福岡県福智町の旧三菱方城炭鉱で671人が死亡したとされる国内史上最悪の炭鉱事故から15日で93年。「風化させてはいけない」と町企画課の長野士郎さん(35)が中心となり、町広報紙12月号に特集を組んだ。西日本新聞社の前身・福岡日日新聞社などの写真約30枚や、事故を語り継ぐ町民の話などを22ページにわたり掲載している。

 事故は1914年12月15日午前9時40分ごろ起きた。東洋一といわれた立て坑(深さ270メートル)の底で炭じんガス爆発が発生。立ち上がったキノコ雲が一帯を覆い救助は難航した。三菱鉱業は死者を671人とするが、実態は1000人以上との説も強い。

 広島県出身の作家織井青吾さん(76)が3月、福智町で講演をしたのが特集企画につながった。織井さんは、犠牲者のほぼ1割が広島県出身だったことから事故を詳しく調べ「方城大非常」などを著している。講演では「自らの被爆体験と方城の爆発事故が重なり、証言を残そうと思ったのが28年前。ボタ山がヒロシマに連なるように思えてならない」と、原爆と同じく炭鉱事故も後世に伝える必要を説いた。

 講演を聴いた長野さんは「自分の町で起きた惨事を知らず恥ずかしかった」という。事故の話を親や祖父母から伝え聞いた町民を探し「坑口から何とも表現しがたいうめき声が聞こえた」などの証言を収集。新聞社などを回り資料を集めた。公民館で眠っていた写真を発見したときは「犠牲者が教えてくれたと思えて鳥肌が立った」と振り返る。町は、事故発生時刻に黙とうを呼びかける。


=2007/12/15付 西日本新聞朝刊=