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【断 宮崎哲弥】死刑論議の最前線
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法務省が執行された死刑囚の氏名を初めて公表したり、ニュージャージー州でいったん復活した死刑制度が再度廃止になったり、死刑関連の報道が続いている。
そうした情勢の変化に応じて、「死刑の正当性」をめぐる、より根源的な議論が求められている。
そんななか『SAPIO』(小学館)12月12日号の特集「『21世紀の死刑』大研究」は時宜にかなったものだった。
就中(なかんずく)、私が驚いたのは、慶大法学部の駒村圭吾教授の論考だ。
駒村氏は憲法学、とくに人権法を専門とする学者である。失礼ながら、憲法三六条の残虐な刑罰の禁止などを持ち出して、即刻廃止を声高に唱えるのではないかとの予断を誘う立場である。
然るに、この論考の趣旨はまったく異なる。
駒村氏はまず自然権(人間が国家成立以前に持っていた自由)のなかに報復権が含まれ得ることを認める。
しかし、報復権は国家の成立によって、個々人から奪われてしまう。「万人の万人に対する闘争」「暴力の連鎖」という状態から脱却するために、暗黙の裡(うち)に社会契約が結ばれたと説明される。その代わり、国の方は個人の報復権を代理で履行する義務を負ったと解するのである。
駒村氏はいう。「したがって、死刑は、国家が、報復権を本人になりかわり、適正かつ安全に代行する制度であるといえよう」
私は公法学者がどうしてこの理路の存在に気づかないのか、ずっと怪訝(けげん)に思ってきた。
無論、自然権も社会契約説もフィクションに過ぎない。しかし、近代の諸制度にとっては不可欠なフィクションでもある。駒村氏の論示によって、死刑の存廃を問う議論が少しでも「進化」することを望む。(評論家)