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えこまの部屋 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-12-15

自意識過剰者へ

ブログを基本的に公開しているのは、多くの人に読んでいただけたら...と思っているからではあるが、全く見ず知らずの人からブックマーク・コメント(記事の左下に赤字の小文字で○userとつくやつ)をいただくのは、内容によっては、ちょっとうっとおしいな、と思っている。


見ず知らずの誰かを挑発することを目的に書いているワケでは全くないのに、こちらの個人的体験をもとに書いたことを、我がことと受け止めて全く違う道筋で私のメッセージを自己仮想敵的に読み解いた上での反論?を書いて来られても「はぁ?」としか感じない。

(誰もあんたの人生否定してませんし、あなたの人生になんてワタシ知りませんて)

こういう思い込み、勘違いへの対処はどうしたものか、めんどくさい。(ということで、暫くブクマコメント数表示はしないでおくことにします)



一度書いた日記を消すこともあるのは、自分が現実にご縁を頂く方やネット上で知り合った仲良しの方、私が好きな方々に「これは私に対して?」と無駄な誤解を与えるのが嫌で消すことがあるのだが、私の日記を読みに来た全く知らん人が、非常に抽象表現であるにもかかわらず、自分への中傷表現としてとらえ、つまり勝手に自分に投げかけられた言葉として(なんでそんな勝手な前提ができるんだ?)その内容に反論してこられても、こちらとしては.......はぁ?としか言いようがない。


だから(滅多につかない拙ブログへのブックマークコメントだが)ブクマコメントに関して、そのせいで「うざい」という印象がぬぐいされない。


なんていうか、こういう反論をわざわざ届けることって、自意識過剰な行為で恥ずかしくないかな?と思うんだよね。

ブクマコメントって普通のコメント欄と違って一方通行コメントの場で。

ずるいし、暴力的な場になりやすいな、と思う。

でもネットの住人には当たり前の日常の行為であり、簡単な日常のガス抜き行為になってるんだろうな。

でも「現実に出会う人」でない、つまり自分にリスクのかからない状態で相手に一方的にコミュニケーション(メッセージ?)を送る、しかも私に書いているのだが、誰か見えない不特定多数のネットの住人にも賛同者を求め探して書いているという捻れコミュニケーションは、ヘタレで億病でずる賢いこときわまりない。


最初から普通のコメント欄に書いてくれたら、こちらも返せるからいいのだけどね。もう言葉をかわしたいとも思わないが。

はてなの機能って、日常の生きている現場がネットに比重がある人(ネット上のコアな住人?)に支持される(喜ばれる)機能搭載満載なんだろうな、きっと。私はよく知らずにいるから。(はてなの機能は以前のもっとシンプルなもので、いいと思ってるけどどんどん増えてゆくし)


ネット住人にはお手軽に簡単に安全地帯で一方的にコミュニケーションしてガス抜きができるわけやな。

そういうのに気分を害されるのってやだし、そういうのがまたつくかもと思って書くのが嫌やのぅ〜。

結局、自分が巡回しているサイトを自分に耳障りのよいことしか書かさないようにさりげなく監視して方向づけれるわけやろか。

こういう機能って?

なんだかな〜〜

スルーすればいいだろけど、で、結局、これにもまたブクマコメントつくのやろか?(いらんで〜 いりませんて〜)


とにかく私に対して自意識過剰に被害者意識を持って読みに来られる方は読みにきてもらわなくていいので。

(だってそのほうがお互いの精神衛生によかろ?)

私もまた知らない人が過剰反応してくるかも、と思いながら書くのがいやなんだよね。


自分のためだけに生きている人って、えげつない。

自分の利益しか考えてないのって、えげつない。

そのことに気づけないのが、えげつない。


本当に自己利益を追求したければ、はたの人をらくにしてあげること(これが働くってこと)が、一番その道に繋がっているのに、わかってないみたい。

自分を守るのは自分しかいない。

だから私は必死で生きているってか?

必死なのは誰でも、多くがそうなんだろうけど


自分のことだけを考えて

自分だけを守って生きてるから

自分だけを大事にして生きてるから

誰もあなたを守ってくれやしないんだよ、って思える人、いるよな。


自分を守りたかったら、目の前の人を守れ。

自分を大事にしたかったら、相手や周りを大事にしろ。

ほんとうは人を救うことでしか、自分は救われないんだよ。


それが今できないなら、まず体力つけろ。

健康になる努力しろ。


私のお師匠さまが20年前に教えてくださったこと。

「えこま、こう言ってみなさい。」

私は自分のことだけを考えて生きていくのが怖いのです。

なぜなら自分のことだけを考えて生きていると、

誰も私のことを考えてくれなくなるからです。

早く井の中から出な。

そうでなきゃ救われないんだよ。


井の中に居着いていたいのなら、自分一人で、自分の口の中だけで、決して誰にも届けずごもごもとつぶやいていろ。

人に迷惑な波動を与えるな。

自家中毒おこすだけだから。


井の中から出たければ(救われたければ)

体力つけなきゃ出れないんだよ。


体力つけるのめんどうで、そういう自分を尊重したいのなら自家中毒の道しか残ってないんだよ。


飛ぶのがこわいのは跳躍力がないから、ただそれけ。

人のせいにするな。

社会のせいにするな。

そこに居着く言い訳するな。

死ぬ気で這い上がってこい。


そういうこと誰かに叱られたくて、わざわざ不快になる覚悟で読みにきてたんじゃないの?


そこから目を背け、いちいち不快波動をこちらに返すことを目的化するのなら

私が書くものが不快な方へ


どうぞ、もう読みに来ないでね。

その方がお互いにいいよ、たぶん。


調和する距離、棲み分けってものがあるんです。

生態系には。



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