説明できないと思う」とも語った。
一方、福田首相は同日夜、首相官邸で記者団からUFOの存在を問われると、笑みを浮かべながら、「私はまだ確認してません」と応じた。
「ナスカ(の地上絵)とか説明できないと思う」
わが国は
白痴が政権を担っている国なのか。
いい加減にしろよ。
町村のような禁治産者が、官房長官を勤め、薬害C型肝炎被害者の皆様に、公僕にあるまじき偉そうな発言をすることが、許されるわけがない。
さらに、もう一人糞馬鹿。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=367738&media_id=20
引用。
石破防衛相もUFO論議、自民総務会長「いい加減にしろ」
政府が未確認飛行物体(UFO)について「存在を確認していない」とする答弁書を閣議決定したことをめぐり、政府・与党内の反響が収まっていない。
石破防衛相は20日の記者会見で「ゴジラがやってきたら災害派遣だが、UFO襲来だとどうか」と述べ、自衛隊によるUFO対処のあり方を問題提起した。
石破氏は「UFOは『外国』というカテゴリーに入らないので領空侵犯とするのは難しい。攻撃してくれば、防衛出動になるが、『仲良くしよう』と言ってきたら我が国への武力攻撃にならない」との見方を披露。「(UFOが)存在しないと断定する根拠がない以上、私自身どうなるか考えたい」と語った。
ずっと
更迭と書いてきたが、責任の重大性を考えたら、これは――
死刑
以外、考えられん。
町村、山根、石波の糞馬鹿を
死刑にせよ!
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見よう見まねのHTML、見難いのでいい加減にせよというメールを戴いたので、乱発は慎もうと思った次第。
さて、昨日の続きです。
犬の吠え声が五月蝿くて、それだけでも十分にあたまにきているのだが、さらに向かいの家の主が、これまた騒音を撒き散らす親爺なのだ。
年齢は小生と同じくらい、がっしりした体型にスキンヘッドの丸い頭が乗っている。レスラーの山本小鉄の目を細くしてさらにつり目にしたような、兇悪なご面相。長距離トラックの運転手らしく、ときどき前の道に大型トラックが停めてある。
この男が月に何回か、早朝携帯電話をかけるのである、大声で。いくら大声だって、道路を挟んだ向かいのうちでかけているのなら問題はないが、この野郎はわざわざ、通りまで出てきて、正確に言えば、小生の部屋の真下で、割れ鐘のような声を張り上げるのである。朝も早よから。
一言注意をすればいいじゃないかと、第三者は言うであろう。
しかし、こういう自分が大将(一戸建ての家、数頭の飼い犬、大型トラックのオーナー)親爺が、初老のマンション暮らしの親爺に何か言われて、
「申し訳ありません。犬は処分します。電話は家でかけます」
と言うとは思えない。多分「うるせえ」とかいう反応になるであろう。そうなった場合、いかな小生が空手道場の塾頭でも、天誅を加えるわけにはいかんのだよなあ。
犬の声が五月蝿いと、無言電話を繰り返した男(その気持ちは本当によく分かります)が逮捕されたなんて事件が全国ニュースで報じられるのだから、殴り倒したりしたらトップニュースになってしまい、洒落にもならないのだ。
しかも、一事が万事と言うとおり、この家、例の三和土の脇に玄関に向かう通路があるのだが、普通は両者を隔てる壁、もしくは植え込みとかがある場所に、モビールというのか、あのチャラチャラ音をたてる大型の風鈴みたいなものがぶら下がっている。簾の代わりにとぶら下げたのだろう。
これが一寸の風で「がらんちゃらん」と騒音を撒き散らす。夏に台風が来たときには一晩中、鳴り続け、その音に興奮した馬鹿犬の大合唱で、それはそれは凄まじい一夜だった。
風がなくても、ドリブル婆はこのモビールを暖簾を分けるようにして移動するから、その度に「がらんちゃらん」。
さて。
ここからが、本題である(やっとかよ)。
先日、夜帰宅したら、郵便受けにマンションの管理会社からのチラシが入っていた。電気調理器のリコールではない。お願いと記された一文で、それは当マンション内で楽器演奏をする人がいてうるさいという苦情が出ているので、自粛して欲しい、という内容だった。全戸に配ったので無関係の方は気を悪くしないで下さいとも書かれていた。
朝はたいてい9時には家を出る。休日も外出することが多いが、まあ、午後家にいることも珍しくない。大騒音一家に悩まされこそすれ、楽器が五月蝿いなんて思ったことは一度もないぞ、首をひねったとき、一つ思い当ることがあった。
今執筆中のPC、SONYのVAIOであるが、これにツタヤで3千円で買った補助スピーカーを付けて、朝、音楽を聴くことがあるのだ。時刻は8時ころから出かけるまで。楽曲は決まっていて、グレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲か、ヨーヨーマの無伴奏チェロ組曲。大音響で聴いているわけではない(そもそもそういう類の音楽ではない)。
このマンション、一階はオフィスで小生が出かける時刻でも無人のことが多い(広告代理店なのだ)。さらに2Fには4戸あるのだが、小生の部屋と壁を接しているのは1戸、例の道に向かって2戸並んでいる。この部屋の住人は毎朝7時50分に家を出る。4階建てで他の階の構造は知らないけど、真上の部屋には子供がいるらしく、休日は駆け回る足音が天井から聞こえてくるくらい。
小生が騒音のもとだとすると、余程神経質な人間がおるのであろうな。
いや、だとしたら、本当に頭にくるのだ。あの嵐のような馬鹿犬の合唱は気にならず(あるいは泣き寝入りして)、ささやかなるバッハに目くじら(耳くじらか)を立てる。
なんという民度の低さ。
頭にきたので、いっそのこと窓を全開にして、グランド・ファンク・レイルロードでも大音響でかけてやろうかと思ってしまう。
人はこうして「引っ越せ小母さん」になっていくのではあるまいか。
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平山夢明ならともかくも。
うーん。嫌な話だなあ。
実は、このエントリでも、ずっと封印してきたテーマがあるのね。
それは――
馬鹿犬
のことである。
いやはや、今(7:00PM)も近所の馬鹿犬が大声で吠え立てておる。
実は、小生、マンションの2階に住まい、ベランダは道路に向いている。その道路を挟んで向かいに2階建ての家が建っているのだが、その一家こそ、わたしの天敵ともいう連中なのだ。
こんなこと書くのは。
なんかのきっかけで、向かいの家に猟銃とか日本刀持って殴り込みをかけない状況でしてね。
この書き込みが、
抑制剤
になるじゃないかと思ったからであります。ここで書いちまったら、後々証拠になるから、向かいの家族を皆殺しにするわけにもいかないくなると。
向かいの家は、ゴールデンレトリバーを三頭とビーグル犬を一頭飼っている。家の目の前には駐車場に使っていたのだろう、コンクリート打ち放しの三和土があり。ビーグルは四六時中そこで寝ている。
まず、このビーグルが、どうしようもない馬鹿犬である。前の道を誰かが通る、他の犬が通る、そして、気分的に、
と吠えまくる。
すると、あろうことか家の中で飼われている(ウソジャナイヨ)レトリバーがそれに呼応して
と重低音(低周波)で吠えまくる。
これが、365日、24時間お構いなし。しかも、近所の家が飼っている犬共が(静岡では大型犬=レトリバーを飼う家が異常に多い)、ドワンドワンと鳴きまくる。
さらに、この家の婆がこれらの犬の面倒を見ているらしいのだが(散歩させているのを何度か見た)、この婆が件の三和土を歩くとき、犬の餌入れのあの末広がり型の金属性容器を――大人しく歩いておればいいものを――ボールをドリブルするかのように蹴っていくのね。その音が、
ガリガリガリガリガリ
と響き渡る。
犬と婆くらいちゃんと躾けろ! と、毎朝、犬の吠え声で4時とか5時にたたき起こされる小生は怒鳴りたくなるのをじっと堪えていたのだが。
先日。休日の昼下がり、馬鹿ビーグルが昼寝中の三和土の前を通ったら、木製の小さな椅子に、手作りらしい小さな看板が乗っていたのだ。
看板に曰く――
犬の保育所
ここここ、この大馬鹿野郎! てめえの家の犬すら躾けられねえ馬鹿が、何でよそ様の犬を預かるってんだ!
と、怒り心頭に達したのだが、実はこれは前段に過ぎない。
(続く)
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大変失礼いたしました。 |
己の無知を棚に上げて、ここはblogじゃないから"文字の反転"なんか出来ないなんて書いてしまいました。未知の方(ちゃねらー)から、HTMLに関するアドバイスをいただき、早速トライしてみました(『ウォッチメイカー』のエントリ)。今朝あわててやったので未だ完全ではありませんが、今しばらく見守ってやって下さい。
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紅色
実は正直申し上げると、リンカーン・ライムシリーズ、本作だけ読んでいなかった。どうも『石の猿』という語感が『毒猿』を連想させ(あれはあれで傑作だと思うけど)「ああ、チャイニーズマフィアものね」と高を括ってしまったのだ。事実、冒頭の部分立ち読みしたら、海洋冒険&活劇風で、今回はスルーするか(洒落じゃないよ)と読まずにいた。この度、『ウォッチメイカー』で久しぶりにディヴァーに触れて、早く次回作が読みたいと思ったタイミングに文庫版が出たので、早速購入したというわけである。
さて、『ウォッチメイカー』でも触れた多重どんでん返し、『コフィン・ダンサー』を読んで、「なんでまあこんな構造に」と思った記憶があったから、おいおいまたかよの想いがあったんだけどさ。本作『石の猿』はそうした気分を一掃する爽快な一本勝負ミステリでありました。そして、物語としても一級品の面白さ、ここに登場する中国人、老若男女善玉悪玉、ちょっと持ち上げすぎじゃないのと思えてしまうくらいかっこいい。特に家族のために命を賭してゴーストと対峙する老いた父親と、公安刑事の二人は最高のキャラだ。
と褒めておいて、また余計なことを書いちまうが、一本勝負でドンデン返しとなると、困ったことにネタバレし易くなるのだよなあ。無論読んでいるときは「えーっ!」と驚嘆の声を挙げたけど、まあそんなことなんだろうなと、薄々思い続けていた自分がいたのも確か。そして、最後の最後に明らかになる真相について言わせていただけるなら、冒頭から数十頁読んで、どうにも納得がいかず何度も読み返したそのモヤモヤしたものが、実は真相だったのだ。リンカーン・ライムもアメリア・紅色・サックスも、なんだって気が付かないんだよと、ここは本気で突っ込みたくなったよ。
それから、文藝春秋にも一言。「主な登場人物」のキャプションでネタバラシしないでくれ。サプライズが一つ、完全に犠牲になっている。
最後に(しつこいね)、翻訳の池田真紀子さん、これは『ウォッチメイカー』の件だけど。吐瀉(としゃ)というのは嘔吐と下痢のことですよ。吐いた物で上着が汚れていたなら、それは「吐物」。「吐瀉物」では失禁までしてたことになっちまいますから。
『石の猿』 ジェフリー・ディヴァー 文春文庫 2007
池田真紀子 訳
上記の記述内に明らかな誤りがありましたので、その部分は削除しました(12/16)。
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この猥雑さは果たして今。
昨日、『VOWやもん!』のエントリでも触れた、『VOWやねん!』を読み直してみた。
いやあ、感心しました。奇跡的に面白い。大阪の猥雑さがこれほど端的に表現されている書は他にないだろう。中島らも(「らもネタ」はVOWの定番だった。「全米オープン、中島らも予選突破」とか)が、何ページに亘って描写して伝えんとした「しょーもなさ」を小さな写真で即時に理解させる。
なにより、吉村智樹と鮫肌文殊の掛け合い突っ込みの、テンポの良さ的確さ。一ページ内に抱腹絶倒ネタが三つも四つもあるわけで、これはもう堪らない。ラーメン屋かなんかでもの喰いながら読んだりしたら、悲劇は必定。
ああ。そうなのだ。そうして、こうした大阪は今も健在なのかしら。
『VOWやもん!』は確かに吉村智樹の力作だが、なんとお行儀の良い本なのだろう。『VOWやねん!』の底知れぬエネルギーは二度と体験できぬものなのだろうか。
子供の頃夢中になった漫画を読み直して、なんとなくジーンとくる、あの想いにも似て……。
思わず、涙ぐんでしまいました。
『VOWやねん!』 吉村智樹・編 宝島社 1995
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突っ込みのリズム。
はてさて、年に二度のお楽しみ。VOWが今年も出ました。今回は、吉村智樹による大阪もんの第三弾。しかも、全頁カラーと気合が入っております。
わたしは大阪市東淀川区上新庄に6年間住んでおりましたので、ここで紹介される大阪ノリは何より懐かしい。そして、吉村氏は当代一の突っ込みの達人だと思っておりますので、歯切れのいいクレバーな突っ込みに爆笑することしきり。
なんせ、mixiの伯方雪日さんの日記で刊行を知るや、早速昨日は有休をとり、午後から書店に出かけて購入。ビアホールでビールをぐびぐびやりながら、小一時間で読了したくらいののめり込み。いやはや、至福の時間でござんした。
でもね。
浪速のノリは前作、前々作(『VOWでんがな』『VOWやねん』)に一歩譲るのだなあ。やっぱり大阪のあのごちゃごちゃしたカオスは、ちっちゃな写真をびっしり並べて、吉村流突込みがぽんぽんぶった切っていく雰囲気こそ相応しいんじゃないか。
今回は一つのテーマを、吉村氏が丁寧に解説(それはそれで面白い“突っ込み”に満ちているのだが)していく手法で、どうしてもあのリズムが感じられない。加えて、ネタのほとんどが、blog「吉村智樹の街がいさがし ~街のヘンなもの見つけた!~」で紹介されたもの(因みにこのblogは開店休業中)。初出時にコメントを付けたり、その返事をもらったりして、大分、愉しんだ記憶のあるものが多く、この辺は甚だ個人的な理由だが、ちっと物足りないか。
とまれ、パワーもダウンし、いさささかマンネリ気味だったVOWシリーズで、ガツンと応える久しぶりの怪作。
『VOWやもん!』 吉村智樹と仲間たち 篇著 宝島社 2007
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申し訳ありません。
いや、例の怪談話ですよ。taipeimonochrome様から丁寧なメールを戴き、そこには「隠しファイル」の見つけ方が書かれておりました。もしかしたら、と早速実行してみたのです。
なんかうじゃうじゃ出てきて驚きましたが、実は真相はもっと簡単なことでした。
この夏、屋形船で家族そろって東京湾大花火大会にいったのです。船は見物には絶好の場所に投錨、そのときは客の8割は船酔いでぶっ倒れておりましたが、わたしと娘は屋根に上って花火見物。そのとき何十枚と写真を撮ったのです。そして、その中の一枚に高校生の娘の顔のアップが写っていました。紫とかオレンジとかいった色調は花火の照り返し、そして、大分暗い写真なので、ファイルのサムネイル表示では、ほとんど真っ黒なため気がつかなかったのです。
上空を見上げて微笑んでいるのは当然。花火を見ていたのですから。美人と書いたのは筆が滑ったものとお許し下さい。
みっともなく騒いでしまいました。あー恥ずかしい。
因みに上がその写真です。