NHKスペシャル「ワーキングプアIII 解決への道」の感想



※NHKスペシャル「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」の感想こはちら
※NHKスペシャル「ワーキングプア 努力すれば抜け出せますか」の感想こはちら

ワーキングプア―日本を蝕む病  07年12月15日放映のNHKスペシャル「ワーキングプアIII 解決への道」を見た。「海外のワーキングプアについて報道するらしい」という話を聞いていたから、「ああ、日本の話はだいたいやっちゃったので、『海外でも広がっていますよ』『海外ではこうしてますよ』みたいなやつかな」というヌルい想像をしていたのだが、「ワーキングプアI」と「II」をつくったスタッフの力を甘くみすぎていた。

 そのような、学生のレポートみてえなボケた一般論ではなかった。

 日本のワーキングプア問題がいきつく先が予想や推測の中ではなく、すでに「海外」という現実の中に存在しているということ、そして、日本のワーキングプア対策の盲点を調べつくした上でそれを浮かび上がらせる「海外」諸国の対策を、注意深く選んでいること——まさに、報道されたのは「日本」の現実と対策そのものであった。
 後述するように、やはり映像と解説の一つひとつが徹底的に考え抜かれて、その「浮かび上がらせ」の効果を発揮しているのだ。

 番組は大きく二つの部分で構成されていた。


番組の前半




韓国と米国は日本の未来の姿



 前半は、日本だけでなく海外でもワーキングプが広がっている、という報道だ。
 しかし、今述べたように、それは単に「日本と同じようなこんなのありまっせ」というものではない。

2050年のわたしから  ぼくは前に、このサイトで金子勝の『2050年の私から』という未来予測を紹介したことがあるが、これは難しい経済予測をせずに、いまのトレンドをグラフにしてそれをずっーと先に延ばしていくという単純な方式で未来を予測するものだった。 
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/30nengo/30nengo9.html

 この「いまのトレンドを延長して日本の未来をそこに見る」という方式が、この「ワーキングプアIII」と似ているのだ。
 というのは、番組が選んだのは、韓国とアメリカであり、韓国は日本よりも非正規雇用率が高くなっているという点、そして、アメリカはホワイトカラーもワーキングプアにあっさりと転落してしまうという点が、まさに「日本の現在のトレンドを延長していった未来」としてそこにあるからだ。

 番組によれば、韓国の非正規率は55%。日本は過去最高といってもまだ33%だから、韓国の非正規化がいかにすさまじいかわかる。97年の経済危機をきっかけに非正規化が一気にすすんだという。

 他方のアメリカは「日本よりもワーキングプア問題がすすんだ」国として紹介されていた。それは、先ほど述べたようにホワイトカラー層もあっさりとワーキングプアに転落していくからである。
 番組で追っていたのは、銀行のシステム管理にかかわっていたIT技術者(プログラマー)、ブライアン・ラフェリーさん(46)だった。
 彼は700万円の借金を負って大学に入り、IT技術を習得。年1000万円の収入を得ていたようなまさに「勝ち組」だった。しかし、その部門がインドへ移転してしまったことにより失職してしまうのである。

 ブライアンさんは、いまやテキサスのキャンプ場で暮らすワーキングプアである。ファーストフード店で月15万円の収入で生活する様子が映し出される。週末休みなしで毎日10時間働いている。「16歳にケンタッキーフライドチキンで働いていたけどまた戻ってきてしまった」と語るブライアンの姿に悲哀がこもる。
 いっしょにテレビをみていたつれあいが、スクーターで通うブライアンを見て「アメリカでスクーターで通う人は本当に珍しいよ」と言った。中国製の10万円のものだそうである。
 ブライアンさんはIT企業100社に応募したが競争者が多く、面接にこぎつけることができたのはわずか4社で結果はいずれも不採用だった。
 借金をして大学に入り高い技術の持ち主として働いていた人間が、グローバル化競争の波に洗われて、インドに仕事を奪われ、いとも簡単にワーキングプアに転落してしまう様を克明に描き出している。

 インドには英語を話す多数の人々がいて、さらにIT産業が勃興し、アメリカの企業の移転(アウトソーシング)がすすんでいることはよく知られているが、ITだけでなく、ホワイトカラーが担うはずの仕事のかなりの部分がアウトソーシングにかけられている。

フラット化する世界(上) 「バンガロール〔インドのIT拠点——引用者注〕にこんな地味な仕事までアウトソーシングされているのかと驚くたびに、もっと地味な仕事がアウトソーシングされているのが見つかる。……ビベク・クルカルニ〔インド人——引用者注〕は……B2Kという会社を始めた。そこの煉瓦積み(ブリックワーク)という部門は、多忙な世界的企業の重役にインドでの専属アシスタントを供給している。たとえばある会社の社長が、二日後にパワーポイントでプレゼンテーションをやる必要があるとする。ブリックワークの提供するインドの『遠隔重役アシスタント』が、代わりに下調べをして、パワーポイントのプレゼンテーションを仕上げ、夜のうちに電子メールですべてを送り、プレゼンテーションの日にはデスクに用意されているようにする」(トーマス・フリードマン『フラット化する世界』上p.52)

 ここに日本の未来があるとすればまさに戦慄するしかない。
 これまでワーキングプアとは、ともすれば「就職氷河期に排除された若者」「低学歴の人」「母子家庭」などの問題としてとらえられてきたかもしれない。NHKの「ワーキングプアI」でもリストラされた中高年会社員のケースが出てきたが、花形たるIT産業、あるいはホワイトカラーの頂点にいた人が、グローバル化によって一瞬にして足下をすくわれるというイメージはいっそう衝撃的である。
 しかも、たとえば落ち目の部門がなくなる、みたいな「徐々にヤバい感じが広がる」というのではなく、ホワイトカラーの仕事のどの部門がいきなり消えるのかがまったくわからないという感覚は恐ろしいものがある。
 もちろん、すぐ再就職できる人もいるだろう。
 しかしできない人もいるのだ。
 キャンプでブライアンさんをまじえて話している人々が言う。

「これがアメリカのやり方だ。落ちたら終わりだ」




「国民皆保険が崩れつつある日本」



 韓国とアメリカの例で共通していたのが「医療保険」の不安であった。非正規化は低収入をもたらし、医療費や保険料が払えなくなって医療からの排除をもたらしかねない。
 ぼくは注目したのはアメリカの例だった。
 アメリカは国民皆保険制度ではないし、受けられる医療も契約やおさめている保険料によって変わってくる。

 番組では、先のブライアンさんの例が紹介され、彼は高血圧が持病なのだが、もう薬がない。彼の働いているファストフード店には保険制度がなく、州の安い医療制度を受けようと思えば10時間行列に並ばねばならない。
 ナレーターがのべたように、アメリカにはセーフティネットがなく、仕事がなくなることがすなわち医療保険がなくなることにつながり、貯蓄も家族のクッションもない人はまっさかさまに奈落へ落ちていく。

 番組では「国民皆保険が崩れつつある日本」というふうに紹介されていた。その具体的な形では紹介がなかったのだが、二つ思い当たることがある。

 一つは、混合診療が本格的に導入されようとしていることだ。
 現在は、国が安全と認め必要だと判断した医療は、すべて公的な保険でカバーされている。むずかしい先端医療も、最初は保険がかからないが(その場合、その医療をうけようとすると何もかもすべて自己負担になる)、やがてそれを保険の中にとりこんでいくのである。この方式が、基本的には国民の安心をささえていた。

 ところが国民のための規制を破壊することで有名な、政府の「規制改革会議」は、07年12月に混合診療を全面解禁の方向で答申を出そうとしている。混合診療は、保険のきく医療ときかない医療をくみあわせるものだ。
 これをやりはじめると、まさに「ここまでは保険がきくが、あとは全額自己負担だがどうする?」というような事態が広がることになる。そのスキマに民間保険が入りこんでくるのである。「保険料を払ってくれればウチはそこを少しカバーしますよ」と。
 最悪、公的な保険は非常に基礎的な診療だけに限定され、お金がかかるものは民間保険か自己負担、というまさにアメリカ的世界が待ち構えている。

 規制改革会議がこれを主張するのは、まさに民間保険会社がその公的部門を「もうけぐち」にしたいからである。04年段階の資料だが、この規制改革会議の前身(規制改革・民間開放推進会議)の議長には生保会社をもつオリックスの宮内会長がすわり、その事務局にはオリックス、三井住友海上など保険会社からの出向社員が派遣されていた。
 公的保険(社会保険)が後退すれば、企業は保険料負担からのがれ、国は税金支出からのがれることができ、逆に企業の「もうけぐち」に変わるのだ。こんな「すばらしい」ことはない!

 もう一つは、国民健康保険の空洞化だ。
 ぼくは12月14日に、市民団体が開いた、福岡市の国民健康保険引き下げ請願署名の提出に参加した。14万5000筆という、オリンピック招致反対署名を上回る画期的な数だ。福岡市では、国保料が高すぎて払えず保険証をとりあげられて手遅れになるという事件があいつぎ、マスメディアでもさかんに報道されている。
 福岡市の国保は、加入世帯の80%が年所得200万円以下、という実態でささえられている。年所得200万円の3人世帯というケースの場合、なんと年間46万9600円もの国民健康保険料を支払わねばならず、5件に1件が滞納世帯となっているのである。

 福岡市はとりわけひどいのだが、全国的に国保料が高くて払えないという問題が噴出している。

 これがまさに番組がのべた「国民皆保険が崩れつつある日本」ということの中身だろう。その先にアメリカ、ブライアンさんの姿をみることは決して誇張ではないとぼくは思う。

 IT技術者が40代になってから突然クビを切られ、再就職先がみつからずに、低収入の非正規雇用となり、やがて医療保険からも排除されていく——番組のキャスターがのべたように「日本の将来像」のようである。




資本の論理にむきあう——大局的解決方向



 番組の前半部分のもう一つの特徴は、資本の側の言い分を十分に紹介することで、逆に番組に深い説得力が出ているということだった。

 番組によれば、韓国は実は今年「非正規保護法」という法律をつくり、2年以上働いた人の正社員化、違反企業には最高1000万円の罰金という厳しい規制を課したのだが、これにたいして、紹介されていたのは、韓国の百貨店が非正規のパートを法実施の直前に大量にクビ切りしたのである。正社員化しなければならない直接雇用のパートをやめさせ、かわりにいつでも「調整」ができるよう、外部にアウトソーシングしようというわけだ。

 韓国の百貨店の経営側がコメント。
「雇用調整できなくなり、企業に大変な負担になる」

 アメリカのケースでも、インド・中国へのアウトソーシングをすすめるIT業界の経営サイドの人間(IT協会)が出てきて、移転は仕方ない、グローバル競争のなかでつぶれるか、移転するかなのだ、とつきつける。

 前にぼくは池田信夫の議論を紹介したが、彼は「派遣の地位向上を法律で規制なんかしてもダメだ、そんなことしたら海外にさっさと行ってしまうだけだから」というむねのことをのべて、「ゆえに雇用に規制をもうけてはならず、流動化にまかせよ。ワーキングプアは職がないよりはマシ。規制を排した流動化が経済を豊かにし、やがて果実がまわってくる」と叫んだ。
 ここまで能天気な未来図を描くのではなくとも、法規制をかければ資本がこのような対抗策に出てくることはいかにもありうることである。

 そのことに目をつぶっていては、ワーキングプア対策はできない。
 番組はこのような資本の側の論理を紹介することで、問題を深めている。

 こうした現実をふまえたうえで、番組は米韓の識者二人を登場させ、大局的な問題解決の方向を示す。

 一人は、イ・ビュンヒ韓国労働研究院(政府系シンクタンク)所長だ。彼はこうしたやり方を市場原理主義だと批判し、リスクを社会全体ではなく下に下にと押し付けるやり方は、市場の失敗であり、絶対に問題を解決しないとのべる。

ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実  もう一人は米国の下層社会を描いたルポ『ニッケル・アンド・ダイムド』で有名なジャーナリスト、バーバラ・エーレンライクである。
 エーレンライクは、グローバル競争のもとで切り下げ以外ないのかと問い、大企業は莫大な富を築いているではないかと、先の「つぶれるか移転か」という選択肢を批判する。そして、ヘンリー・フォードがかつて「せめて自社の車を買えるくらいの賃金を社員に」とのべたことを引いて、企業の社会的責任を果たすことを主張した。

 池田のように、「職があるだけマシだろう」と居直ることはぼくはとうていできない。番組でもアメリカのワーキングプア、ブライアン・ラフェリーさんは、まさに「それでも失業よりはマシさ」とつぶやく。しかし、休みなしで働いてキャンピングカーで生活し、医療を受けられずにその不安におびえるという彼の生活を「マシ」という一言で片付けるわけにはいかない。
 「健康で文化的な最低限度の生活」を保障することがナショナル・ミニマムだとすれば、それが保障されない経済政策はたしかに「市場の失敗」なのである。

 そして、大局的にそのナショナル・ミニマムを保障する原資は、大企業の過剰な蓄積に求めるほかなかろう。それを吐き出すのは大企業の社会的責任である。

 前にものべたとおり、06年12月期連結決算において史上最高益をたたきだしたキヤノン(日本経団連会長の出身企業)は、偽装請負をはじめとする非正規雇用の大量活用によってささえられていた。
オタクコミュニスト超絶マンガ評論 現在大企業(資本金10億円以上)の経常利益はバブル期の1.75倍であるが、法人税収は減税措置などによって現在同時期比でマイナス1000億円になっている。もうけは2倍ちかいのに、おさめる税金は減っているのである。再分配機能がこわれているとしかいいようがない。税率をもとにもどすだけでも4兆円の年財源が生まれる。また、拙著『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』でも紹介したが、大企業のためこみ金(内部留保)はバブル期には74兆円だったものが現在は203兆円にもなっている。

 番組は識者の声を紹介したあとで、「特に懸念されるのは医療」だとのべたのだが、医療の問題をまず解決しようとすれば、国保の国庫負担を4000億円増やすだけで、全国の国保料は大幅な値下げができるのだ。
 番組ではここまでつっこんでいないものの、番組で紹介された識者の見解を敷衍するなら、こうした方向に大局的な解決があるとぼくは考えざるをえない。





番組の後半

 さて、前半はこのように「海外のケースにみる日本の未来」そして「大局的な対決・解決方向」をしめしたのみであって、番組のサブタイトルにもなっている「解決への道」を具体的方策として示したのは、実は後半部分である。

 前半もよかったが、深くうならされたのは、後半であった。

 後半の「解決策」(のヒント)提示において描き出されたことは、ぼくからすれば抜本解決ではなく当面の緊急対策として何が必要か、というものであるが、別の立場の人からみれば、グローバル化や大企業の行動を規制せずにこのような対策がうてる、というふうにも読める。
 しかしその違いはここではあまり重要ではない。

 いずれにせよ、番組の後半で紹介されたイギリスとアメリカの対策は、冒頭にぼくがのべたとおり、単なる「諸外国ではこんなことやってまっせ」という一般的な紹介ではなく、日本の対策の問題点を調べつくしたうえで、その問題を浮かび上がらせるべくつくられているものだと思われる。




戦略的な企業誘致と地元での安定雇用——米ノースカロライナ



 まず、アメリカのケース。
 ノースカロライナのワーキングプア対策が紹介された。

 番組では企業誘致が紹介された。
 ぼくはちょっとがっかりした。日本でもすでにおこなわれている「対策」であり、それは後述するがワーキングプア対策に役立っていないからだ。そして何よりグローバル化によってたちまち消えてしまう(撤退してしまう)ものではないか、と思ったのである。

 しかも、バイオテクノロジー企業群だという。
 なんだこりゃ。こんな専門的なものをもってきても、母子家庭や低学歴の人々は救えまい、とますますぼくは鼻白んだ。日本のワーキングプア対策でも、自立支援などといって並べられているメニューが、あまりに高い資格や技術を要し、それとワーキングプアの人々との間に深くて広い溝が広がっていることが想起されたからである。

 ところがそうではなかった。

 まず、バイオテクノロジーというのは、製品化されるさいには米国においてかなり厳しい基準が要求され、容易に海外へアウトソーシングできないものだというのだ。州政府は誘致にあたって、「かんたんに海外へ移転できない産業」を慎重に選んだという。

 しかも、企業側には「技術だけもらっていなくなってしまう人よりは地元民を雇用したい」というニーズがあり、地元からの雇用を望んでいるコメントが紹介された。

 きわめつけは、母子家庭や低学歴の人を教育訓練するプログラムによって、実験の技術サポートができるように支援していることだった。
 クリスチャン・ブルエットさんという37歳のシングルマザーが紹介されていた。
 彼女は6歳と4歳の子をもっているが高卒程度の学力しかない。

 中学校の理科の復習という地点からスタートした彼女は最終的に遺伝子のクローンができるようになるくらいまでに能力を身につけた。州立の短大でこの教育訓練は行なわれ、彼女は両親に子どもをあずけてウエイトレスの仕事をしながら、州政府の支援によって年間15万円、つまり月1万円強ほどのコストで教育訓練を受けられるのである。彼女はやがて企業への就職が決まり、まず年270万円の収入でスタートした。

 州政府は130億円の予算をかけて1万人の雇用をふやし1200億円の税収増をしたという。

 ここには、日本でおこなわれている支援の問題点が逆にどのように浮き彫りになっているだろうか。

 一つは誘致企業だ。非常に戦略的に誘致がおこなわれている。ノースカロライナのケースは、グローバル化の影響を受けないように考え抜かれているのだ。
 日本にも43道府県で企業誘致の補助金がある(07年3月現在)。
 ぼくも福岡市議会で、「青年の雇用対策を市もとりくめ」という議員の質問に、市長が「企業の誘致をすすめている」などとのべているのを傍聴席で聞いたことがある。
 大阪や和歌山などではこうした補助金が上限100億円という規模で支出されている。
 ところが実際には、多くの県では、安定雇用についてのルールも、撤退についての歯止めも何もないのが現状なのだ。
 たとえば大分県のケース。誘致されているのはモロに海外移転がありそうなデジタルカメラの工場なのだが、国会で問題にされた工場のケースでは従業員の85%が非正規雇用であった。請負・派遣がほとんどで定住者が少なく、周辺人口は逆に減っているのである。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-03-29/2007032908_01_0.html

 あるいは知事選で話題になっている大阪府。府が10億円の補助金を出した三洋電機のある工場では、従業員360人中、210人は請負だという。しかも、社員150人なかで新卒採用は11人しかおらず、のこりはすべて他工場からの単身赴任というから、雇用もクソもない。これは単なる大企業へのバラマキ以外のなにものでもない。

 日本との違いで注目すべき二つ目は、ノースカロライナではそのように戦略的に誘致した企業に、母子家庭や低学歴者が雇用されるようにサポートの体制を組んでいることだった。教育訓練が地元住民の正規雇用に直結しているのである
 日本でも母子家庭が教育訓練をうけようとすれば、学費の4割(上限20万円)までサポートしてくれる。パソコンの講座(ワード・エクセル)くらいであれば、だいたいノースカロライナのケースと同じくらいの費用ですむ(給付分をひいた自己負担が12〜18万円くらい)。しかし資格を取得したとして、ワード・エクセルだけでは、非正規の仕事はあるかもしれないが、そのまま正規雇用に結びつくかどうかはわからない。

 気になったのは、ノースカロライナの例では、両親がいて子どもをあずかってくれる体制があったことが幸いしたのだが、これがない家庭では保育や託児に頼らざるをえないだろう。そうするとまたしても費用が発生してしまう。この点は米日共通の問題といえそうだ。

 しかし、いずれにせよ、戦略的な産業の誘致と、そこから安定雇用と教育訓練を一体にしている対策は、日本の対策の不十分さを逆に浮き彫りにしている。





社会的排除を防止する——イギリス



 もう一つ、番組は、イギリスの対策を紹介していく。場所はイギリスでももっとも貧しい都市となっているリバプールである。

 番組の冒頭でも映像が流されるのだが、びっくりさせられたのは、「支援員」という人がいて、街を歩いている若者にまるで街頭補導のように無差別に「仕事はあるか?」と声をかけている様子だった。
 そこで実情を聞き取り、職業訓練を紹介するのである。

 ぼくは「労働者の権利を啓発するために、若い人に啓発のパンフレットなどを配布すべきだ」という運動にかかわっている。サービス残業や違法な解雇を是正させるすべを知り、それを実際に活用するだけで、かなりの部分の若い人の生活や権利が保障できるからである。
 ところが、国会議員に国会でとりあげてもらうよう要請したのだが、現場での担当官僚との交渉になるとまるで動く気配がない。「労働局にパンフレットとしておいてあります」。
 福岡市議会で「青年全体に働く人の権利を知らせる啓発パンフを配るべき」と市議に追及してもらったときも同じである。
 「啓発パンフレット等の周知徹底につきましては、……各区市民相談室や情報プラザなど本市の関係施設、国、県の関係施設等の市民が多く訪れる場所に配布するとともに、県と共催で行っております労働教育講座で活用するなど、機会をとらえて周知を図ってまいりたいと考えております」(07年6月21日)というのが答弁だった。つまりパンフレットつくって市役所に置いてますよというだけの話なのだ。
 福岡市はエイズの知識について啓発パンフレットを4万部つくり街頭で配布している(労働の権利のパンフは数百部しか印刷せず、しかも役所内に滞留)。せめてそれくらいできないのか、と市議がしつこく食い下がるが、やる気はない。

 そればかりではなく、たとえばニートとよばれる教育・訓練・就業のいずれの状態にもない若い人の対策をどうしているのかという問いにも「市のセンターで予約制の相談会を週1回やっています」という答えが返ってくる。要は電話窓口をつくり、電話が来たらまあ会いますよ、ということである。

 かたや、ちょっとばかり冊子をつくって役所のなかに隠匿しておく。窓口だけつくって「対策」と称している。かたや、支援員を組織して街頭に出て無差別に声をかけまくり、就労につなげるサポートをする——両者には天と地の開きがある。

 この「街頭に出て無差別に声をかけまくる」というのは、単にユニークという話ではない。根本的な思想が欠落しているのだ。

 この番組で「社会的排除防止局」という役所の担当者が登場する。EUでは、若者の「社会統合」「社会的結合」、そしてその逆の「社会的排除」という考え方があるのだ。実は、この発想は、この番組全体をつらぬくかもしれないほど重要なテーマである
 「ワーキングプアI」でも識者としてコメントした宮本みち子がこの問題について小論文を書いているのでぜひ参考にしてほしい(労働政策研究・研修機構でのレポート)。
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2004/12/pdf/017-026.pdf

「若年失業は、単に仕事がないというにとどまらず、貧困、社会的孤立、犯罪や疾病、社会保障の権利の喪失など、重大な困難をもたらす。とくに発達の途上にあり、 職業経験を積みながら社会関係を広げていくべき年齢段階における失業は、成人の失業とは異なる問題を生むものであった。若者が、社会的に要求されているあらゆるものへのアクセスができない状態にあり、社会生活上も孤立し周辺化する現象を社会的排除 (social exclusion) のひとつととらえ、この状態に陥ることを防止するのが、若者政策の重要課題となった」

 社会的排除防止局はブレア時代にたちあげられ(1997年)、学校教育と職業が直結していないことや、失業家庭や少数民族、犯罪歴のある者、失業地域、学習障害をもつ子などが社会的排除におちいりやすいことなどをとらえ、「リスクの高い若者には、私生活と、教育・訓練、仕事の持続性や、安定したサポートが欠けている。 したがって、彼らにはもっと柔軟な道程が必要である。 例えば、授業開始時刻の多様化、再入学のための複数のチャンスへ容易にアクセスできること。コネクションズ・アドバイザーから高度に個人化したサポートを受ける期間を延長することなどである」という対策方向を見いだした(同レポート)。

 たんに若者に仕事を与える、という問題としてだけ把握していなければ、たちまち自己責任という非難がそこにおそいかかり、対策はなおざりになる。2ch的な表現をかりれば、「DQN(低学歴者への蔑称)のためになんでそこまでしてやらなきゃいけねーんだよ。自己責任だろうが」ということにでもなろうか。

 しかし、本来このような統合は、社会の責任でおこなわれてきた。
 宮本が「工業化時代には、子ども期から成人期までの一本の順序だった連続的な移行ルートが存在した」(同レポート)とのべているように、日本でも高度成長期いやバブル期くらいまでは「高卒→ブルーカラー正社員」「大卒→ホワイトカラー正社員」くらいの大ざっぱなルートがあり、青年たちはいつの時代でも未熟だったが企業に統合されることで社会的に統合されていった。早い話、ほとんどの若い人はいつの時代でも使い物にならないのだが、企業に入って正社員として先輩から教えられ鍛えられて大人になっていったのである。
 ところがそのようなルートが機能不全をおこすようになってきた。

 この機能をどう回復するのか、ということは社会の責任なのである。

 番組で紹介されていたポール・チャレナーさんという17歳の中卒の少年の家庭が紹介されていたが、アスベスト除去にかかわっていた父親が職を失い家で罵声と怒号を子どもたちに浴びせている様子が描写される。

「皿をすぐ洗え!」「お前の当番だろ!」

 荒れていて、とても息子のサポートどころではない。父親自身がワーキングプアであった。
 ポールさんの以前の写真が映し出される。これはちょっと笑ってしまうほど極端なのだが、現在の就労している明るい顔と比べていかにも暗く、あまりにもヒネた目をしている。「車の盗難などをくり返していた」というナレーションも入る。
 貧困と荒廃のなかで青年が社会的孤立に陥っている様を番組はつぶさに描き出すのだ。

 このように、若い人のなかでジグザグの成長過程、社会的に孤立してしまっているかもしれない現状という把握があってはじめて、支援員が街頭に出かけて声をかけるという行為につながるのである。
 役所のなかで座して待っているだけ——「パンフレットをおいてますよ」「窓口はありますよ」などという厚労省や福岡市のような態度の根本には「社会的排除」という認識が決定的に欠落している。
 リバプールの支援員が自らの仕事を、若者を「社会につなげる」仕事だと番組でのべているのはこの認識の核心をついたものであり、番組はそのコメントをのがさない。

 この「社会的排除」、その裏返しとして「社会統合」ひらたくいえば「社会につながる」ということをどうすすめるかがキーワードになっていく。
 鎌田キャスターも「ワーキングプアの最大の問題は社会とのつながりを失い、人間としての尊厳までも失うことだ」とのべている。「最大の問題」として「社会とのつながり」をこの番組は考えたのである。

 イギリスの若者の社会的排除防止の対策では、環境や福祉など社会的に直接貢献している企業、「社会的企業」への就労が心がけられており、番組では国からポールさんのいる企業に年間1.3億円が補助され、13万円も一人当たり支援を受けていることが紹介される。番組によれば、イギリス全体で5.5万社もこのような社会的企業があり30万人がこうしたプログラムをうけているという。
 一般の企業でももちろん社会的有用な労働はおこなわれていることが多いが、環境や福祉などは自分のしている仕事の社会的意味がよりはっきりと見えてくるのだろう。自分が社会に役立っている、という意義を実感しやすい。ここにも「社会的排除の防止」という観点がつらぬかれている。


 なおあからじめ言っておけば、ぼくは英国や米ノースカロライナやイギリスの対策が「完全である」と考えているわけではない。番組でもあくまで日本の対策を考える上でのヒントがあるとしている点に注意をしてほしい。




釧路市にみる「社会へのつながり」の回復の努力



 不十分ながら日本の自治体の対策も紹介される。
 番組では釧路市の27歳のシングルマザー・佐藤さん(仮名)がとりあげられた。
 この女性はパートをかけもちして働いていたが体をこわし、引きこもりがちになってしまった。まさに「社会とのつながり」を失い、社会的孤立に陥っていったのである。

 釧路市の「自立支援員」の新田摩奈美さんが、彼女を段階的に生活保護から自立へと導くサポートをしている様子が映される。ここで重要だとぼくが思ったのは、佐藤さんが最初市の子育て支援施設でボランティアから出発したのだが、次の雇用へ移行する際に不採用になってつまずいてしまったとき、支援員がサポートの手紙を出したことである。

 佐藤さんは新田さんの手紙によって「応援してくれる人がいると思って涙がこぼれた」とのべている。こうして新田さんのフォローで立ち直り、現在障害者施設で職員として働くようになった。

 イギリスの対策について宮本が「リスクの高い若者には、私生活と、教育・訓練、仕事の持続性や、安定したサポートが欠けている」「高度に個人化したサポートを受ける期間を延長することなどである」とのべたように、社会的排除を防止していくにはここでも根気づよいサポートが本来必要なはずだ。新田さんの例はそのことを実証している。
 しかし、番組では、市全体に国からわりふられた予算は900万円しかないこと、新田さん自身が薄給(支援員は月10万円)で、夜に塾講師をかけもちする厳しい生活を強いられていることを報じる。番組によれば、イギリスは関連予算を15兆円もつけている、という。まあ、いろんなものをひっくるめてであろうから単純には比較できないが、それにしても、予算面からも日本のおざなりな対策が浮き彫りにされているのだ。




「社会へのつながり」を回復させるプロセスを映像化



 番組は最後に「ワーキングプアI」でゴミ箱をあさって雑誌を売る青年、岩井拓也さん(仮名・35歳)の変化を報じた。
 両親の離婚で家族が離散し、人間不信となっていた岩井さんは、バイトを転々とするうちに30代になって仕事が枯れ、ホームレスへ転落しかけた。
 まさに社会的排除である。

 だが、現在三鷹市のおこなう道路清掃などの仕事をするなかで何とか日に7000円、1カ月で7万円のお金を手にすることができた。
 重要なのは、仕事をもつことによって、社会とのつながりを回復しつつあるという変化だった。

「ゴミ箱をあさっていたときは白い目でみられていたが、いまの仕事をするようになってご苦労様といわれたり、差し入れをもらったりするようになった」

と岩井さんはのべる。映像でも、道路を清掃する岩井さんに「どうも」と声をかけている地域の人が映っている。
 前はカップ焼きそばをかきこんでいた岩井さんは、いまは店に入って定食の大盛りを食べ、以前公園で体を洗っていたのが今は銭湯に行っている。人目をさけるように生きてきた彼の人生はふたたび人とのつながりを回復しつつある。
 そればかりではない。
 市民団体のホームレス支援の炊き出しをむしろ手伝う側にまわり、自分の弁当をさらに苦境にあるホームレスに渡しているところも映像におさめられている。

 最後にインタビュアーが「以前『生まれてこなければよかった』と言ってましたが……」と問う。「今でもそういう気はある」と岩井さんはのべる。全面的に誇りをもてない状態だからだ、というのだ。
 全面的に復帰してから……といって、インタビューの途中でいきなり岩井さんは目をふせて、手で目をおさえた。ようやく立ち直ってカメラに顔をあげ、人間らしい感情がもどってきたからかもしれないと話す。

「前だったら絶対こうはならない。やっぱり人を信じられるようになって……」

といって、また涙を流して顔をふせてしまう。
 岩井さんがカメラを多少意識したにせよ、これは岩井さんが社会的排除から「社会とのつながり」を徐々に回復し、「人間らしい感情」や尊厳がもどってくる瞬間をとらえた見事な映像である。
 終わりに鎌田キャスターが「単に収入を得るだけの問題ではなく、社会に参加するということ」なのだと強調していることが、おそらく番組スタッフが伝えたいテーマと解決方向だったのだろう。

 問題が「社会的排除」にあるのだと把握されることによって、企業側の社会的責任、自らの過剰な蓄積を社会還元することの責任も明らかになってくるだろう。また、自治体や行政の支援も、おざなりな就労対策ではなく、社会的統合を実現させるためのきめ細かいサポートであり、そのための十分な予算が必要なのだという結論も出てくるだろう。

 前に『18歳の今を生きぬく』という若者の行動を実証的にレポートした本を紹介したことがあるが、そこでは、18歳の若者が経済資本だけでなく友人や家族、地域の人々といった社会関係資本を活用しながら、行きつ戻りつ成長しているということを述べた。
 ワーキングプアにたいする「対策」は必ずしも国家や自治体や企業だけの仕事ではなく(もちろんそれが根本であるが)、社会的排除を防止するという視点に立てば、ぼくらが彼らと関係をむすぶ——それはボランティアでつながってもいいし、もっと身近な友人関係であってもいいだろう——ことによってできるかもしれないのである。


 個々の対策や方策はさまざまある。
 しかし、この「社会的排除の問題」という大事な視点を提起したことこそこの「III」の大きな意義だったにちがいない。しかもそれを「解説」にとどめず、岩井さんの涙の回復という驚くべき「典型的形象」の映像におさめたことにこの番組の「ドキュメンタリー」としてのすばらしさがある。 







2007.12.17感想記
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