作家の泉鏡花は、過度の潔癖性からくる強迫観念から食べ物には異様なくらい神経を使ったという。大根おろしは煮て食べる。酒は唇が焼けるくらいの熱燗(あつかん)で、ほうじ茶はぐらぐら煮立てて殺菌した後、塩を入れて飲んだ。
挙げ句は豆腐の腐の字を嫌って府と書いた…と嵐山光三郎さんが著書「文人悪食」(新潮文庫)の中で紹介している。
忘年会などで一つ鍋を囲むことの多い季節、今の世にあれば、幹事泣かせのご仁だろうが、昨今は鏡花ならずとも湯気の向こうの表情が曇りがちになるのではないか。
歳末恒例の「今年の漢字」は「偽」だった。食品の産地や原材料の偽装、賞味期限の改ざんなどが相次ぎ、老舗や特産の金看板がみるみる崩れていく姿をうんざりするほど見せられては、誰しも異存はないだろう。
二位以下の「食」「嘘(うそ)」「疑」も、残念ながら苦くうなずくしかない。
会社の非常識はもはや社会の常識なのかと突っ込みたくもなるが、ただ作り手なり、売り手なりのモラルを問い詰めるだけで解決するほど問題は単純ではなさそうだ。
食の安全にはますます敏感になるその一方で、食の浪費には鈍感な現代―一連の騒動は、食卓の背景にある矛盾を浮かび上がらせながら、食のあり方を根本から見詰め直すことを求めてもいる。
深まる師走に、慌ただしさがズキンと身に染みる。忘れたいことが多すぎて、ついつい財布と肝臓を泣かせる人もいるだろう。泉下の鏡花は酔っぱらうと何でも口にして、後で顔を青くしたという。ご自愛のほどを。
(編集委員・国定啓人)