2007-12-18
■[雑記][著作権]JASRACの言う性善説と権利者側の善
どうも性善説という言葉は誤解される事が多いですが、人を善として行動すべしではなくて、どっちかというと罪を憎んで人を憎まず、人間の本質は善だから儒教によって更正できる、という感じでしょうか。
「著作権の管理が、性善説に立脚してできるならば、そうした環境を望みたい。しかし現実には、いろいろな場で著作権の侵害が起こっている。技術がコンテンツ保護より先に行きすぎている現状では、性善説に立った著作権保護の法制度は難しいのではないか――」。
「著作権管理、性善説には限界」――JASRACの菅原常務理事:ITpro
ここで言うコンテンツ保護とは「金払え」であることが注目されます。実に限定的。
「個々のユーザーが著作権に対する認識を持っている環境であれば、性善説ベースでの法整備もできる可能性がある。しかし現状では、ガチガチでないにせよ一定のルールは必要だと考えている」として、現行の私的録音録画補償金制度を維持するという権利者側の考えに理解を求めた。
「著作権管理、性善説には限界」――JASRACの菅原常務理事:ITpro
性善説ではあれなので「フェアな」として考えましょう。利用者の側にフェアを求めるのであれば、権利者側もフェアであることを示さなくてはなりません。
既に現状の私的録音録画補償金制度についてどのくらいの効果があってどう分配されたのか、企業努力で下げられるコストを下げなかったり、新しい技術についていかないであぐらをかく主要因になっていないか、努力を怠ったせいで招いた現状を安直な手段でひっくり返そうとしてきてないか、などが示される必要がありませんか?
その上で「文化を」維持するためにご協力下さい(性善説(笑))だったら考えてみなくもないけれど。すっかり忘れたと思っているかも知れませんが、輸入の制限により値段が下がるという主張で導入された法律は値段を下げたのか。アンフェアを感じているのは消費者側も同様です。また、維持したいのは「マーケット」ではありません。
少なくとも、私的録音補償金の行方の明細とか、包括契約がどのくらい実際に演奏しているアーティストに還元されるかとか、性善説(笑)では信用ならんと言い放つ団体の善の度合いというものを一度きっちりと見せていくというのが理解を深める近道であると考えるのですが、どうでしょうか。
マーケットを守る=文化を守るになってしまっている問題は再販制度などにも象徴される問題で、「文化」提供側の奢りでもあります。というか、文化的成功と経済的成功は必ずしも一致しない。別にゴッホを目指す必要はないけれど、これからの時代、「プロだ」「権利者だ」って言う人がどんどん文化的潮流から離れていってしまうかも知れませんよ。そのとき、文化の保護者を自認する権利者団体はどんな顔をしているのか。案外文化を破壊する沢山の規制に守られ、大きな顔をしているのかも知れませんが。
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