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強制執行の執行官と住民が対峙(たいじ)したウトロ地区の空き家。「あれが出発点だった」と住民は振り返る(宇治市伊勢田町) |
突然の悲報だった。11月8日、宇治市・ウトロ地区で35年暮らした田中春子さん(59)が脳梗塞(こうそく)で急死した。在日二世の夫に2年前に先立たれ、1人暮らし。全65世帯の大半が通夜や葬儀に参列し、亡くなる直前まで「日本政府も土地問題解決に力を貸してほしい」と話していた故人をしのんだ。
キムチの漬け方を教えるなど最も親しかった黄順礼(ファンスウニェ)さん(75)は朝、田中さんの足音がしないことを気にしていた。訪れた住民が台所で倒れている田中さんを見つけた。いつも声を掛け合っていた黄さんは「まだ若かったのに」と悼む。
ウトロ地区は高齢化が急速に進んでいる。町内会によると、65歳以上が2割を占め、特に1人暮らしが多い。生活保護世帯も4分の1に達する。地区には下水も側溝もなく、少し強い雨で床下浸水する家がある。
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「はじめて解決への一歩が踏み出せた。あまりに多くの一世が解決をみずに亡くなった」。地権者の不動産会社「西日本殖産」(大阪市)からの土地購入を決めたウトロ町内会の金教一(キムキョンイル)会長(68)はそう話す。買い取れるのは目標の「一括」ではなく東半分。長年住み慣れた家を手放すことになるが、住民集会で大多数がその場で賛同した。
住民の結束は20年に及ぶ闘いが生んだ。1989年、西日本殖産が住民に土地の明け渡しを求めて提訴。相次いで住民が法廷に立ち、戦中、戦後の歴史的経緯による時効取得を主張したが、2000年、敗訴が確定する。
05年8月末、地区入り口の空き家に1枚の紙が張られた。強制執行の公示。住民約30人が裁判所の執行官とにらみ合った。「このままでは駄目だ」。危機感を抱いた住民は翌年2月、土地購入を前提としたまちづくり計画策定を決意する。
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他の在日韓国・朝鮮人集落などの視察を重ね、住民アンケートを経て今年5月にまとめた計画書は「高齢者と生活困窮者のための住宅」を最初に記した。「自分の家をつぶしてでも、みんなでウトロに住もうという覚悟が固まった」と、支援団体「ウトロを守る会」の吉田泰夫事務局長は言う。
9月初旬、町内会は土地半分の購入案を西日本殖産に打診する。9月29日午前、韓国・ソウルでの交渉に向かった厳明夫(オムミョンブ)副会長(53)は機中で「合意は難しい」と考えていた。だが、7時間に及ぶ議論の末、金会長と厳副会長は合意を決意する。「ぎりぎりの選択だったが、迷いはなかった。みんなが20年かかって選んだことだから」
土地買い取り契約
住民が設立した中間法人が、地区東半分約1万500平方メートルを5億円で買い取ることで10月27日に西日本殖産と契約締結。西半分も同社は一定期間は転売せず、強制退去や開発を行わない内容の合意書も交わしている。
【2007年12月8日掲載】
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