「沖縄戦と民衆−『集団自決(強制集団死)』をどうみるか」のテーマで沖縄県平和祈念資料館主催の第2回沖縄戦講座が16日、各地から約100人が参加して同館で開かれた。講師の関東学院大学教授の林博史氏は、集団自決が行われたのは「軍命があり、日本軍によって住民に恐怖感を植え付けた」と、多くの事例を挙げて説明した。
この講座は「戦争を過去のものにしないで、今一度歴史の教訓から学んで、平和を考える機会にしたい」との趣旨で開かれている。講師の林氏は日本近現代史、国際関係論を専攻している。著書の『沖縄戦と民衆』は伊波普猷賞を受賞。現在は沖縄県史編纂委員も務めている。林氏は100分間の講演で、沖縄戦の特徴、「新しい歴史教科書をつくる会」の意図、1980年代の教科書問題での集団自決、沖縄戦の中の住民被害、住民自決をどうとらえるのか、米軍が上陸した島、「集団自決」を引き起こした原因、「集団自決」問題が持つ一般性などについて具体的に述べた。沖縄戦と集団自決、日本軍と住民との関係などについて重要な論及が多いので、項目ごとに話をまとめた。
1.
沖縄戦の特徴 天皇制護持と本土決戦準備のための捨て石作戦・持久戦として沖縄戦が展開された。そのため犠牲者が増えた。住民虐殺や食糧強奪、壕からの追い出し、マラリア汚染地区への強制移住、住民をスパイ視し降伏を決して許さなかったので軍人を上回る民間人の犠牲者が出た。徹底した皇民化教育、朝鮮人軍夫や慰安婦の犠牲などがある。その結果、「軍隊は住民を決して守らない」ことが分かった。
2.
「つくる会」の意図 集団自決は部隊長が命令していないので「強制ではない」。防衛隊は民間が勝手に作ったもので、民間人が勝手に軍の手榴弾をとって配ったものである。援護の金ほしさに軍命令を捏造した。この3点に集約できる。岩波新書『沖縄ノート』の著者であるノーベル賞作家の大江健三郎氏と出版元の岩波書店を相手取って座間味島の元日本軍部隊長と、渡嘉敷島の元部隊長の弟が「軍命がなかったのにあったと書いたのは名誉毀損だ」として大阪地裁に提訴している。しかし、この主張は沖縄戦を検証していくうち自ら否定され、存在しないことが判明した。
3.
1980年代の教科書問題と沖縄戦 高校教科書『日本史』(実教出版)の脚注で、日本軍による住民殺害について記述したところ、文部省はその出典となった『沖縄県史』は「体験談をあつめたもので、1級資料ではない」と削除。これに対して沖縄県議会は「県民殺害は否定することができない厳然たる事実であり……削除されることはとうてい容認しがたい」と全会一致で記述の復活を要求している(1982年9月4日)。
大野判決と呼ばれている最高裁判決(1997年8月29日)では「集団自決を記載する場合には、それを美化することのないよう適切な表現を加えることによって他の要因とは関係なしに県民が自発的に自殺したものとの誤解を避けることも可能」と判示されている。
4.
沖縄戦の中の住民被害 最初の「沖縄戦の特徴」とも深く関連するものだが、沖縄県民を死へ追い込んだケースは多い。それは「本土防衛、国体護持のために沖縄を捨て石」にし、「米軍に一撃を与えるための戦争継続」(昭和天皇の考え)が沖縄戦だった。
日本軍が手を下したケースとしては、スパイ容疑で殺害したものがある。そのほかに、食糧の提供を渋ったため殺している。軍民雑居の壕では乳幼児が泣き叫ぶので殺した。米軍に投降しようとした者や投降を呼びかけた者を殺している。米軍の民間人収容所に保護された住民を襲撃している。米軍から食糧をもらった住民を殺している。砲撃を受けている最中にもかかわらず、水くみ、弾薬運搬を指示し、従わなかった者を殺害している。
間接的な日本軍による殺害(日本軍によって死に追いやられたケース)としての事例は多い。住民が隠れている壕に日本軍がやって来て、砲煙弾雨のなかに追い出されて死んだケースが多く報告されている。軍民が混在している壕では、住民が米軍の投降に応じることを許さなかったために米軍の攻撃を受けて死んだ住民が多い。
上記の事例はわずかだが「捕虜になると男は戦車でひき殺され」、「女性は強姦されて裂き殺される」など、住民に恐怖心を植え付けていたことが住民の犠牲者を増やしている。いずれも、捕虜になることを許さない日本軍・国家の考え方が引き起こしたものである。
5.
「集団自決」をどうとらえるのか 地域の住民が集団で、もはや死ぬしかないと信じ込まされて、「自決」あるいは相互に殺し合いを行った行為が「集団自決」といわれている。最近は軍命があり、強制的に死に追いやられている事実を明らかにするため「強制集団死」という言葉が使われている。
渡嘉敷島では3月20日、日本軍の兵器軍曹から村の兵事主任を通して役場職員や17歳以下の青年を集めて、手榴弾を1人2個ずつ配り、「いざという場合にはこれで自決せよ」と命令している。座間味島では3月25日、村の助役が「軍の命令で敵が上陸したら玉砕するように言われている」。
弾薬運びを手伝っていた若い女性たちに対して軍曹は「途中で万一のことがあった場合には、日本女性としてりっぱな死に方をしなさい」と手榴弾を手渡している。彼女たちは、日本軍が斬り込みに行くと言っていたので、みんな死んだと思い、手榴弾で自決をはかるが、不発で命が助かっている。「強姦されて死んだ」と日本軍から言われた女性たちに山中で出会った住民は、日本軍がウソをついていたことを見破る。また、斬り込みしたはずの日本軍が山中を逃げ回っているのを目撃し、軍への不信感が募る。それ以後、命を大事にして逃げ回る。
慶留間島では2月8日、野田第2戦隊長が島に来て、約100人の住民を集めて「敵上陸のあかつきには全員玉砕あるのみ」と訓示している。米軍が住民から聞き取りした公文書にも「米軍が上陸してきたときには自決せよと命じられた」ことが多くの住民の証言として記載されている。林氏が米公文書館で発掘した文書である。
6.
米軍が上陸した島々 沖縄本島の周辺には慶良間諸島のほかに多くの離島がある。日本軍のいない島ではハワイなどからの移民帰りの老人たちが「米英は鬼畜ではない」として住民と共に投降して、助かっている。米兵と英語で交渉したケース。粟国島では村の幹部が白い旗を掲げて投降して米軍の攻撃をまぬがれている。とにかく、日本軍がいない島では住民は自由な判断ができ、助かっている。
7.
日本軍がいた地域と、いなかった地域 宜野湾市の場合には、日本軍がいなかった集落では住民は投降して助かっている。ハワイ移民帰りの人が住民を説得して投降している。役所職員たちがステッキに白いタオルを巻いて白旗をつくり投降。そして、住民のいる壕をめぐり投降を呼びかけ、米軍攻撃による犠牲を防いでいる。
しかし、佐真下の壕では、日本軍少尉が軍刀を振りかざして「捕虜になる者は切り捨てる」「捕虜になれば、戦車の下敷きにされて殺される」と脅し、結果的に犠牲者が多く出ている。
8.
「集団自決」を引き起こした原因 日本軍は、住民にたいして「捕虜になることは恥」「女性は強姦されて木にぶらさげられる」などという恐怖心を植えつけている。林氏は「皇民化教育がベースになっていることは、確かな事実であるが、日本軍は住民に恐怖心を繰り返し植え付けている。特に若い女性の場合には、強姦されるという恐怖心が大きく作用している。そのことが犠牲を大きくした。防衛隊は日本軍の規則によって作られた立派な軍隊であり、民間組織ではない」と結論づけている。
林氏の講演は、米軍が上陸してきた慶良間諸島の当時をくわしい事例で紹介し、軍命があったことを明らかにしていた。沖縄本島や周辺離島で日本軍がいることによって起こった事実、いないことによって住民が自由な判断をすることができ、犠牲がなかったことを詳しく述べていた。沖縄戦については、地域別や部分的には明らかにされているが、林氏の講演は全体的に例示して、沖縄戦の持つ意味をよく理解させるものだった。