こんな年賀状はイヤだ!! の話
column #48 talk of Such a New Year's card is disagreeable!


さて今回は予告通り年賀状の話です。
今年も結構来ました、年賀状。年賀状と言うと、年末の12月になってハガキを買ったり、住所録を整理したり、結構めんどくさいなぁ、なんでこんな習慣あるんだろ、大昔に最初にコレを始めたヤツの首を絞めたろうかなどと思ったりも時折あるんですが、やっぱり貰うと何だかんだ、ウレシイものです。最近はeメールでデザインだけ送ってくれる方もいるんですが、やっぱり人の手によってポストに紙が届く、というのは今も昔も格別な味がありますよね。

内容を見ると、カラフルなもの、シンプルなもの、印刷のもの、手書きのもの、フォーマルなもの、カジュアルなもの、色んなデザインがあって見ているだけでも楽しいんですが、今回はその中でも特に目に付く何じゃコリャなデザインをご紹介したいと思います。

年賀状って実は、どんな友達づきあいしてるとか、相手にどう思われているのかとか、結構鏡の様に絵柄や文面にも反映してくるんで、ここで紹介するのはどうかと思う面もあるんですが、まぁそういう事は深く考えないでください。

では行きます


あ、ちょっとその前に、いきなり何じゃコリャもなんなんで、常識的な普通の年賀状とはどういうものかを、まずここで改めて確認しておきます。




普通の年賀状の例-1 友人Nからの年賀状



どうだろう、
どこからどうみても普通の年賀状だ
すごく平和だ
新年の幕開けに相応しい力強い「謹賀新年」、歌を詠む様に続く挨拶文、
干支であるサルの挿絵イラストの入り方、余白の心地よい絶妙なバランス。
ツケ入る隙もありゃしない、完璧すぎるデザイン。
これには日本人に生まれて良かったとさえ思ってしまうほどである。

次。も一つ平和な年賀状を・・





普通の年賀状の例-2 奥さんの友人Sさんからの年賀状



最近よく見かけるインクジェット
とってもカラフルでキレイな年賀状


これを見るとなぜか「インクジェットプリンタを持ってる→→
パソコンを使いこなしている→→スゴイ人だ
というプレッシャーを無意識のうちに相手に与えてしまうという、
今をときめく最先端テクノロジーの結晶でもある。
しかも、この方はちゃんと手書きの温もりあるコメントも忘れていない。
完璧だ
初日の出と富士山のデザインも、どっからどう見ても年賀状。
こんな年賀状なら、貰った方も嬉しくなってしまうのは必至だ。








さて、では目のリセットをしたところで、
ここからが本題である








例-1 友人Yからの年賀状




でかいなぁ元旦
何もそこまで大きくせんでも。
 






例-2 友人Iからの年賀状



↑めでたくない、ちっとも
この手のデザインは、余白が広ければ広いほどイヤガラセ度が増し、
かつ相手に対する関心の無さ加減が確実に相手に伝わるという、
かなり精神攻撃的要素を持ったレイアウトという点で秀逸な例であると言えよう。
(クルマの名前入れるの止めい・・・)






例-3 友人Tからの年賀状



↑骨接してるらしい
字が色々微妙に違っている気が・・まぁ細かい事はどうでもいい、
1年間会わずして言う事がそれしかないんか??とツッコミつつも、
一番の問題は文字の組み方である。
「筆で気合いの入ったタテ書きが、何のためらいもなく後半ヨコ書きに変わってる」という、
出版界の常識では考えられないような大胆な文字組デザインなのだ。
なのに、それを臆することなく堂々と全く自然にやってのけているではないか。
前衛的デザインとして、もはや敬意に値する事例であろう。多分。







例-4 友人Jからの年賀状



↑そう言われても。「ギャー」って・・・
なんかヘンな振動がこのハガキ全体から皮膚に伝わってくるんですけど・・

(業務連絡、・・・Jモンヂーよ、幸せ来た?)
 






例-5 友人Oからの年賀状



↑そんな事別に年賀で報告せんでも
残りの余白は何だ余白は。

「新宿の吉野家でつゆだく弁当の存在を確認しました」

まぁ、この報告(?)により「弁当で『つゆだく』は理論上物理的にあり得ない」という
仲間内での通説が、かくもあっさりと覆えった、という点では一流の情報ではあるのだが・・・




(つづく)



情報・感想等はメッセージボードにお願いします。m(_ _)m


戻る

return


次へ

next

公開 2004.1.22
制作 2004.1.17
hiro : style : museum :