内海さんは公立中学校の先生でいらっしゃって、学校で働いていらっしゃる、教師を天職とされている。にもかかわらず、こういう事件が起きてしまった。学校という組織が、原因とか問題を追及するのではなくて、学校側に責任は無かったと持っていこうとするのは何故なんですか?
「1つ、はっきり分けていかなければならないのは、通常の学校、(それまでに)そういう事件が起きなかった学校の通常の先生は、そういう意思は無いです。ただうろたえるだけなんですよ。『これで良いのか?』と。だから良心はあるんです。事件当時の校長先生のように。恐らく教育長からの指導だと思うんですよ。その中で揺れ動いているんですね、校長先生もすごく。
だから、僕も、今も現職の教員なんですけど、この事件があるまで、まさかこんなことになるなんて夢にも思わなかったですよ。
通常の学校で勤務している時、その時にも教育長から『どうあれ』とか指導を受けますよね、色々。それは、およそこんなこと(沈静化しようと緘口令を敷くこと)じゃないです。これとは全く反対の指導を受けています。全く反対の思考で学校は動いています。善なるものとして、考え、努力するように動いています。
ところが、一度こんな事件が起こってしまうと、全くそれを無視した別の動きや力で(学校は)動かされていくんですよ」
その全く別の力というのは、どういうところからどういう方向で出てくるんですか?
「1つは県のトップレベルからでしょうね。県教委(県教育委員会)ですね。県教委のトップレベルからの指導が入りますね、恐らく。
で、ある方向を持って、つまりそのやり方としては情報を出さないということなんです、1つは。
学校の中でそのことに携わるのは数名ですわ。あとは緘口令を敷く形で動かされていくわけです。だから、何が起こっているのかわからない。
学校の現場の先生も混乱しているんですよ。で、自分は結局その中に入って、それから離れることでしか、つまり関わらないことでしか、自分を守れないんですよ。
そういう形で動きが止められていって、動けなくなっていくということなんですね」
県レベルの教育委員会が、傘下の学校で問題が起こった時に『余計なことを言うな』と緘口令を敷いて沈静化という方向に行くというのは全国的にそうですか?
「傾向としては全部同じですね。
でも、そんなことをしているとは絶対言いませんね。対外的には反対の発言をします。『ちゃんとやっています』、『キチッとやっています』と。
でも、実際にやられていることを丹念に、報告書とかを検証していけば、まさにそういう実態が出てきますね。
今までは出ていないんですよ、それが。唯一、そのことの経緯を知っているのは、県の沈静化をかけた中心人物と、現場の校長とか実務的な数名のレベルの人、あとは被害者、当事者です。外にはいっさい情報が出ていないんですよ。
だから、世の中には知られていないんです、実態が」
県教委レベルが、そうやって隠そう隠そうとするのは何故なんでしょう?
「それが良いとされているからです。つまり、学校の優秀な管理者であるとか、行政マンというのは、行政なんて色々な不祥事とかトラブルがあるんですよね、それを、キチッと問題にならないように対応できる能力というのが評価されるんですよ」
問題があっても、それをうまく処理しましたというのが優秀な行政マン?
「表に出ないように処理できるというのが、その手腕が問われるわけですよ。
だから、よくあるんだけど、失敗が表に出てしまうと言うか、不祥事が出るようなところは、逆に手腕が無いんですね。元から、そっちを向いているんですわ。
その事件を明らかにして対応することを善とすると、それを優秀だと評価することはないんですよ。
だから、色々な事件が起きているんですけど、1つの例として、どういう処分を出しているのかということでも、やったことと処分というものには整合性が無いんですよ。むしろ、どういう風に報道で流れたかということと処分とに一番整合性があるんです。そう考えると非常にわかりやすいです、何をしようとしているのかが」
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